置きにいく球
「置きにいく」という表現がある。
野球において、ピッチャーが「ストライクゾーンにボールを置いていく」ように、丁寧に丁寧に、急速などよりもストライクを取ることを優先して投げることを言う。プロ野球の解説などでは「置きに行った球を狙ったホームランでした」などと評されるので、聞いたことがあるかもしれない。ピッチャーとしてストライクを取りに置いてくる球は、バッターにとっては打ちごろの球になる。
私は小学生のときに野球を始めた。
当時読んでいた漫画の影響と、当時メジャーリーグへ渡った野茂投手の影響を受け、痩身ながら投手の道を選んだ。
所属していた少年野球チームは、残念ながら強いとは言えなかった。なんなら、この数年間、対外試合で勝利を収めたことがないようなチームだった。
そんな中、私が5年生の頃、初勝利のチャンスが訪れた。
5年生以下と出場選手が設定されたこの試合で、私はマウンドに立っていた。
チームはリードし、この回を抑えれば勝利となる場面。
オフィシャルの大会ではない、ただの練習試合だったが、それでも対外的な試合での初勝利が目前に迫っていた。
その重圧に私のコントロールは突如乱れた。
ストライクがまったく入らなくなった。
「置きにいっても」入らない。
心の乱れはプレッシャーだけではなかった。
前の回の攻撃で、塁に出ていた私は、後続のヒットの合間を縫ってホームへ突入し、惜しくもアウトになった。しかし、私はそれをセーフだと確信し、抗議をした。幼いながらもムキになって抗議したことを覚えている。
幼い頃の抗議なんてかわいいものだが、そこから気持ちが切り替えられるかといえば、そうではない。
憤りと、プレッシャー。
球を置きにいってもストライクが入らない。
押し出しのフォアボールが続き、見る見る得点差がなくなっていく。
見かねてついに投手交代となった。
結果としては、傾いた流れが戻ることはなかった。
私はチームの初勝利をつぶしてしまった。
そのことを、今でもよく覚えている。
置きにいくということは、腕をしっかり振らないことでもある。
私は自分のピッチングができなくなっていた。
そうやって振り返られるのは、少し経ってからのことだというのが悔しい。
その後何度か勝利を収めているが、その記憶はほとんど残っていない。
確かに勝ち、喜びはしたが、どうにも鮮明に覚えていない。
悔しい記憶だけが、そこに置き去りにされている。
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