第13話 満天の星空の下で

 山頂が見えてきた。

 そこはちょっとした広場のようになっていて、それまでのゴツゴツとした固い地面ではなく柔らかな芝の生える草原となっていた。

 そしてその中心には巨大な一本の木がそびえ立っている。

 あれがジェネットの言っていた巨大樹か。

 大人の男性が7、8人で手をつないでようやく囲めるほどの太い幹がしっかりと地面に根を張っていた。

 そして天を突くように伸びる巨木のてっぺんは真上を見上げなければその全貌が見えないほどに高かった。

 その根元に2人の人影が見える。


「アル様!」


 僕が山頂に到着すると火を灯したランタンを持ったジェネットが大きく手を振りながら僕を出迎えてくれた。

 ジェネットの後方ではアビーが何やら巨大樹の根元で作業を行っている。

 彼女たちの無事な姿に僕は安心してホッと息をついた。

 部族の縄張りを抜けてから1時間ほどが経過していて、見上げる夜空では多くの星が輝きを放っている。

 あの後は特に誰にも邪魔されることなく、僕は穏やかな道のりを山頂まで登って来られた。


「アル様。よくぞご無事で」


 僕の元へ駆け寄ってきてくれたジェネットは、僕の手を両手で包み込むように握りながらそう言ってくれた。


「ジェネット。何とか約束を守れたよ」


 そう言う僕のライフが完全回復しておらず体のあちこちに傷が残っていることにすぐに気が付いたジェネットは、彼女の中位スキルである回復魔法『神の息吹ゴッド・ブレス』を僕にかけてくれた。

 途端に疲れて重苦しかった体が軽くなっていき、体中を駆け巡る血流がポカポカと温かく感じられる。

 するとさっきの回復アイテムでは回復しきれなかった傷がみるみるうちに消えていき、僕のライフが完全回復した。

 相変わらずすごい神聖魔法だな。


「ありがとうジェネット。それからあの時、僕を信じてくれて嬉しかったよ」


 部族の相手を僕1人で引き受けると言った時、僕を信じてジェネットはあの場から先に行ってくれた。

 それは彼女が僕を信頼してくれている証だった。

 この頼りない僕を。


「後ろ髪引かれる思いでしたが、アル様はやると言ったらやる人ですので。アル様の火事場の底力を信頼いたしました。ですが……本当に心配だったのですよ」


 そう言うとジェネットは心底安堵あんどしたように胸をで下ろした。

 そんな彼女の後方では人型に戻ったアビーが木の幹に両手を当てて何やら作業を行っている。

 アビーは作業の手を止めずに顔をこちらに向けて微笑んだ。


「アルフレッド様〜。お疲れさまです〜」

「アビーも無事で良かった」

「アルフレッド様がいない間、シスタ〜はずっと落ち着きなくソワソワしていたのです〜。あんなシスタ〜見たことないのです〜。アルフレッド様はなかなか罪な男なのです〜。むふふ〜」


 そう言うアビーのほっぺたをジェネットがムギュッとつねり上げる。


「アビー。余計なおしゃべりはせず、作業に集中するように」

「うひぃ〜。シスタ〜ご勘弁を〜」


 ジェネットに叱りつけられたアビーは前を向くと再び作業に没頭し始めた。

 よく見ると彼女の手が触れている木の表面には操作用のタッチパネルが設置されていて、アビーは流れるような指さばきでそれを操作している。

 そしてタッチパネルのすぐ横には台座のような出っ張りがあり、その上に小さなミランダが寝かされていた。


「この大木こそが聖域の根幹にしてこのゲームのホスト・システムを務める巨大樹です。私たちが普段利用している自身のメイン・システムはすべてこの巨大樹に繋がっています。この世界にはこの巨大樹と同じホスト・システムが他に6箇所あります」


 ジェネットの説明を聞きながら僕はミランダの様子を見つめた。

 ミランダは台座に横たわったまま穏やかな表情で眠っている。


「ミランダの様子はどう?」

「落ち着いていますよ。今、ミランダをこのホスト・システムとリンクさせているところです。ミランダの体内に潜むウイルスを抽出してホスト・システムに登録します。これが第一段階の作業となります」


 ミランダとホスト・システムを接続していると聞き、僕はひとつ気になった。


「ミランダからウイルスがホスト・システムに感染しちゃうことはないの?」

「ホスト・システムにはあらゆる感染を遮断する防衛機能が施されていますので心配御無用です。そしてこの作業が終われば次は、登録したウイルスに対抗するワクチンを生成する作業に取り掛かります。それが第二段階ですね」


 なるほど。

 

「そうして作り上げたワクチンをミランダに投与するのが最終段階となります。その作業が終わる頃には恐らく夜明けを迎えているでしょう」

「夜明けか。ギリギリ間に合うかな」

 

 ミランダの出張襲撃イベントは明日の午前9時に開始される。

 この場所から砂漠都市ジェルスレイムまではかなり離れていて、徒歩なら約2時間かかる。

 でも街道は整備されているから、早馬の馬車を利用すれば20分ほどで到着できる。

 僕は胸に希望が湧くのを感じてふと空を見上げた。

 そこには満天の星空が広がっていた。

 ふと隣に立ったジェネットが手に持ったランタンの明かりを消す。

 そして僕の手を取ると歩き出した。


「アル様。こちらへ」


 僕らは作業に集中するアビーをそこに残し、広場の真ん中辺りまで少し歩いた。

 ここまでの山道はゴツゴツとした地面だったけれど、山頂のこの場所は柔らかな草が生える草原になっている。

 ジェネットは目の前で立ち止まってこっちを振り返ると、いきなり僕の両肩を手でトンッと押した。


「えいっ」

「うわっ!」


 不意打ちされた僕が思わず背中から柔らかな草の上に倒れると、ジェネットも身をひるがえして僕のすぐ隣に仰向けに寝転んだ。


「ジェ、ジェネット?」

「見てくださいアル様。すばらしい景色ですね」

 

 僕のすぐ隣に寝転んだジェネットは、本当に楽しそうな声でそう言った。

 僕は草むらに仰向けで寝転んだまま、星空を見上げてその美しさに息を飲んだ。

 綺麗きれいだなぁ。

 

「うん。世界って……すごく綺麗きれいなんだね」


 僕はポツリとそうつぶやいた。

 僕の漏らした感想はごく簡単なものだったけれど、心からの声だった。

 いつもやみ洞窟どうくつの中にいることが多い僕だけど、最近はミランダやジェネットがこうして連れ出してくれることがあるから、見たことのない世界の景色を目の当たりにする機会が増えてきた。

 

「私、こういう景色をアル様と一緒に見たかったんです」

「えっ?」


 ジェネットは少しはにかんだ笑顔でそう言った。

 

「私、もっともっとアル様を色々なところに連れて行きたいです。でもアル様はお勤めがありますし、そうもいきませんけどね。だから今こうして一緒に景色を見られる時間が私にとってはとても大切な時間なんです」


 ジェネットはそう言うとふいに僕の手に自分の手を重ね合わせた。

 ハッ。

 やばい。

 ななな、何だかドキドキしてきた。

 い、息苦しいのは高所できっと酸素が薄いせいだよね。

 ジェネットは星空を見上げたまま静かに口を開く。


「NPCだってこういう気持ちを味わえるんです。だから私はNPCが自我を持つこのゲームがとても好きなんです。このゲームでアル様とずっと……」


 ジェネットがそう言いかけた時、どこかで謎の鳥が「キェェェェェッ!」とけたたましい鳴き声を上げたため、僕もジェネットも思わず慌てて手を離した。


「うひっ! ビ、ビックリしたぁ」

「……な、何言ってるんでしょうね私は。綺麗な景色のせいですかね。い、今のは忘れて下さいね」


 ジェネットは慌てて早口でそうまくしたてると、それきり黙り込んだ。

 僕も何と言っていいやら分からず、黙ってうなづく。

 そして沈黙……気まずい空気キターッ!


 こらっ謎の鳥!

 今鳴きなさいよ!

 うぅ。

 こういう時、僕ってダメだなぁ。

 場の空気を和ますような気のきいた言葉も出てこない自分が情けなくなるよ。

 僕が何か言わなくちゃと思っているとジェネットがポツリとつぶやいた。


「……アル様がアリアナを助けたいという気持ちは何となく分かります」

「えっ?」

「アル様と我が主のお話は先ほど私も我が主から聞かせていただきました。私はアリアナと直接面識はありませんが、画面上で見る彼女は何だか悲しげでした」


 僕はそう言うジェネットの顔をじっと見つめた。

 ジェネットは時には厳しいけれど、やっぱり優しい人だと僕は思う。

 彼女は他人の悲しみに敏感なんだ。

 僕はジェネットの言葉を受けてアリアナの顔を思い返した。

 そしてミランダとの戦いが終わった後、「ごめんね」と言っていたであろう彼女の悲しげな表情も。


「アリアナがミランダに勝利した時、彼女はとてもやりきれないような表情をしていたんだ。ミランダに勝つことを目標にして一生懸命努力して強くなったアリアナがそんな顔をするなんて僕、どうしても納得いかなくて。アリアナが本当に納得して双子のところにいるなら僕はそれでもいいと思った。でも多分そうじゃないんだ。不本意なのにそうせざるを得ないんだったら、僕は彼女を助けたい。アリアナにはこのゲームのNPCとして彼女らしくあってほしいんだ」


 僕がそう言うとジェネットは微笑みながらうなづいて立ち上がった。


「そういう考え方、とてもアル様らしくていいと思いますよ」

「ミランダには怒られたけどね。お人好し過ぎるって。何にでも首を突っ込むべきじゃないって」


 苦笑いでそう言うと僕も立ち上がり、ジェネットのとなりに並び立った。


「それも一理ありますが、単純に彼女は気に入らないのだと思います。自分の家来だと思っているアル様が他の女性に優しくするのが」

「そ、そうなのかな?」

「そうですとも。今度ミランダに注意しておきますね。アル様はあなたのものではありませんよって」

「ま、またケンカになるからそれは自重してね」


 僕の言葉にジェネットはクスクスと笑い声を漏らした。

 切迫した状況にあるとは思えないほど穏やかな時間だった。

 僕はその夢のような時間に安堵あんどを覚えていたため、気が付かなかったんだ。

 満天の星空に輝く無数の星のうちのひとつが、その輝きを消したのを。

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