第四十一幕「コーンシェイプ」
目に入るくらい、少し長い前髪を息で吹き上げて、それでも邪魔になるから手でかき上げる。自然と肘をつく姿勢になり、机に体重を預けるのと同時大きなため息が出てしまった。
「切ったらどう?邪魔でしょうよその長さは」
少し遠い位置に立っていたベスが声をかけてきた。
「一回切るといつ元に戻るかわからないから切らないんだ。変になっても困るし」
半分人間でなくなった僕の身体は、生活こそ普通のそれとほぼ変わらないが中で起きていることはだいぶ異なる。体内で合成されるべきものはされなくなり、血液を流れるものもまた少し違うものとなった。今はこれを薬物や注射で補ったり、機械側で代替品を体内組織に流し入れるようになったりしている。
結果体質や代謝の速度もまた常識のものとは違っている。安易に髪を切ろうものならばしばらくはそれに付き合うことになるだろうとも言われた。以来このような話題に僕は少し敏感になっているのだった。
「そう」
ベスが短く答えて、手に持ったコーヒーに口をつけた。
ここは公安局機械化班が持つ休憩室だ。
チカと別れたあと、僕らは高田ノ園が持つ施設群を巡った。その内容は機械の研究や技術開発に始まり、災厄ホームレスや機械遺族―メカの襲撃により親族を失った人々―を対象とした慈善活動にまで広がっているものであった。その規模は大きく、事実としてシンジュク政府の手が届かない、民衆の必要とするもの―虚ろに開いて塞がらない穴を補っているようにも見えた。
「にしても、ナカノ地下街にあんなものがあったとはね。報告書を書くのが面倒くさくなりそう。あーやだやだ」
愚痴を零すベスをよそ目に、僕はチカとの予想外の再会について考えていた。
久しぶりに会う彼女はまるで別人のようであった。
いや、もしかしたらあれが彼女の本当の姿なのだろうか。
僕ら二人が会ったあのクリスマスの日の直前までと、それから彼女の歩んだ時間は僕の知り得ないものだ。僕の知るチカは彼女の人生のほんの一部だけ、それもまともに覚えているのはお互いがまだ小さな子供である間くらいだった。
僕の知らない空白で、チカの人生で、彼女が何を経験し、何を見知り、何を思ったのか。高田ノ園とどのような過程を経て関わるようになったのか、僕は知らない。
何があったにせよ彼女の人生だ。僕の出る幕はなく、野外から口を挟むようなことはしたくない。僕らはただ、幼馴染なだけ。旧知の間柄であること以外は特に関係ない存在である。
それでも、幼馴染であるからこそのものだろうか、その空白を知らないことがむず痒く感じられた。
「ちょっと、聞いてる?明日はまた別の仕事があるんだから、さっさと解散するわよ」
はっとして、顔を上げる。
「あ、うん。僕の分はいつまでに出しておけば良いんだっけ」
「仕方ないわね…」
意外と面倒見のいいベスを困らせながら、僕は僕でこの奇妙な人生を生きるのであった。
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