第四十幕「インパルス」
「私たちの地球が、殺風景でかわいそうな今の姿になる前―第災厄が起こる直前の、最後の姿を見たのって誰だと思いますか?」
薄汚い廊下で先頭を歩きながら、チカが言った。
「さぁ…やっぱり災厄の中心から離れた、地方の避難民になるのかしら」
ベスが、コートの袖を直しながら答える。一応今は人工皮膚で隠しているものの、極力見られることは避けたい。無意識に、自分も右腕の手首を覆うカフスを手繰り寄せていた。
確かに、と頷いてから、チカが一瞬振り向く。
「実はそうでないと言ったら驚かれますか?」
そういって彼女が足を止める。その後ろには、少し大きめのエレベーターがあるようだった。元は貨物運搬用に使われていたものだろう。光るボタンの代わりについた、武骨なスイッチを押してチカは向き直った。
「どういうことかしら」ベスが問いかける。
「正解は、
しばしの沈黙。
素っ頓狂で冗談にも聞こえるその返事とは裏腹に、チカの顔は確信が含まれる微笑だった。
エレベーターが到着した。見慣れない格子式の入り口をガラガラと引き開け、彼女がお先に、と合図する。ベスがそれを見て先に乗り込んだため、僕も後からついていった。
「地球上で、あのような場所はもう存在しないことでしょう。どこまでも広がる大草原なんて、今では映像記録か、あるいは人の中にしか存在しません。それも、掠れた状態で。ですが、機械はそのままそっくり覚えているんです。地球の、あらゆる大地の記憶を。先程見ていただいたのはその機械の持つ記憶を元に、我々が所有する技術を使って再現したものです」
へえ、とベスが珍しく感心する。
「やけに生々しく感じられたのだけど、それは?」
「もともとは防犯の為に作られた技術で、人の五感に直接訴えかけまるで幻覚のようなものを見せるものだと聞いています。残念ながら、私は技術者ではないので詳しくはわかりませんけど」
はは、と彼女は笑って付け加えた。
「でも、皮肉だとは思いませんか。人類の敵であり、地球をこのような姿に変えた張本人でもある機械が、人間の失ってしまったかけがえのないものを持っているなんて」
エレベーターの低いうなり声を背景に、チカが上に登っていく無機質な壁を見ながら言った。
「確かに、なんだか変な感じね」
ベスの声が若干低く聞こえた。
「でも、こうとも考えられませんか。もし地球をもとに戻す可能性を持つものがあるとしたら、それは機械なんじゃないかって。星を覆い、その姿を悉く変化させつつも、地球の記憶と人類の栄華を身に宿す機械。未来への希望は、彼らこそが持つのではないかって」
チカが息を大きく吸い込み、そして、吐き出す。しかして、その吐息には少し濡れたものが感じ取られた。
「高田ノ園が今目指している世界は、機械との共和です。私たち人間は機械と戦うのではなく、殺されるのでもなく、手を取り合って世界を見つめ直すべきなのではないかと、そう訴えかけているのです。それには、私たちは機械を知らなくてはなりません。なぜ、大災厄が起きたのか―機械が何をもってして人を襲い、傷つけ、大切な人を奪うのか―それを、私たちは機械に歩み寄ることで探っているんです。少なくとも、私はそう理解しています」
言い終わってから、彼女はこちらを向かず、そうしてしばらくエレベーターの駆動音だけが鳴り響いた。
しばらくして、エレベーターが一際大きく揺れ、それ以上動かなくなった。目的階にたどり着いたようだ。
「これから先には、私はご一緒できません。担当の者が後を引き継ぎます。ここまで、ありがとうございました」
にっ、と彼女が笑う。
「―っ」その姿を見た途端に僕の中の何かが衝動に駆られる。
「原野!」がっと肩を掴まれ、僕は我に帰った。
「行きましょう」そして身分をわきまえて頂戴、と耳元でベスに言われてしまう。
そうしてエレベーターとともに消えていった、チカのその姿に僕は。
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