第三十五幕「ナイス・ウェザー」

「遅いわね」

 ベスの機嫌が悪い時の声がする。そりゃあそうだ。もう一時間はここで待ちぼうけを食らっている。

 人類都市シンジュクの中央部、オフィス街の立ち並ぶ道路脇に僕らはいた。

 時刻は午前七時。街が完全に起きるには少し早い時間だ。

 不意に、風が吹く。春の気配をそれに探すも、首元に忍び込む針で刺されるような寒さに震えた。少しでも冷気の侵入を阻もうと洋服の襟を持ち上げてみる。

「くふ。似合っているわよ、ソレ」

 気恥ずかしくて、「やめてくれよ」の一言も出ない。顔を覆うマスクのおかげで表情までは知られないことが唯一の救いだ。

 潜入作戦ということでいつもの公安局ワッペン入りコートではまずいらしく、僕ら二人は一般人に扮していた。筋書きは良家の娘とその付き人。ベスは上品そうなドレスにファー付きコートで見事にお嬢様を演じている。

 一方で僕はといえば見習い執事だ。漫画に出てきそうな燕尾服を着させられている。手袋もつけているので随分気合い入りだ。

ただでさえ変なマスクをつけている上にこうだから人目を集めてしまう。ついさっきも変なのー、と母親の手を握る少年に笑われてしまった。

「そういえばいつもこれを持たせられているけど、中身は?」

 手に持ったスーツケースを指してベスに問う。

児社会の事務所に行った際も僕はこれを運んでいた。あの時の記憶では入り口の門番らしき人間に取られて以来帰ってきていないはずだ。にもかかわらず全く同じものが再び今手の中にあった。

「爆弾よ」

「え」

「冗談」ベスが半分笑って言う。だがすぐに無表情になってしまうので今だに機嫌は直っていないようだ。

 なんだか適当にはぐらかされてしまった。もやもやする。これをどうしようかと思っていると、その時がきた。

 銀色のバン車が僕らの目の前で止まった。

「遅くなって申し訳ありませんでした」

止まった車両の扉が横に滑り、中から姿を表しながらその人物が言った。

「ご支援いただける猫森様でお間違いありませんか」

 その時、僕は自分の目の前に広がっている光景を信じられないでいた。

 はい、よろしくお願いします、などと答えて車両に乗り込むベスの手を引くその人物―その人は―




―幼馴染の、チカだった。

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