第三十三幕「櫓崩し」

 ―災厄ホームレス。

 人類都市シンジュクのあちらこちらに散らばって住みながら、家も職もない最貧困に生きる人々がそう呼ばれる。

 それは、今となっては旧世界となってしまった『現代』社会が残した、負の遺産である。

 彼らの多くは機械の魔の手から逃げ延びてきた財産も持たぬ避難民で構成されているという。それ故に満足な教育を受けることも出来ず、専門技術はおろか読み書きさえあやしい者もいるらしい。この中で真っ当な職に就けるものは限られており、またアンドロイドの変装する格好の存在であるために重大な社会問題になりつつある。

 しかし、彼らのような人々が存在するのには、もう一つ理由がある。


 機械が機械を作り始める前、つまりは人間がまだ機械の仕組みを理解し、その製造に自らの手を加えていた頃、大躍進の数々が続いたという。

 それまでの技術では不可能と思われた大容量メモリとこれに伴う演算機構の開発、そして様々な計算を可能にしたことで精密に作り出される機械は人々の生活をより便利に、より快適にしていた。

 しかしながら、日常生活における自動化は同時に弊害も孕んでいた。

 それは職業の減少と、それゆえに起こる雇用の激減である。

 機械が仕事を奪うというのは当時であっても特に目新しい話でもなかった。はるか昔に蒸気機関が開発された時も、人々は自らの職を奪われることを恐れ工場に押し入り機械を壊して回ったという。

 その議論は「便利さ」を追求するとき常に付いて回るものであり、発展の一工程であった。

 一方で、蒸気機関が生まれても、後に内熱機関が生まれても、結局人間はその便利さを認め、順応していった。

 人間はいつでも発展を受け止め、自らの生き方を見つけてきた。現代時代の学者達もそんな背景を踏まえていたからこそ事態を甘く見ていたのだろう。

 しかしながら、現実が彼らの想定していたものと違ったのは歴史が物語っている。

 機械の発展はある時点から目覚ましい進歩を遂げ、もとより得意であった情報分析の分野をやがて占領する。ことデータを扱う能力は人間のそれを軽く上回り、学者や法曹ら高給取りたちを次々と地に落とし始める。これは想像に容易い。

 だが発展はそこで止まらなかった。人同士でなければ代替不可能と言われた、人間と直に接する職業をも奪ったのである。それは荷物の運搬といった単純な労働から始まり、人の内面まで干渉する医師の存在を脅かした。

 そうして想定をはるかに上回る雇用の喪失が人の社会を作り変える。

 それは貧富の差を埋め、多様性を消した―形ある労働を失った人間は全て、子供を作る他能のない存在に近づいていたのである。また一方で換言すれば、これまでの人類史上存在し得なかった社会的平等の実現がなされようとしていた。

 それが発端だった。

 機械に任せきるには不安だった大黒柱―人間の作る政府がこの究極の平等に恐怖し、世の中に軋みをもたらし始める。

 あまりにも急に実現した平等を前にして、未だ働き続ける人間と、機械によってもたらされた福祉に依存して生きる人間とが対立し始め、その様相が政治にも反映された。常に嫉妬と価値観の相違が巣食う政情は安定せず、議論は遅々として進まない。

 進歩の無さに引き換え、時は過ぎていくばかり。

 結果として生み出されたのが専門技術を持たず、そしてまた職業らしき職業も待たない家庭の増加であった。当時であっても人間同士の交流が盛んであった都市部ならともかく、過疎化が進み自動化した方が返って便利であった地方はその典型例が数多く存在したとされる。

 そうして確かな対策も取られていない社会がしばらく続いたところで大災厄―人間の支配が終わったのだった。

 機械の大虐殺を免れシェルターの中に逃げ込んだとしても、財産を持たず、“何も出来ない”人間が快適に生きていけるほど社会は甘くはない。必然的に彼らは最底辺の暮らしを強いられるようになった。

 避難民とは、変遷を巡って今シンジュクのアスファルトの上で眠る彼らは、そのような因縁に運命を弄ばれた人々であった。



「災厄ホームレスの多くは最悪を生きている。収入という蜘蛛の糸を垂らせばいくらだってそれを手繰ろうとする人間は出てくるだろうさ。少しくらい怪しくてもね」

 ドクターが眼鏡を手元で拭きながら話す。

「たとえそれが、多くの人間を殺めた殺人人形の面倒をみることでも、ですか」

 目の前にある横長のガラス窓を見つめながら僕はいう。

「ああ。生き物はゲンキンなものだ。どんな大義名分が存在していようと、結局は自分にとって有利となるものを選ぶ。そういうものさ」

「僕は、」と言いかけたところでドクターに制される。

「誰だってそうなのだよ。私だって例外ではない。それが悲しい本能さ」

「っ…」

 僕は俯く。

「でも、そこで反論しようとする人間は嫌いじゃない」

 眼鏡をかけ直し、優しい光を目に宿してドクターがこちらを向いた。何もされていないのに、背中を押されたような力強さを感じる。

「さぁ始まるぞ」

 ドクターが向き直る。

 ガラスの向こうに広がる白い空間。机とそれを挟むようにしてある椅子二つの他に何もないところに、一人の男が連れてこられた。服装こそ違うがそれが誰であるかすぐに気がつく。

 奥村を名乗る男性の尋問が始まった。

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