第二十九幕「美神の銀梅花、神酒の葡萄蔓」

 気がつくと、僕は誰もいない公園で、一人遊んでいた。

 自分よりもはるかに背の高い木の向こうに、無数のビル群がそびえる。少し煙に汚れてはいるが、稀にしか見えないはずの青空が、またその向こうに広がっていた。

 手元を見ると、僕は砂場でトンネルを作っている最中であった。深く掘った穴を、横に広げるつもりだ。

 手のひらを引っ掻く粗い粒も、爪の間に入り込む細かい粒も掻き分けて。

 靴に入り込む砂も忘れて。

 ひたいに浮かぶ汗も、どろどろになった手の甲で拭って。

 僕は夢中になって遊んでいた。


 トンネルがもう少しで出来上がりそうになったところで、僕はふと、砂場から顔を上げた。

 そうして、今まで砂をかき分けていた音が消えることで、僕はいよいよ公園がやけに静かであることに気づいたのだ。

 途端に、孤独を感じて悲しくなる。

 両親の姿を探しても、公園のどこにもいない。

 もしかすれば公園の外にいるかもしれないが、何故か公園から出て探そうとは思わなかった。

 

 自分がついに一人なんだということを再確認して、喉の奥が苦しくなるような、そんな不快感を覚えながら、僕はまた砂場に戻った。

 開通の手前までせまったトンネルを見つめながら、僕は手を動かそうという気が起きるのを待っていた。

 そんな時だった。


「何してるの?」


 頭の上から降ってきた声にびっくりして尻餅をつく。

 僕の目の前にいた、その陽気な声の持ち主は―。



「ねぇ、着いたってば。いい加減起きなさい」

「ンア?」変な声をだしてしまったことに気づいてから覚醒した。

 気だるさを体に感じてから、後になって始まった鈍痛が頭に響く。

 マスクがずれている事に気づいて、慌てて元に戻した。

「任務中に居眠りなんて大層なご身分ね」

「ご、ごめん。昨日あんまりよく眠れなくて」

 流石に昨日の夜遅くまでクルードとボードゲームをしていたとは言えない。

「自己管理は文字通り自分でやるものよ。気をつけてちょうだい」

 ベスはそう言い捨てて、そそくさとタクシーを降りていってしまう。

「はは、こりゃ一本取られたなウサギちゃん。どうせ夜遅くまで遊んでたんだろ」フロントミラー越しに意地悪な笑顔が見える。タクシー運転手に扮したいつものヘリパイがこちらをいじりに来ているのだ。

「あーもう、そうですよーだ。おチップは払わないぞ」

 どっちにしろ払わなくてもいい運賃を蹴っ飛ばし、自分もタクシーから足を伸ばす。

「そんじゃあ、行ってらっしゃい」そういうと、ヘリパイはタクシーのドアをバタンとしめて走り出して行ってしまった。

 僕とベス、この二人で取り残される形になったここは、シンジュクの中でも一際扱いの難しい場所だ。

「おおっ、お姉さんどうですか?僕らのとこ来ません?」着崩したスーツ姿に、まるで人間じゃないような髪色の男性がベスに近寄る。むんとした香水の香りがマスクの隙間から入って来た。

「結構よ」ぴしゃりと断ってから、ベスが歩き出す。

 そうしてから振り返って、

「ほら、こっちにいらっしゃい下僕ちゃん」とこちらを手招きした。

「はっ、ただいま」

 右腕に持ったスーツケースをガチャガチャ言わせながら僕もその後について行く。


 赤や青、黄色の他に、桃色、黄土色と様々な色の光に照らされ、悦楽と狂気に彩られたこの街の名は――歌舞伎町カブキチョー

 魑魅魍魎の集う、シンジュクの魔窟である。

 

 



 

 

 

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