第二十八幕「ビーハイブ」

「呼びましたか、ドクター」鈴のように鳴る声で少女が言う。

 少女の目線の先にいるのは、白衣の似合わない大柄の男であった。彼は手を後ろに組み、目の前の壁に埋め込まれた巨大なスクリーンを見つめている。

「ああ、イン君。わざわざ来てくれてありがとう。そこにかけくれ」

 こちらに向かぬまま指差されたソファに、少女がちょこんと腰掛ける。

 少女は改めて周りを見まわす。

「今回は本当にご苦労様。車両軍団には逃げられてしまったが、まぁそれはいいとしよう。相手がどんな集団であるか―そのヒントを掴めたのだからね。任務成功と言っても過言ではないさ」

 先ほどまで通って来た真っ白な研究施設とは打って変わり、落ち着いた色調であつらえてあるこの部屋は、この大柄な男性の持つ所長室であった。

 コーヒーの香り漂う空間は、決して広くはなく、それでいて狭くも感じない。今となっては珍しい、大自然を思わせるような木目の見える内装の他、目を引くものといえばやはり奥に飾ってある日本刀二本と掛け軸だ。

「気になるかい?」大男が振り向きながらいう。

「珍しかったもので」

 少女はおずおずと答える。大男は部屋の中を歩きながら、日本刀のうち一本を手に取った。黒色の拵えが、照明の光を受けて妖しく光る。

「男の子はどうしたってこういうものが好きでね。それは幾つになっても変わらないようだ」にかり、と音がしそうな笑顔で男が話す。

「まぁ、これの話はまた今度にするとしよう。つまらない趣味話でレディを退屈させるわけにはいかない」

 日本刀を脇に置き、大男が少女の向かいにあるソファに腰掛ける。

「で、どうだった。ウミホタルは―」

 空気が変わった。いつもの彼の陽気な印象がたちまち消え失せ、その瞳に冷たく、厳しい光が宿る。その目は間違いなく軍人のもの。それも幾つもの死線を乗り越えた歴戦の強者だけが備えるものだ。

「スキャンの結果―ウミホタルは機械によって侵食されています」

「そう、か―」大男が眼鏡を外しながら上を向く。

「此度の戦闘はあくまでも注意をウミホタルから他に逸らすためのもの。逃走した二体のアンドロイドの行動を鑑みても、間違いはありません」

 侵食。

 少女が口にした言葉はすなわち、機械メカの魔の手が巨大食料プラント―ウミホタルの内部にまで渡っていることを意味していた。人間の目が届きづらい環境であったからこそ、そこに付け込まれてしまったのだった。

「奴らが中で何をしているか分かったかい?」

「いいえ。そこまでは把握し切れず、申し訳ありません」

「そうか。まぁいくら君に与えられた高度スキャンでも、ウミホタルの厚い壁越しじゃあ分からないだろう。中の機械メカが出て来なかったのも、きっと同じ理由で気づかなかったからだと考えるのが妥当だ」

それにしても、と大男が続ける。

「いくら人の手が入らないと言っても、我々の目をくぐり抜けるにはそれ相応の準備と労力が必要だ」

少女はじっと、男の話に集中する。

「それを機械だけでやったとは思えない。それには本能プログラムの問題もあれば、単純に頭数が足りないだろう」

「それは、つまり―」

 少女はそこで口をつぐむ。

 今ここで繰り広げられている会話の内容は、あまりにも恐ろしい仮定イフの話だった。

「人間側に、協力者パトロンがいる」

 壁に埋め込まれたモニターパネルは、何十万もの人名を映し出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る