第二十幕「カフェモカ、ホイップマシマシキャラメルソース、ココナッツも。チョコファッジを三分の一、ココナッツフレーク、スプリンクルも同様に。アイスクリームをフォースプーン、バニラ二つ、イチゴ、チョコあと

『打てませんよね―』反復して聞こえる声に、抜け落ちるような感覚が伴う。いずれはと覚悟もしていたが、いざ面と向かって言われても苦しさは変わらなかった。

 顔色から感づいたのだろう、やっぱり、とミスシュガープラムはがため息をつく。

「何があったのかは詮索しませんわ。でも、あなたの様子を見させてもらう限り、自信が失われていることは明白。正直、腕の話になるたびに挙動不審ですわ」呆れた顔をしながら彼女がマグカップを傾ける。

 そんなに挙動不審だっただろうか。自分としてはかなり冷静を装っていたつもりなんだけどな、演技力の不足を呪いたくなる。

 一瞬の沈黙が、二回目のため息で破られた。

「マナ理論を用いた機構は多様を極めますわ。それこそ、星の数くらい。この世界―いや、宇宙を成り立たせる構造そのものなのですから。奇しくも、人類はその技術を仇敵である機械から学ぶことになりましたが―」

 彼女が飲みかけのお茶に目を落とす。憂いを湛えた光が、水面に反射していた。

「有虚マナ理論―あなたの腕に使われている機構は、その中でも特殊と言えるでしょう。それは、事象の根源であるマナそのものを利用しているからだけではない―恐らく、人類が初めて自ら導きだした機構こたえだから」

 どのような表情をすればよいのかわからず、僕は下を向いた。記憶に、あの焔に包まれた拳がちらつく。

「それゆえか、有虚マナ理論は特異性を備えることになった。始動に、人の強い意志が必須となったのですわ。マナが人の感情に反応することは判明していましたが、こればかりはその特性が顕著に表れますの」彼女と視線がぶつかる。そらされぬ濡羽色の目が、まっすぐこちらを見つめていた。

「だからね、ヒロト。自信をなくす必要はなくってよ。むしろ、誇りなさい。あなたには、全人類のが授けられた。は、人として、愛され、望まれて生まれてきた。あなたがヒトを信じる限り、この腕もあなたの思いに応えてくれますわ」そういって、微笑みが僕に向けられたのだった。

 

 ―愛されて―人として―生まれた。僕のあり方―

 故障した右半身を修復する手術の間、僕はずっと、ミスシュガープラムの言葉を反芻していた。そうでないときは睡魔に負けていたかもしれない。しばらくして手術が終わると、リハビリ室にいた僕を、クルードが外に連れ出したのであった。



「お前、まさか甘党か?」クルードがサングラスを拭きながら訪ねてくる。今初めて気づいたことだが、彼の瞳は碧色だった。

「言われてみれば、そうかも」ストローがないとマスクが邪魔で飲めないことが主な理由だけど、と口に含めたまま、バニラフラペチーノに絡めて飲み込む。

「そういうクルードだってそうじゃん。なにそれ」

「俺はいつもこれって決まってるんだよ。まぁ店内で飲むのは初めてだがな。ったく失礼な奴らだぜ、人の飲みモンじろじろ見やがって」そういってサングラスをかけなおす彼の前には、はじめはカフェモカと注文されたはずのものが置いてあった。もはや原形をとどめてなどいない。オプションに次ぐオプションと追加注文の結果、それはホイップクリームにアイスクリームにフレーバーソースとその他糖分の地獄と化してしまっていた。

 あんなにないがしろにされた政府公式の表彰式のあと、僕ら二人は町のカフェで注目を集めていた。

「仕方ないんじゃないかな...ところで、いつまで外出許可取ってるんだっけ?本部から出てもう四時間は経ってるんじゃない」

「一応二時までって言ったが、どうせ今日はオフだろ。インも帰ってきてることだ。伸ばせるうちに羽は伸ばしとこうぜ」そういって、彼が地獄を口に運んだ。ずびびび、ととても礼儀正しいとは言えない音がする。

「イン、さん...ね...」少し発音しにくい名前に、舌がもつれた。

 イン。それが、あの天使さんの名前だった。クルードも素性を知らない、謎めいた子、らしい。ただ分かるのは、身体のほとんどが機械化されているということだけ。自分の半身以上もかなり攻めた方と聞いていたが、身体丸ごとはその僕でもちょっと想像がつかない。ただ、競技場で見せた光る姿や、並外れた身体能力―特にあの巨大な剣を軽々振り回していたことを思い返すと、なんだか納得してしまう自分もいた。

「あの様子だと、戦線の方でもうまくやってたみたいだな。まぁ、数だけの雑魚ならあいつ一人で十分さ」

 彼の言った戦線、という言葉にどきっとする。普通のシンジュク市民が使う言葉ではないからだ。それは暗黙の了解で必要なとき以外には口にしない、禁忌の言葉だった。

 周りを見回して、聞き耳を立たせている者がいないか確認する。

 過激派甘党の先輩とヘルメットの取れなくなった後輩バイカーかなんかと理解されたのか、注目はとうの昔に消えていた。

 戦線、とは第二次機械戦線のことだ。それは今から三十五年前である第一次機械戦線終了後の昔から、現在まで続いている、機械と人との戦いであった。互いの領域に敵を入らせまいとするせめぎあい。均衡しきった戦線はその場で停止し、建造された防壁をめぐって日夜戦いが続いているとも聞く。

 この戦いの一方で、人類都市内部の人間はその存在を忘れようとしていた。戦線が破られることを皆心の奥深く、そのどこかで恐れているからだ。

「そういえば、ベスも派遣されてたんだっけ」座りなおして会話を続けた。件の地獄が半分くらいまで減っていることに気付く。大盛ヴェンティりだったのに。

「ああ、あの二人はよく軍に貸し出されるんだ。まぁ大体はアカデメイアの実戦試験のためらしいがな」

「クルードは?」

「俺は公安デカ一筋よ。そもそも、防衛線張れるタチじゃねえしな」

 ああなるほど、と頷いたらフラペチーノにガムシロップの残りを入れられた。仕返しはお約束だが、陰湿だな。これ。

「―さて、そろそろ行くか―ああそうだ、お前、金持ってるか?」

 ポケットに手を突っ込む。小銭が何個か指先に触れるだけで、あとは何もない。財布をロングコートに入れたたまま出てきてしまったらしい。二人とも私服の今、合計所持金は二百円くらいだった。

「んだよシケてんな。これだから公務員は」

「自分も地獄アレ一杯分くらいしか持って来てなかったんでしょ」

「普段はコートみせりゃ割引がつくんだよ。元値があんなに高いなんて思いもしなかった」

 結局、所持金の事情でそのまま帰ることにしたが、二百円はクルードのビデオレンタルで消えた。


 カフェの帰り、機械化班居住区に着いた僕は、クルードと別れて自屋に向かう途中、特に理由もなく浴場の前を通ることにした。時間帯は五時過ぎ。門限を守れなかったのは、レンタル屋で映画議論をしていたためだ。

 ふっと、男湯をのぞいてみる。人はあまりいないようだ。これから増えないうちに入ってしまおうか、なんて考えていると、後ろから自分を呼ぶ声がした。

「あ、ジャック―いや、ヒロトさん」

 鈴のようなそれに振り向くと、そこにはあの天―いやクマがいた。茶色い、丸い体に、丸い耳、生気を感じさせない目がこちらを捉えている。僕はみょうちくりんなその存在に凍り付いた。

「あの、手伝っていただけませんか」そういって、着ぐるみの頭が取れる。白い髪が揺れ、可憐な顔が露わになる。さっきまでのうつろな目の代わりに、飴色のそれがこちらに向けられた。現れたのは、やはりあの天使だった。

「え、インさん?なんですか、それ」

「インで大丈夫ですよ。これは、公安局のマスコットキャラクターなんだそうです」インはそういうと、『僕ハム助!よろしくね!』と書かれたプラカードを見せてくれた。製作陣の連帯がうまくいっていないことがよくわかる。僕が真人間だった頃からもそんな風に感じていたが、内部から見ても切実なる問題だ。

 彼女が言葉を続けた。

「そこで、情けないのですが、背中のジッパーが引っかかってしまったようなのです。女風呂こっちには人がいなくて―とっていただけませんか?」

「いいですよ」と反射的に答えたところで、はっと気づく。自分は今、とてもいけないことをしようとしているのではないか―しかも、なぜほぼ初対面の自分に頼む?―動悸と気恥ずかしさが加速していく。顔は今頃真っ赤だろう。彼女が後ろを向いたことが幸いした。

 中くらいの長さの髪が払われる。その向こうに、全身と同じ茶色に塗られたジッパーが見えた。つまんで動かそうとするが、確かに引っかかっているようだ。道半ばで、着ぐるみの毛を巻き込んでしまっている。

 ぐっと、力を入れてみる。小さな取っ手から指が滑り抜けてしまった。毛も強固に挟まっていて、逐一取り除くことはほぼ不可能そうだ。

 仕方がない、最終手段だ。

 右腕に手を切り替える。鋼鉄の指がしっかり取っ手を掴んだことを見届け、引っ張ってみた。感覚がないので分かりづらいが、少し進んでいる気がした。もう少し力を込めてみるか。

「ヒロトさん?あの―」彼女が何かを言いかけたようだが、意識がすべて右手に集中している今、僕にそれを聞く余裕はなかった。

 間もなくして、ジッパーが動いた。びりり、と腕が跳ねる。

「ジッパーが開いたみたいですね。良かったです」

 しかし、良くないことも起きていた。視界の茶色が、どんどん下にずり落ちていく。振り抜けた手には、しっかりとまだジッパーが握られていた。破けた所の生地と一緒に。

 どうやら、新品の腕にまだ慣れていなかったらしい―

 インの体から、着ぐるみがはだけていった。

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