第十六幕「ズー・オブ・ジ・ケイオス」

『ストレイキャット!命中ブルズアイだ!次も頼むぞ!』クルードがイヤピースの向こうで叫ぶ。じゃり、とベスがライフルのボルトを引いた。金の薬莢が吐き出され、夜闇に消える。

「あいつが言うと可愛い気が吹っ飛ぶわね」スコープに目を当てたまま、ベスが愚痴った。照準が定まらないのか、銃口が迷いだしている。

「あなたも接近戦が得意なんでしょう?さっさとそれ被って行ったら?」

「無理ですよ。まだ飛んでるし」

 ヘリコプターはスタジアムのおおよそ二十メートル上空を飛んでいた。行く、とは先ほど飛び出して行ったクルードのように、飛び降りろと言うことと同義である。

「大丈夫よ。折る骨なんて半分も無いんでしょう?ほら、被った被った」

 怖い物言いに押し負けて、マスクを被った。イヤピースが邪魔で被りなおす。意外に軽いそれが、頭部をすっぽりと覆った。すると、すぐに視界が

「どう?それ、網膜に直接映像が映し出されるんでしょ?」

 不思議な感覚だった。何かを被っている実感はあるのに、視界には出てこない。まるで人に見えない、透明なボウルに頭を突っ込んでいるようだ。

「なかなか。ふむ」

「わっからないわ...そんな感想...」

 すると、ベスが何かをポケットに押し込んできた。異様にごついそれが、コートに重さを足す。最後に、手渡されたものを見ると、自分の手が銃を握っていた。短機関銃だろうか、ずっしりと重い。銃火器を実際に持つのは初めてだ。

「気を付けてね。それ、連射する奴だから。じゃ、いってらっしゃい」そういうと、彼女が僕を突き飛ばした。止めてくれる壁もない隙間ギャップから、後ろ向きに落ちる。風を切る音が、マスクを通して聞こえた。


【タレイアズマスク=使用者を確認―音声認証を行ってください】

 マスクの中で音が聞こえる。視界の中で緑色の文字が、呼称待機中input codenameと映し出されていた。一方その向こうでは、地面が急速に近づいてきている。

呼称コードネーム野良兎ジャック・ラビットつけられた名を名乗る。無機質な声がそれに返事した。

【使用者:ジャックラビットを確認。システム起動します】

 視界に様々な情報が浮かび上がる。高度に、落下速度、煙の向こうを示すキューティクルもあった。

 左下には、図が着地の体勢を教えていた。

 図の通りに、義足から地面に着く格好をする。煙を抜け、地面と接触した。義足が衝撃を受け止める―すかさず、前転をかますと、何の支障もなく立ち上がることができた。

 周りを見回す―そこはスポーツというよりかは、大規模な解体工事現場がなされているようなありさまだった。平たく作られた競技場の観客席、そのいたるところが破壊され、コンクリートの地肌を晒している。グラウンドもところどころが抉れ、人工芝のあったであろう地面にも無数の穴があった。観客席を襲おうとしたところを、機動部隊との戦いに邪魔されたか―と、視界に右を指す矢印と警告が現れる。マスク内で響くアラームが大きくなり、その場で伏せた瞬間、頭上を何かが飛んでいった。

 通り過ぎたそれを目で追う。棒状のそれが、不快な音を立てて観客席に刺さった。投げたのは―当然、あの怪物だろう。

「小僧!こっちだ!」観客席のすぐ下にある窪んだ空間から、クルードが大声で叫ぶのが見える。

 走り出すと、すぐにまた何か飛んできた。目の前に刺さったそれを見て、それが折れたゴールポストのだと知る。右手に握った銃を落としそうになりながらそれをかわし、クルードと合流した。肩で息をする僕に、彼がひそりと言う。

「いいか、静かにしろよ。目は潰したが、耳は健在だ―しっかし、ありゃただのアンドロイドじゃねえな。ぜんっぜん壊れねえ」

「―蹴った?」

「ああ蹴った。手ごたえもあるのに、あちらさんは見ての通りだ」彼の指す先に、変わらず気味の悪い姿をした怪物がいた。グラウンドをぐるぐる回り、こちらを探しているようだ―確かに、目立った傷はない。鉄筋コンクリートの壁さえ砕く蹴りが通じないとなると、これは困った。

「見たところ、打撃は効かねえな。弾丸は喰らうが、それでも止めるには威力が足りねえ。小僧のパンチは―どうだろうな、ぺしゃんこにしても起き上がってきそうだ」

 ずきっ、と胸が痛む。腕を再び使えるかわからないなんて、とてもこの状況では言えない。このまま流してしまおう。

「そういや、本部との連絡は?」

「駄目。隔壁内での通信はともかく、そこから外は妨害されるみたい」

「電波をかき乱してやがるな...遠距離通信は諦めよう。そういうことだネコさんよ、聞いてたか?」

『ばっちりよ―ただ、打撃が効かないってのは厄介ね』ベスが会話に参加した。彼女はきっと今も、ヘリの上でスコープを覗いているのだろう。

「撤退は許されねえ。会場からはいなくなったが、まだ壁の向こうで市民の避難誘導が続いてるはずだ。今、この場でケリをつける必要がある」

 薄暗いここに、ヘリコプターの音がかすかに響く。外では怪物がゴールポストにぶつかり、なぎ倒していた。

『なら仕方ないわね。今そっちに行くから、グラウンドの中央におびき寄せて頂戴』寄せて寄せて、とパイロットに向かって彼女が叫ぶ。

「―何か考えでもあるのか?」クルードが噛みついた。

『あら、知らないの?恋人デート相手とは抱擁を交わすものよ』そう言う声が、とても愉快そうだった。



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