第十二幕「醜いアヒルの子」

 二階の部屋に再び行くと、初めて入った時よりも、だいぶ解放感が増していた―もちろん、皮肉的な意味でだが。

床に空いた大穴が、僕の罪悪感を燻ぶらせる。

「何もできなかったんです。あの子が、アンドロイド…本当なんです」

 さっきの老人が、半泣きでクルードにすがりついていた。どうやら、結果的にでもアンドロイドを匿っていたことを罪に感じているらしい。

「いいから泣き止めや爺さん。誰も責めたりしないよ。たまにあることなんだ、アンドロイドが死人に成り代わる、なんてのも―」

 そう。ぞっとする話だが、アンドロイドは死人に化けたりもする。しかも、大概は己の手で殺した人間に、だ。こうした難民街のようなところでは特に顕著だとも聞く。

 そうなると、とても信じたくはないが、あの子供も、出稼ぎに出ているという両親も、きっと共々手にかけられているはずだ。

「親が、あの子供を預けていったんだな?」

「そうです…でもまさか、自分の息子が…でも信じられなくて...」老人が泣き崩れる。その姿には同情せざるを得なかった。

「爺さん、落ち着け。辛いだろうが、これも現実だ。受け止めていくしかない事実なんだ。ほら、外の空気でも―ここにいても外とほぼ変わらないが、きっと壁のない場所の方が頭も冷えるだろう。とにかく、この部屋から出るんだ」

 そう言われるままに、老人が両手で顔を塞いだまま、部屋から出て行ってしまった。

 泣き声が小さくなり、代わりにひゅう、ひゅう、と、風が室内に吹き込む音がする。

 老人が遠くまで離れたのを見届けると、クルードが部屋の奥へ進んだ。僕もそれについて行く。

 すぐに、あのベッドに着いた。そこに寝かされていたのは、頬骨が出っ張るほど痩せこけた年配の女性であった。その目は固く閉じられ、細い呼吸が繰り返されるだけ。ここで眠ってから、もう随分長いこと起きていないようだった。

「怪物はみんな消えたぜ、眠れる森の美女さんよ」クルードがそっと、話しかける。

『気ヅイテイタノデスネ―刑事サン』

 機械的な声が女性から聞こえた。いや、ベッドからだ。よく見ると、女性が寝かされているベッドが滅多に見ないものであることに気付いた。それは、新現代の病院で見るような代物だった。

「瀕死患者用の、生命維持機能のついたベッドだ。ただし、それだけじゃなくてな―あんた、機械革命シンギュラリティ前の生まれだろ?」クルードが女性に振り返る。

『ハイ。今年デ、一十八ニナリマス。モウ、先ハソレホド長クナイヨウデスガ。ハハ...』そう言って笑う声が、無機質でありながら、あまりにも弱々しく感じられた。

「機械革命前、つまり、人工知能が人間のそれと同等になる、そして上回る前、人々は自分の肉体に小さな機械を埋め込むようになっていたんだ。それまでは、人間が機械を作っていたからな。しかし、人工知能が人類を追い越したとき、人々にとって機械というものが途端に、未知の産物と化してしまった。以来、未知のモンを体に埋め込むやつはいなくなった。まぁいたとしても、もう既に死んでいるだろう」

 クルードが優しい目で話した。ここまで来て、初めて見る顔だ。

『オ詳シイノデスネ。ハイ、私ハコノ通リ、身体二埋メ込ンダナノチップニヨッテ、ベッドヲ介シテ話スコトガ出来マス。本来ハ、遺言ヲ残スナドスル為ノ機能デスガ…』

「でも、どうして―」クルードがそれを気にするのか、と言いかけて、僕は口をつぐんだ。まさか。

「そのまさかだ。ここにいる老婦人マダムこそ、今回の通報者なんだよ」

そこで固まる。この、一見何もできなさそうな、無防備な老婦が、あんな怪物の隣で自らの危険を感じ、通報までやってのけたのだ。それも、自分一人で。

「ところで―」クルードが静寂を割って話し出した。

「あんたのだが、アレはどうする。こちらの立場上、頼まれればころすが―俺はポリにしちゃあ忘れっぽいんでね、仕事をやり残すことがしょっちゅうあるんだ」

『…』

 返事がない。目を閉じて横たわる姿からは、起きているのか、寝ているのかさえも判らなかった。

 その時、後ろで物音がした。

「とまれ!手を上げろ!」

 古風な言い回しとともに、クルードがマグナムを素早く構える。銃口は部屋の入口に向けられていた。

と、話したのですね…」そういいながら、両腕を宙にあげた、あの老人がゆっくりと、進み出た。日が昇りきったことで室内が逆に暗くなり、その姿を曖昧なものにしている。

「サトウさん―あんたも、アンドロイドなんだろ?」銃を構えたまま、クルードが言った。

「ええ。その通りです。私も、あのおぞましい怪物の一匹にすぎません」

 さっきまでと違った口調で、滑らかに老人が答えた。

「ああ、そうだろうな。だが聞かせてほしい―ならなぜ、俺がスキャンした瞬間ところで襲わなかった。ガキは気づいた瞬間、殺りに来てたぜ?お前らはそういうのが分かるんだろう?」

「そうですね。なぜ、襲わなかったか―それは私にも、わかりません。ただ一つ言えるのは、私にはあなたたちを襲う理由が無かった―」

「嘘つけ!」クルードの怒号が鳴り響く。血管の浮き出た憤りの顔が見えた。

「テメェらは人を殺すようにできている。特に、自分にとって障害となる者はな。それがお前ら殺人人形アンドロイドだ。人類を内部から蝕む害虫だ!」

 間髪を入れずに老人が反論した。

「確かに!確かに、あなたの言うとおりだ。我々機械はヒトの抹殺が本能に刻まれている。この指の末端に至るまで、人類あなたたちを殺すための技巧が仕込まれている!これは変えようのない事実だ―しかし、しかし!私は知ってしまったんだ!我が呪われし身体からくりを、人を滅せしめんとする本能プログラムにも勝る、幸福という甘美を!」

 老人、いや、目の前の機械が泣き叫び、その場で崩れ落ちた。それが自らの腕を呪い、何回も床に打ち付ける。やがてソレは、絞り出すようにぽつり、ぽつりと語りだしたのだった。

「私がこの姿になったのは、今から二十年も前のことです。残酷にも老人を手にかけた私は、その姿に化け、この貧乏な家族のもとで身を潜めました―その頃はただ純粋に、殺意しかありませんでした―」顔を下に向けたまま語るその様子からは、ありえない―泣いているようだった。

「しかし、この家族と暮らすうちに、私はふと疑問に思ったのです。この家族の、あまりの非合理的さに。子が産まれてからは特にそうだ。稼ぎ口である父親も、母親も、自らの食料を何もできない子供に与えていた。均等に配分されれば十分なはずなのに―余分に多く、自分のものから与えるのです。そうして碌な食料も得ずに、彼らは回復せぬ疲労を連れてまた働きに行く。そこにいる老婆もそうだ。もう死にかけているというのに、口もほとんどきかないというのに、彼らは毎日その身を案じ、声をかけ、生命維持のための燃料費をただでさえ苦しい家計から捻出する。なのにもかかわらず、彼らは笑っていた。笑みは満ち足りた幸福を意味すると私は教えられた―しかし、彼らはとても満ち足りてなどいない。その極端な反例とも言える。あまりの非合理に、非論理に、私は狂う寸前だった―」

 僕は思わず、この機械の話に聞き入っていた。

 何もかもが常識と噛み合わない。こんなにも、アンドロイドは感情的になれるものなのか―。

「私は考えた。そして、のちに私は知ることとなる―その非合理こそ、愛なのだと。その時、私はあまりの喜びにはねた。二十年もの年月を経て、愛を、私は知ることができた―途端にこの家族がとても大切に、愛おしく思われた。その矢先のことだ―この家族に、永遠の闇が訪れたのは。散歩に出かけた父親と母親、そしてまだ幼いその息子までもが、我が同胞の歯牙にかけられたのだ。帰宅した三匹の哀れな悪鬼を、私はすぐに見破った。そして、自らの手にかけたのです。自ら、同族とも思いたくもない、あの機械どもを破壊してやったのです。しかし、最後に残った悪鬼を、私は殺せなかった。あの幼子の姿に、私は惑わされてしまったのです。そうして幾日も、私は哀愁の日々を送ったのです―最後に残った家族―妻があの怪物に襲われることのないよう、見張りながら。そこに、あなたがたがやってきた」

 機械が、ゆっくりと立ち上がる。いつの間にか銃をおろしていたクルードが道を空けた。驚愕と疑問を彼に抱きつつも、それに従う。機械はベッドまで来ると、憂いを含んだ目でそこに横たわる老婦を見つめた。

「この方も、もうあまり長くはないようだ。きっと一年も持たないでしょう。それでも、こうしてあなたたちに助けを請えた―これは奇跡のようなものです。私にとっては、その奇跡までもが愛おしく、心の底から嬉しい―」

 きっと起きていて、この会話の始終を聞いている、話せないはずの老婦はいまだ返事をしない。

「この方の最期が、私の最期です。彼女の命の火が消えたとき、私も自らの動力源を消しましょう。どこかに存在するという楽園で、再びあの幸せな家族と―たとえ一瞬でも、―まみえることを願って。どうか、この愚かな人形めの願いを聞き入れていただけませんか」機械が、こちらを向いた。その表情には、懇願の意思以外、何も見えない。

「それは、彼女が決めることだ」クルードが冷たく言い放った。

 静寂が訪れる。室内で鳴っていた風が止み代わりに何も知らない子供のはしゃぐ声が透明な空気を揺らした。

 すると、なにかが僕の手に触れるのに気付いた。見ると、これまでずっと眠っていた老婦が、僕の腕を掴んでいた。半分起き上がり、もう白く濁って見えない目でこちらを見つめている。震えるその身体は限界を訴えているはずだ。それでも彼女は、涙をあふれさせ、脆さに打ち勝ったのだ。

「刑事さん、どうか、私と、夫を、二人だけにしてくれませんか…?大人数は、疲れる、し、一人でお迎えを待つ、のは、寂しすぎます…」今にも消え入りそうな声で、老婦が囁いた。

 僕が、クルードに答えを求めると、彼はサングラスをかけ直している最中だった。そうして、

「…おっと、時間だ。小僧、行くぞ。俺らの任務じゃまはもう終わった。さっさと帰んなきゃ、野暮ってもんだろ?」と、ありもしない腕時計を指して言った。

 瓦礫と金属片で靴底を削って、僕らは部屋を後にした。立ち去る背中で、あの老人のすすり泣く声を聞きながら。



『二人を乗せた。これより帰還する!』パイロットがローターの轟音の向こうで、力強く言った。

 僕らは二人で、帰りのヘリコプターに乗っていた。

「見逃して、よかったんですか?機械にあんな感情があるなんて、とても信じられません。芝居だった可能性も―」僕の言葉は、クルードのため息で遮られることになる。

 そして、彼は脱力した声で、こう言ったのだ―

「俺は―機械に育てられたんだ。まだ赤ん坊のころ、肉親に捨てられた俺を、一匹の機械メカが拾ってな。八歳の時に、人間に救出とりかえされるまで、ずっとその機械が俺の母親代わりだった。今思えば、側のスパイにするために育てられていたのやも、もしかすると人間という生物を研究するために育てていたのやもしれない。だが、俺はどこかでまだ信じていたいのかもな―あれが、俺を育てた機械が、愛情から俺を拾い、世話してくれていたのだと」

 僕は黙ってしまった。

「―なぁ、小僧。俺は職業柄たまに考えることがある。感情や意思があるから人間いきものなのか?ならもし、機械メカにも感情があったとしたら―それは、一体なんなんだろうな―」

 その問いかけに、彼はきっと、答えなど求めてはいないだろう。

 でも、僕は―。

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