第十幕「マスカレード」

 人類が機械の反乱を経て、失ったものは多い。

 それまで培った技術、衛生、通信の大半。切り拓いた土地、国家、海を越えた、外の世界へのアクセス、この星の支配権。命、愛したものの数々。

 一方で、得たものはなんだろうか。

 確実なことを言うならば、この歪み、閉鎖された社会だろう。加えるならば、それを構成する約束事の諸々だ。

 極東人類都市シンジュクには『機械法』と呼ばれるものが存在する。過去の過ちを再び繰り返すことの無いよう、もしくは恐怖して取り決められたものだった。

 様々な項がこれに記されるが、雑に要約するならばこの規定は計算機コンピュータの能力を等級別に分け、自ら思考し決定を下すこと以上が可能な等級、いわゆる人工知能を許されざる存在として追放するものである。

 特別驚きはしないが、機械メカの殺戮を経験してもなお、これに反対する者は少なくなかったらしい。自由の抑制であるとも彼らは訴えた。

 ただし、この運動はすぐに沈静へと向かう。

 この『機械法』付随される規定の一つが、あまりにも強力であったのだ。


『人工知能上位の存在はこの人類都市の存続を著しく阻害するものであり、故に人間の持つ諸権利を覆しえるこれらを我ら人類の共通敵とみなす。

 因ってして、これらの排除は妥当であり、いかなる排除行為も人類都市総意の決定と同義である。

 

――共通敵を擁護する、あるいはこの排除行為を阻む者はその行為をもってして人類都市総意に反するところとする』


 悪法とも呼ばれる規定に則った過去の文をこうして借りるのであれば、つまり機械は悪であり潰すもの。これを隠すものや助けるものがいれば彼らもまた文字通りの人でなしとなるのであった。

 その後何が起きたかは想像に容易い。

 機械だけではない、誰々が機械メカを匿っているらしい、なんていう人間同士の疑心暗鬼さえもが当時の危機になり得たのだ。

 機械メカの擁護は罪。転じて、後に判明したアンドロイドの存在もまた罪なのである。

 そうして現在に至るわけだが、見ての通りこの決まりごとに従って公安局はその過剰とも言える力を行使しているのだった。

 結論、人間は機械の反乱を経て、やけにな警察を手に入れたのだ。


 ひゅるり、と風がひょっとこ面を撫でる。地面を踏むと、機械の残骸と瓦礫が靴底を擦った。見渡すと、廃墟に絡みつく電子森林が錆びて朽ちていた。

 ちらほらと煙が昇っている。その周りでは、背を丸めて火をつつく人々。僕の姿を見て笑うでもなく、ただ物悲しそうな顔をしている。小さな子供達だけが、不幸を知らない顔で遊んでいる。言い知れぬむなしさが空気に満ちていた。

「―あれだ。さっさと行くぞ」クルードが瓦礫に囲まれた廃墟を指した。


 半壊したビルの廃墟の中に入ると、人が暮らしている形跡があった。部屋の隅ではぼろぼろの服を着た老婆が静かに佇み、眠る子供の背中を優しく撫でている。クルードが階段を探し出し、上るぞ、と合図した。

 二階まで来ると、扉が並ぶ廊下に出た。床にはただれたカーペットが敷かれている。ここはホテルの廃墟のようであった。砂が混じるカーペットに、導かれるまま進む。すると、一際おおきな扉に突き当たった。

「お前はとりあえず見ているだけでいい。下手なことをしてくれるなよ」 

 ノックの音が響いた。しばらくして少し扉が開く。顔を出したのは、いかにも不幸そうな老人であった。

「どうも。公安局の者だ。少しだけ話がしたい、中に入れてくれないか?」

 老人が困った顔をしながら引っ込む。ゆっくりと、改めて扉が開かれた。光が扉から漏れ、薄暗い廊下を照らすとともに、外からと思しき冷気が流れ込んできた。

 中に入ると、その部屋は廊下とは打って変わって、眩しいくらいに明るかった。広く、視界を遮る壁もほぼない。メカに食い破られたことで、いくつかの部屋がつながれたようだ。天井には大きな穴が無数にあり、そこから光が差し込んでいるらしい。

 部屋の一番奥にはベッドが一つだけ、無傷の状態であり、そこには誰かが寝かされているようだった。その手前ではまだ四つくらいだろうか、少し汚れた服を着た子供が一人、積み木で遊んでいる。

「サトウさん、だよな」クルードが部屋の中を進む。

「はい…」老人が答える。

「何か、最近変わったことはないか?」クルードが部屋を見回しながら聞いた。

「いいえ…この通り、ただの貧乏暮らしを続けています…」老人の顔に影が落ちた。

「確かにそのようだ」子供の遊ぶ積み木を見ながら彼が言った。少し考え込むような顔をして、また続ける。

「この子の親は?」

「今は、人類都市中央(都会)部へ出稼ぎに行っています…」

 「そうか」と答えてクルードが子供のすぐ傍まで歩いて行った。

そして、こう、つぶやいたのだ。


「―法的破壊=解除」

 

 次の瞬間、クルードが子供の頭を蹴り飛ばした。

 周囲の空気が焼け、コンクリートの壁が砕けて四散する。大穴を作り、突き抜けた子供の体が外の荒野に打ち付けられた。

 焦げたような臭いが広がる。クルードのズボンが燃え落ちていた。

 ゆらゆらと、揺れる熱の先に見えたもの―それは、すすけた黄金色に光る、機械仕掛けのあしだった。

【法的破壊=解除を確認。

活性化マナ理論式破砕機構―始動します】

 あの、無機質な声がした。

「クルード…!」

「おっと、びっくりさせちまったか?とんだ兎野郎だな」にやにやしながら彼が言う。その手には小さな端末があった。この瞬間までずっと、隠し持っていたようだ。

「本部!スキャンは良性ビンゴ。ガキがそうだ!」

『あい分かった!状況は全て承知済みだ!戦闘になるぞ!』ドクターの大声が耳元で弾ける。

 壁に空けられた大穴から、あの子供―いや、怪物の姿が見えた。

 その首はあらぬ方向に折れ曲がり、目からはあの赤い光が発せられている。鉄筋コンクリートの壁をぶち破ったというのに、その体には血の一滴も見えない。

「手出し無用だ。俺が片付ける」

 クルードが跳んだ。そうして、荒野に―あの機械メカと一対一となるように陣取る。怪物が不快な音を立てながら突進した。その姿はまるで、ひねって伸ばした粘土人形のようだった。

 醜く変形した腕がクルードに叩きつけられる。彼はそれを読み切り、あの脚で踏み潰すと、腰から抜いたマグナムでその両肩部を吹き飛ばした。破砕音と金属が灼ける匂いが荒野に満ちる。

 怪物が呻き、暴れる。ぐらぐらと宙ぶらりんになった頭部が振りまわされた。肩から火花をまき散らしながら怪物が再び、今度は全身を捻るようにしてとびかかる。軋む音とともに、歪んで伸びた脚が彼めがけて飛んだ。

「キック勝負か!はは!相手を選べこのポンコツ!」

 轟音が響く―唸る黄金の弧が敵を砕く。原形をとどめることができない部品が宙を舞った。

 

 怪物が再び、地面に叩きつけられた。

 崩れた身体をどうすることもできないまま、それは地に伏してもがいていた。今にも力尽きそうな音が発せられる。

 クルードの勝利だ。

 怪物は必死に逃げようと、今はもうない腕で地面を這おうとする。足だった箇所は、すでに廃棄品のそれだ。クルードが近づき、その姿に自身の影を落とした。

「ふぅ、さて、とあとは核をつぶして終わりだが―ってうおっ!?」

 怪物が突如として駆け出した。頭と膝に当たる箇所を交互について走り出したのだ。その目指す先にあったのは―あのベッドに眠る、一人の人間だった。

『いかん。ヒロ、構えろ!』ドクターの声が聞こえた。

 怪物がさらに醜く変形した。腹部が裂け、なかから無数の触手のようなものが噴き出す。今度はそれを使って、僕のいる部屋から壁を剥ぎ取った。

 僕がベッドの前で構えると、それは―

 

 ―もう、目の前まで来ていた。

 

 息をゆっくりと吐くような、そんな音が聞こえた。そして、鞭のように束ねられた、鋼鉄の触手が僕を襲った。


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