第九幕「佳局一章前」
『聞こえているか?ヒロ。ああ、私も君をそう呼ばせてもらうよ。ふむ、そういえば今まで君をちゃんと呼んだことがなかったな。まぁそれはいいとして、そろそろその腕の真価―ロケットパンチを試す時が来た』耳にはめたイヤピースから、ドクターの声が聞こえた。
僕は今、公安局の地下実験場にいた。
大きさがサッカーグラウンドほどある、空っぽな場所だ。六面全てが灰色の壁で作られ、その虚しさをさらに引き立たせている。天井に取り付けられた巨大な換気扇が低く唸り続けていた。
『よし、これから君のその腕の使い方を説明する』
後ろを振り返ってみる。僕がいる位置から少し高い所にガラス製の大きな窓があり―その向こうに、ドクター、キャンベル局長と、その他大勢の人間が見えた。
『その腕は、プラム君が言ったように、マナというエネルギーで動いている』
「マナ…」
『マナとは、もともと南島の古い言葉だ。今ではもう一つの学術的用語だがね。それはかつて多くの偉人が追い求めた万物の祖、
きょとん、と僕の中で意味不明が鳴り響く。
『まぁアレだ、世界のあっちこっちに満ちている不思議な万能エネルギーとでも理解してくれたまえ』
はあ、と僕は曖昧に返事した。
『で、だ。その万能エネルギーが今、君のその義手に蓄積されている。ロケットパンチとは、そのエネルギーを放出、噴射して推進力を得、対象にその拳をぶつける強力版パンチだ』
よし、と、とドクターが説明の準備をしたのが聞こえた。カンペだろうか。
『して、その放ち方だが、これが問題だ。起動までは簡単―しかし、打てるかどうかは君次第といったところだな』
「―僕はどうすればいいのでしょうか?」これ以上黙っていると置いてけぼりになりそうだった。
『うむ。君の、戦う意志―これが作動キーだ』ドクターが軽く咳払いをする。
『モノは試しだ。まずはこう言ってくれ―法的破壊=解除』
「法的破壊=解除」その瞬間、耳の中で音声が聞こえた。
【法的破壊=解除を確認。有虚マナ理論式放出機構―始動します】
機械仕掛けの義手に、命が宿る。見ると、先ほどまでなんともなかった装甲が開き、青白い光を奥から漏らしていた。空気を歪ませる熱気が後を追う。イヤピースの向こうが途端に騒がしくなった。
『―かっこいいだろう。あれこそが我がアカデメイアの最新商品だ―限定品だがな。よし、じゃあその場で構えろ』
僕はとりあえず、パンチの要領で右腕を構えた。もとより喧嘩などはしないので、何が正しいのかはわからない。ゆっくりと、ワンテンポ遅れて拳が肩まで上がった。
『さて、その義手が君に与えられたのは、ただ単に君が右半身を食われた都合のいい奴だったからではない。我々は君について知り尽くしている―その腕を授けるのに相応しいか、見極めるためにね』
腕から発せられる熱気が頬を焼く。
『さて、君はある人間についてエッセイを書いたね?題は―』
「新現代時代における人間論、ですよね」―と言ってもあれはほとんど自己満足と締切のために書いたものだと記憶しているが―
『そう。内容は―まぁ拙いところもあるが、君の物語―長年持ち続けてきたこの持論とあわせて、この文章については我々も面白く思った。君が今この
「―まぁそういう時もあるさ」ドクタータチバナが太い腕を僕の肩にかけてくる。
僕は何かが燃え尽きてしまっていた。申し訳ないやら恥ずかしいやらで穴があったら入りたいくらいだ。
結局、僕はそのロケットパンチを打つことができなかった。どれだけ必死に戦う意思を探しても、一向にそれらしいものを掴めなかったのだ。
実験は終了。キャンベル局長も励ます口調で、「いつか絶対にできるようになるわ!」と言い残してそのまま通常業務に戻ってしまった。
僕とドクターは地下にある、機械化班の食堂にいた。丁度夕食の時間だ。
カウンター席に二人並んでラーメンをすする。フォークで食べる豚骨ラーメンは新鮮だった。利き手は相変わらず留守のままだ。
「まぁ、君の場合、まだ義手が馴染みきってはいないし、仕方ないのやもしれない。しかし、二時間もあのまま粘ったのは評価に値するよ」高級品であるはずの、厚めのチャーシューに躊躇なく噛みつきながらドクターが言った。
意図せずして、ため息が出てしまう。
がはは、と返事の代わりに笑い声が響く。
「まぁ、今は食っておくことだ。食って寝て、強くなるんだ。明日からは仕事だ」
「はい…」
「では、私はそろそろアカデメイアに戻るよ。また明日会おうじゃないか」彼が丼を持って席を立った。
「ありがとうございました」とだけひねり出す。ドクターはおう、と背中をこちらに向けたまま行ってしまった。
「どこだ…」
入浴を済ませたあと、僕は割り当てられた自室を探していた。今は廊下で迷っている。本当に広いために、どこがどこだか分からなかった。もう二度エレベーターを乗り直している。
「おい、小僧」
呼ばれた気がして振り向くと、そこには怖いお兄さんがいた。やけに大きなブーツにカモパンツを身につけ、その上のタンクトップからは山のような筋肉がのぞく。
髪の毛は茶色で、イカツいオールバックにしていた。サングラスで目元は見えない。
「さっきからウロチョロしていると思えば―初めて見るツラだ。どこのどいつだ」
「きょ、今日からここに来た、トウムラです」
お兄さんは僕をジロジロと見回すと、ふん、そうかと鼻を鳴らす。特に僕の腕が気になっている様子だった。
「あ、あの」
「んん?」
「023号室って、どこにあるのでしょうか―」こんなお兄さんでも、もう聞かずにはいられない。もはや余裕なんてなかった。
「ああ…住居階をふたつ下に下って、廊下の突き当たりまで歩け。そこをまた右に曲がるとある」
「ありがとうございます!おやすみなさい!」
僕は早足でエレベーターに飛び込んだ。
怖いお兄さんではあったが、おまわりさんはおまわりさんだった。
エレベーターから降り、言われた通りに歩くとそこには確かに「023号室」があった。渡されたカードキーをかざす。
闇の中で手探りに進み、ベッドらしきものを見つけて崩れ落ちた。疲れているのだ。
ここが、僕の新たな
翌日、僕はヘリコプターに乗っていた。ローターの音でびっくりするくらい何も聞こえない。場所は人類都市シンジュクの郊外―メジロの上空を飛んでいた。
「おはよう、ヒロ。おっと、まだ少し髪が濡れているぞ。寝ぼけていてくれるなよ?」
僕が呼ばれるままに司令室へ向かうと、そこにはドクタータチバナがいた。キャンベル局長は見当たらない。
オペレーター達が忙しそうにパソコンに向かう。キーボードを叩く音が何重にも重なって聞こえた。
「班長。データがそろいました。いつでも作戦を決行に移せます」一人の職員が駆け寄り、紙の冊子をドクターに渡す。
「ドクターが班長なんですか?」
「んん?ああ、言っていなかったか。そう、この私が機械化班の班長なのだよ。素人に機械の兵士で遊ばせるわけにはいかないからね」冊子に目を通しながらドクターが話した。
「よし、ブリーフィングを開始する。本日〇九〇〇を以って作戦決行だ」
「おい小僧!お前はこっちだ」聞き覚えのある声が聞こえた。声の主は思った通り、あのお兄さんであった。
「ああ、クルード君。ちょうどいい。君にこの子を任せるよ」
クルードと呼ばれたその男がにんまりと笑った。その姿には自分とお揃いの、あのロングコート。サングラスがキマっている。
「彼は君と同じ、機械化班の仲間さ。クルード・A・ウィリアムズ―君の先輩だ」
「クルードでいい。資料は一通り読み終えたし、知りたいことも全て相談済みだ。集団ブリーフィングなんてしゃらくせえ真似俺は嫌いなんでね。さっさと行かせてもらう。じゃ遠慮なく、こいつは連れて行かせてもらうぞ」
「君は優秀だ―そんなことだろうと思って既にヘリが待機しているよ。屋上にむかいたまえ」
【 発端は近隣住民からの通報だ。
近隣住人がアンドロイドなのではないか、こういった報せは年間ン百と寄せられが、今回のこれはどうもアタリらしい。場所はメジロにある難民キャンプ、繰り返し偵察と分析を行ったところ、確かに行動パターンに違和感が感じられた。
君たちにはその最後の仕上げ―スキャンを行ってもらう。知っていると思うが、アンドロイドはもともと情報の収集、入力と出力に長けた
しかし、これだけでは対象をアンドロイドと判断することが出来ない。情報の書き換えだけでは彼らが隠せないもの―彼らの出す特異な
ただスキャンもまた情報もやりとりだ。行った瞬間、
そこで君たちの出番だ。スキャンを行った瞬間、あちらが攻撃に出ることは容易に予想される。君たちにはこれの排除を命ずる。
なぁに、ただの軽い取り調べだ。人間ならこちらの勘違いだったと謝ればいい。メカなら殴ればいいだけだ。では、健闘を祈る。】
―通話上ではあったが、ブリーフィングの内容を頭の中で反芻する。
飛びたってからしばらく経つヘリコプターの眼下には、灰色の大地が広がっていた。建物が崩れ、守護者―機械の獣たちの死骸が転がっている。三十八年前に起きた人間対機械の戦争、機械戦線の跡がそのまま放置されているのだ。
メジロ―それは最も過酷と言われたイケブクロ機械戦線のすぐ手前にある場所だった。
かつては大学やビルが並び、ほどよく賑やかな町だったらしいが、電子森林に呑み込まれた以上、例外はない。その地は鋼鉄と、電気に侵食されてしまっていた。
今は瓦礫とメカの死骸―そして、行き場をなくした人々の住む地となり果てている。
ヘリコプターが止まった。ホバリングをしているようで、地上では砂埃が舞っていた。
『ここで降りてくれ』パイロットがマイク越しに言う。耳を疑った。
「よし小僧。降りるぞ」と、彼は膝を屈伸した。そして、「おっと忘れてた」なんて言いつつ、ぶっきらぼうに何かを渡してくるのだった。
「お前は社会の中で生きていたからな。素顔は極力見せないようにしろ。ああ、ちなみに、ソレについてだが―冗談じゃないぞ。それは上さんからもらってきたんだ」そう言うと、彼は下で待っていると残して飛び降りてしまった。少し経ってずしん、と重厚な音が響く。
僕は手渡されたものを見つめた。きっと困惑した表情をしていたことだろう。なにせ、ひょっとこ面が僕を見つめ返していたのだから。
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