第六幕「スクランブル・エッグはそのままに」
僕がこの怪しげな研究施設に来てから、―少なくとも僕が記憶している範囲で―三日がたった、らしい。というのもここは地下らしく、昼夜の区別ができなかった。
唯一の手がかりは部屋の壁に埋め込まれた時計の表示だけだ。
僕はこの部屋に半ば幽閉されていた。半ば無理やり押し込まれて以来そのままなのだ。
ベッドに机とイス、それに時計。僕が初めにいた実験室らしき所とは打って変わって、壁のコンクリートもむき出しなあたり、ここは独房のようなものなのだろうと見当をつけている。
内装物もちゃっちいパイプだ。おおかたには合っていると思う。
この部屋につながるものは二つ―トイレ付きのシャワークローゼットと、もう一つは正真正銘の出口だろう。後者には鍵がかかっていた。
ベッドと向かい合うようにして置いてある机側の壁に穴があるが、脱出を試みようともこれは通れそうにない。ちなみに、ここからは食事(まんま)が出てくる。
今朝の朝食もなかなかに美味しそうではあったが、いまいち手をつける気にはなれなかった。
そもそも利き腕が
時折、あの時のことを思い出してみたりしていた。
目眩が少し収まったところで、そのレクチャーは始まった
「なんだ、ふう。急に食べ物を吹きだして倒れるから焦ったじゃないか。君にはまだ話さなければならないことがたぁくさんあると言うのに」
大柄なその男性が、『たくさん』のところをやたらと強調して言った。
「まずは自己紹介だな。すっかり忘れていた。ああいいよ、君は。君のことならこちらで隅々まで調べ上げたからね」と言いながら、彼は分厚いファイルを見せてきた。
「私はドクタータチバナ。このアカデメイアの所長をしている。見た通り研究はからっきしの体育会系だがね。そしてそこにいるのは―」と彼が目で合図した先で女性が答えた。
「シュガープラムです。以後お見知り置きを」
「彼女は私の秘書であり、そしてここの研究主任でもあってね、実際は彼女がここを取り仕切っているようなものだ」
僕がそれなりに真剣に聞いていることに感づくと、ドクタータチバナはそのまま続けた。
「そして君についてだがね、まぁ好き勝手やってしまった手前、説明の義務が生ずるわけだが―なぁ、プラム君、頼むよ」
「引き受けました」
ミスシュガープラムが僕の前まで進み出た。
「さっき説明した通り、あなたの右半身は今、そのほとんどが機械化されています。右半身はご覧の通り、それだけでなく、内臓もほぼすべて人工のもの―」
僕の嫌な顔を見たのだろう、ああしまったと彼女はすぐに言葉を手繰りよせる。
「そんな顔をなさらないでください。たしかにものとしては違いますが、これまでと同様に物を食べたり、呼吸もできたりと機能そのものは変わりません。ただ、少し燃費が悪くなった程度です」
「とんだハイブリッド化ですね」思わず、皮肉っぽくなってしまう。生来の癖だ。
「あら、面白い表現をしますわね。ただ、それで終わりではありませんのよ―」
未だに動く気配がない右腕を一瞥して、彼女は続ける。
「―あなたのその腕と足、および腹部を覆うそれについては、別の話です」
「まぁたしかに、ただの義手にしてはかっちょよすぎるもんな、それ」
「所長は黙っていてくださいな」ぴしゃりと言われてしまったドックータチバナがお口にチャックの仕草をした。
「それは、人を進化させるべく、我がシンジュク政府随一の技術によって制作されたものです」
僕は言われると、見慣れないこのカラダに目を落とした。
「強化カーボンと特殊合金で作られた外殻は並大抵の衝撃では一切傷をつけることが叶わず、その耐久力については現代規格の戦車をも軽々と凌ぎます」自信満々に、淡々と、ミス・シュガープラムが話す。僕はと言えば半信半疑で聞くことしかできなかった。
「そしてその下に隠れる人工筋肉。
「え、でも、」と僕の言葉を遮るようにして彼女は続ける。
「しかし、ここで一番の目玉となるのはその右腕にはめられた義手です。装甲に蓄積されたマナから有の現象を作り、逆に現象としてのそれを否定することによって、有の現象をかたどっていたマナがそのまま放出される、有虚マナ理論式放出技術を用いて半永久的な稼働を可能としたスラスタを搭載して―」
「要はロケットパンチだ」待ちかねたようで、ドクタータチバナが立ち上がって言った。
「君は右半身において常人の何十倍の力を発揮することが出来、腕の出す推進力で強化されたロケットパンチを打てる。そういうことだ」
「まぁ、そうですわね。私としたことが、つい、熱くなってしまいました」制されたミスシュガープラムが口をすぼめる。ただし反省はしていない顔だ。
だけど、やはりここで疑問が浮かんだ。
「でも、どうして、そんなカラダに僕はされたのでしょうか」
「君には政府の研究を助けてもらう一方で、他にも重要な役割を担ってもらうことになっているからね。そのためなんだよ」
ごくりと、僕は唾を飲み込んだ。それはきっと、今や機械と化した僕の胃袋に落ちていくことだろう。
「君には公安局直属の極秘部隊―公安局機械化班の任に就いてもらう。忌々しいメカと戦うために作られた、我がシンジュク政府の命運を賭けた希望の星だ」
―それからすぐにこの部屋にぶち込まれた。
腕はそのうち動くようになるだろうとミスシュガープラムは言っていた。
実際、少しだけ動くようにはなってきたが、それも少し揺らせたり、指を軽く曲げられるようになったりとかなり微々たるもので、役には立ちそうにない。それに触覚がないので位置や具合が分からず、しょっちゅうぶつけた。丈夫らしいのであまり心配はしてはいないが、正直慣れない。
代わりに右脚はそれなりに動くようになっており、屈伸もなんのその、とウィンウィン鳴る脚を動かして見たりなんかしている。
テーブルを見やると、さっきまでのぼっていた朝食の湯気がすっかり消えていた。
僕はコンクリートの天井を見上げた。蛍光灯が目をつぶしにかかる。
今までの生活が失われたことの感想を問われればもちろんそれは悲しい。しかし、取り扱いが行方不明ではなく死亡である以上、これを覆すことは出来ない気もしていた。
家族―特に母親が僕を悼んで悲しむ姿を想像すると胸の奥が痛くなる気はする―人工の
ミスタータチバナにも地上での人生はもう諦めろと言われていた。ならば、僕はその通りにすればいいのか。
どうも思考が合理的になり過ぎている気がしてならない。これも体半分が機械になったせいかしら。その答えについては今も考えあぐねている。
そうしていつまでも僕は鬱々とした気分でいた。
不意に、扉の開く音がした。
「やぁ、元気かな?」
野太い声が狭い部屋に良く響く。
「ドクタータチバナ?」
「ようやく君の居場所が用意できたのでね、迎えに来たんだよ」
「居場所、ですか」
「さぁ、行こう。君の新たな居場所に―公安局にね!」
ドクターが僕の腕をひっ掴む。もちろん右手だ。しっかりと握り締められ、僕は引っ張られてしまう。
結局、あの朝食には結局手をつけることがなかった。
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