客あしらい
面白くない。
目の前の客を雑に扱うわけにもいかないから、品物の説明も受け答えも常の通りを心がけている。表情だって、巧く取り繕えているはずだ。
しかし、どうしても意識が店の奥へ向いてしまう。
「千歳、こちらはな」
そこでは妻の父、明にとっての義父が、明と同じ年頃の男性を千歳に紹介していた。聞き耳を立てていれば、覚えのある名だった。明と千歳が夫婦になる前、千歳に持ちかけられていた縁談の相手だ。
義父は諦めが悪く、明と千歳が結婚してそろそろ一年が経とうというのに、事あるごとに明から千歳を取り戻そうとする。
今回連れてきた男を、千歳の夫にすげ替えるつもりなのだろう。紹介された男性はにやにやと締まりのない顔で千歳の姿を眺めている。完全に女を値踏みする顔だ。他人のものに手を出そうとするとは癖が悪い。
今日に限って店は大繁盛で、一息つく暇もない。嬉し涙が出そうなぐらいだ。こんな風に明が忙しくしている横で、どうして妻が口説かれなければならないのか。募る苛立ちを客に見せることはできず、怒りが内で燻っている。
一方の千歳は、判で押したようなにこやかな笑みを浮かべ、何を考えているのかさっぱり分からない。もっときっぱり拒んでくれれば明のほうももう少し余裕が持てるのだが。
「これをどうぞ」
男性は何やら立派な包みを取り出し、千歳に開けるように促している。贈り物で気を惹こうという魂胆らしい。
千歳は断らずにそれを受け取った。包みを解き、小箱の蓋を丁寧に持ち上げるのが見えた。
千歳の洗練された所作は、どんな場合でも乱れることがない。分かっている。分かっていても面白くないのだ。もっと雑に扱ってしまえばいい。たとえ無作法だと咎められても、相手の機嫌を損なっても構わないから。
そう思っていても、まさかあの中に割り込んで言うわけにはいくまい。
箱から出てきたのは簪(かんざし)だった。遠目ではよく分からないが、大層な箱に見合うだけの品だろう。金に任せて手に入れたに違いない。
千歳の目がすうっと細められた。慎重に手に取り、価値を見定めるべく、何度も角度を変えて眺めている。
以前、明が簪を贈ったときも、同じような反応をされたのを思い出した。千歳にとっては、『商品』であるという意識が先に来るようだ。
「明さん」
こっそりと様子を見ていたところで、千歳が突然こちらを向く。不意に声をかけられ、明は少し動揺した。しかし、彼女の声や表情に明を咎める色はない。覗き見がばれたわけではないらしい。
「……どうしたん」
近付くと千歳はにっこり笑って持っていた箱を差し出した。近くの紙に何やら書きつけて、合わせて見せられる。
「この品でしたら、この値が妥当だと思うのですが、どう思います?」
贈られたばかりの品を差し出して、そんなことを言った。そして、贈り主のほうへ向き直り、
「この値で買い取らせていただきたいのですが」
と首をかしげてみせる。
それはお前宛だ、と口をついて出そうになったのを、すんでのところで留めた。千歳の意図が分かったからだ。
慌てたのは、贈り主の男のほうである。それは買い取ってもらいにきたのではない、求婚の贈り物だ、と必死で言葉を重ねた。
明はその慌てっぷりを、半分同情し、半分はいい気味だと眺める。
「贈り物ですか? この品なら、お相手の方も喜んでくださると思いますよ。ねえ、明さん」
明が頷くと、千歳は微笑み、箱を突き返した。断り文句の代わりだ。求婚を受ける気はないという返事は伝わったのだろう。男はがっくりと肩を落とす。
義父も流石に、明の前でこれ以上の話を進めることはできなかったらしく、誤魔化しながら去っていった。
◆◆◆
夜、鏡の前で簪を手にする妻を見つけ、声をかけた。
「忘れとると思うてたわ、それ」
贈った日以来しまい込まれていた簪を指してそう言うと、千歳が鏡のほうを向いたまま、首を振る。
「ついつい出し惜しみしてしまいました。こんないいもの、普段はなかなか着けられなくて」
「
千歳から応える言葉はなかったが、微かに赤みを帯びた頬が鏡ごしに見えた。
「そういえば、昼間のは受け取らんかったなあ。あれも、ええ
日中の出来事を思い出して言う。以前、酒か何かを持ってきていたときは受け取っていように思うのだが。
「だって、身につけるものですもの。よその人にいただく気はありません。着ける気がないのに、持っていたって仕方ないでしょう?」
合理的な言葉の裏を、明は都合よく解釈する。
「俺からやったら、受け取る気はあるか?」
今度は、黙って誤魔化すのを許す気はなかった。照れて視線から逃れようと横を向く顔を咎める。俯く頬に手を沿え、顔を覗き込んで返事を待つ。
答えはもう分かっていたけれど。
ようやく観念して、千歳が顔を上げる。潤んだ瞳が明をうつした。
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