第3話 ⑤

「行ってくれたか……」

 護国寺の気配が遠ざかっているのをムサシは肌で感じていた。最後まで不服そうだったが、現状この判断がベストである。

 さて、と彼は完全に対峙する【言霊王】に集中する。気を抜けばたちまち押し潰されてしまいかねないオーラを発する青年は、腕組みをして待ってくれていた。

 彼は顔色一つ変えずに客観的な評価を述べた。

「貴様であれば、彼我の戦力差を正確に感じ取っているだろうに……。それでもなお殿を務めるか、些か蛮勇に過ぎると思うのだがね」

「…………、」

 確かに【言霊王】の言う通り、ムサシはこの場にいる誰よりも劣っている。そもそも性能が違う。少なくともこの四体は【兵隊王】よりも格上だろう。

 しかし、彼は何も自己犠牲の精神でここに立っているわけではない。勝算を持った上で刀を握っているのだ。蜘蛛の糸を掴むようなごく僅かの可能性だが――――それでも、今までの【十二使徒】との戦いでそれには慣れていた。

 しかもどうやら戦うのは【言霊王】だけのようだ。他の三人は後方で見物している。これならまだ勝ち目はある。

【言霊王】もそれを補足する。

「ああ、後ろの三柱は参戦しない。そこは誓約を遵守するから安心してくれたまえ」

「どの口が言うのやら。こっちはやっとの思いで【兵隊王】を打ち倒したというのに、追加で現れるとは。これは誓約違反ではないのか?」

「『我々は必ず二柱以上同時には戦わない』と、確かに誓ったな。だがこうして一柱ずつ戦っているのだから、問題はないはずだが」

 つまりたとえムサシが【言霊王】を倒したとしても、控えている三体のうち一体が戦いを挑んでくるかもしれないということである。解釈を変えてしまえば、隙を突くこともできよう。

 若干申し訳なさそうに目を伏せた【言霊王】は、

「しかし、これはグレーゾーンなやり方だと受け止めている。姑息と揶揄されても仕方のないことだと。――――故に、私は君に猶予を与えようではないか」

「猶予?」

「そう。――――退くか攻めるか。六〇秒の猶予をな」

 告げて、青年はポケットに手を突っ込んだ状態で無防備な姿を曝け出した。力がどこにも入っていない、完全にリラックスした体勢。隙だらけだ。

 彼の言葉の真意を理解したムサシは「舐めてくれる」と刀を握る手に力を込める。要するに、『六〇秒間逃げても斬りかかってきても構わない』と告げているのだ。ムサシにとって六〇秒間は短くない、長いくらいだ。一秒あれば対象を両断できる彼にとって、六〇秒間はあまりに膨大である。

「【鬼哭姫】、時間を測ってやれ。文句の出ないよう、あくまで公平にな」

「かしこまりましたわ。ご武運を、【真実斬り】さん?」

 にやにやと小馬鹿にするような笑みを浮かべながら頷いた【鬼哭姫】。精々頑張ることね、と言外に伝わってくる。

 六〇秒ということからも、【十二使徒】側から余裕が感じられる。必殺の技を有する達人にとってそれ以上の時間はいらない。仕留める手段などミリオンを超える。

【鬼哭姫】が両雄の準備が整ったのを見て、いざカウントを始めようと口を開いた。

「じゃあいくわよ。――――六じゅ」

 う、と続くよりも早く、ムサシは【言霊王】の首筋目がけて刀を水平に振るった。軌跡が寸分違わずそのルートを通る。

(殺(と)った――――――――ッ)

 どう足掻いても防御は間に合わない。言霊を使って何かを挟み込もうとも【一刀両断】の力で突破できる。刃が男の首に触れ――――

 ――――ガキン! と。

 刀の切っ先が宙を舞った。

「っ!?」

 ムサシの刀が中ほどから折れたのだ。手に強い衝撃が走る。まるで鋼鉄を殴ったかのような痺れだ。

 一度後退し、顔を上げる。【言霊王】の首は未だ繋がったままであった。

(どういうことだ……? 躱されたのではなく防がれた、ということは何らかの防御手段が発動したのは間違いない。考えられるのは硬質化だが……)

 かつての【静謐姫】の時、彼女の身体は氷でできていたため、首を落としても再生してきたが【言霊王】はそれとは違うようだ。そもそも、首に命中したはずなのに逆に刀が折られている以上、首回りが強化されていたはずである。

 ともあれ刀を失ってしまったのは何よりの痛手だ。予備として短剣を懐に忍ばせているものの、【一刀両断】との噛み合わせが少し悪くなる。けれど贅沢も言っていられないので、ムサシは懐に手を入れようとしたところで、

「何だ、折れてしまったのか。――――【否定姫】、直してやれ」

「……はいはい」

【言霊王】がそう命じると、【否定姫】が近寄ってきてそっと折れた部分に手を添えた。それからスッと撫でるだけで――――刀は元通りの姿を取り戻した。

 な、と絶句する。再生というよりも、時間を巻き戻したような……。いや、それとも少し違うようで、ともかく不可思議な術を用いて刀を元の姿に戻したのだ。

 ムサシは試しに軽く振ってみる。今まで数えきれないほど振ってきたのと同じ感覚だ。ミリ単位もズレていない。何か細工をされた形跡もない。

「――――四九、四八、四七」

 刀の具合を確かめているうちにも時間は刻一刻と過ぎていっている。ムサシは気を取り直して、今度は少し半身になって刀を目線の高さまで水平に持ち上げる――――平正眼の構え。

(【一刀両断】を弾き返すほどの硬度。一つの刃では反応されて防がれてしまうのは分かった。安直に首を狙ったのも拙かったかもしれん。ならば手数を増やし、かつ的を絞らせない剣技で挑むほかない)

 あからさまとも言える突きの構えだ。だがこれで最強と称された剣士が過去にいた。――――沖田総司。天然理心流で、新撰組最強と謳われた天才剣士。ムサシの剣術とは違うが、それでも今なおその剣技の凄絶さは語り継がれている。

 そしてムサシは、その剣技を我流にアレンジして己の技へと昇華させている。

 間合いを測る。――――たった、一歩。踏み込むだけでそれは必殺の間合いへと変わる。

「ふ――――――――っ!!」

 だんっ! とムサシが足を鳴らして踏み込み、その時既に彼の腕は伸びていた。狙うは頭。空間ごと削ぎ落としていくかのような刺突は、達人が一生涯を賭してようやく一本生み出せるか否かの極地。

 それを彼は瞬く間に三撃。たとえ一合目を弾かれようと、刀は止まらずさらに喉を突き、引き、鳩尾を突き――――これらの動作が一挙動に見えるほどの疾さ。足音を聞いた瞬間に、相手の身体は穿たれている。

 ――――名を、三段突き。死に技と揶揄されることもある刺突を、実践レベルを飛び越え必殺技へと昇華させた、沖田総司の才の証左。刀身一体になって初めて至ることのできる、剣士の終着点――――!

 ――――それを、

「な、に…………!?」

【言霊王】は涼しい顔のままその悉くを防ぎ切っていた。

 先ほどの一閃と同様、鈍い感触を手に残し刀は木端微塵に砕け散った。相手は微動だにしていなかった。反応すらできていなかったと思っていたが、違っていたのだ。そもそも反応する必要がなかっただけなのである。

 恐らく【言霊王】の全身を包み込む風に防御膜が張られている。それも三段突きを以てしても突破することのできない、堅牢な盾が。

 粉々になった刀に目を落としていると、再度【否定姫】が歩み寄ってきて刀を再生してくれた。如何に相手を斬るか、と頭を悩ませていると、彼女はぼそっとムサシ以外に聞こえない声量で告げた。

「今からでも遅くはないわ。逃げなさい。……彼には絶対に敵わない」

 発言の真意を問おうとしたが、【否定姫】は踵を返し離れていってしまった。

「――――三六、三五、三四」

【鬼哭姫】のカウントが進む。いつの間にか与えられた猶予が切れるまで残り半分しか残っていない。『しか』残っていない、という言葉で、心が押されていることに気付く。

 不意打ちも、技も通じなかった。それならばもはや可能性は一つだ。開き直っていくほかない。

 ムサシはスッと刀を最上段に構える。防御を捨て、攻撃に特化したスタイル。

 時間の浪費を恐れて即座に斬りかかるかと思いきや、静寂が場に降り立った。彼はその構えを維持したまま、ピクリとも動かなくなっている。

(武士としての技は通じなかった。それは歯痒い……。けれど、まだ言霊師としての俺は負けたつもりはない!)

 これまでもムサシは刀に言霊の力を付与していたが、それはおまけ程度のもの。【一刀両断】の真髄は無論切断力にあるのだが、それは『溜める』ことで斬れ味を増していくのである。故に彼は時間いっぱいまで力を溜め込み、一気に解放する作戦を選んだのだ。

(心に波紋を立てるな……。三十秒あれば充分に力は溜まる。かねてから溜めていた分と合わせれば、破壊力は想像を絶するだろう)

 掲げた刀にエネルギーが見る見るうちに集約されていく。言霊師だけが視認することのできるエネルギー――霊力が、やがて光の奔流へと変わる。

【鬼哭姫】が「五秒前」と告げた。彼女はこれ以上ない力の激突を、今か今かと待ち侘びているようだった。

「四、三、二――――い、」

 限界まで溜め込んだ霊力を、振り下ろすと同時に放出した。

 それは万物を平伏させる一撃だった。

 轟ッ!!!!!! と、圧倒的な爆発力をそれは誇示する。刀の間合いより少し外にいた【言霊王】を極光は瞬く間に飲み込んだ。

 地を裂いた。

 天を割った。

 振り下ろされた軌道上にそれらの爪痕が刻まれる。力任せの一撃は、されど美しい輝きを放っていた。蛍のように光の粒子が宙を舞う。

「はあ、はあ……」

 荒い呼吸を繰り返すムサシ。霊力とは即ち生命エネルギー。それを一気に放ったのだ、彼の身体はひどい脱力感に襲われていた。

 あたかも破壊を体現したかの如き一撃。躱された様子もなく、直撃したはずだ。相当堅牢な防御膜を張っていたそうだが、今のを受けて五体満足でいられるはずがない。

 防御を維持できているはずがない。

 立っていられるはずがない。

 はずがない、はずがない、はずがない、はずがない――――――――!

 それは慢心ではない。客観的にも主観的にも明白だ。こと渾身の一撃は【十二使徒】にも劣っていないと自負している。敵にも敬意を払うムサシだが、この時ばかりは人間を舐めるな、と言ってやりたくなる。

 難敵が消えて――――ムサシはようやく己を省みる。刀を持つ手が、小刻みに震えていたのだ。恐怖をこれまで感じたことはなかった。【静謐姫】や【兵隊王】と会いまみえた時でさえ、そんな感情はまるで湧いてこなかった。

 何故なら、自分は――――――――


「六〇秒、経ったな」


 背筋が凍る。目の前から男の声がした。それは挨拶をするような気軽さで、得意げになった様子は微塵もない。

 霧状の粒子が晴れ、【言霊王】の健在が明らかとなる。ん、と大きく伸びをして、退屈だった素振りを見せつけてくる。

 コキ、と首を鳴らして、【言霊王】は告げた。

「さて――――これより私は戦いを始める。故に名乗りを上げなくてはならない」

 今までは待っていただけ。眺めていただけ。男は未だ言霊の一端しか見せていない。その一端ですら驚異的で、これが攻撃にも反映されるとなると想像するだけで恐ろしい。

【言霊王】は羽を広げるようにして、優雅に両手を上げた。

「我が神名、【言霊王】。地球(はは)より賜りし言霊、【不可抗力】。我が言霊を前にして、何人も抗うこと能わず――――」

 殺気が爆発的に膨れ上がる。人の身のどこに隠し切っていたのか、と思うほど膨大な霊力が大気を震わせた。生物的本能が、全力で警笛を鳴らしている。

 一歩でも退けば戦意の崩壊が止まらなくなるだろう。ムサシは懸命に立ち向かい、人間の象徴たる理性を以て攻略法を探る。

(全力の一撃でさえ通じなかった。あれ以上の攻撃を、今の俺は用意できない……。だが勝機が潰えたかと言えば、違う。敵の能力が防御に全振りだったかもしれないし、攻防両立のできないタイプの言霊やもしれん。後者の可能性は比較的ある。無条件であれほどの防御膜を展開し続けられるはずがない……!)

 ならば試してみるべきは一つ。敵の意識が攻撃へと切り替わった瞬間、カウンターの一閃をお見舞いする。後の先、と言われる戦法である。ムサシは先制も応戦も万能だ。彼の剣技に弱点はない。

 集中力を高めていく。水底に沈むような感覚に囚われる。彼我の距離は三メートルもない。ムサシにとって一瞬で詰めることのできる距離。

 いったいどんな攻撃を仕掛けてくるのか。何しろ相手は言霊師だ、常識では測れない力を行使してきても不思議ではない。常時即応できる体勢を作っておくべきだろう。

 ――――そんな、何が開戦の合図となるか定かでない空間において。

【言霊王】は調子を確かめるように右腕を軽く薙いだ。

 飛び道具を警戒したムサシだったが、別段何かが飛来する様子はない。この緊張下で図太い態度を取った【言霊王】。単なる茶目っ気か、それとも戦いに向けての準備か。

「……いいのか?」

 何を、と心中で思う。

【言霊王】の言葉が続く。こちらを指差して、


「――――私の言霊は、既に貴様を捉えているのだが」


 刹那――――

 ッッッドン!!!!!! と。

 真正面から新幹線と衝突したかのような衝撃が、ムサシの全身を襲った。

「が、は……!」

 コマ送りのように、視界と思考が明滅しながら世界が動いて見えた。宙を飛び、背中を打ち、血を噴いた。

 まるで何が起こったか分からなかった。真正面から攻撃が降りかかってきたのだ、それも衝撃からしてかなりの大質量。それを見逃すはずがない。どのような攻撃手段で来るのか、全体に鋭いアンテナを張っていたのだから。

 たったの一撃。それを浴びただけで、彼は指先一つ動かすのもままならない状態に陥っていた。身体の末端から内臓にまでダメージが及んでいる。

 ざ、と近寄ってくる足音があった。

「――――そも、何故人間如きが私に勝てるなどと思い上がったのか」

【否定王】は平生通りの平坦な口調ではあるものの、底には静かな怒りが含まれているように感じた。

「【真実斬り】、確かに見事な業前よ。およそ人の身で、貴様に居並ぶ者なぞそういないだろうさ。【十二使徒】を斬ったというのも頷ける。……が、何より前提として、地球より産み落とされた【十二使徒】(わたしたち)を全て斃せる――――それこそが自惚れだと言ったのだ」

 やがて足音は止み、すぐ傍に【言霊王】の気配が発せられている。しかし斬りかかろうにももはや刀を握る力すら抜け落ちていた。

「我が言霊は【不可抗力】――――即ち“人間ではどうにもならない力”を意味する。貴様が人間である以上私には傷一つ付けられず、また私の攻撃を避けることすらできない。【真実斬り】というのなら、私を斬れぬのも道理であろう。人間では私を斬ることはできない、それこそが真実なのだから」

「…………!」

「貴様が人の身を万一越えているなら、と危惧していたが蓋を開けてみれば、なんと下らない結末か。――――図が高いぞ、人間」

 とことん見下した声音。人間では決して抗えぬ力――――そんなものを有していたのなら、確かにムサシの一連の攻勢は愚かな足掻きに見えただろう。

「【鬼哭姫】、例のものは用意できているな?」

「ええ、当然。すぐに取り掛かるわ」

 男と入れ替わり、【鬼哭姫】が近寄ってくる。何かをするつもりなのだろうが、顔を上げることすらできない現状では、様子を窺うこともできない。

(全てが無駄だったのか?)

 自問自答が始まる。ムサシの中で激しく後悔の念が渦を巻く。

【言霊王】がいる限り、【十二使徒】との生存競争は必ず人類が負けるよう定められていたに等しい。たとえ他の【十二使徒】を倒せたとしても、その男が決して落とせぬ最後の砦として君臨しているのだから。

 ムサシと同等以上の戦力が全世界にどれほどいる? いたとしても同じこと、どうせ【言霊王】の前にひれ伏すほかない。

(【静謐姫】に勝って、【兵隊王】に勝って……俺は自惚れていたのか? 俺の磨き上げてきた力は怪物たちにも通用すると、勘違いしていたというのか?)

 視界に【鬼哭姫】の表情が入り込む。彼女は愉悦に浸っていて、何やら右手に隠し持っているようだった。彼女は屈み、スッと掌をムサシの眼前に晒す。視界の大半が奪われ、彼の中で感情が暴れ回る。

(そうだ! 俺は人の域を極めて、それで納得してしまっていた。こいつらに勝つには、さらにその先へと踏み込まねばならなかったのに――――ッ!)

 神を斬るのは人間、と言うが、それを厚顔無恥にも人が口にしたことで、神を殺すことのできる存在はやはり神でしかあり得ないのだ。

 人間は夢を見る生き物だ。

 そうでなければ、心の弱い人間は立っていられないだろう。

(……嗣郎)

 今気がかりなのは、先ほど突き放したばかりの少年のこと。

(願わくば伝えてくれ。【十二使徒】に立ち向かってはならない。人ならざるものを、いかにして人が殺すと言うのか――――!!)

 視界が完全にブラックアウトする。掌で覆われただけでなく、スイッチが切れたように感覚そのものが消えかかっているようであった。

それでも【鬼哭姫】が嘲笑っているのは、声の調子から読み取れた。

「――――柳生武蔵、選ばれた人間よ。私たちは貴方を歓迎するわ」

 我が身の無力さに苛まれながら堕ちていくムサシが最後に捉えたのは、高笑いとともに告げた【鬼哭姫】の声だった。

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