第3話 ④
死闘にピリオドが討たれた。
兵士を無限に量産できる【兵隊王】を相手に、ムサシは結局目立った怪我を負うことなく幕を下ろしてみせたのだ。
その一部始終を間近で、リアルタイムで見ていた護国寺はただ茫然と立ち尽くしていた。見ている側ではあるものの身体に力が入っていたのか、ドッと疲労感が押し寄せてくる。
(地球を救うヒーローとは、こうあらねばならない……)
しかし興奮する戦いであったのは確かである。アドレナリンが溢れ出していて、脳内が非常にクリアな状態だ。その思考の中で、彼は無力感に苛まれていた。
(たとえどんな強敵であろうとも凛々しく、雄々しく、猛々しく。見る者に勇気と希望を与えてくれる存在――――それがヒーローだ。そしてムサシさんは、その必要不可欠な才に恵まれている)
翻って、自分はどうだ。『誰かの助けになりたい』と意気込んでいたのに、結局為せたことなど一つもないではないか。加勢する場面はいくらでもあった。少しでも【兵隊王】の意識を割くことができるのなら、自分の行動に意味は生まれてくるのだと理解していた。
――――が、蓋を開けてみればこの有り様だった。一歩も動けず、助力もできなかった。むしろ自分が参戦した方がムサシの足枷になるのではないかとすら思えた。
分かっている。これは体のいい言い訳に過ぎない。臆病な自分を冷静な判断のできる者と偽って、弱い自分を納得させるべく言葉を尽くしている、と。
人間、誰しも弱さを抱えている。完璧な人間なんているはずがない。護国寺も、恐らくはムサシでさえも、己を弱いと感じる時もあるだろう。だがそこで「弱いから仕方がない」と言い訳をしてしまえば、自分は前に進めない人間になってしまう。それが何より怖かった。
護国寺はムサシの元へ駆け寄って、
「お疲れさまです、ムサシさん」
「――――うん。何とかなってよかった」
険しい顔をしていたムサシが、ようやく表情を崩した。ホッとした風な笑顔は、初めて彼を年相応な若者であるということを再認識させてくれた。
ク、クと掠れた声帯で【兵隊王】が小さく笑う。どうやらまだ息があるらしいが、それも時間の問題だろう。医師としての技量がなくともそれくらいは何となく察せられる。
男は仰向けに大の字になりながら、
「参った、な。どうもこの器、死ぬ前に人間らしいことをしたいようだ」
「人間らしいこと?」
「ああ。――――【十二使徒】について、話しておきたいことがある、とな」
意図の読めない申し出であった。死ぬ間際の謀反に何のメリットがあろうか。日本を滅ぼそうとした張本人が何を語ろうと、信ずるに値しない。それが一般的な感覚だろうが、ムサシだけは違っていた。
彼はその位置のまま、身体ごと【兵隊王】へと意識を向ける。
「器、というのは元の人間のことか?」
「そうだ。オレたちは元々精神体だったんだが、器――肉体を支配することで【十二使徒】は誕生する。ちなみにオレの器はとある国の将軍だ」
ムサシ自身も初めて耳にする情報なのだろう、僅かに目を丸くしている。
【兵隊王】はなおも続けて、
「適当に器を選ぶ兄弟もいるが、オレの場合だと器に高潔さを求めた。そういう点において、この器は最高だったと言える。その在り方や、指揮官であるということも含めてな」
「つまり身体の持ち主が人類のために情報提供をしたがっている、と……?」
「ああ。完全にオレに乗っ取られたというのに、まだ中で生きているとは見上げた根性よ。さすがと言うべきか。ともあれオレが死にかけの今、最も支配が薄れている瞬間だ。そのせいで自我がオレに影響を及ぼさんとしている」
【十二使徒】のベースは人間のままで、それを言霊により怪物へと仕立て上げられているということだろう。聞く限りでは、どうやら【十二使徒】に憑依された人間は大抵消えてしまうらしい。今回は異例なのだろう。
ムサシは黙って耳を傾けている。聞くだけの価値はある、という判断なのか。
【兵隊王】はジッと煤けた空を見上げながら、
「――――逃げろ。決して“奴”と戦ってはならん」
それを忠告と言うにはあまりに一方的なものだった。極めて冷静な声音は、確かにこちらを気遣っているようにも聞こえる。
「思えば、奴はこの結末を予想してたのやもしれん。普段は自分の出番が来るまで頓着しない【十二使徒】に働きかけていたのも、恐らくは……」
「どういう意味だよ?」
自分の中で答えを纏めるために【兵隊王】はブツブツとそれを声に出している。護国寺としてはチンプンカンプンだ。
徐々に苛立ちが顕著になっていく【兵隊王】。
「ああ、くそ。オレの敗北を想定内としていたこと以上に腹が立つのは、奴には【十二使徒】としての矜持というものがないということだ!」
「……憤るのは勝手だが、その傷では持って数分だろう。こちらに与するというのなら、手早く頼むぞ」
ムサシがそう告げると、男は眼球だけを動かしてムサシの姿を探す。視界の端で捉えて、強く訴えかけるように口を開いた。
「逃げろ」
再度、【兵隊王】は繰り返して、
「今は戦ってはならん。奴の目的は――――ッ!」
――――刹那。
ズドン!! と大地が震えた。
地震ではないことは即座に分かった。原因は【兵隊王】のいた場所が爆ぜたことにある。ミサイルでも直撃したかのような、大規模な衝撃波。その周辺にいた護国寺とムサシも当然巻き込まれる。彼らの身体が優に五メートルは吹き飛んだが、ムサシは着地し護国寺は受け身を取ってダメージを回避した。
「【兵隊王】……!」
粉塵が晴れると、先ほどまで【兵隊王】のいた場所に大きなクレーターが刻まれていた。もちろん、男の姿は跡形もない。
突飛なことに混乱する護国寺。誰を狙っての攻撃かは定かでないが、何より攻撃手段がまるで分からない。爆発物はもちろん、特に何かが視界に映ったわけでもないのだ。
「――――些か失望したぞ、【兵隊王】」
向かい側から声がした。粉塵がまだ少したゆたうなかで、四つの人影が見えた。ムサシは既に彼らへ刀を向けている。
一番に見えたのは銀髪の青年。同性から妬まれそうなほどの容姿は、あまりに不気味な雰囲気によって台無しにされていた。本来なら美の象徴とされよう濃紺の瞳も、冷たさしか感じられない。
青年はクレーターに目をやって、
「【十二使徒】として貴様は、必要以上に人間へ敬意を払い過ぎていた。我らは人類の敵なれば、彼らの心情まで触れるべきではなかったのだ――――」
次いで姿を見せたのは獅子のたてがみを連想させる金髪の男と、冷淡な雰囲気を従える女性。誰もかれもが一目で常人離れしていると判断できる。――――しかし、護国寺が驚いたのはそこではなかった。
残った一人は女性であった。サラサラと揺れる長い髪に、整った目鼻立ち。ちょうど護国寺と同年代くらいに見える。――それもそのはず、彼は彼女のことを知っているのだから。
「あ」「え」と言葉が詰まる。何と声をかけるべきか分からない。大通りですれ違った程度の繋がりではなく、もっと根本的な――――護国寺にとって忘れられない人物が、そこには立っていた。
「――――綴町(つづらまち)、京子」
この時、むしろ驚愕していたのは敵方だったかもしれない。獅子のような男が、意外そうに笑った。
「ああ? キョウコってーと、確か日本の字(あざな)だったか? なら【鬼哭姫】は違うな、だとすれば【否定姫】、お前の器のことか?」
当の本人も目を見開いていて反応が遅れる。それからパチクリと瞬きをして、
「……さあ。知らないわ。誰も私の名前を知らないのだから、他人の空似でしょう」
ふるふると首を振って否定した彼女。それでも護国寺は見間違ったとは到底思えずにいた。彼女の存在を忘れたことなど、それこそ一日たりともないのだから。小学生以来だが面影は残っていて、彼女が綴町京子であると確信を持って言える。
(しかし……【否定姫】だと?)
ムサシの話では【十二使徒】は六人の王と六人の姫によって構成されているらしい。【否定姫】と呼ばれたことから、綴町は【十二使徒】であるということは疑いようもない。そして彼女とともに現れた残りの三人も【十二使徒】なのだろう。
「【十二使徒】は一人ずつでしか戦わないんじゃなかったのか?」
数的不利の状況下で、護国寺は不満げに言ってのけた。実際は冷や汗ダラダラだがそれをおくびにも出さず、虚勢を張っていたのだが。
ギョロ、と【否定姫】を除く三人から、値踏みされるような視線が注がれる。外見を観察されているのではなく、根源的な何かを見透かされているような気持ち悪さが身体を硬直させた。
少しして、リーダー格の青年がその問いの答えた。
「無論その誓約を破るつもりなぞ毛頭ない。ただ、【兵隊王】が要らぬ情報を与えようとしていたのでね、口封じに馳せ参じた」
澄ました顔で宣う青年に対し、護国寺は嘘を吐けと内心毒づいた。タイミング的に彼らはすぐ近くに潜んでいて、ずっと観察していたに違いない。つまり元から現れる気満々だったのだ。
青年は後ろに控える三人に目をやり、
「ともあれ……、予期せぬ形で現れてしまったことは明白だ。故にまずはこちらが自己紹介をさせていただこう」
彼が目配せすると、それに従って綴町から自己紹介を始めた。
「――――【否定姫】」
「――――【獅子王】」
「――――【鬼哭姫】」
「そして私が【言霊(ゲンレイ)王】。我わ――――」
瞬間。
ムサシは大きく一歩踏み出して、真一文字に刀を振るっていた。
【一刀両断】の力を上乗せした斬撃は、弧を描いて伸長し【十二使徒】たちへと襲い掛かる。完全なる不意打ち、よもや言葉の最中に斬りかかるとは、ムサシと言えどなりふり構ってはいられないということか。
致死の刃が迫る。【十二使徒】たちはそれぞれ反応できた時には既に、ズバァン!! と斬撃が炸裂していた。形を為していたそれは衝突すると同時に霧散し、護国寺たちの眼前を覆う。
【一刀両断】の恐ろしさは、何と言ってもあらゆる防御を突破することにある。生半可な盾は斬り捨てられ――――何よりムサシの真髄は物体を透過させて対象を斬ることができる無形の刀。人体にヒットすれば、いかに言霊に耐性のある言霊師と言えど五体満足ではいられない。
かといって飛来する斬撃を恐れたところで、ムサシは近接においても隙がない。むしろ本領はそこにある。齢二十歳にして、彼の剣技はあまりに完成され過ぎていた。
――――だからこそ、護国寺は目の前に映る光景が俄かに信じがたかった。
「躾のなっていない殿方がいるわね」
【鬼哭姫】は黒と白を基調としたミステリアスな衣装――ゴスロリ服をパンパンと叩いた。破れた痕跡はどこにも見受けられず、新品同然のままだ。
彼女はス……と手首を持ち上げて、
「そういう輩には――――少しばかり調教が必要よねえ?」
「――――ッ!」
たったそれだけの所作で、魂が吸い込まれるかのような錯覚に陥ってしまう。本能が知らず警笛を鳴らしていた。【鬼哭姫】が何か仕掛けてくる気なのだ。
けれどムサシは気圧されることなく、後の先を突くための準備を整えていた。極限まで研ぎ澄まされた集中力が背中越しからも伝わってくる。
「――――待て、【鬼哭姫】」
彼女の両目が妖しく光ったところで、【言霊王】が待ったをかけた。
「隙を見せていたこちらの失態と、目を瞑ってやろう。そこを容赦なく突いてきたのだ、むしろ賞賛すべきであろう」
「……あら、私ったらはしたない」
とスカートの裾を上げて頭を下げる【鬼哭姫】。青年に続いて【獅子王】と【否定姫】も無事な姿を見せる。彼としては見せてほしくなかったが。
護国寺はその間に、もう一度先ほどの記憶を反芻する。
(斬撃が直撃する寸前、【鬼哭姫】と【獅子王】は何らかの防御手段を取ろうとしていた。……けど綴町、【言霊王】に至っては防御姿勢すら見せていなかった。反応できていない風に棒立ちだった。だからその二人は落とせたと思ってたんだが…………)
ムサシも怪訝そうな表情をしていた。手応えを掴んでいるはずの本人が最も納得のいっていない風だった。
【言霊王】が何も恐れていない足取りで、さらに距離を縮めてくる。
「今のである程度、こちらの力量は伝わったはずだ。さすれば、少しは腰を据えて話を聞く気になったのではないかね?」
「……ふん。気に食わんな」
ムサシが一歩後ずさり、護国寺の隣に並び立つ。そして声をかなり抑えて言った、
「(嗣郎、お前は一旦退け。『あれ』は拙い。【兵隊王】が死の間際残したかったのは、恐らくこの状況のことだったのだろう)」
「(……だったらなおのこと、俺も残ります。ムサシさんだけだと、さらに戦力差が大変なことになります!)」
彼は「お前は退け」と言った。つまり、退却する中にムサシ自身は含まれていない。きっと彼はここで足止めを担うつもりなのだろう。そうなれば【兵隊王】以上の怪物四体と戦わなければならなくなる。
だったら――――
「(俺が残ります)」
護国寺は己を奮い立たせてそう告げた。
「(ムサシさんはこんなところで倒れちゃいけない存在です。あなたがいる限り、人類にまだ勝機が残る。けれど、ここで失ってはもう……)」
その先の言葉を彼は飲み込んだ。声にして言うわけにはいかなかったのである。
人類全体を鑑みて護国寺嗣郎と柳生武蔵、天秤にかけてどちらが重要か容易に分かる。ならこの命、最も価値あるのはこの瞬間だ。ムサシを未来へと繋げる――――それこそが自分の使命であるかのようにすら感じられた。
互いに目を合わさず、【十二使徒】を注視しながら会話は続く。
「(……駄目だ。命に貴賎なし。何よりお前には将来性がある。これからいくらだって活躍できる場面が待っていることだろう。授かった命、視野狭窄の状態で使い道を考えるな)」
「(俺は本気です。何とか数分だけでも、ムサシさんの逃げる時間を――――!)」
不意に、ムサシの声音が冷徹なものへと変貌する。そして、
「(不可能だ)」
え? と思わず彼の顔を見つめる護国寺。だが、ムサシの表情からは何も読み取れなかった。
彼は平淡なトーンで事実だけを羅列していく。
「(嗣郎、“今のお前では僅か数分すら稼ぐことはできないと言ったのだ”。保って十数秒……それが限界だろう。奴ら相手では時間稼ぎすら、今のお前には不可能だ)」
「…………っ!」
愕然たる真実であった。【言霊王】たちと戦うことになれば、自分は間違いなく死ぬことになると理解していた。時間稼ぎにすらならないかも、という情けない事実が頭を過ぎらないわけがなかった。
それをただ、こうして言葉にされただけで、護国寺はひどい無力感に打ちひしがれる。
「(命を無駄にするな)」
今度こそムサシは気遣うような声音になって、
「(自分の命すら大切にできない人間が、どうして他人の命まで守れるというのか。そこだけは間違えるな)」
だんっ! とムサシは一歩、強く前へと踏み出した。
刀を横薙ぎに振るい、威嚇するように吼える。
「我が名は柳生武蔵! さあ、刀の錆になりたい者から一歩、覚悟して踏み出してみよ! 我が剣の冴えをお見せしよう!」
見慣れたはずの彼の背中は、いつも以上に大きく映った。
【獅子王】が賞賛するように口笛を吹いた。【鬼哭姫】は見世物を鑑賞する気分でそれを眺めている。【否定姫】――綴町と目が合ったが、すぐに視線を逸らされた。そして――――【言霊王】が恐れもなしに一歩足を運んだ。
すぐに戦闘が始まってしまう。そんな予感があるのに対し、護国寺は未だ決めかねていた。この場を去るか否か。ムサシの見立ては正確だ。護国寺一人残った程度で役に立たないだろう。かと言って逃げることを許さない、と本能は叫んでいる。
その選択を決定付けたのは、またもやムサシの後押しであった。
「――――行けっっっ!! ただ真っ直ぐにここを立ち去れ。一度も振り返るでないぞ!」
「…………はいっ」
一度逃げる方へ気持ちが偏ってしまえば、脚はもう止まらなかった。彼の言う通り、振り返ることなくその場を離れていく。
(情けない……っ!)
誰かを守ると決めたはずなのに、これまでを通じて一度も役に立っていないではないか。それどころか足手まといにすらなっている。
(情けない、情けない、情けない、情けない――――――――!!)
とうの昔にし尽くしたはずの後悔は、今なお枯れることはなかった。
ただいつも、後悔の仕方ばかり上手になっていく自分がどうしようもなく情けなかった。
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