第3話 ③

 正午過ぎ。目的地に到着した護国寺とムサシは、ひとまず近くの探索を行っていた。山の麓であるそこは、良く言えばのどかで悪く言えば寂れていた。街にある多くの店舗はシャッターを降ろしているのもそういった印象を与える一因だろう。太陽は出ているのに雰囲気そのものは暗い。

「何だか寒いですね……。もう夏間近なのに」

「そうか? 快適じゃないか」

「さすがヨーロッパ帰りは違うなー」

 人影の見えない雰囲気的なことを指したのだが、どうやらムサシには通じなかったらしい。堅物かと思いきや、普通にスマホを持っているしソシャゲだってやっていて、そのうち一つは護国寺とフレンド登録を済ませている。

 そもそもムサシの服装は完全に武士のそれであり、帯刀までしていることからコスプレとしか思えない。京都であれば『気合の入ったコスプレイヤー』として受け入れられただろうが、ここでは不審極まりない。巡回中の警察官にいつ遭遇するか気が気じゃなかった。

 二十分ほど探すものの、【十二使徒】らしき存在は確認できない。というか、人間ベースの【十二使徒】をどうやって見分けるというのか。

 そう尋ねると、

「説明するほどでもない。奴ら、現れると一目で分かるようになっている」

「はあ、オーラ的なものがぶわあって出るとか?」

「まあ殺気という点ではそうだな。だが、そんな抽象的なものではなくても、本当に一目で分かる」

 自分の眼で確かめてみろ、ということなのだろうが、護国寺としては答えを一刻も早く言ってほしい。ティーチングとコーチングの違いを説いている場合ではないのだ。

「むしろ重要なのはその後の対応だ。まずは支部に連絡、近隣住民の避難を最優先にしてもらう。何度も言っているが、これだけは即時に徹底しよう」

「了解です。……ってか、当たり前のことを思ったんですが、予告されてから何で日本から避難させないんすか? 場所を特定してからその近隣住民だけってのはどうにも……」

 七日間もあれば発達した航空手段によって大半の日本人は避難できるはずだ。なのに政府は発表もしないまま前日を迎えている。職務怠慢を通り越して殺人の片棒を担いでいるようにしか思えない。

 するとムサシは難しい顔になって、

「俺もその提案には賛成だ。だが、『今から七日後に日本が滅びます』なんて言えば、間違いなく『どうしてそんなことが分かるんだ』って追及は免れない。そうなると実行犯は同じ人間だ、と話すほかない。所詮口先だけの誤魔化しなんてのは即座に看破されるものさ」

「……なるほど。災害ならもう起こらないかもしれないけど、それが人間の手によるものなら必ず再発する、と不安が高まりますもんね」

【十二使徒】が人間かどうか、ということから議論を尽くさねばならないだろうが、一般人から見れば姿形が人型である以上、物凄い力を有したテロリストとしか映らない。一番怖いのは人間とは、よく言ったものである。

 ムサシがさらに不服そうな面構えになった。

「それに世知辛い話なんだが……、たとえ避難させたところで、その人をどうやって受け入れるかが問題となる。ただでさえヨーロッパやオーストラリアが滅亡したというのに、日本がなくなりさらに人口だけは変わらず、となれば物資がいよいよもって不足する。結局、世界が言いたいのは母国を手前の墓にしろ、ということだな」

 唖然とする。人の命に勝るものはないだろうに、残った自分たちの生活が脅かされるとなると拒んでくるとは。護国寺の考えは幼稚で、綺麗事なのだろう。しかしそれが現実を前に折れるなんてこと、あってはならないのだと今度は憤る。

 彼はグッと拳を強く握り締める。

「――――でも、勝てばそんなことは杞憂に終わるわけですよね?」

 その言葉を聞いて、ムサシは快活に笑った。

「その通り。悲観的な現実を考慮するのは重要だ。けれど、詰まる所俺たちは自分の手で道を切り拓いていかなければならない。道を切り拓くには前を向かなくてはな」

 満足そうに何度も頷いたムサシ。自分の双肩に日本人全ての命運が伸し掛かっている――――そう思えば、何だか少し嬉しく感じた。そんなことは生涯有り得ないと考えていたから、一度くらいは明確に役に立ってみたかった。

 しばらく山側へ向かって歩いていると、住宅街を抜けて田園風景の広がる場所へと出た。足元にはやや老朽化の目立つ道路。両サイドには田畑が広がっており一面黄金色の風景は壮観とさえ思える。

 これだけ見晴らしの良い地形でも、人影は農作業に勤しむ人々だけで怪しい人物など一向に見当たらない。むしろこちらが異物であるかのように思えてくる。特に袴姿のムサシ。

「いないですねえ……。俺が我慢強くないだけなんですけども」

「まあな。そも、ここではない可能性の方が高いから、いなくても不思議は――――」

 刹那。

 

 ――――カッ!! と白い光線が二人の前方に突き刺さった。


 半径一メートルほどのそれはアスファルトを穿ち、生じた衝撃波によって周囲の作物が強く靡いた。手前にいる護国寺も、咄嗟に身構えてなくては吹き飛ばされていたかもしれない。

 痛烈な光に紛れて柱の内部がどうなっているかは確認できない。けれど、護国寺は直感した。これは間違いなくムサシが言っていた通りのことだ。

 ――――【十二使徒】は一目で見分けが付く、と。

 次第に光が薄れていく。比例して、殺気が膨れ上がる。たとえ光の柱がなくとも、なるほど。常人離れしたこの雰囲気ならば、対峙した瞬間に見分けが付くだろう。

 この時ムサシは既に支部へ連絡を取っているのか、通信機を口元に当てていた。

「――――繰り返す。【十二使徒】を発見した。避難勧告、並びに援軍を要請する」

 彼もそれに倣って、まずは近くにいる住民に避難を呼びかけようと思ったが。彼らはいち早く逃げ出していたおかげで、すぐに巻き込まれそうな位置に人影は確認できない。きっとただならぬ妖気を感じ、本能が警笛を鳴らしたのだろう。

 それを確認すると、完全に光が晴れて突如として降り立った人物の姿を視認するに至った。どこかの国の軍服を着ていた。軍人らしい屈強な肉体に、胸元に輝く勲章の数々。射抜くような紅い瞳が特徴的である。

 男はコキ、と首を鳴らして、

「辺鄙な場所だ。わざわざこんな所に飛ばすとは、【刹那(せつな)姫(ひめ)】の姐さんも意地が悪い」

 飛行機での長旅を終えたかのような気軽さだった。むしろ環境の変化を楽しんでいるようでもあった。

 ムサシは動かない。刀に手を掛けているものの抜刀には至っていない。故に護国寺もうかつに動けない状態だ。

 少しのちに、男はようやく目の前にいる二人に気が付いたようで目を丸くした。

「おっと。驚かせてすまない。オレの名は……っと、日本語はこれで合っているのか? 知識としてしか触れておらんせいで、いまいち自信に欠けるな」

「問題ない。それに言葉を交わす間柄じゃあないだろう」

 殺気には殺気で。ムサシは鋭い敵意を男にぶつける。まさしく刃物の如きそれを受けて、男はムッと顔を顰める。

「どこかで見た面だと思いきや――ああ、柳生某(なにがし)か。【静謐姫】を屠ったという」

 同胞殺しとして顔が通っているらしい。だとするとムサシの言霊もバレていると考えていいだろう。対してこちらは、相手の情報を何一つとして握っていない。

 空間が緊張感に包まれる。物音一つしない。もしも微かに音が鳴ってしまえば、それが開戦の合図になるのではないかとさえ勘ぐってしまう。

 ムサシは一歩下がった位置にいる護国寺に、少し退くように手で指示した。これが初陣である彼には厳しいと判断したのか。護国寺は黙ってそれを受け入れ、十歩程度後ずさる。

 不意に【十二使徒】が一歩踏み出して、退屈そうな目付きをして言った。

「さて、さて。睨み合いを続けていても無意味だ。ようやくオレの手番が回って来たんだ、ようやくさ。さあカタナを抜け」

 男は挑発するかのように人差し指をくい、と持ち上げる。

 ムサシはそれに応えて抜刀する。初めて見る刀身は闇夜の月のような妖しい光を放ち、虜にされるような雰囲気があった。刀に疎い護国寺でも一目で名のある刀匠が打った一振りだと判別できる。

 ヒュー、と口笛を器用に鳴らした男は、満足した風に頷いた。

「洗練された見事な殺気だ。【静謐姫】を打倒したのもあながちフロックじゃないらしい。――――で、あれば。【十二使徒】としてオレも名乗りをせずにはおれんな」

 瞬間、それまででも強烈だった殺気が更なる膨張を見せる。心臓に直接脅しを掛けてくるような、圧迫されるような感覚に陥る護国寺。後ろからでは視認できないが、ムサシは微動だにしていなかった。

 男は舞台上に立った役者のように、両手をバッと大きく広げて宣言する。

「――――我が神名、【兵隊王】! 地球(はは)より賜りし言霊、【千軍万馬】! 我が言霊を前にして、何人も兵力で勝ること能わず! 柳生某、相手にとって不足なし! おお偉大なる地球よ、どうかこの戦いに栄光を与えたまえ!!」

 その口上と同時に、【兵隊王】の周囲を取り巻くようにして数十名の兵士が光に包まれて現れる。その兵隊は人の皮を被っているものの、おおよそ感情らしきものを感じさせない、機械兵のような印象を受ける。

 しかしそのどれもがライフルによる武装を施している。実弾入りと考えるのが自然だろう、言霊師も生身の人間と変わらないので、命中すれば致命傷は避けられまい。

「我が兵士たちよ、恐れることはない。ただ囲み、ただ戦え! さすれば勝利は我らのものぞ!」

 ガチャ、と銃口が一斉にムサシへと注がれる。距離にして五メートル、掃射されれば全弾躱すことなど不可能に近い。

 ムサシは身を翻して横合いの田んぼへと侵入する。足を取られないよう、飛ぶような歩法で相手の側面へと回り込む。後を追うようにして、生み出された兵士たちによる銃撃が続く。恐らく背後にいた護国寺に流れ弾が行かないようにするためだろう。

【兵隊王】は上機嫌にムサシの逃げ惑う姿を見ながら、

「【千軍万馬】は無限の軍隊を作り出す言霊だ! そうら、どうした!? 一秒あれば我が兵力は十人増えよう。時は貴様の味方ではない!」

 男の言う通り、そうこうしているうちに兵隊の数はどんどん増えていっている。その度に銃撃も苛烈さを増していた。

 ムサシは逃げた先にあったアスファルト製の小屋へと飛び込む。そんなことはお構いなしに、敵兵たちは撃ち続ける。あのままでは間もなく蜂の巣のように穴が開いてしまう。

 こうしてはいられない、と護国寺が加勢しようと一歩踏み出した、その刹那。

 ――――サ、と一陣の風が頬を撫でた。

 一瞬の静寂ののち、兵士全員がゆっくりと崩れ落ちたと思えば、すぐさま粒子となって消えてしまった。

「な――――っ!?」

【兵隊王】の表情が驚きに歪む。兵士生産の手を止めてしまうほどに、男は動揺していた。

 すると小屋に隠れていたムサシが落ち着いた様子で出てきた。間違いなく一瞬にして敵兵を屠ったのは彼の仕業だろうが、その手段が分からない。彼の言霊を知っている護国寺でさえ、不可解な点があるせいで確信が持てずにいる。

気を取り戻した【兵隊王】はムサシの持つ刀を凝視して、

「よもや、斬ったというのか……!? 壁越しから、寸分違わず!?」

 ムサシは平淡な口調のまま、答える必要のない問いかけに応じた。

「日本では相手に敬意を持って接することが美徳とされる。故に応えよう。――――左様、我が言霊【一刀両断】を以て斬らせてもらった」

【一刀両断】。それが柳生武蔵の言霊である。一刀のもとに万物を両断する能力だ。つまり彼は小屋の中から斬撃を飛ばし、兵士を斬ってみせたのだろう。そこまでは分かっていた。

 同じく腑に落ちないといった様子の【兵隊王】は、声を荒げて言った。

「だとしてもだ。斬撃を飛ばしたのなら、視界を遮っていた壁自体も両断していなくては辻褄が合わん!」

 護国寺もまた、そこが理解できていなかった。ムサシが【一刀両断】の力を振るったのは明白。まだ秘めた性能があるのか、とも思ったが、当の武士は何食わぬ顔でのたまってみせた。

「小細工なぞ。ただ、“壁の隙間に刃を通して斬撃を披露しただけのこと”。刀を持ってさえいれば誰でも物体は斬れるだろう。だが武人を名乗るのであれば、せめて斬るべきものとそうでないものを分けて刀を振るうべきだ」

 神業――そう言わずして何と讃えるべきか。つまり彼の為した芸当は言霊によるものではなく、武士としての技量によるものなのだ。

 人ならざるヒトである【兵隊王】でさえ、ムサシの答えに唖然としている。しかし男はやがて平静を取り戻したようで、豪快に笑ってみせた。

「然り、然り! これが音に聞こえた【真実斬り】の業前ということか……! 【十二使徒】を以てして曰く『その剣は物体の真実を斬る』と言わしめた、あの。御身もこちらと違わず、人のそれを越えているというわけだ」

「【真実斬り】、か。なるほど。それは俺の目指す極地の一つ。だが、所詮は一つに過ぎない。我が身は剣士なれば、“斬らずして斬る剣”という天元にいつの日か至りたいものだ」

 合図はなかった。

 ただ、どこかで鴉が鳴いたような気がした。

 ムサシは刀を下段に構え、姿勢を低くしながら猛然と距離を詰めにかかる。一方で【兵隊王】は数人の兵士を召喚した。先刻の兵とは異なり、どこかの国の特殊部隊をモチーフとしているのか、漆黒の装備を纏ったその身体に一切の無駄なし。銃ではなく徒手空拳、もしくは短刀で武装している。

 動きからして精鋭をモデルにしてあるのだと分かる。その影響か、【兵隊王】の供給が先ほどよりかなり遅い。兵士一人に対し生産コストが大幅に違うのだろう。それでも八対一だ、相手がプロだというのなら尚更この人数差は脅威となる。

 ――――そんな、護国寺の勝手な想像の糸さえも。

 スパッ! とムサシは敵兵ごと断ち切ってみせる。

 一気に五人を【一刀両断】の力で瞬く間に斬り倒し、残った三人を剣術で圧倒する。敗れた兵士たちは続々と天へと還っていく。

 着実に近寄ってくるムサシに対し、男はそれに合わせて距離を取りながら、

「ちいっ! たかだか優れた兵士如きでは相手にならんか! ならばそれ以上の戦力を生み出すだけだ!!」

 ぱちん、と【兵隊王】が指を鳴らす。瞬間、男を挟み込むように二輌の戦車が出現した。もはや人でもなく、人を相手にするための兵器でもない。言わば歩兵を蹂躙する殺戮の化身。

 しかしムサシの脚は竦まない。恐れを見せない。いや、力強い歩みはそれすらも踏破したことへの表れか。

「撃ぇーいっ!!」

 男が号令を下すと、砲塔から砲弾が射出された。二方向から鋭角に。

砲口からオレンジ色の火花が散った直後に煙が立ち上り。

地が震えるほどの衝撃が護国寺の腹を揺らし。

重量二〇キロを超える砲弾が、初速にして秒速二〇〇〇キロのエネルギーを得る。直撃すれば――たとえしなくとも、余波だけで四肢欠損してしまいそうだ。

護国寺であれば、常人であれば咄嗟に無意味な防御行動を取ったことだろう。

そして上体を限界まで地面に近付けさせて、あえて立ち向かっていったムサシは異常と言わざるを得ないのだろう。

彼の真上を砲弾が通り過ぎる。――――否、驚きはそれだけに留まらなかった。ムサシは刀を正確に砲弾へと合わせて両断したのだ。言霊と、技量と、何より目で追えていなければ到底無理な芸当。

(勝てる…………っ!)

 傍観者である護国寺は、客観的に見てムサシの有利は動かないと判断していた。

(【兵隊王】は確かに強力。数こそは力だと証明するかのような能力だ。強大な個を倒すのは統率された数――それは正しい。だが、)

 ――――統率された数を叩き潰すのもまた、圧倒的な個なのだ。

 ムサシが二両の戦車の間を通り過ぎた、と思った直後には戦車がバラバラに切り刻まれていた。【兵隊王】との距離は着実に縮まってきている。

(そして何より、【兵隊王】の生み出す兵士ではムサシさんを止められない。百の雑兵では足止めにもならず、二の戦車であっても歯牙にすらかけない。一度に召喚できる兵隊では賄い切れていない)

 【兵隊王】の応戦はもはや必死の抵抗としか映らない。確定的な死の瞬間を引き延ばしているに過ぎない、と護国寺は考える。

 それでも、男はなお豪胆な態度を覆すことをしなかった。

「見上げた覚悟よ! 昨今の人間、『手前には覚悟がございまする』と宣うがそんなもの、オレに言わせれば自慰の如き欺瞞と変わらない! 真の覚悟とは暗闇の中にあってなお俯かないこと。死と隣り合わせであろうとも己を奮い立たせるものを指す! その点貴様は見事、見事!」

「――――覚悟と傲慢は表裏一体。時に意固地な覚悟は他者を振り回す狂気となる。覚悟を持ち合わせぬ者が劣ると、そも誰が決めたと言うのだ」

「ほう。傲慢を忌み嫌うか、【真実斬り】。己を地球の支配者と過信し、あまねく地球資源に対し暴食の限りを尽くした人間が――――よりにもよって大罪を否定するか!」

 恐らくはそれが理由。

 人類を抹殺し、地球をあるべき姿へと還す。そのために男が地球と呼ぶものは【十二使徒】を生み出したのだろう。

 男は立ち止まり、兵士召喚に全神経を尖らせる。召喚速度が目に見えて速くなっている。

「故に! 我らが産み落とされた! これは粛清、あまりに堕落した人間を浄化するための、御使いによる裁き。――――それを阻んでくれるなよ、人間ンんんんんんんんんっ!!」

 ――――刹那、万を超える軍勢が展開された。

 瞬きの間程度だった。通常歩兵だが、ちまちまダース単位で召喚していた【兵隊王】が、一挙にムサシの眼前を埋め尽くすほどの兵士を配置したのだ。

 銃口にして一万、注がれる目線は二万。膨大な殺意を前に、ムサシの立場にいれば気が狂ってしまいそうになるだろう。

「侮っていた」

 声が響いた。敵集団の中から頭一つ高い【兵隊王】の顔面しかもはや見えなくなっていた。

「本来この力は粛清に溜めておいたもの。億を超える兵力で日本を蹂躙するか、核兵器の雨を降らせるか、いずれかの方法でこの地を更地にせんと目論んでいた。そのためになるべく温存しておきたかったが――見事、その皮は破られてしまった」

 ムサシがこの戦い、初めて足を止めた。この軍勢を前に無策で突っ込めば、たちまち蜂の巣にされてしまうのは明白だった。

 護国寺こそ【兵隊王】のことを侮っていた。この程度か、と。頭の中で思い描いていた化け物像よりも、随分と控えめな印象を受けていたのである。――――けれど、今のそれは想像を大きく越えていた。

 だが、と男はこの状況下でもまだ警戒心を解いていないと分かる緊迫した声音で続けた。

「貴様であればこの大軍、時間さえあれば打ち破ってしまうのであろう。故にオレは、これより空軍を編成する。召喚に莫大な労力を要するが、戦闘機さえあれば所詮人間、瞬く間に屍山血河を築けよう」

 それが翼を持たない人間の限界。結局のところ人間は陸に生きる生物――そのように定められている。地は人、空は神の領域であると、そう線引きがされているのだ。

 バッ! と【兵隊王】は何かを迎え入れるように両手を広げて、高らかに言い放った。

「――――さあ、さあさあさあ! その血を母国へと捧げるがよい、柳生某! 貴様ほどの猛者の血を吸えば、その後の大地も強靭に育つというものだ!」

 男が自身の兵たちに発砲許可を下すべく、右腕を振り下ろそうと――――


「――――傲慢の罪。驕ったな、【兵隊王】」


 ムサシはいつの間にか、刺突を放つ体勢を整えていた。

 重心を落とし、自分の耳元まで刀を引き充分な溜めを作り出す。矢を番えた弓を引き絞るような、そんな印象。

 攻撃指令が飛ぶより早く、刀の切っ先に集中したエネルギーが放出された。あたかもレーザーのように、意思持つ嵐が暴れながら一直線に突き進む。まず最も手前にいた兵士の胸元に穴を穿つ。勢いはされど落ちず、二人三人と貫いていく。――そしてそれは、直線距離にいた【兵隊王】を目指している。

「な――――」

 異変に気付いた男は咄嗟に身体を捩る。しかし完全に躱すことは能わず、斬撃は号令をかけようとしていた右腕が根元から千切れ飛んだ。肩口から鮮血が噴き出す。

 激痛に顔を歪めた【兵隊王】だったが、即座に立て直してムサシの姿を追う。――――時すでに、彼は既に【兵隊王】の手前まで急接近していた。貫通性に富んだ斬撃に追随して、ムサシは移動していたのである。

「地獄に落ちようとも忘れるな。俺の名はムサシ――――柳生武蔵だ!」

 彼は刀を鞘に戻し、居合の構えを取る。低い構えから、刹那に魂を吹き込むかのような神速の抜刀術――――!

 音はしなかった。

 血飛沫が上がることもなかった。

 ただ気付けばムサシは刀を振り上げた体勢のまま固まっており、【兵隊王】もまた微動だにしていない。あたかも時が停止したようだ、と護国寺は錯覚して、自分の身体を動かすこともままならない。

 ごふ、と【兵隊王】の口から血液が零れた。目を凝らすと、軍服も僅かに血で染まっている。紺色なので分かりづらかったが。

 男の呼吸音が空気の抜けたような音へと変わる。

「貴様の一閃、しかと目に焼き付けさせてもらった。見惚れるほどの妖艶な一振りと思いきや、剣鬼の如き苛烈さも垣間見たが。うむ、うむ……この器に文句はないが、この時ばかりは日本人が羨ましい。究極の一刀をどう称えればよいか。口惜しい、限りだ……」

 息も絶え絶えにそう言うと、ムサシは刀を収めて巨躯の男を見上げた。

「ならばせめて、武士として――戦士として最上の賛辞を」

 向き合う二人。力量を鑑みれば、いかような手段を用いようとも必殺を繰り出せる距離に身を置きながら言葉を交わし合う。傍から見ている護国寺としては気が気ではなかった。

【兵隊王】の身体がグラつく。血色が悪い。気張って何とか踏ん張っているのありありと伝わってくる。それでも、頑として倒れない。

 男は二ッ、と強がる風に口角を僅かに吊り上げて、

「――――柳生武蔵。貴様は、強かった…………ッ!!」

 そこで糸が切れたようにして、【兵隊王】は地面に背中から崩れ落ちた。

 そして、立っていたのは柳生武蔵であった。

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