第2話 ペンネームの話。


 私は一体誰なのだろうか。


 私は朝乃雨音だ。では朝乃雨音とは誰なのだろうか。


 朝乃雨音はただの名前であるのだ。そのため、例えば今ここで私は一人称を俺にしてみたとする。すると俺は朝乃雨音とは違った存在のようになってしまう。


 私は朝乃雨音だが、朝乃雨音は私ではない。


 朝乃雨音というのは名前であり、私を証明する物では無いのだ。


 しかし、私がどれほどの才能を持っていようと名前が無ければ認識はされない。空白や無名で何かを成しても、その成果は宙に浮くだけだ。


 名前とは人の才能を入れる容器だ。名前に才能を入れ作品を作る事で、その人物は形成されて行くのである。


 ここで注意しなければならないのは作品にはそれぞれ癖があり、人にはそれぞれイメージがあるという事だ。


 もし純文学を書いていた名前でライトノベルを書こうとすると、やはりどうしても文章に気がいってしまうだろう。私は、純文学も書いているのだから文章もしっかりと作り上げなければいけないと考えてしまうのだ。ライトノベルにおいてそれはナンセンスであり、ライトノベルの良さである勢いと読みやすさを殺してしまう事となる。


 これは様々な作品の癖を一つの名前に押し込もうとしたため起こる事であり、結果的に自分の作品の幅を狭めている事となるのだ。


 また、例えば村上春樹が村上春樹と言う名前でライトノベルを書いたとしても、それはライトノベルであってライトノベルではない。それは、たとえ彼が自分はライトノベルを書いたと言ったとしても、読み手からすれば違った形の純文学であり、ライトノベルには到底なり得ないのだ。


 これが読み手が人に持つイメージの違いと言う事である。



 詰まる所、ペンネームは小説形成の一部であると私は考えているのだ。作品に余計な情報や才能を入れない為にも、自分の持つ才能を別々に名前をつけて人とする事でまじわらずに伸び伸びと作品が出来上がって行くのである。そうやって、私が朝乃雨音で小説を書いているのではなく、私が作った朝乃雨音が小説を書いていのと考えるのが、ペンネームの正しい使い方なのだと私は思っているのだ。

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