第12話 魔王と豪華客船クルーズです

 アトラクションの建設が必要な遊園地より、改装で済む豪華客船のほうが先にできた。

 早速庶民対象の集団お見合いイベントツアーが開催される。完全予約制で募集したら、思ったより反響があり、抽選になってしまった。

 まずお試しの第一回目は一泊二日、近くの海を回り、高級リゾートに数時間滞在して戻ってくるコースにした。好評なら宿泊数を伸ばしたり、他のルートも視野に入れる。

 船は元軍艦だったものをリメイクしたもの。作りはしっかりしており、万一悪天候になっても平気。内装を豪華にして、さながら宮殿みたいにした。

 戦争が終わって仕事がなくなり、途方に暮れてた武器職人たちにやってもらった。武器職人ていうから武器だけしか作れないと思っていたら、意外と何でも作れるらしい。オールマイティーな職人が多かった。

「動物園も遊園地もそうだけど、これ!っていうおみやげ物を作りたいと思ってたのよね。そういうのも作ってもらえるかしら?」

「可能だろう。だがコストがかかりすぎないか?」

「あるものを使えばよくない?」

 例えば鳥系魔獣の抜けた羽、生え変わりで採れた角とか牙。

「魔物の体の一部は魔具の材料になる。ものによっては高く売れるぞ」

「え、そうなの?」

 言われてみれば、モンスターを狩って武器にするのはRPGでよくある話だ。

「これまではそうやって魔物の食費を稼いでいた」

「そうだったのね。高値で売れるものは今まで通り売ったら。売れないもの、傷がついてるものとかB級品を使えばいいんじゃない?」

 魔具の材料にはならない小さいものやB級品を加工することにした。

 豪華客船クルーズの発着地である港町も整備。海産物を豊富に扱う市場を拡張、一般人でも入れるようにした。

「海の食べ物系じゃないお土産物は、そうね……貝……日本だと螺鈿細工っていうのがあるけど」

「何だそれは」

「貝殻の裏、キラキラ光ってるでしょ? あれを使って箱の表面に模様を作って、綺麗な宝石箱にしたり」

 元武器職人たちは私のつたない説明と下手な絵から作ってくれた。

「お前にやる」

 中を開けたら、高そうなアクセサリーが山ほど入っていた。

「こ、こんな高そうなものいっぱいもらえないってば!」

「どれもお前が提案したものだ」

 てことはこれ、魔物のパーツで作ったものなのか。普通のジュエリーに見える。

「普通に綺麗なアクセサリーに見えるけど、魔物のパーツを使ってるの?」

「本物の宝石じゃないから、安価だぞ。魔具としてはランクが高いが」

「こういう魔具って、魔法使いじゃないと使えないの?」

「これはどれも一般人でも使えるものだ。どちらかというとお守りの類だな」

 例えば、と羽飾りのついたペンダントを指し、

「これは護身用の魔法を組みこんである。事故にあった時など、身に危険が迫った時、自動的に発動する。親が子に持たせていることが多い」

「なるほど、分かるわ」

「護身用の魔法が組み込まれたアイテムは誰でもたいてい一つは身に着けているものだ。アクセサリーの形だったり、衣服に施されていたり、形態は様々だがな」

 へえ。

「お前が付けているアクセサリーもそうだ」

「……あ、そうだったの? それでいつも何かつけてろって言ってたのね」

 私は魔法が使えない。異世界人だし。

「防犯グッズだってちゃんと言ってくれれば、素直につけたのに」

「こちらの世界では常識だ」

「私は知らないってば。うーん、常識の差はやっぱりあるわね。今度からはちゃんと教えて」

 これからは大人しくつけることにしよう。

 というわけで防犯グッズのネックレスをつけた私は船に乗り込んだ。第一回目なので宣伝やチェックも兼ねて私達も同行することになっている。

 テレビカメラもついてきていて、全国放送されている。ただし映されたくないという参加者もいるので、個人は特定できないようにした上で放送、という条件付きだ。

 参加者は男女50人ずつ計百名。それに船員とスタッフ、私やジュリアスなど関係者を乗せて出港した。

 参加者を映せない時はテレビカメラがこっちに回ってくる。

「お妃様、もうちょっと陛下と仲睦まじい絵を撮りたいんですが……ちょっと離れてません?」

「絶対嫌」

 私はテレビスタッフの注文を却下した。

「ラブラブカップルの映像がほしけりゃ、クレイさん夫妻を撮りなさい。そこにいるわ」

 関係者枠でクレイさん夫妻も載っていた。六人の子持ちと聞いて、「奥さん、育児疲れしてない? リフレッシュさせてあげなさいよ」と私が誘ったのだ。元の世界で大学時代の友人はたいてい結婚して子供がいる。みんな大変と言っていて、会えばグチをこぼしていたから、気晴らしになればと思った。

 正解だったようで、子供たちをシッターに預けてきた彼女はほっとした顔だった。お母さん、お疲れ様。

「エリー、こっちに来い」

 妙なところで真面目なジュリアスは肩を抱いてきた。

 ぎゃあああああああ?!

 濁音で叫び声をあげる私。

「ななな何するのよ!」

 カメラ! カメラ回ってるから!

「ありがとうございます、陛下。お妃様も初々しいですなぁ」

 うう……この前から変だ私。これくらいで真っ赤になって抵抗できなくなるとか。

 三十目前の女性ならもっと大人の対応しなきゃならないのに。

「か、カメラは舞台に向けて! ほら、撮るべきはこっちじゃないでしょ?!」

 私達はあくまで脇役。主役は参加者たちだ。

 スタッフや参加者たちからヒソヒソ話が聞こえてくる。

「あの魔王が信じられない」

「恐い恐いと思ってたけど、ああやってお妃様を溺愛してる姿を見ると恐くないな」

 ジュリアスのイメチェンが成功しているのはいいことだが、私を巻き込まない形でやってほしい。

 き、妃を溺愛とか目の錯覚だから!

 ますます赤くなってうつむいた。

「……可愛いな」

「え、何が? 内装?」

 現在参加者たちは十名一組でゲームをやっている。司会や何かはプロのイベント企画会社に任せており、慣れた司会者がそつなく進めている。グループ分けはあらかじめくじ引きしておいた。時々メンバー交代をしながら楽しんでいるところだ。

 会場となっているホールは城の舞踏会会場を模したもの。可愛いというよりゴージャスだろう。

「豪華っていうほうが正しいんじゃない? というか、ジュリアスに可愛いと思う感覚があったのね」

「お前は私をなんだと思っているんだ」

「妙なところで真面目で不器用、強面なせいで損してる気の毒な人」

 ジュリアスはものすごく微妙な顔をした。初めに会った時よりだいぶ表情が豊かになってきたな。

「前の極悪非道の魔王って評価よりかなり良くなってると思うけど。ずいぶん変わったわよね」

「変わった……か。そうだな。私も誰かを可愛いと思うようになるとは思わなかった」

「ジュリアス?」

 ジュリアスが私の髪をなでる。

「可愛いな、エリー」

「―――っ」

 ストレートな表現に硬直した。

 ジュリアスはわずかに口元を緩めている。もうだいぶ一緒にいるから分かるようになった、彼なりの笑顔だ。

「だ、だからそんな顔でそういうこと言わないで……っ」

「なぜだ?」

「恥ずかしいんだってば」

 ジュリアスは恥という感覚も取り戻した方がいい。

「れ、恋愛感情は持ち合わせてないくせに」

「よく分からん。だがお前は可愛いと思う」

 こういうことを平然と言えるようになった時点でジュリアスも相当変わった。

 クレイさんが感激している。

「……っ、わ、私は可愛くなんてないってば! と、とにかく今は仕事中でしょ?!」

 時計を見れば、そろそろ海に潜る時間だった。ゲームも一段落し、参加者たちがぞろぞろと窓に集まってくる。

 船はゆっくり潜水した。

 透明度が高く、綺麗な海。

 地球では見たことのない魚、鯨やイルカみたいな生き物もたくさん見える。

 遠くに見えたのはシーホース?

 私も窓にへばりついて眺めた。

 地球じゃ見られない光景だなあ……。

「…………」

「どうした、エリー」

「ううん、別に。ちょっと元の世界のことを思い出しちゃっただけ」

 ジュリアスは困ったような顔をした。

「ジュリアスのせいじゃないでしょ。帰還魔法が作動しない原因はまだ分からないっていうんだから、仕方ないわ。戻れるようになるまで、長期出張のつもりで異世界を満喫するから心配しないで」

 私は必要以上に明るくふるまってみせた。

 しばらく海の中を行き、小島に到着した。

 今回の立ち寄り先。人魚の住む島で、ちょっとお高めのリゾート地だそうだ。庶民が行くには値が張るところだそうで、あえてここにした。

「いらっしゃいませ、皆さん」

 出迎えてくれたのは人魚の姫だった。

 この世界の人魚は簡単に人間に変化できるらしい。足はヒレじゃなく、二本の足で立っている。

 金髪碧眼の美人。……そして服はアイドルの衣装。

「それでは一曲歌いまーす!」

 人魚はマイクを持って歌い出した。ミュージックスタート。

 十代のアイドルグループみたいにテンポのいい曲に激しいダンス。

 ちなみに衣装デザインはルイさんだそうだ。だから今回コネで滞在先にできた。そうでなきゃ高級リゾート地に庶民は入れてくれないだろう。

 グループの他メンバーも現れて歌い出す。

 ―――はい! このアイドルグループが『人魚姫』だそうです。

 『人魚姫』は今一番売れてるアイドルグループでした。姫はそのリーダー。ラブリーアイドル路線で売ってる。

 まさかの展開パート3。『人魚姫』が悲恋の姫君どころか人気アイドルグループとはねえ……。声奪われてもいないし、普通に変化できてるしね。一目ぼれした王子もいないそーです。

 というか、現在帝国に王子はいない。皇族はジュリアスのみだ。

 ジュリアスの両親はジュリアスが皇族として認めていない。自分を捨てた親だから当然だろう。旧王族も同様だ。

 過去の王様で生きているのはルイさんと伯父のみ。ルイさんは譲位した時に臣籍降下しているし、前の王様はジュリアスに王座を奪われた後、罪を問われて幽閉中だという。

 だからそもそも惚れる王子がいないのだが。

 『人魚姫』の人気は本物なようで、参加者たちも大喜び。ダンスを完コピしてる人もけっこういる。

 ああ、一部はオタ芸披露してるわ。キレッキレだなぁ。

「すごい人気ね。ゲスト出演してもらって正解だったわ」

「人魚族としても、定期的に大量の客を運んでくる船だ。一曲くらい歌ってもおつりがくる。高級志向すぎて客足が減り、困っていたそうだからな」

 歌い終わった後、CDやグッズの販売を始める『人魚姫』。うむ、商魂たくましい。

 ここからは自由行動。参加者たちは思い思いの方角に散っていった。

「出航時間までには皆さまお集まりくださいー。それでは滞在をお楽しみくださいませ」

 司会者が拡声器で集合時間を繰り返した。

 ここは大型ショッピングモールがあり、ビーチもある。ここのビーチは年間通じて泳ぐことができて、サンゴ礁も周りに広がっている。

 私は『人魚姫』の手がすいた頃、お礼を言いに行った。

「ありがとうございました、皆さん」

「いいえ、こちらこそありがとうございます」

 リーダーのパールさんが割引券を差し出す。

「ショッピングモールで使える割引券です。どうぞ」

 物語の人魚姫は大人しいが、ここの姫はそうではないらしい。

「ビーチで泳ぐのに水着は持ってらっしゃいます? お持ちでなければいくつかの店で売ってますから、こちらをお使いください」

「ありがとう」

 私達も滞在中は色々見て回るつもりだった。ショッピングモールに向かう。

 店はどれも高級店ばかり。参加者たちも見るだけだけど、それでも楽しい。

 自販機みたいなものがあったので近寄ってみた。

「何これ?」

「真珠の自販機と書いてあるな。隣は赤サンゴの自販機と」

「……真珠や赤サンゴを自販機で買う事態ってどういう事態?」

「リヴァイアサンの卵、ヒュドラのウロコ、ケルピーの毛なんてのもあるぞ」

「水棲の怪物の何かを自販機で売っていいの? ていうか必要なの? 買ってどうするの?」

 地球のアラブには金塊が買える自販機があるらしいけど、金塊を自販機で買う事態ってどういう状況? それと同じくらい意味が分からない。

「さあ」

「セレブの思考回路は庶民には理解できないわ。ほっとこう」

 買ってみようかと言い出すジュリアスを引っ張り、水着店へ向かった。


 ☆

 水着はレンタルもあった。借りるので十分と思ったが、ジュリアスは「買ってやる」と言い張った。

「皇帝が購入したとなれば箔がつく。今後のことを考えれば、そのほうがいいだろう」

「ああ、なるほど」

 散財じゃなく投資ってことね。

 こっちの世界の水着はドレスのようなものばかりだった。むしろどこが違うのか。防水の生地を使っているというだけで、形は何も変わらない。

「こんなので泳げるの?」

「息ができるよう、大きな泡のようなバリアを張って、そのまま水中を移動する。本来水着を着用する必要もない」

 地球のように『泳ぐ』という行為自体をしないわけだ。足をバタバタさせて進まなくてもいいから、丈が長くても問題ない。

「ところ変われば品変わる、か。でも私は魔法が使えないのよ?」

「リストバンド型の魔具があります。誰でも簡単にバリアを張れますよ」

 店長が教えてくれた。でもジュリアスがやってくれるというのでリストバンドは買わず、水着だけ選んだ。

 しかしドレス型というのはちょっと。

「せめてワンピースタイプがない? 私のいた世界だと、もっと丈が短かったわよ。足をバタバタさせて進むから、こんなんじゃまとわりついて溺れるわ」

 急きょその場で調整してくれることになった。ごくシンプルな白の丈を短くし、膝丈に。袖も切ってもらう。

 その間にジュリアスのを見繕うとしたら、

「私はいい」

 私には買えって言ったくせに。

 ワイシャツと何が違うのかと思うトップスと、ごく普通のボトムスを押しつけた。ハーフパンツは存在しないので、普通丈。色は青で合わせた。

 不機嫌なスポーツマンになった。

 ヤクザの若頭からずいぶん進歩したなぁ。感涙。

 私も更衣室を借りて着替えた。ごくシンプルなワンピースで、多少フリルがついた程度。地球基準で言えば非常に地味な水着である。

 が、こっちの世界では驚かれた。

 ジュリアスなんか珍しく目を五割増しで開いている。

「お、お妃様、本当にお国ではそういった水着が普通なので?」

「いやいや、これ地味。普通みんなもっと可愛いの着てるから。丈もこれは長いほうよ? 友達はビキニ着てたけど、私は無理だわ。本当に尊敬する」

 残念ながら平凡地味女なんで。こういう奴が着たら迷惑行為以外の何物でもないっての。

 なぜか店員さんたち、皆女性、が「この夏はこういう水着!」とざわめいていた。店長には他にどんなのがあるか絵に描かされた。

「お妃様、これ作らせて頂きます!」

「はあ、どうぞ別に……」

 そんなに異世界の服は珍しいのだろうか。

 ビーチでも驚かれた。

 ナイスバディ―の美人がビキニ着て現れたら私だって見るけど。私を見てそこまで驚く意味が分からない。

 ビーチは遠浅で波も穏やか。あちこちにサンゴのカケラや貝が落ちていて、拾い放題だ。

 白い砂浜、青い海、青い空。うーん、絵にかいたようなリゾートだわ。ハワイもグアムも行ったことない。こんな感じかな。

 写真に撮っておきたい。ああ、スマホがなかったと考えていると、ボンっと音がした。

「え? 何?」

 辺りを見回せば、向こうのテレビカメラが火をふいている。

 故障?

 ジュリアスがとてつもない殺気を放って仁王立ちしていた。

「撮るな」

 一言。

 テレビクルーは真っ青になって謝り、逃げた。

「どうかしたの?」

「何でもない」

 フェイから上着を受け取り、私の肩にかける。

「着ておけ」

「え、ああ、日差し? ありがと」

 ラッシュガードがあればよかったんだけど。日焼け止めもないし。

 ジュリアスの上着は大きすぎるから、袖を折り返した。なぜかジュリアスは満足そうだ。

「何があったか知らないけど、あんまりドスのきいた声出しちゃ駄目よ。せっかくイメチェン成功してるのに、また恐いって思われる」

「……ああ」

 どこか上の空だ。人の話はちゃんと聞きなさい。

 フェイたちやビーチにいた人々は何やらうなずきあっている。皆は理解しているみたいだ。何なのか、異世界から来た私には分からない。

「この島は紫外線が強いの?」

「何のことだ?」

「日焼けしすぎないようにってことじゃないの?」

 上着を指す。

「こっちの世界でも色白が流行りなのね。今の日本はそう。昔は色黒が流行った時代もあったけど。国によってはこんがり日焼けしてるほうが健康的でモテるって美人の基準が違うしね」

「……別に私はどちらでもいい。着てろ」

 よく分からないが、借りておこう。

「あ、綺麗な貝殻」

 砂浜に落ちていた貝やサンゴのカケラを次々拾う。

「宝石には興味を示さないのに、そういうもののほうがいいのか」

「え? 決まってるじゃない。旅の記念に持って帰るのは普通でしょ」

「旅……」

 ジュリアスが思案する。

「そう言えば、旅というものは経験がないな」

「ええ?!」

 皇帝なのに? ……あ、そうか。捨てられた王族の端っこの子で、傭兵暮らししてたんだっけ。

「そうか、傭兵として戦場を渡り歩くのは旅とは言わないわね」

「ああ」

「即位後はどこか行くことはなかったの?」

「公務で出かけることはあるが、仕事だからな」

 か、かわいそう。これも仕事だもんね。

 私はジュリアスの肩をポンポンとたたいた。

「分かった。今度、ちゃんとした旅行を計画しようね。クレイさんやフェイにお勧め場所きいておいて。ちょっとくらお休みもらったって、バチは当たらないわよ」

 頑張ってる。頑張ってるよ、君。

 ジュリアスはうなずいた。

「そうか。新婚旅行に行きたいのか」

「誰がそんなこと言った?!」

 勢いよく振り仰ぐ。

 どこをどう曲解したらそういう結論になる。

「妃からハネムーンに連れて行ってほしいと頼まれるとは思わなかった。嬉しいものだな。これが嬉しいという感情か」

「言ってない! 私、言ってないから! ただ皇帝なのに旅行も行ったことないなんて気の毒と思っただけ! 行くなら一人で行って!」

「一人で行ってどうするんだ。お前がいなければつまらん」

「私は面白発生装置じゃないんだけど?」

「夫婦で行くから新婚旅行なのだろう。考えておく

 フェイがさりげなく、拾った貝やサンゴを入れる袋を差し出した。

「エリー様が好きそうなところを調べておきますね」

「ちょ、だから行かないってば!」

「いくつか候補なら今すぐ挙げられますよ」

 クレイさんまで言い出す。

「私はよく家族と旅行に行ってますので」

「行かない! 私は行かないったら!」

 憤然として海へ歩き出す。

「おい、危ないぞ」

「危なくないわよ。ちゃんと足つくもの」

「潜るのか? なら、こっちに来い」

 手招きされる。

「何で」

「お前は魔法を使えないだろう」

 ……そうでした。『泳ぐ』方法が根本的に違うんでした。

 大人しく手をつなぐ。私は左手、ジュリアスは右手。

 なんとなく契約印のあるほうをつないでしまう。

 透明のボールに入ったようになり、そのまま水中へ。ジュリアスの意のままに移動できるようで、これなら確かに『泳ぐ』必要はない。

 船から見るより間近で水の生き物が見える。

 熱帯魚みたいに色鮮やかな魚たち。色とりどりのサンゴ礁。

 人魚も泳いでいて、手を振ってきた。人魚は男性も女性もいる。

「海も場所によっては怪物がいたりする。ここは安全だが、安易に入るなよ」

「子供じゃないんだから。やらないわよ」

 この世界には危険なモンスターも実在すると新人研修……お妃教育で学んだ。中にはかなり危ないものもいるらしい。そういう魔物を倒すための『冒険者』や『英雄』という職業まで存在するそうだ。

「とりあえずはジュリアスの傍にいれば安全よね」

 こんな見かけからして危険度マックスな番犬がいれば安心だ。

 褒めたのに、ジュリアスはすいっとそっぽを向いた。

 『人魚姫』のリーダー、パールさんが先回りして待っていて、あちこちお勧めスポットを案内してくれた。

 魚がたくさん集まっている場所。赤ちゃん連れのイルカみたいなのが泳いでる場所。ペンギンぽいのの巣になってる岩場。

 最後に真珠の養殖場。

「この島の特産品です。とても質のいい真珠が採れるんですよ。真珠は人魚族にとって大事なものなんです」

 普通の白い真珠から黒真珠、ピンク色、色とりどり。十二色は優にあった。

「カラフルですね。私の世界じゃせいぜいピンクまでが限界だわ」

「会の種類によって、できる真珠の色が違うんです。パワーストーンみたいに、それぞれ意味があるんですよ」

「へえー」

 貝の中身は普通に食用にするそうだ。

「貝殻はどうするの?」

「アクセサリーにしたり、魔具の材料にしたりします。古くからお守りにすると恋が叶うと言われていますよ」

 パールさんはすかさずキーホルダー型のお守りを出した。

「ツアー参加者の皆さんに、お土産にどうかと勧めてます」

 商売人だね。嫌いじゃないよ、その根性。

「お妃様には不要と思いますので、こちらはいかがです?」

 ずらっとアクセサリーを並べるパールさん。どこから出した。

 ジュリアスが真剣に吟味して買っている。

「ちょ、ちょっと! 買いすぎだって!」

「何だ。夫のために美しく着飾ってくれないのか?」

 こういうことをサラッと言うあたり、本当に変わった。

 赤くなる。

「だ、だから……私は似合わないし、興味もないし」

「エリーは自分で思っているより美人だぞ」

 さらに「妃がつけていれば宣伝になる。人魚族のためだ」と押し切られた。

 断り切れない私もどうかしている。


   ☆


 夕方島を離れ、夜は船に泊まり、明日港に着く。

 出発の際、パールさんはすごく残念そうだった。特に司会者の男性と別れを惜しんでいた。

 参加者たちはしっかりパールさんお勧めの恋のお守りを買っていて、改めてこっちの人魚姫はたくましいと思った。

 夜、それぞれの部屋へ向かう。

 部屋はいくつかグレードがあって、私やジュリアスは最高ランクの部屋だ。

 船の中とは思えない豪華な作り。城の部屋と遜色ない。さすがに高価な美術品はないが、それでも品のいいインテリアだ。

 各部屋にある絵画やテーブル、椅子など一部のインテリアは同型のものを通信販売で売り出してある。元武器職人たちの仕事をコンスタントに作るためだ。ツアーの模様が放送されれば注目度もさらにアップ、売れ行きも伸びるだろう。

 とまぁ、私は本当に仕事のことしか考えていなかった。だから基本的なことを忘れていた。

 部屋はジュリアスと同室だということを。

「何で同室なのよ!?」

 当然のごとく同じ部屋に案内され、青くなった。

 ジュリアスは平然としている。

「夫婦だから当然だろう」

 そうでした。そういう扱いでした。

 私は踵を返した。

「他の部屋に泊まるわ」

「満室だろう。ないと思うぞ」

 参加者だけでなくスタッフも乗っている。予想以上の反響で参加者枠を増やしたから、そのぶんスタッフはぎゅうぎゅう詰めだ。

 フェイたちの部屋に……だめだ。ベッドもいっぱい。何人かはソファーで寝ざるを得ない状況だ。

 うーんうーん。

 さんざんうなって、結論を出した。

「分かった。私はそこのソファーで寝る」

 クッションを枕に、毛布をかぶって丸まった。

「おやすみ」

  ジュリアスが無言で近づき、私を抱えてベッドに運んだ。

「ちょ、ちょっとー!」

「私がソファーで寝る。お前はベッドで寝ろ」

「皇帝をソファーで寝かせるわけにはいかないでしょ」

「傭兵時代は野宿が当たり前だった。それに比べればはるかにマシだ」

 ふ、不憫な。

「じゃあ、幸いベッドは広いし、半分こしましょ」

 クッションで境界線を作った。

「これでよし。こっち側に入ってこないでね」

「これでいいのか?」

「いいの」

 部屋備え付けのミニバーから酒を取り出し、一気にあおった。

 飲まないとやってられない。というか、飲んでごまかそう。この動悸は酒のせいだ。

「改めておやすみ」

 さっさと毛布にくるまった。

 寝る! 寝るぞ! 私は寝るんだ!

 心拍数がおかしいのは無視して寝ろ。がんばれ自己暗示。

 うー、強い酒飲みすぎてクラクラする……。 

 ものすごく揺れてる感じ……。

「―――あれ?」

 何かおかしい。

 本当に揺れてる?

 ジュリアスがバッと窓の方を振り向いた。急いでカーテンを開けると、雨でか何も見えない。

 普段着のままだったジュリアスはそのまま部屋を飛び出した。

「ジュリアス?!」

「この揺れはおかしい。雨の量も異常だ。見てくる」

「待って、私も行く!」

 私も普段着のままだったから、急いで靴を履いた。

「危険かもしれない。ここにいろ」

「私も責任者なんだから。それにジュリアスの傍が一番安全でしょ?」

 一緒に走って行くと、ちょうど知らせに来た船員と鉢合わせした。

「何が起きている」

「嵐です。これまで経験したことがないレベルの」

「嵐?」

 それにしてもおかしいと、ジュリアスは甲板へ走った。でも甲板へ通じるドアを開けることはできない。すさまじい雨と風で、危険すぎた。

 空はものすごい暗雲が立ちこめている。

「台風?」

「いや、これは人為的なものだな。魔法だ。自然現象ではない」

 え?

 ジュリアスは操舵室へ向かい、指示を飛ばした。

「何者かによる攻撃を受けている。私が暴風雨を食い止めるから、進路を保て。浸水はしていないだろうな?」

「は、はい、それは大丈夫です」

 船長が直立不動で答える。

「ひとまず結界を張る」

 ジュリアスが何やらつぶやき、ぴたりと揺れが収まった。

 ホッ。

「客に被害がないか確認んしろ」

「はっ、はい、ただ今!」

 何人かの船員が飛び出していった。

「船体に損傷は?」

「ありません。元は軍艦なので丈夫です」

 軍艦を転用してよかったと心から思った。

「陛下、お客様にもスタッフにも被害はありませんでした! テレビクルーが船酔いで苦しんでいる程度です」

 無線で報告がある。

「よし。テレビクルーには酔い止めの薬でも与えておけ。船長、海中に潜ったほうが回避できるならそうするが」

「少々お待ちください。……やめたほうがいいかと。海の中も流れが非常に速くなっております」

「ならばこうしよう」

 ジュリアスが軽く手を振る。

 ドンッというものすごい音がする。全員驚いてモニターを見ると、雲の中で大爆発が起きていた。

 風で雲が霧散する。

 あっという間に雨雲は消え去った。

 私はじめ、誰もがボーゼンとしていた。

「………………」

 さ、さすが魔王……。

 暴風雨を起こせるレベルの魔法使いの攻撃を、たたの一発で吹き飛ばしてみせるとは。

「じ、ジュリアス……」

 ジュリアスの服の裾をつかむと、彼はたいしたことないと言わんばかりに見返してきた。

「もう大丈夫だ、エリー」

「ほ、ほんとに強かったのね……」

 戦争中千の敵軍を一人で片付けたとか、十秒で砦を落としたとか、ききもしないのに侍女たちが鬼神エピソードを教えてくれたけど。誇張されてると思ってた。だってジュリアスを恐れてた皆の言うことだから。尾ひれがつきまくってるんだろうなぁと考えてたら、本当だったのね……。

「当然だろう」

「うん……まぁ、何ていうか……こりゃ魔王なんてあだ名つけられるわけだわ……」

 それ以外当てはまる言葉がないわね。

「魔法で暴風雨になってたのね? 一体だれが?」

「近くにはいないな。逃げたか。もし近くにいれば、次の攻撃が来るだろう」

「どうしてこの船が狙われたのかしら」

「さぁな。大方、私を狙ったのだろう」

 ぎゅっと手に力をこめる。

「ジュリアスを? どうして?」

「私は魔王と言われているからな。それにこの外見だ。悪魔は追い払うべきと考えている者もいる」

「そんな。ジュリアスは、そりゃ見た目は恐いけど、いい王様じゃない」

 恐がって侍女や給仕が近づかなくても黙っていた。本当に恐い王様なら怒るはずだろう。それを気持ちは分かると、一人でも耐えていた。仕事もきちんとしている。

「だが、私を認めていない者がいるのは確かだ」

「だからって暗殺しようだなんて」

「……エリー、心配してくれるのか?」

「当たり前じゃない!」

 本当は優しい人なのはもう分かってる。

「ジュリアスが傷ついたら悲しいに決まってるわよ」

「そうか。……妃が心配してくれるというのはいいものだな」

 大きな腕に抱きしめられた。

「私はそう簡単にやられたりしない。安心しろ」

「ジュリアス……」

 力強い腕。安心できる。

 私はほっとして彼の胸に顔をうずめた。

「……あー、お取込み中失礼します」

 咳払いのする方を見れば、クレイさんがとても声をかけづらいといった表情で立っていた。

「何だ、クレイ。邪魔するな」

「はい、イチャイチャはなさってて構いません。どうぞお好きなだけ。耳だけ貸してください」

 人前で何をやってるのか、今さら気づいた。

「う……あ」

 赤面して固まる。

 何やってんの私?!

 ジュリアスの強さに恐れおののいていた船員たちが、もう恐怖じゃなく生暖かい目をしている。何人かは「見ないほうがいいですよねー」と明後日の方を見ていた。

「ち、違う違う違う! そういう意味じゃないから! これは、そう、さっき強いお酒飲んじゃって! 酔っぱらってよろけてつかまっただけ!」

「ん? クラクラするのか? なら、抱えておいてやろう」

 当たり前のように抱きかかえられた。

「お~ろ~し~て~っ!」

 余計に恥ずかしい。

「それで? 何なんだ、クレイ」

 平然と話を続けるジュリアス。

「お客人です。私も被害がないか見て回っていたら、船を追いかけてきた、大丈夫かとパールさんが」

「パールさんが?」

 私は首をかしげる。

 『人魚姫』リーダーで人気アイドルの彼女がなぜ?

「話があるそうです。どうされます?」

「聞こう」

「あ、では、船長室へどうぞ」

 船長が皆を案内した。


   ☆


 ジュリアスと私がソファーに座り、向いにパールさんが着席する。クレイさんと船長は、席は余ってるのに横に立っていた。

 私が質問役をやったほうがいいだろうと判断し、

「パールさん、一体どうしたんですか?」

「それより皆さんに被害はないですか?」

「ええ。ジュリアスのおかげで」

 パールさんは安心したようにため息をつき、

「実は……その……私、アイドルやめて、普通の女の子に戻ることにしたんです!」

「はい?」

 いきなり話題がとんだ。

 全員意味が分からず「?」マークを浮かべていると、パールさんが「どうしても呼んでほしい」と言うから呼んだ司会者がやって来た。

 イベント企画会社に派遣してもらったプロで、二十代後半の男性。軽妙なトークで司会の上手い、見た目もさわやか系アナウンサーのような男性だ。

「失礼します。あの……お呼びだそうですが、明日の仕事に何か変更点でも?」

「王子様!」

 パールさんが勢いよく立ち上がり、司会者に迫った。

 王子様?

「私っ、あなたに一目ぼれしました! 結婚してください!」

 逆壁ドンしてる。

「……えー……」

 私は思わず脱力した声を出した。

 人魚姫はやっぱり一目惚れした王子を追いかけてくるのね。

「って、王子?」

「ああ、彼は『王子』ってあだ名がついてる人気の司会者なんですよ」

 クレイさんが思い出したと説明する。

「ほら、見た目がいいから女性に人気で。話術も巧みですしね」

「そうなの。まぁ、分からないでもないけど」

 ジュリアスが眉をあげて、

「お前もああいうのが好みなのか?」

「別にそういうわけじゃないわよ。一般論として、ああいうさわやか系イケメンはモテるでしょうねって話。ただ、個人的にはどうも。八方美人なのは苦手だわ。好きな人には自分だけを見ていてほしいと思うもの」

 美形だから恋人がいるだろうが、彼女は大変に違いない。仕事とはいえ、たくさんの女性に愛想ふりまいてるんだから。恋人としては面白くないだろうね。

「私は問題ないな」

「ん? ジュリアスがどうしたって? それよりパールさん、落ち着いて。いったん座ってもらえますかー」

「王子様、人魚はお嫌い? そんなことはありませんよね、人魚はみんな好きだもの。優しくしてくださったし。柔らかな物腰と丁寧な口調、ほれぼれするような話術! 私、見事に落とされました! 今日限りでアイドルやめて、普通の女の子に戻りますっ!」

 聞く耳持たずにグイグイいってる。

「女の子って、パールさんいくつなんだろう」

 素朴な疑問をつぶやくと、クレイさんが教えてくれた。

「百二十七歳ですね」

「百?!」

 人魚は人間とは寿命も違うとはいえ、余裕で百超えてるとは。

 え、百歳超えで十代のアイドルみたいなことやってたの?

「人間に換算すると二十七歳くらいですね」

 私とそう変わらない年でアレ……か……。うん……。

 女の子……。いや、何も言うまい。

「クレイさん、詳しいですね」

「妻がミーハーで」

 さようですか。

「あのー、パールさ~ん?」

「大好きです、王子様! すぐ結婚しましょう! 式はどこでやります? もちろん島でやりますよねっ。式場の手配ならご安心を。割引価格で使えますから。料理はシーフードばっかりになっちゃいますけど、そんなのどうでもいいですよね。ドレスもタキシードもすぐ手配できますわ。誓いの証の真珠も自販機で二十四時間売ってます」

 グイグイいきすぎ。司会者はどまどっている。

「あ、パールさん、真珠の自販機ってそういう時に使うんですか」

「そうですよ。人魚族は結婚の時、真珠を交換するんです」

 種族が違えばやり方も違うよね。

「それは分かりましたけど、そんな急に結婚式とか」

「普通ですよ。人魚は情熱的なんで」

 パワフルだ。全然大人しくない。

「赤サンゴとか水棲モンスターの毛とかは自販機で売る必要ないと思いますけど」

「あれはギャグです。売れたら面白いな~って」

 人魚のギャグ。

「それより王子様っ、今すぐ結婚しましょうね!」

「え……それは無理です、ごめんなさい」

 やっと司会者がしゃべった。

 あんなに流暢にしゃべれるのに沈黙してたってことは、よっぽど驚いたんだろう。

 パールさんは司会者に抱きついてイヤイヤする。

「イヤっ、なんでそんなこと言うんですか? あんなに優しかったのに」

「いえ……ですから……」

「もうグループも抜けてきました。誰もが好きな人魚がこうまでして追いかけてきたんですよ? 拒否するなんて」

「ですから……あの……」

 困り果てた司会者を救ったのはくしくもジュリアスだった。

「おい。まさか、暴風雨の原因はこれか?」

 全員の目が一斉にパールさんに向かう。

「まさかパールさん、追いつきたいあまりに足止めとして暴風雨を起こしたんですか?」

「そんなことしませんよ! 普通に泳いで追いつけました」

 嘘ではなさそうだ。船はのんびり進んでいた。人魚のスピードなら簡単に追いつけただろう。

「確かに魔法みたいで、だから心配でしたが、私じゃありません」

「じゃあ、誰が……?」

 誰も答えを持たなかった。

「ジュリアス、どうするの?」

「ひとまずその人魚は司会者と離しておけ」

「どうしてですか!? 私、王子と過ごします! そして結婚するんです!」

「本人が嫌がっているだろう。それに容疑が晴れたわけではない」

 ジュリアスはクレイさんに小瓶を出させた。呪文を唱えるとパールさんが吸い込まれる。

 小さくなったパールさんは小瓶に閉じ込められてしまった。

「え、ちょっと、ジュリアス?」

「こうでもしないとこの女は離れんだろう。それにいささかうるさい。このままでは司会者の部屋まで押しかけるに決まっている。わめかれたら乗客に迷惑だ」

 時刻は深夜。確かに迷惑行為だろう。

 司会者はあからさまにほっとしていた。

「パールさん、一応ききます。大人しくしていてくれるなら出しますが、いったん朝まで司会者と離れることを了承してもらえますか?」

「絶対嫌です! 今すぐ連れて帰って結婚式挙げます!」

 ……無理だなこれは。

 あきらめた。それにしても、この異常なまでの結婚願望は何だろう。

「人魚姫は好きな人が他の女性と結婚しても、黙って幸せを祈り、去っていったんだけどなぁ……」

「何の話だ?」

「私の世界に伝わる『人魚姫』の話。悲恋なのよ」

「悲恋なんか冗談じゃないわ! 好きな人はつかまえて二度と離さないんだから!」

 ものすごく肉食系だった。これは引かれても仕方ないかな……。

 ジュリアスは栓をして声が聞こえないようにすると、船長に渡した。

「一晩このままにしておけ。容疑者だ」

「は、はい、承知しました」

「まったく、相手の気持ちを無視して無理やり結婚に持ち込もうとするとはな」

「……人のことは言えないんじゃないの?」

 私はジト目を向けた。

 だまして結婚させて契約印つけたのは誰だ。

「ん?」

 ジュリアスは言われて初めて気づいたらしい。しばらく考え込んだ。

「……そうか」

「そうでしょ」

 自覚なかったのか。

 ジュリアスは船長に向かって、

「航海を続けろ。ただし見張りを増やし、速度も上げろ」

「はい!」

 船長は飛び出していった。

「エリー、お前も部屋に戻れ」

「ジュリアスは?」

「私も警戒にあたる」

 短く言って、出て行ってしまった。

「え……? 一晩中起きてるつもりなの?」

「大丈夫ですよ。陛下は傭兵時代に夜通しの行軍などで慣れてますから」

 犯人が分かっていないのだから、誰かが見張りに立たなければならないのは分かる。でも皇帝自ら徹夜して警備しなくても。

「さっきのような攻撃を受けた場合、陛下ならすぐ応戦できますしね」

「だけど、危ないじゃ……」

「犯人の狙いは陛下である可能性があります。だから陛下は誰にも迷惑をかけぬようにというお考えなのでしょう」

 ……ああ、そうか。

「心配いりません。私も陛下についていますから。エリー様はお休みください」

 クレイさんはジュリアスの後を追った。

 一人船室に戻った私はがらんとした室内を見つめた。

 ベッドの中央にはさっき築いた境界線がある。不要になったそれをどかした。

 私は魔法が使えない。戦力にはならない。傍にいても、役に立つどころか足手まといだろう。

「こういう時、何の役にも立たないなぁ……」

 複雑な思いで夜を過ごした。

 その晩、襲撃がもうなかった。


   ☆


 船は予定よりだいぶ早く港に帰還した。元々軍艦だから、飛ばそうと思えば飛ばせる。

 まだ夜明け前のため、参加者たちは起こさず、予定の時刻までそのままにすることにした。

 連絡を受けて港には兵が待っており、警備にあたる。

 パールさんは容疑者として署に連行されることになった。

 人魚の島にも連絡しておいたら、マネージャーがすっ飛んできた。彼は普通の人間だそうで、島の快速艇を使って急行したそうだ。

 連行される前になんとか追いついて、必死に謝罪していた。

「うちのアイドルが迷惑かけましてすみません! このことはどうかマスコミには秘密に……!」

 マネージャーは非常に地味な、ボサボサ頭にビン底メガネの三十代前半の男性だった。独身だそうだが、この外見のおかげでパールさんの結婚攻撃に遭わずにすんだとか。

「分かっています。パールさんがやったと決まったわけじゃないですし、船長や司会者には口止めしてありますから」

 私にできることはそれくらいしかなかったので、やっておいた。マネージャーは土下座して感謝の意を示していた。

 私は船長にかけあい、調理室を使わせてもらってコーヒーをいれた。何か甘いものはないかと、仕込みのため起きてきたコックにきいたらクッキーがあって、使っていいというので付け合わせにした。

 コーヒーとクッキーをトレイに並べて、夜通し警備にあたってくれていた人たちに配る。こんなことしかできないけど、喜んでもらえてよかった。

 ジュリアスはと探すと、先に下船して兵に指示を出していたところをつかまえた。

「ジュリアス! 大丈夫?」

「何がだ。あれから何もなかったぞ」

 それはそうだろう。魔王が不機嫌面で警戒全開でにらみをきかせてれば、誰だって恐くて何もできなかったはずだ。臨戦態勢のライオンが牙むいてるのにつっこんでいく馬鹿はいない。

 うんうん、最高の番犬だ。

 徹夜くらい慣れていると言った通り、平然としていた。

 隣のクレイさんはあくびしている。

 二人にコーヒーをすすめ、「いらん」と言うジュリアスの口にクッキーを押し込んだ。

「パールさんがやったって決まったわけじゃないんだから、厳しい取り調べはしないでね」

「捜査は法にのっとって行う。拷問はしない」

「いや、ジュリアスは黙ってても威圧してるように見えるから」

 そこにいるだけでも拷問になりかねない。

「また前みたいに眉間にしわが寄りっぱなしよ。のばし……」

 途中で言葉を切った。

 ジュリアスが海の方を向いていたからだ。

 何……?

 突如、海面が盛り上がり、手のような形になったかと思うと船に襲いかかった。

「きゃ……!」

「来たか」

 ジュリアスは冷静に言って、水をはじきとばした。

 バシャンと音をたてて水の塊が海面に落ちる。

「パールさんは……」

 急いで振り向くと、パールさんはビンの中のままだ。港町の署長が持っている。

「違うな。あれは簡易の封印だ。中に入れられると魔法が使えなくなる」

「じゃあ、パールさんがやったんじゃないのね? 誰が?」

「妙だな」

「何が」

 相変わらず、こんな時でもジュリアスは言葉が足りない。

「私はすでに船を降りている。わざと目立つところにいるし、私を狙っているならこちらに向かってくるはずだ」

 今のはあきらかに船を狙っていた。

「船自体、あるいは乗っているうちの誰かを狙ったってこと?」

 でも、狙われるような人はいなかったと思う。

 ふいに水面に誰か現れた。

 よく見れば、人魚だった。アイドルのステージ衣装。パールさんほどではないが、一般的にいうと十分美人。

 ええと、あれは……。

 マネージャーが、メガネをくいっと上げながら、

「コーラルさん!」

「『人魚姫』のメンバーの一人ですか?」

「はい」

 リーダーが飛び出したと聞いて、連れ戻すため追いかけてきたの?

 甲板でドタドタ足音がした。司会者が船べりに現れる。

「コーラル!」

「あ~な~た~は~っ」

 コーラルさんはすばやく司会者を見つけ、にらんだ。

 え? そっち? 何で?

「浮気したのね?!」

「違うっ、僕は君一筋だ!」

 司会者は懸命に否定している。

 ん? これは……。

「あのー、お二人ってもしかして恋人同士ですか?」

「夫婦です」

 司会者はあっさり言った。

 驚愕の事実。みんな唖然とした。

 ジュリアスだけは不機嫌面だが、これはデフォルト。

 ビンの中のパールさんは聞こえてなかったらしい。そこで一度出し、司会者に説明してもらった。

「公にはしていませんが、僕らは夫婦です。だから結婚はできないと断ったんです」

「うそ……!」

 パールさんは愕然としている。

「彼女の仕事に支障があるので、秘密にしていました。事務所に言われて」

「はい。僕は知っていました」

 マネージャーがうなずく。パールさんがかみついた。

「何で言わなかったのよ!」

「社長に口止めされてたんですよ。メンバー内で嫉妬からもめごとが起きても困ると。メンバー全員……というか人魚族は結婚に過大な憧れを抱いてますからね。メンバーの誰もがそろそろ年齢的に結婚しなきゃって焦ってるし、誰かが結婚したと分かれば絶対トラブルになるって社長が」

 年齢的に。う。胸が痛い。

「年齢的に焦るって、人魚も同じなのね……分かるわぁ。胸が痛い」

「エリー様は陛下と結婚なさってるじゃありませんか」

 クレイさんがツッコミを入れる。

「……ああ……うん、そうね……」

 ジュリアスは私をちらっと見ただけで、何も言わなかった。

 マネージャーが声をひそめて、

「実はですね、あそこの人魚族は概して激情家なんですよ。他の地域の人魚は違うところもあるんですが。特に激しい恋が好きで、独身者は常に恋人を探しています」

「え……そんなに肉食系なんですか」

「はい。それはもう。人魚ってほら、たいていの種族に人気じゃないですか。ちやほやされまくって、それが高じてそんなふうになっちゃったらしいんですよ。そもそもなぜあの島が高級リゾートになったと思います? そうやって金持ちの独身男性を引き寄せて結婚するためですよ」

 そんな罠が。

 この裏話は誰も知らなかったらしい。

「金持ちじゃないと駄目なんですか? モテモテなら、普通にしてても結婚できるでしょうに」

「昔、人魚の誰かがどこぞの国の王子が好きになったけど、悲恋に終わったらしいんですよ。今度こそ子孫が敵を討つみたいな感じで、貴族か金持ちしか嫌だ、ってなったとか。付き合うのでなく結婚にこだわるのもそこからきているようですね」

 悲恋。それはあの『人魚姫』の話か。

「もしかして、真珠の自販機があったのは」

「ええ、好みの人をつかまえたら即結婚できるようにですよ。魔物の毛とか売ってるのは完全にシャレみたいですが」

「はあ……」

「ところがやって来るのは金持ちでも暇な老夫婦とか、ようするに既婚者ばかり。アテが外れ、やむなくさらに高級リゾート化して差別化を図ったんですが、逆効果。観光客は来ませんよね」

 人魚たちがあそこまで歓迎ムードだったのは、この船が独身男女を山と積んでたからか。

「そうと知ってれば、立ち寄り先にしなかったな」

「そうね。マネージャーさん、バラしちゃっていいんですか?」

「ええ、個人的にはうんざりしてるんで。こんなトラブル起こすなんて、まったく何を考えてるんだか。まともなリゾートにすればいいのにと常々思ってましたよ」

 マネージャーは人魚族じゃないせいか、辟易してるようだ。

「しかもですね、総じて嫉妬深くて、時にこういう面倒なことに……」

「あ~な~た~ぁ。浮気は許さないって言ったでしょー!」

「違う違う! ちゃんと断ったって! 証人もいる、陛下とお妃様も聞いてらした!」

 私達が肯定すると、さすがにコーラルさんも矛を収めた。

「よかったぁ……あなたはモテるから」

「何言ってるんだ、君一筋だって言ってるじゃないか」

「ごめんなさい、怒りのあまり嵐起こして、ツラ出せやコラァって思っちゃった☆」

 ちょっと待て。

「ほう。犯人が見つかったか」

 ジュリアスが低い声を出す。目が剣呑な光を放っていた。

 ……あ、これは本気だ。「そう見える」じゃなくて意識してやってる。

「じ、ジュリアス」

「夫婦喧嘩で無関係の人間まで巻き込むとはな」

 暴風雨を起こしてたくさんの人に迷惑かけたのは事実。

「……まぁ確かに、普通に追いかけて旦那さんをつかまえて、ちゃんと話すればよかっただけよね」

「そういうことだ。捕らえろ」

「お、お待ちください! 僕からも謝罪いたします!」

 司会者がここまで走ってきて土下座する。

「ご迷惑おかけして本当に申し訳ありません! どうかお慈悲を……!」

 それを見て怒り狂ったのはパールさんだった。

「なによ! どうして私じゃダメなのよ! 私のほうが人気だし、歌もダンスも上手いし、身分も上なのに! グループで一番人気がなくてクビ寸前のブス女のどこがいいのよ!」

「なんですってぇ?!」

 コーラルさんは売られたケンカを買ってしまった。

「あんたのそういうとこ、ムカつくのよ! ちょっと美人なのを鼻にかけて。大体、そうやってがっつくから引かれるのよ」

「あんたみたいにいつもオドオドしてるほうがいいっての? 大人しかったら、昔の人魚みたいにフラれて泡と消えるわよ。王子様、あんな何のとりえもない女とはさっさと離婚して。私と結婚すべきよ! 私達は運命の赤い糸で結ばれてるんだから!」

「人の夫を略奪するんじゃないわよ!」

 空に暗雲がたちこめ始めた。

 ……え? ちょっと……。

「二人とも、いいかげんにやめなさい!」

 私は前に出て叫んだ。

「何よ! 何で止めるのよ!」

「パールさん、本当に相手のことが好きなら、何が一番大事かよく考えて。相手の気持ちを無視して、よその夫婦を力ずくで離婚させて、自分と再婚させること? 違うでしょ? たとえ自分と結ばれなくても、相手が幸せならいいじゃない。自分よりも相手の幸せを望むこと。それが本当に好きってことなんじゃない? 今のあなたはただ結婚したいだけ。一定以上なら誰でもいいから、ただ結婚、ってことにこだわりすぎてるだけよ。周りが何も見えなくなってる。よく考えて。どうしてそこまで結婚しなきゃならないの? 悲恋の先祖の無念を晴らすって、違うでしょ? コーラルさんも嫉妬のあまり他の人を巻き込むなんて間違ってる」

「うるさい!」

「うるさい黙れ!」

 怒号とともに海面が浮き上がった。巨大な水の拳が襲いかかってくる。

 やられる!

「エリー!」

 とっさに頭をかばう。

 その時、左手の契約印が光った。

 私の周りにバリアができる。

 はじかれた水は逆にパールさんとコーラルさんに激突した。二人とも海中に消える。人魚だから大丈夫だと思うけど。

「え? 今の何……?」

「それはただ結婚の証というだけではない。護身用の魔術が組み込まれている」

 ジュリアスが近づいてきて、私を腕の中に閉じ込めた。

「お守りと同じ? そうだったの」

「だから何が起きても大丈夫ではあるが……エリーに害をなそうとした者は許さない」

 普段とは比べ物にならない魔力がジュリアスを取り巻いている。魔法の使えない私でも分かるくらいのすごさだ。思わず身をすくめる。

 今まで「威圧しているつもりはない」「剣呑な光など放っていない」と言っていたのが事実だったと分かる。本気で怒ったジュリアスがここまで恐ろしいとは思わなかった。

 ジュリアスを恐いと思ったのは初めてだ。

 眼光だけで人が殺せるだろう。水面に出てきたパールさんもコーラルさんも凍りついている。あまりの恐怖に震えあがり、歯がカタカタ音を立てていた。

 司会者も頭を地面に擦りつけ、顔があげられない。

 無関係なはずのクレイさんや兵士まで平伏している。クレイさんが青ざめてるなんて。

「エリーは私の妃だ。妃に危害を加えるなど、大罪だと分かっているだろうな」

 完全に死刑宣告だ。

 ジュリアスの右手に魔力が集まる。とてつもない濃度になり、パールさんとコーラルさんに向けられた。

「駄目!」

 私はとっさにジュリアスの腕を押さえた。

「ジュリアス、私は無事だから! 死刑とかやめて」

「皇帝の妃を傷つけようとするなど、許してはいけない」

「二人ちょっと頭に血が上ってただけだって。偉そうに説教しちゃった私も悪いし。たくさんの人に迷惑かけた以上、無罪放免ってわけにはいかないだろうけど、なるべく軽くしてあげて」

 お願いだから。

 しがみついて懇願する。

「ジュリアス、お願い」

 ジュリアスは私を見下ろし、嘆息した。

「……こいつらを牢に入れておけ。司会者も同罪だ、連行しろ」

 兵はただちに逮捕・連行という名目で逃げた。マネージャーも一緒に署へ逃げた。

 ジュリアスはやっと魔法を解除してくれた。

 ……よかったぁ。

 目の前で誰かが死ぬのは見たくない。それに、たとえどんな罪を犯していても、皇帝自らが公の場で処刑してしまっては、また『魔王』に逆戻りだ。

「……よ、よかったわね! ジュリアスが狙われてるんじゃなくて」

 私はつとめて明るい声で言った。わざと明るくふるまう。

「よくない」

 さっきよりマシにはなったが、ジュリアスの雰囲気はまだ険しいままだ。

「よかったじゃないの。ただの夫婦喧嘩が原因で。とばっちりくらうのはごめんだけど。あのね、罰を与えるならリゾートの経営陣を入れ替える、にしたらどうかしら。ちゃんとした普通のリゾートにして、庶民も気軽に行ける場所にする。あそこの人魚族の異常な結婚願望はやめさせないとね」

「エリー」

「ごめんね、今回の仕事は失敗みたい。ちゃんと調べなかった私のミスだわ」

「そんなことはどうでもいい。エリー」

 ジュリアスを見上げれば、今まで見たことのない顔をしていた。

 辛そうな、ひどい悲しみをこらえているかのような表情。今にも泣きだしそうな。

 こんな顔、初めて見た。

「ジュリアス……?」

 痛いくらい抱きしめられた。ジュリアスが歯を食いしばって、私の肩に顔をうずめる。

「エリー」

 なんて悲しそうな声。

 どうしてそんなに辛そうなの?

「ジュリアス?」

「エリー……そうだな、お前の言う通りだ……」

 朝日が昇るまで、ジュリアスはそのまま私にしがみついていた。

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