16-4. 水の神域
今朝はアイキが迎えに来ないので、ひとりで何をするでもなく陽の光が瞬く天井を眺めていた。ゆらゆらと揺れる光と影。透明な壁と天井の向こう側には、たくさんの生き物が棲息している。大きな魚はゆっくりと、小さな魚はヒレをばたつかせながら、せかせかと泳いでいる。同じ種類の魚でも、大きさや形が少しずつ違う。全く同じ魚はいない。魚も人と同じように、それぞれに個性があるようだ。
それにしても魚というのは、鳥が空を飛ぶように自由自在に水の中を泳ぐのだ。オレもあんなに泳げたら、どんなに気持ちがいいだろう。
湖に飛び込んだときの、ふわふわと水に揺られながら沈むカシェルの姿が目に浮かんだ。あのときは苦しくもなく、水の冷たさも感じなかった。まるで、湖に溶け込んだような気がした。今、思い返してみると、あれは水の精霊の魔法だったのかもしれない。
ふと、前髪が目にかかるほど伸びていることに気がついた。ぼんやりと光に透ける前髪を、指で摘む。琥珀色の髪は母親似なのだろうか。父親似なのだろうか。オレは、親の顔を知らない。
その代わりに、星拠では様々な人たちがオレの世話をしてくれた。たくさんの人たちに関わってきた。それは当たり前のことだとしか思っていなかったけれど、もう少し深く関わるべきだったのかもしれない。
せめて、当たり前のことに感謝の気持ちを述べるくらいすれば良かった。
もう、星拠に戻ることはない。戻りたくはない。
星族は何かがおかしい。カシェルはずっと、そう思いながら過ごしてきたんだ。何年も、命令に逆らうこともなく。
殊異であるカシェルの命運は決まっている。アクラシエルがカシェルに固執することも、星族ではあり得ないことだ。
カシェルがアクラシエルを選んだとしても、星拠ではアクラシエルと二人で過ごすことは出来ない。個の自由など存在しない。星族という組織を存続、維持、向上させるためだけの、異常な一族だ。
病んだ枝……確かに、その通りなんだ。そんなもの、終わらせよう。オレの手で。星族を、滅ぼすのではなく……解放するんだ。
「それは、良い考えかもしれないね」
突如、水の精霊が目の前に姿を現した。長く美しい金色の髪と、透き通るような水縹色の瞳。髪の長さこそ違うものの、水の精霊の分身なのかと思えるほどに、アイキは水の精霊によく似ている。
「……それは逆だよ、ラスイル。オレがアイキの真似をしているんだ」
オレは無言で水の精霊を見つめた。心を読まれていたとしても、もはや驚くことではない。
水の精霊はゆっくりと目を細めて、頭を傾ける。
「ごめんね。この部屋は、ちょっと特殊だから他の部屋には繋げていない。ラスイルのことをよく知りたかった。ちゃんとした星族ではキミが初めての子だったから……ね」
水の精霊はそう言うと、手の平をオレに見せるように伸ばして、少し屈んだ。
「もう、キミの頭の中を覗いたりしないよ」
突如、霧のようなものが周囲を包み込んだかと思うと、瞬時に視界が晴れる。よくわからないけれど、魔法を上書きしたのか、オレの頭の中を読まないようにしたようだ。これで監視を免れた……ということなのだろうか。
「水の精霊……」
オレが話しかけると、水の精霊は少し首を傾けてオレに微笑みかけた。どんな言葉を選んだとしても全て見透かされるような気がしたけれど、それでいてその全てを受け入れてくれるような眼差しに、オレはぐっと唇を噛んだ。今の自分の気持ちを伝えなければいけない。
「オレは、星族という種族を変えたい。殺さずとも良い星族だって大勢いるんだ。オレを育ててくれた人達も、カシェルも……アクラシエルも」
水の精霊はオレがそう言うのをわかっていたように何度も頷き、オレの頭をくしゃくしゃと撫でる。他の人にこんなことをされたら戸惑うだろうけれど、不思議と嫌な気がしない……とても気分が落ち着く。
「ラスイルは、優しい子だね……アイキのお陰かな。あの子は愛に溢れているからね」
「アイキは毎日、剣を教えてくれた。移動も手伝ってくれた」
「そうだね、ラスイル。仲良くしてくれて嬉しいな」
今なら……水の精霊なら答えてくれるかもしれない。
「カシェルは……カシェルは、どうしているんだ。ここに、水の神域に居るのか?」
水の精霊は黙ったまま、目を細めてオレの頭を軽く叩くようにぽんぽんと撫でた。それだけで、カシェルがここには居ないんだとわかった。
「今は、ミストーリに居るよ。彼女が、自分で選んだんだ」
「ミストーリに……?」
カシェルは、オレと一緒にいることを選ばなかった。理解していた筈なのに、目の前が真っ暗になる。
「ラスイルを傷つけた自分は、ラスイルと一緒に居られない。でも星拠には戻りたくはない。許されるのであれば、王妃様とディーンの傍にいて二人を守りたいと、そう言っていたよ」
違う。
カシェルを傷つけたのはオレだ。カシェルを追いつめているのはオレなのに……。
「水の精霊……オレは全ての星族を解放する」
オレは真っ直ぐに水の精霊を見つめた。
「オレの使命なんてものはわからないけれど、オレには星族の病んでいる部分が見えた気がする。それを変えれば、星族も変わることが出来ると思う」
水の精霊はゆっくりと大きく頷くと、オレの頭をまたぽんぽんと撫でた。
「そうだね。ラスイルは他の星族が持っていないものを持っている。それは、星族にとっての大いなる希望だ。同時に、ルーセスにとっては脅威となり得るかもしれない。この先、ルーセスはラスイルを助けたことを後悔することになるかもしれない……ね」
脅威……?
それは、アイキが言っていた……
「ラスイル、今日はキミに手伝ってもらいたいことがあるんだ。星族の衣装に着替えてくれるかな」
「星族の衣装……?」
水の精霊は再び、ゆっくり頷くと小さく微笑んだ。水縹色の瞳が、艶々と輝いたように見えた。
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