16-3. 水の神域

「おはよ、ラスイル」


 声が聞こえて、ハッとして目蓋を開く。飛び込んでくる眩い光に、思わず腕で光を遮った。


 今の声は……そうだ。ここは”水の神域”と、言っていたか。


「よく眠れたみたいだな。さあ、食べたら昨日の続きをやろうぜ」


 ぱっちりとした大きな瞳と綺麗な顔立ち、そして女のような不思議な服装は昨日と変わらないが、今日の音楽家は楽しげにニコニコと笑っている。いったい何がそんなに楽しいのだろう。


「今日も、剣を教えてくれるのか?」

「……あのさ、一応言っておくけど」


 くるりと表情を変えた音楽家は、不機嫌顔で腰に手を当てた。


「おまえを最強の星族にしてやるって言っただろ? それからオレの名前はアイキだってば。その"音楽家"っての、やめてくれる?」


 一瞬、訳がわからずに戸惑う。オレは今、"音楽家"とは口に出してはいない。それは、つまり……


「……わかった」


 そういうことか。オレの頭の中は丸見えということらしい。思ったことが全て、音楽家アイキに伝わっているのだとしたら、言葉を交わす必要さえないじゃないか。出口の無い部屋に閉じ込められて、思考を読まれて……そうか、オレは監視されているということか。


 返事を伺うようにアイキを見つめたけれど、アイキは何も言わず、ニイと口角をつり上げて笑った。


 ―――――――――――――


 昨日と同じように食堂へと転移して来ると、広間の片隅に座るルーセス王子の姿が目に入った。やはり、ルーセス王子はアイキと共に潜んでいたのだ。こんな、誰も偶然にも来られない場所で。


「おっ、ルーセスじゃん。ラスイル、なにか話したら?」


 オレが返事をしないうちに、アイキはルーセス王子の席へと急ぎ足で歩き出した。


「おはよう、ルーセス!」


 ルーセス王子は薄い服を一枚身に着けているだけなので、筋肉質でがっしりとした体格をしているのがよくわかる。近づいていくと、翠色の瞳と目が合う。


 話せと言われても、何を話せと言うのだろう。兎にも角にも、感謝の意を述べるのが先だろうか。


「ルーセス王子……今こうして命脈を保つことに、感謝してもしきれません。一度は敢え無くなると諦念した我が命、今後は徒や疎かにせずに在る所存です」

「……ああ」


 ルーセス王子は、素っ気ない返事をしてオレを見ていた。殊異らしい少しくすんだ銀色の髪と翠色の眼は、ディーンとはまるで似ていない。けれど、どことなく面影が重なり、兄弟なのだとわかる。


「星族にも、おまえのような者が存在するんだな」


 不意に、ルーセス王子が微笑む。冷たい印象とは裏腹に優しくて柔らかい、王妃様を思わせるような笑顔に、どう反応すれば良いのか分からず視線を彷徨わせてしまう。


「ここには追手が来ることもない。アイキに教われば、剣もすぐに上達するだろう」

「わぁ! ルーセス、それってオレのこと褒めてるんだよね?」

「なんでそうなるんだよ」


 いつの間にかルーセス王子の向かいに座っていたアイキが、ルーセス王子に話を始める。オレは口を挟むこともできず、静かにアイキの横に腰掛けた。


 座るのを待っていたかのように、オレとアイキの前に直ぐに食事が置かれた。食事を運んできたのは昨日の殊異ではなかったけれど、同じく無表情だった。魔法にかけられているとアイキが言っていたが、なぜそんなことをする必要があるのだろう。


「ラスイルは、勘がいいから教え甲斐があるよ。ルーセスも一緒に練習しようぜ!」

「いや。オレは遠慮させてもらう」

「えぇ、つまんないなぁ。ラスイルにオレを取られちゃってもいいの?」

「なんの話だ。誤解を招くようなことを言うな」


 ルーセス王子とアイキは主従関係というよりは、仲の良い友人……なのだろう。ディーンがオレとカシェルを笑わせてくれていたのは、この二人のようになりたかったから、なのかもしれない。


 ディーンは、オレとカシェルがいなくなってしまったことに腹を立てているかもしれない。……いや。ディーンのことだから、オレとカシェルのことを心配してくれているだろう。


 善くしてくれたのに、迷惑ばかりかけている。オレもカシェルも、そしてルーセス王子も無事であることを伝えられれば良いのだが、ここでもオレは監視されているから、それはできない。


 ……カシェルは別の部屋で、別の誰かに監視されているのだろうか。


 どちらにしても、もうカシェルと二人で……なんて希望は失くなってしまった。何の為に剣を教わり、何の為にここにいるのかわからない。アイキが言っていた、オレの使命なんてものも……


「どうした? 手が止まってるぞ、魚は嫌いなのか?」

「えっ……」


 ルーセス王子に声をかけられて我に返ると、アイキが横からオレを覗き込んできた。


「星族様は、おさかな・・・・なんて食べないのか?」

「そんなことはない。確かに星拠では野菜ばかり食べていたけれど……」

「へぇ、そうなんだ。なんとなく、星族のごはん・・・って美味しくなさそうだよな」

「そうかもしれない。ミストーリ城でいただいた食事は、とても美味しかった。星拠や門では、誰かと会話をしながら食事をすることは無かったから、あの時は余計にそう感じたのかもしれないが……」


 ふと視線を移すと、ルーセス王子とアイキが目を丸くしてオレを見ていた。何か、おかしなことでも言ってしまったかと話すのをやめると、アイキが表情を緩めた。


「あ、ごめんごめん。ラスイルって、そんな顔して笑うんだと思ってさ」


 オレは今、笑っていたのか……?


「意外だなぁ。ラスイルは大勢で食事するなんて嫌なのかと思った」

「城は腕のいい料理人を使っているからな……美味うまくて当然だ」

「ルーセスは、いつもオレと普通の食事してたから、そうでもないんじゃないの?」


 ルーセス王子とアイキの笑顔も、ディーンと同じように輝いている。でも、オレの笑顔はきっと、カシェルと同じように輝きがないのだろう。


 オレは今、どんな顔をしていたのだろう。

 

 ―――――――――――――――


 それからも毎日、アイキに剣を教わった。カシェルのことも気になっていたけれど、アイキには聞くことができなかった。


 水の神域……ここに連れて来られてから、何日くらい過ぎたのだろう。ここでは時間の感覚が鈍くなるようで、時の流れが早くも遅くも感じる。


 アイキと剣を交えた後は、身体はぐったりと疲れ果てていたけれど、一度ひとたび眠り、目覚めるとその疲れは消えていた。


 まるで……魔法にかけられたようだ。そんな気がした。


 朝、目が覚めるとアイキが迎えに来る。一日に三度も食事をして、ずっと剣の練習だけをする。そんな日が、いつまでも続くのだ、そう思えた。

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