16-2. 水の神域

 食事が終わると、また違う部屋に連れて行かれた。何も物が置かれていない広い部屋で、四方は透明な壁に囲まれている。どこからともなく水の流れる音が聞こえてくるけれど、やはり出入り口は見当たらない。


「まあ、座れよ」


 促されるまま、音楽家と向き合うように床に座り込んだ。ほのかに温かい床は、水に触れているような感触がするけれど、濡れることはない。この空間自体が、何者かの魔法で造られているのだろう。


「ね、星族のこと、教えてほしいんだけど」


 音楽家は頭を傾けて、馴れ馴れしくオレの顔を覗き込む。改めて近くで見ると美しい顔立ちをしていて、碧く輝く瞳が眩しく、直視に耐えられず視線を反らした。ディーンと同じように、音楽家の瞳にも輝きがある。


「あ……」


 星族のことと言っても……何を話せば良いのだろうか。


「……オレは、星拠せいきょと言う場所で、ある一定の年齢になるまで基本的な戦闘訓練や光の魔法の使い方を学んだ。その後、パートナーであるカシェルと結界を守るために各国をまわり、役割を果たしてきた」

「へぇ。星拠って、上位星族が潜んでるだけじゃないんだ」

「星拠も、それぞれに存在意義がある。世界中に37箇所存在していると教えられたけれど、全て見たわけではないから、本当のことはオレにもわからない」

「37? そんなにたくさんあるんだ」


 音楽家は、興味深く話を聞いていたかと思うと、突然オレの腕を掴む。


「ね、オレと戦ってみない? おまえの本気、オレに見せてよ」


 顔では笑っているけれど冗談を言っているようには思えないし、何を考えているのかよく分からない。


「本気……? オレの話は……?」

「うん、もういいかな」

「もういいって……」


 音楽家はサッと立ち上がると、最初から話を聞くつもりなど無かったのだと言わんばかりに、いたずらっぽく笑った。今更、星族の守秘義務など守るつもりもなかったが、余計な話をしなくても済んだと思うと少し気持ちが軽くなった。


 今は空が曇っているのか、目覚めた時のように光は差し込まない。水に囲まれた空間で、時間の感覚さえ鈍るような気がしてくる。


「ほら、これ返すよ」


 音楽家が差し出したのは、ディーンの剣だ。オレは音楽家の顔色をうかがいながら立ち上がり、そっと剣を受け取った。


「オレは、剣を使って戦ったことはない。あのとき初めて剣を握ったんだ……」

「へえ。そういえば星族って武器を持ってないよな。それじゃ、見様見真似ってヤツ?」


 オレはカシェルを傷つけた。守るべきものを傷つけて……オレはディーンの信用さえも裏切ってしまった。


「なぁ、もう過ぎたことは悔やんでも仕方がないだろ? とりあえず今は、本気でオレを殺すつもりでかかってこいよ」

「過ぎたことなんて、そんな……」


 自分で言っておいて、烏滸の沙汰だと思った。星族であるオレが剣を持つことなど、あってはならなかったのだ。


「あ~もう、面倒くさい奴だな……」


 音楽家は怪訝な表情を浮かべると、つかつかとこちらに歩み寄り、オレの胸に手を当てた。オレの顔を覗き込むと魔法を使い、眼を碧く光らせる。


 その目睫もくしょうかんに迫る、美しい輝きに目を奪われる。また胸ぐらを掴み怒鳴りつけられるのかと、ぐっと唇を噛んだ。


「大丈夫だよ、その剣はおまえのものだ。おまえは知らなかっただけ……だから教えてやるよ。正しい剣の使い方と、正しい"だいじなものの守り方"を」


 嘲るような微笑を浮かべながら、音楽家はオレから手を離した。オレはそそのかされるような気がしながらも、なぜか音楽家の碧い目を見つめて頷いた。


 なぜ音楽家がオレにそんなことを教えてくれるのか、なぜ剣を使うことを選ばなければならないのかもわからなかったけれど、オレはぐっと強く剣を握りしめた。


 もあらばあれ。事ここに至っては、オレに選択の余地など、皆無なのだ。


 音楽家がオレの顔を見て、にやりと笑う。


「然ればこそ・・、だよ。いいね、そういう精神は嫌いじゃない」


 短剣を両手に取り出して音楽家が頷くと、オレは踏み出し、勢いよく音楽家に斬りかかった。音楽家は素早い動きでオレの攻撃を防ぐ。


「悪くない。魔物とは戦い慣れてるよね?」

「オレは尤異ゆういだ。魔物はいくらでも寄ってくる」

「そうだね。ルーセスの光は、魔物を呼ぶんだ」


 オレは何度も斬りかかった。その全てを音楽家は短剣で弾く。金属のぶつかる音だけが周囲に響く。


「もっと前に踏み込め!」

「くっ……!」

「そうそう。いい感じ……オレって教えるの上手いかも!」


 音楽家がオレの剣を強く弾くと翻り、少し距離を置いて両手に構えた短剣を魔法で碧く光らせた。片手を顔の前に構え、くすくすと冷笑する。


「最初は救いようの無い星族だと思ったけど、おまえはちゃんと心を持ってる」

「オレに……心があるのか?」

「ラスイル、オレがおまえを最強の星族にしてやるよ」


 音楽家はそう言うと、オレに攻撃を仕掛けてきた。咄嗟に剣で弾こうとするけれど音楽家の使う剣は二本で、どう防いだら良いのかがわからない。片方の攻撃でよろめき、もう片方の短剣で腕を斬られた。


「くっ……!」


 けれど、斬られたところは碧く光ると直ぐに傷が塞がってしまった。ズキズキと、斬られた地味な痛みだけがあとに残る。


「オレにどれだけ斬られても死なない。まぁ、ちょっと痛いけどね。オレの魔法、すごいでしょ?!」


 ちょっとどころか普通に痛いと思ったが、音楽家は自信に満ちた表情で、再びオレに向かってきた。


 そのままオレを斬り殺す程の勢いで何度も斬りつけてくる。剣で防ぐことも避けることも出来ずに、身体のあちこちを斬られ続ける。鈍い痛みだけが、増えていく。


 これで剣が上手くなるとは到底思えないが、このままやられっぱなしは御免だ。せめてかすり傷でも負わせてやらなければ、納得いかない。このまま、終らせたくはない……!


 動きの隙を突き、渾身の力を込めて剣を振るった。けれど、その攻撃でさえも顔色ひとつ変えず、音楽家はひらりと避けてしまった。音楽家はちらりとオレの顔を見ると、距離を置いて剣を降ろす。


 駄目だ。実力に差がありすぎる。音楽家の動きは素早く、攻撃は鋭い。初心者であるオレがどう足掻いても敵うとは思えない。


「へえ、やる気はあるんだな」


 その後も、オレが疲れ果てて倒れるまで剣を交えた……と言うよりは、オレは立てなくなるまで一方的に何度も斬られた。音楽家に負けじと何度も剣を振ったけれど、結局オレの剣は一度も音楽家を傷つけることはなかった。


 音楽家は動けなくなったオレに触れると、最初に音楽家に会った部屋に転移して、オレをベッドに寝かせてくれた。


 何も言わずに微笑を浮かべながらどこかへと消えていく音楽家に、オレは何も言えなかった。


 体に傷はないけれど、体中が痛い。斬られたような痛みと、ずっと動き続けていた疲労感が酷くて、寝返りを打つのも億劫に感じた。


 そう、身体の痛みはわかりやすい。それに比べ、心の痛みというものはわかり難いのかもしれない。


 音楽家にはオレの心が見えたのだろうか。生きる意味も希望も無いというのに。


 心というものは虚空の如く、星族にも存在するものなのか。


 それにしても痛い。目を開くことも、億劫だ。

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