16-1. 水の神域

『星族も、人間も、魔族も、元を辿れば一本の大きな樹。枝分かれして、それぞれの枝に、葉を茂らせている』


『その葉と葉が風に揺れ、擦れ、傷付け合う……でも、それはごく自然な、当たり前のことなんだ。そうして樹は成長するのだから』


『問題は、病んでしまった枝なんだ。それはやがて他の枝まで枯らしてしまうから……ね。だから病に罹ってしまったその枝を、樹木自身が切り離す。樹木全体が枯れる前に……ね』


『枝が他の枝を支配することなんてできない。星族という枝は、その大半が病んでしまった。いずれ、星族という枝は枯れてしまう。それは樹木の意思、そう……この星の意思だ』


『でも、キミ達のような新芽を残した。キミ達はこれから、新しい枝を大いに成長させるんだ。それはとても素晴らしいことなんだよ』


 聞こえてくる声に、ゆっくりと目を開く。水に囲まれた景色。まるで、水の中に透明の箱でも沈めたかのような空間が見える。水の流れる音と、布の擦れる音が聞こえる。


 声の主が優しく微笑んで、寝ているオレを覗き込むように顔を見せた。


『目覚めたかい? 助けるのが遅れてしまった。それで、キミたちに辛い思いをさせてしまった……ね。あまりにも、美しかったんだ。わかるだろう……? オレは綺麗に沈む、キミ達に見とれてしまったんだ。まさか……』


 ザァザァと水の流れる音に、不思議な声がかき消される。


『……彼女は眠っているけれど、大丈夫、心配ないよ』


 すぐ隣にカシェルが横たわっている。死んでしまったように動かない。起きだして、その頬に触れて確かめたいと思うけれど、身体が動かなかった。目を凝らすと、静かに呼吸に合わせて胸が動いていることがわかって、少しだけ安心すると、視線を戻した。


 不思議な声の主は、オレの額に手を当ててから、髪を整えてくれる。冷たい指先の感触が心地良い……。


『オレに会いに来てくれるなんて思ってなかったよ……嬉しいな。キミ達のことは、ずっと見てたよ。森の中でも、あの小さな部屋の中でも』


『星族は滅ぶのかもしれないけれど、キミ達のことは助けてあげたかった。彼女のお父さんとお母さんは守れなかったからね……その頃はまだ、ひとりだったんだ。子どもたちもいなくて』


 オレに話しかける声。男の声……いや、女の声……?


 ……どちらとも言い難い、その声の主をじっと見つめた。


 色の薄く長い髪に、水色の瞳。肌着のような薄い服。魅了されるような妖しい微笑み。どこか人間離れした目の前のそれは――――


「貴方は……ルーンの、神様……?」

『前は、そう呼ばれていたよ……懐しいな』

「前……?」

『今は、水の精霊として、子どもたちと暮らしているよ』

「水の……精霊……」


 水の精霊と名乗るその人は、優しく微笑んで、オレの頭を撫でた。


『ルーセスとアイキが、キミ達を助けてくれた。後でちゃんと、お礼を言うんだよ。ここに来た子は、みんなオレの子ども。だから、オレはお母さんなんだ』


 頭を撫でながら、頬に口づけをされる。


『だいじょうぶ。もう、怖くないよ。もう少し眠るといい……』


 妖しい微笑みに促されるように、オレは目蓋を閉じた。


 ――――――――――――――


 再び目を覚ますと、水で出来ているような、不思議なベッドに横たわっていた。身体を起こして、周囲を見渡す。光が乱反射して、四方に透明な水の壁があるように見える。ベッドから降りて床を歩き、透明な壁に触れてみた。床も壁も、冷たくもなければ温かくもない。壁の向こう側には数多の魚が泳ぎ、水草が揺れている。出入口のない空間……此処は、水の中なのか?


「ラスイル」


 背後から声をかけられて振り向くと、いつの間にか部屋の隅に音楽家が立っていた。


「随分、うなされてたけど」


 オレは何も言えず、黙って音楽家を見ていた。さっき話をしていたのは……水の精霊の話は、夢だったのだろうか。


「友達になる気はないけど、名前くらい覚えてよね。オレの名はアイキ」

「アイキ……助けてくれてありがとう」


 自分でもそんな言葉が出てきたことに驚いたけれど、音楽家は拍子抜けしたような顔をしてから、にやりと笑った。


「まぁ、助けたのはのお願いだから仕方なくね。オマエは他の星族とは違うみたいだし」


 水……水の精霊のことか? やはりここは、水の精霊の棲家か何かなのだろうか。


「水の神殿、湖底の神域……ここはいろんな呼ばれ方をしてるよ」

「……不思議な場所だ」


 音楽家は、複雑な表情でオレをじっと見つめる。この男は、水の精霊によく似ている。


「あのさ、オマエはこれからどうするの?」

「これから……?」

「何か目的があって、オレたちに会いに来たんじゃないの?」


 オレとカシェルは共に生きていくために、そして星族を滅ぼすために、ルーセス王子を探していた。けれど、カシェルは……。


「そうだ、カシェルは……?」


 オレの言葉に、音楽家は目を細めて冷たい視線を向けてくる。


「……答えになっていない。彼女がいなきゃ、答えられないの?」

「そういう訳ではないけれど……」

「自分が進む道くらい、自分で決めたら?」

「道……?」


 オレは、ここまで自分で歩いて来たわけではない。そう……カシェルが導いてくれていたんだ。カシェルとずっと一緒にいられると思っていた。カシェルを守ることが全てだった。けれど……カシェルがオレの手を離したら?


 オレは、どうすればいいのだろう。


「あのさ、意志薄弱で感情希薄な星族様に言うコトじゃないかもしれないけど……」


 そうだ、オレは星族だ。与えられた役割を果たすことが全てで、自らの希望がない。


「答えは自分で見つけるしかない。答えに至る道を選択するのも、その道を進むのも、オマエの意志だろ?」

「オレは結界を守り、生きていくことしか考えていなかった。カシェルに……」


 言葉に詰まる。オレにはカシェルがいなければ”望み”がない。


「ひとつ、いいコトを教えてやるよ」

「いいこと……?」


 音楽家は、にやりと嗤う。


「自分を愛せ」

「愛……?」


 無理だ。オレには愛ということが何なのか、わからない。


「うーん、何て言うかさ。オレにはオマエが空っぽに見えるんだよな。守るものも失うものも何も無い。ただ、生きているだけ」

「そうだ……その通りだ」


 カシェルがいない。だから、果たすべき役割も、守るべきものも失くしてしまった。今のオレは生きていく意味すらわからない。


「でもオマエさ、自分では気がついてないみたいだけど、オレたちに近い。自らの生きる目的に気づいたら、オレたちの厄介な敵になるかも」

「敵……?」


 この男は、何を言っているんだ……?


「ここで殺したほうが楽だと思うけど……水に怒られそうだから、しない」

「何が言いたい……?」


 こいつは、オレの何を知っている? オレも知らない何かを知っているのか……?


「オマエ、自分が普通の星族とは違うことくらいわかってるだろ?」

「……尤異ゆういということか?」

「そんな言い方は知らないけど。答えは自分が持ってるんだから、あとは自分で考えなよ」


 言いたいことを言っておいて、終いには自分で考えろとは。全く、腑に落ちない。


「……ま、オマエはしばらく此処に居るんだろうし、ゆっくり考えたらいい。ご飯でも食べる? 案内するけど」

「あ……ああ」


 音楽家はオレの返事を聞くと、こちらに近づいてきてオレの腕を掴んだ。掴まれた腕を見た瞬間、音楽家は転移の魔法を使った。


 顔を上げると、そこは随分と広い部屋だった。大きな机と椅子が乱雑に置かれていて、数人が黙々と食事をしている。


「此処は……あの人たちは?」


 音楽家はオレから手を離すと、近くの椅子にストンと座った。


「食堂。見ればわかるだろ? オマエも座れよ」


 言われるままに、音楽家とは反対側の椅子に座った。広い部屋だけれど、ここもやはり透明な壁に覆われていて、壁の向こう側には魚が泳いでいる。オレたちの他にも何人かの人がいるけれど、誰もが無表情で黙々と食事をしている。


 ミストーリで見た兵や使用人たちとは、何かが違う。


「ここにいる人はみんな、川とか湖とかに沈んでみずから死を選んだ人。でも、自分で死ぬという選択肢は許されないことなんだってさ。だから、水がどこかから連れてくるんだ。最初はオレだけだったのに、いつの間にかこんなに増えちゃってさ」

「……アイキも?」

「そうだよ、オレも」


 奥の部屋からひとりの男が食事を運んでくると、オレと音楽家の前に無言で食器を並べた。その男を見て、ハッとする。


殊異しゅい――?」


 その男は、銀の前髪を指で掻き分け、翠色の眼でオレを見つめた。けれど、表情も変えずに無言で立ち去った。


「話しかけても無駄だよ。彼らは水の魔法にかかってるから他人とは話さない」


 音楽家は、そう言うと運ばれてきた食事に手を付ける。オレは、胸がざわつくのを抑えながら運ばれてきた食事を見つめた。

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