15. 冷たい水
生温かい床が、青白く光っている。
またオレは倒れていて、冷たい床に仰向けに転がっている。天井は漆黒の闇に包まれていて、何も見えない。またどこかに魔法で転移したようだけれど……ここは、どこなのだろう。
どこからともなくポタポタと水が滴る音と、さらさらと水の流れる音が聞こえてくる。湿度が高いようで、水分がべっとりと身体にまとわりつく。どこかの洞窟なのだろうか。
「早く手当しないと……アイキ、こっちに」
「うん……」
声の聞こえるほうへ頭を動かすと、音楽家がカシェルの肩を抱き、ルーセス王子のもとへと連れていくのが見えた。王子がカシェルの手を引き寄せると、カシェルは虚ろな表情のままルーセス王子に寄りかかるように倒れこむ。王子はカシェルを抱き寄せて屈むと、すぐに魔法を使った。温かそうな黄色い光が、カシェルと王子を包みこむ。
オレはカシェルのところへ行こうと、なんとか身体を起こした。すると、それを待っていたかのようにすぐに音楽家にぎゅっと腕を掴まれて、逆方向にずるずると引きずられ、カシェルから引き離された。
音楽家は大きく目を見開いて、オレの顔をじっと見ている。その瞳は、さっき見た碧色ではなく、黄土色に輝いている。
「……どうするつもり? 星族ってほんと、滅びたほうがいいのかもな」
「どういう意味だ?」
「あぁん……?」
オレの言葉に、音楽家はあからさまに表情を歪める。
「オマエさ、2回も助けてやったのにさ、命の恩人に向かってその言い方は失礼だろ?」
命の恩人……そうだ。オレたちはララファ様に殺されそうになって、王子に助けられた。言われるままに湖に飛び込んで沈んだはずなのに、気が付いたら星拠にいて……そして……そうか、星拠でも続けざまに助けられたのだ。
「ララファ様は……?」
「誰それ? そんな奴、知らない」
音楽家は考えようともせず、あっさりと言い放つ。ララファ様の魔法も、王子は吸収してしまったのだろうか。そうだとすると、ララファ様は王子に消されてしまったのだろうか……?
「ね、そんなことよりさ」
ふと気が付くと、音楽家はその手にオレの剣を持っている。軽く振り払うような素振りをしてから、自分の前に構えた。
「オマエも一度くらい斬られてみたら? 下手したら彼女、死んでたよ?」
……そうだ、アクラシエルとカシェルを、オレがあの剣で斬りつけた。守ると誓ったカシェルを……オレが自分で傷つけた。オレは、どうしてそんなことを……。
「でもオレさ、悪いけど剣は使い慣れてるから、試しに斬ってみたらオマエを殺しちゃうかも……?」
音楽家は何かに気がついたように構えるのをやめて、手元をじっと見つめた。
「ディーン=ミストーリ。……へぇ。ほんとに
「返してくれ……それはオレの―――!」
手を伸ばし掴みかかろうとした瞬間、音楽家は素早く動き、剣をオレの首筋に当てた。鋭く冷たい金属の感触に声を奪われて、音楽家の温度のない眼差しに、竦み上がる。
「星族の光もそうだけど、剣も同じ。扱いきれないクセにおまえらは欲しがってさ」
音楽家は、ゆっくりと表情を変えて冷笑する。
「彼女も……そうなんじゃない? オマエは愛せないくせに彼女を欲しがってる」
……愛する?
「愛を知らない奴に魔法は使えない。オマエは、光の魔法使いにはなれない」
「っ……!」
オレが口を開こうとすると、音楽家は首筋に当たる剣を動かして威嚇した。そして、その眼を碧色に染めると、周囲に水雫が舞いはじめる。音楽家の眼の色と同じ碧色の雫が、のぼせ上がっていたオレを
「……オレは、カシェルが好きだ……ふたりで静かに、一緒に暮らそうって約束したんだ」
「ふぅん……それで?」
オレは、何故、こんなことを話してる……?
「それなのに、カシェルは所有者であるアクラシエルを庇って……」
「それに腹が立ったの?」
「違う……違う、違う――!!」
カシェルの悲しそうな顔が、脳裏に過ぎる。
「オレを逃がすための嘘だと思った……けど、嘘じゃない……それがわかった」
オレは音楽家に導かれるように、ぽろぽろと言葉を吐き出す。
喉の奥から何かがこみあげてくるような感覚がして、呼吸が苦しくなる。顔が火照るように熱くなると、目の前の景色が揺らぎ始める。意思とは関係無しに溢れてくる涙の理由が、自分では、よく分からない。
「愛されているから、何なんだ……誰よりも愛してくれるから……?」
音楽家が、オレに突きつけた剣をゆっくりと降ろすと、距離をおいた。けれど、オレは話すことをやめられない。どこから溢れてくるのか、涙がぼろぼろと目から零れ落ちる。
「それがカシェルの答えなら……アクラシエルを選ぶなら……いつもみたいに、笑えばいいだろ……」
オレは、音楽家に訴えるような眼差しを向けた。これは音楽家の魔法に違いない……こんなこと話したくないのに、涙なんて流したこともないのに、どうしても涙が止まらない。音楽家はオレに冷たい視線を向けたまま、その口を閉ざす。
「そんな顔をして、オレを見ないでくれ……」
オレは、その場に泣き崩れた。涙が止まらなかった。呼吸することが苦しくて、頭が痛くて、視点が定まらない。
「オレは、カシェルが好きだ……でも、わからない……っ、愛するっ……てなん……だっ……」
それ以上、言葉が出てこなかった。
好きとか嫌いとか憎いとか、そんな言葉も間違っている気がした。
悲しい、辛い、苦しい……そんな言葉も、嘘みたいだ。
ただ、何というのかわからない感情を、抑えられなかった。
「ラスイル――」
誰かが、オレを背後から抱きしめた。優しく深く抱きしめられて、頭を撫でられると、火照った身体を水に浸したような、冷たい水に抱かれているような感覚がした。心地よくて安らぐと、余計に涙が止まらなくなって、そのままわけのわからないことを言いながら、しばらく泣いた。
泣くということは……魔法を使うより疲れるのかもしれない。
頭の中が空っぽになって、泣き疲れて、声が出なくなっていくうちに……眠たくなって……。
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