13. 所有者
目を開く……ここは――どこだ?
オレは……生きているのか……?
どこかの床の上だ……。暗い部屋で、辺りがよく見えない。濡れた服が冷たくて……体のあちこちが痛い。
そうか……水に沈んで消えることも出来なかったんだ。
カシェル……カシェルは――?!
「カシェルの身に、命に関わる程の危険が及んだ時に……私の元に帰って来られるように……魔法をかけておいて正解だったようだ」
聞いたことがある声、見たことがある景色――
「ただ……パートナーまで呼んでしまうとは、計算外だったな」
……まさか、此処は星拠?
「ラスイル、逃げて! ラスイルっ!!」
カシェルの声が聞こえる……もう一人は、誰なん……だ?
起き上がり、頭を上げる。けれど……目の前にあるその状況が掴めず……混乱する。カシェルの濡れた銀の髪。薄い服が貼りついた、滑らかな曲線を描く肩。そして……それを包み込む、男の腕。
星拠の中の小さな部屋の中で、オレはふらふらと立ち上がり、男を見据える。
「ラスイル……良い名だ。ララファが血眼になって探していたが、オレが先に見つけてしまったようだな」
「アクラシエル様、ラスイルは、ラスイルは……!」
アクラシエル――知っている。上位星族の尤異でララファ様の元パートナーだ。そして、この男がカシェルの
「いや、キミは随分と傷ついているようだね、ラスイル。もしかして、ララファがカシェルとキミを命の危険に晒したのかな? それは許せないな……」
アクラシエルの背後に見える、ベッドの小さな明かりだけが、狭い部屋の中を照らしている。陰になり、俯いたカシェルの顔が、よく見えない。
魔法……アクラシエルはカシェルに魔法をかけていたのか。自分の所有するカシェルが、必ず自分のところに帰ってくるように。なんて馬鹿げたことを。その魔法は通常、物に使う魔法であって、人に使う魔法ではない。
帰りたくないと涙を零した、カシェルの顔を思い出す。絶対に、アクラシエルからカシェルを奪い返さなければならない。
髪からぽたぽたと水滴が零れ落ちる。傷の痛みと水の冷たさで、全身の感覚が麻痺している。歯を食いしばり、ぎゅっと手を握っても、魔力が少しも湧いてこない。
もう……体は傷だらけで、魔法も使えないだろう。そもそも、ララファ様にも敵わなかったオレが万全の状態であったとしても、アクラシエルに敵う訳もない。
一歩踏み出して、手を伸ばせば届きそうな程の距離なのに、それが出来ない。
「カシェルを……離してくれ」
やっと口から出た言葉も震えている。アクラシエルは、オレの声など聞こえなかったかのように表情ひとつ変えずにこっちを見ている。
下手に動けば、オレは間違いなくアクラシエルに殺される。カシェルの……目の前で。
「私はずっと、カシェルが帰ってくるのを待っていたんだ。カシェルは私のもの……私だけのもの。もう二度と、誰にも渡さない」
「ラス、逃げて……私はここにしかいられないの。私は、アクラシエル様の
カシェルが少し前に踏み出し、オレを見つめる。その翠色の目に涙を溜めて、眉をひそめ、顔を歪める。自らを犠牲に、オレを逃がそうとしているのか?
でも、一緒でなければ嫌だと言ったじゃないか。それは、オレも同じなんだ。
「だったら、所有者がいなくなればいいだろう、カシェル」
オレは、ディーンに貰った護身用の剣を取り出す。剣なんて、使ったこともない。巧く使えるわけもない。けれど、どうせ消えようとした命。このままカシェルをここに置いて逃げるくらいなら……死んだほうがましだ。
剣を構える。振り払えば、アクラシエルとカシェルに届く距離まで、歩み寄る。
「ラスイル、やめて……剣をしまって」
「カシェル、オレと二人で、星族なんて全部殺して自由になるんだ。もう少し……もう少しで自由になれるところだったのに……」
オレを嘲笑うように、アクラシエルが頭を傾ける。剣を強く握りしめ、振り上げようとしたとき――カシェルがアクラシエルを庇うように両手を広げた。
なぜ、カシェルがアクラシエルを庇う……?
「やめて、ラスイル。やめて……」
「カシェル……?」
剣を持つ手が震える。カシェルの翠色の瞳が、オレを見ている。
「アクラシエル様は、私を愛してくれているの。アクラシエル様が消えてしまったら、私は悲しい……だからその剣をしまって!」
カシェルは両手を広げたまま、オレから視線をそらした。
「カシェル、何を言って……カシェル!」
オレが呼んでも、翠色の瞳はこちらを見ない。
愛している……?
カシェルは何を言っているんだ……?
オレを逃がすための嘘じゃないのか……?
アクラシエルは、両手を広げるカシェルを後ろから抱きしめると、オレを睨みつける。無表情で鋭い視線に、背筋が凍りつく。
「……そうだ。私は、カシェルを愛している。ラスイル、キミよりも。カシェルはそれを分かっている。だから私を選んでくれた。命までは奪わない……ララファの元に帰るがいい」
アクラシエルは、そのままカシェルの首筋に唇を落とす。オレは、構えたままの剣を、どうすることも出来ずに握りしめていた。カシェルに触れるその腕を、その体を、引き剥がしてやりたいのに、それができない。カシェルも、アクラシエルに抗おうとはしない。俯いたまま、オレを見ることもやめてしまう。
オレを逃がすための演技じゃないのか……?
あれほど星拠には帰りたくないと言っていたじゃないか。
「カシェル、一緒に逃げるんだ……ひとりで逃げた……って……」
そうか――。
オレたちは所詮、星族。逃げることも、抗うこともできない。
オレはカシェルの笑顔が好きだ。一緒に草原で走ったときの笑顔。あの結界から魔力を分けてもらったときの、輝くような笑顔。オレと二人で静かに過ごしたいって言ってくれたカシェルを、何よりも守りたいと思った。
でも、愛とはなんだ。愛しているとは、どういうことだ……?
そんなもの、オレは知らない。尤異が何だ。殊異が何だ。心もない、希望もない星族なんて、滅びてしまえばいいんだ。
……そう、オレもカシェルも星族だ。
星族が滅ぶことを願うのに、自分たちだけが助かりたいなんて――我欲に溺れているだけじゃないか。
剣を握る手に、ぐっと力を込めた。前へと踏み出して剣を振り払うと、剣で斬るという感覚を知った。
カシェルとアクラシエルが傷を負い、その場で怯む。白く見えていた二人の服が、じわじわと黒く染まる。
もう一度、剣を振り上げた。どうすれば、剣で人を殺せるのかよくわからない。何度も斬りつければいいのだろうか。
そう思った次の瞬間、耀く光が目に飛び込んできた。オレは後ろに吹き飛ばされて、床に倒れる。カシェルが、何か叫んでいるようだけれど、何を言っているのか、聞こえない。
やはり、痛みはそれほど感じない。立ち上がろうとすると、目の前がグラグラと揺れた。頭を押さえると、手のひらが血で染まる。横に落ちた剣を拾い上げるけれど、血が邪魔で、ぬるぬるしてうまく握れない。
でもまだ、オレは生きている。アクラシエルの魔法など、オレには効かないんだ。
アクラシエルがカシェルを抱き寄せて、光り
……そんなもの。そんなものでオレは止められない!!
光の壁ごと、アクラシエルを斬りつけた。光の壁が砕け、血の赤と混じり目の前を舞う。体勢を崩して顔を歪めるアクラシエルをもう一度、斬りつけようとすると、目の前にカシェルが飛び出した。
一瞬、躊躇ったその刹那に、アクラシエルの耀く魔法がで目が眩む。身体が光に灼かれ、床に叩きつけられる。
まだだ。起きあがり、剣を拾い、アクラシエルを斬るんだ……でも、頭が……グラグラする。身体を起こし、目の前が歪むのを振り払おうと思い、腕で目を拭う。
でも、拭ってもすぐに目の前が歪む。目から、血が流れているのか……いや、これはオレの涙……?
この感情は、何と言うのだろう。痛い……胸が、頭が、身体が痛い……
やっと立ち上がったオレに向けて、アクラシエルが手を翳すのが見える。もう、立っているので精一杯だ。今度こそ、オレは死ぬのかもしれない。
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