12. 白く、美しく

 二人で手を繋いだまま、移動の魔法を使った。今なら地図で見たあの場所に行ける、そんな確信があった。


 目の前に広がる真っ黒な湖は、暗く、不気味に月の光を水面に反射させている。


「見覚えがある…………」


 カシェルは、そう呟くと走りだした。闇に染まる崩れた街並みを――長い、長い間、誰も訪れたことのないような、草木が生い茂り、蔦が這う廃墟の町を――白く美しいカシェルが駆けていく。


 ふわふわと月に照らされながら遠ざかっていくカシェルを目で追いながら、オレはゆっくりと歩いた。


 崩れた家屋には、壊れた家具や物が落ちている。ここに人が住んでいた。今はもう、誰もいない。それが魔物に依るものなのか、魔法に依るものなのかも……今となってはもう、わからない。


 カシェルは、他の廃屋から少し離れた場所で、ひと塊の瓦礫の前に立っていた。オレは急ぎ足でカシェルに駆け寄った。


 ざざ、ざざ、と湖の揺れる音だけが聴こえてくる。


「ラスイル。たぶんね、ここに私は住んでいたの」

「……何か、思い出した?」

「うん。お父さんとお母さんのこと……それから、弟のこと」

「そうか」

「懐しい……けれど、不思議ね。悲しいとか寂しいとは思えない」


 オレとカシェルは、そこから二人で湖に向かって歩いた。草をガサガサと掻き分けるように歩いていると、湖から続く、細い道のようなものがあるのに気がついた。


「カシェル、あれ……道がある」

「うん。行ってみよう」


 その道は湖から始まっている。まるで誰かが、湖から出てきて歩いている跡のように伸びている。近づいていくと、その先に少し開けた場所があるのが見えてきた。


「ルーンの神様……かな」

「神様が、道を歩くのか?」

「……わからない。でも、変な感じがするね」


 開けた場所は整備されていて、幾つもの石が地面に埋められて並んでいる。その中央には他より大きな石があり、周囲に白い花が咲いている。それぞれが月の明かりに照らされて、ぼんやりと白く見えた。


「……お墓、みたいだな」

「誰かが、町の人を弔ってくれたのね。やっぱり神様かもしれない」

「神様が……?」


 オレは周囲を見渡した。夜だからよく見えないけれど、他に、どこかに続く道は無さそうだった。


「……ただいま。お父さん、お母さん。シェンナだよ」


 カシェルが小さく呟いて、無表情のまま中央の石を見つめていた。オレはカシェルの横に立ったまま、何も言えずにいた。


 それから、道を辿るように、ゆっくりと湖まで歩いた。オレたちは湖の前で、何も言わず、ただぼんやりと光る月を眺めていた。


「ラス……何を考えてるの?」

「……特に、何も」


 オレは嘘を吐いた。


 二人で静かに、穏やかに暮らしたい……。それが容易ではないことを思い知らされた。オレとカシェルはミストーリに帰って、明日もディーンと王妃様に守られながら生きていくんだ。上位星族に怯え、ルーセス王子に望みを託して。


 でも……このまま……二人で湖に沈んで消えるのもいいかもしれない。そんなことを考えていた。


 真っ白なカシェルが静かに沈んでいくところを見ながら、オレも沈んでいく。冷たいかもしれないし、苦しいかもしれない。でもきっと、そんなことよりも、沈んでいくカシェルに見とれながら二人で消えていけることに感動するだろう。


 そして、オレは心を手に入れる。カシェルと、一緒に……。


「ラス、私はラスを守れないかもしれない……」

「いいよ。オレがカシェルを守るから」

「ううん、そうじゃなくて……」


 カシェルはオレの手を握った。夜風に当たって、オレもカシェルも手が冷えていた。


「私、神様に会える気がするの」

「神様に……?」

「うん……ひとりは少し怖いから、ラスも一緒に行ってくれる……?」


 湖を見つめながら話す、カシェルの言葉の意味がわかった気がした。


「オレも、同じことを考えていたと思う」


 カシェルがオレの手を強く握った。そのまま、二人で強く手を握りながら歩き出した。


 そらよりも暗く、冷たい湖に足を踏み入れる。バシャッと水の音がした。布で出来た靴が濡れて、水がみてくる。じわじわと冷たさを足先に感じる。


「カシェル」


 虚ろな目をして、オレを見上げるカシェルの名前を呼んだ。


 何度、カシェルの名を呼んだだろう。何度、カシェルの翠色の瞳を見つめただろう。


「ラス……」


 オレはカシェルの手を引いた。月に照らされながら、一歩、一歩、水の感触、水の温度、水の匂いを感じる。水面がオレたちの動きに合わせて揺れて、波紋が広がっていく。


 このまま、カシェルと湖に沈んで消える。これが、オレたちの最後の望み――。


 そう思ったとき―――背後から強い光を感じた。


 ――――カッ!!


 怖いとは思わなかった。オレは手を強く引き、カシェルを抱き寄せた。光から庇うように強く、強く抱きしめた。


「くッ………!!」

「ラス!!」


 草木が風に揺れる音が響き、背中にけるような熱を感じる。痛みはあまり感じ無かった。オレは片手でカシェルを抱えたまま振り返ると、光に向かって魔法を放った。その直後にカシェルがオレから離れ、魔法壁を作る。体勢を整えてその壁に魔力を足すと、壁は光を増した。オレの魔法を退けて向かってきた幾つかの光球が、壁に弾けて周囲に砕け散る。


 視線を上げると、ララファ様がその手に光を宿して、無表情でオレたちを見ていた。


「なぜ逃げるの? 貴方達は上位星族になれるのよ?」


 息を呑む。水の冷たさのせいか、怯んでいるからなのか、身体が震えている。カシェルがオレの腕をぎゅっと握ると、ララファ様をじっと見つめた。


「……結界なんて必要ない。それを守る星族は、もっと必要ない」


 カシェルの言葉に眉をひそめたララファ様は、目を細め、オレたちを凝視する。

 

「……誰からそんなことを教わったの?」

「教わったのではありません。自分たちで知り、気がついたのです」

「そんな子は……今までにいなかった」


 ララファ様が腕を伸ばす。オレはカシェルの手を解くと、両手で閃光の魔法を構える。ララファ様が魔法を放つ瞬間を逃さず、ほぼ同時に全力で魔法を放った。


「ラスイル―――!!」


 オレもカシェルも、ララファ様には敵わない。魔法を放つとすぐにカシェルを抱き寄せて、ララファ様の魔法からカシェルを庇うように抱きしめた。オレは身体が灼けるのを感じながらも、再びカシェルを解放すると魔法を構えた。


 オレの身体が灼かれても、カシェルが神様にちゃんと会えるように、湖に消えていけるように、それだけを考えていた。


「ラス……だめ……!!」

「カシェル、先に行ってくれ。後から追いかけるから」

「だめ、一緒じゃなくちゃ、いや……!」

「うん……」


 たぶん、オレは嘲笑った。カシェルはオレと一緒だ……それが嬉しい。それに目の前にはオレの魔法で傷を負ったララファ様がいる。その痛みに歪んだ顔に、優越感を覚える。あの、ララファ様がオレの魔法で苦しんでいる!


「ラスイル……貴方は尤異の中でも特別。だから可愛がってあげたのに……酷いわ」

「感謝します。ララファ様」

「殺してでも、連れ帰るわ。手放したりしない」

「……お望みのままに。死んでも星拠になど行きません」


 強気な発言をしてみたものの、勝てるとは思えず、口をぎゅっと結ぶ。ララファ様は手を抜いていただろう……殺すつもりは無かった筈だ。でもオレはもう既に、全力で魔法を放った。


 ……そうだ。もう、終わりだ。敵う相手ではないことくらい、わかっている。


「ラスイル…………」


 カシェルの虚ろな翠色の瞳。長い銀色の髪。白い肌。柔らかくて気持ちのいい身体。


 オレは魔法を構えるのをやめて、オレにしがみつくカシェルの頬に触れた。


「カシェル、オレは"感動"するだろう。美しいカシェルと二人で湖に沈んでいくんだ」

「うん。私も、ラスイルの黄金色の瞳を見ながら……感動するのね」


 ずっと一緒にいられなくても、せめて一緒に消えたかった。でも、それさえも目の前のララファ様が邪魔をする。


 カシェルにも、わかるだろう? オレたちは、何の望みも叶えられずに消えていくんだ。


 膝のあたりまで濡れた足が冷たくて、足先の感覚が鈍くなっていく。痛みも苦しみも、感じないというのに。


 ララファ様が腕を伸ばし、魔法を放つのが見えた。オレとカシェルは、抗うこともせずに抱き合った。目を閉じて、二人で灼かれるのを覚悟した。


 これで、終わりだ。


 ――ゴゥン……!!


 周囲に、今までにない轟音が響き渡る。何が起きたのかわからずに目を開くと、ララファ様の魔法の光が散り散りに消えていくのが見えた。


 ララファ様の方へと、ゆっくりと振り返る。


「早く、湖に飛び込め!!」


 聞いたことのない声。白く光る大きな剣と、銀色の髪が目に飛び込んでくる。


 さっきまでだれもいなかったはずの、オレたちのすぐ横に、ひとりの男が立っている。男は、少し此方こちらに振り返ると、翠色みどりいろの瞳でオレたちに合図を送った。


 次の瞬間、どこからともなく歌が聴こえてきた。湖に碧色あおいろの光が反射する。


 オレとカシェルは、手を繋いだまま走り、湖の深いところに踏み込んだ。その勢いで、オレとカシェルは手を離してしまう。


 カシェルに手を伸ばすけれど、届かない。

 遠ざかっていく歌声。


 思っていた通りに、白く、美しく、カシェルが沈む。


 苦しくない。冷たくもない。


 空気のような水に包まれて、湖に溶けていくような感覚がした。

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