第28話


 そこは何もない暗闇だったけれど、ミーナにとっては悪いものではないように思えてくる。

 それは、外の煩わしいものが何もなかったからかもしれない。

 そこにはただ自分があり、他には無機物しかない、そんな場所にミーナは安らぎを覚えるようになっていた。


 耳を傾ければ、風の音や鳥のさえずり、夜、おそらくは夜だろう、ともなれば虫の鳴き声。

 また時には、雨の音も聞こえることもあった。


 その日も雨が降っていて、断続的な雨の音と、しずくの落ちるぽたぽたという音が

 ミーナのいるところまで届いていた。


 だけど、寒かった、それだけはどうしようもなかった。

 意識の他へやろうとも、その寒さは体の底から沸き起こり、どうすることもできそうにない。


 体をゆすっても、手を擦っても、その寒さは消えることはなかった。

 寒さと、寂しさはどこかしら通づるところがある。


 ミーナもその例外ではなかった、寒さに耐えかね、ふと温かい暖房と家族とが思い浮かぶ。

 そこは温かく、笑顔にあふれ、安らぎがある。


 だけど、今の自分にはないもの。どんなに求めても、手が届かない。

 ミーナはもう扉をたたく気力すら失っていた。


 そして、そんな思いだけを胸にそこにうずくまるのだった。


 ほどなくして、ガタガタと扉の開く音がする。

 ミーナは救われたと思った。ここから出て、温かいところに行けると。


 そして、ミーナは外に出されると――――

 殴られた――――


 ミーナにはもちろん身に覚えなどない。

 もう、分からなかった、何が正しくて、何が間違ってるかなんて。


 ひとしきり、それはミーナを殴ると、またミーナを押し込め、また鍵をかけるのだった。

 もう涙すら出なかった。

 茫然として、もうろうとして、もう何も浮かんでこない。

 ミーナにはもう、何かをしようという気力すらなかった。


 ミーナの両親のようなものには、ミーナに対する気持ちは皆無だった。

 ただ、毎日お互いを慰め合い、その時、その目の前のしたいことをし、

 気に入らないことがあればミーナを殴るのだった。


 ミーナの母親が、今の旦那を誘い入れた時の文句はおよそこのようなものだった。


「娘?私に娘なんていないわよ

 あれはただの『できもの』みたいなもの」


 その母親に、人を人と思う気持ちがあったのかは定かじゃないけれど、

 少なくとも、ミーナに対しては、そのような感情は持ち合わせていなかったようだ。


 そして、ミーナの両親のようなものは、毎日のようにどこかに出かけていた。

 そのことだけはミーナにもわかった。


 その両親のようなものは、自分で料理できないことをいいことに、毎日外食へと出かけていたのだった。

 当然、ミーナの食事を作る能力もない、そのためか、ミーナに出されるのは、まるで動物の餌のようなもの。


 ミーナにはわからなかった、自分がなぜここにいるのか、それは、生きる意味などと大それたものではない。

 ただ、自分の存在意義が分からないのだ。


 自分はただそこにあるもの。そんな風に感じていた。

 物を食べて排泄する、ただの管のようなもの。


 ミーナは、感情はおろか、言葉すら忘れそうになっていた。





 そして、その鍵のかかった扉は開くことになる。

 相変わらず、両親のようなものは、ミーナを見下し、顎で出るように言う。


 両親のようなものは、ミーナの名前すら忘れてしまったようだった。

 だけど、ミーナには、動く気力ももはや失われていて、その場から動くことができなかった。


 ミーナは引きずり出された。

 腕を強くつかまれ、ずるずると。

 ミーナの体は軽く、それは難なく引きずり出される。


 ミーナは連れていかれた。

 その道のりは永遠に続くのではないかと思われた。

 たどり着いた先には、男が二人。


「……万だ。それ以上は譲れねぇ」


「そんなに安いの!?

 だってあんた、人だよ、もう少し上げとくれよ」


 散々ミーナを道具か、動物のように扱った割りには、この時ばかりはそれはミーナのことを人と呼んだ。

 それは、人非ざる行為にもかかわらず。

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