第14話:イプス
――それは、何の知らせであったか。
「――おじ……さま?」
セーラはその空を見上げる。
ふと、誰かに呼ばれた気がしたのだ。
その瞬間、突如セーラの脳内に街道の情景が映し出された。街道の中心、血溜まりの中に佇む黒い塊、辛うじて判別できるのは着古された麻色の道着であった。それは丈之助の成れの果ての姿である
「――おじさま!!」
セーラは、その姿を確認すると、エレンに掴みかかる。
「エレンさん、おじさまがっ!! ――おじさまがっ!!」
「はい? なになに、どうしたのよう?」
突然取り乱すセーラにエレンは困惑を隠せない。
「お願いです!! 連れていってください、おじさまの元に!! はやく、――おじさまがっ」
なんとか回復し、街道を戻ってきたエルヴィンはその光景に絶句していた。本来であれば、別働隊殲滅の後、丈之助が撃ち漏らした敵を各個撃破していくのがエルヴィンとクレアの役目であった。一命を止めたフリオより、魔法士四名という戦力を聴きだしたエルヴィンは、体力を回復し次第、急ぎ戻ってきたのである。
戦力の中にヤザンの名があったのを思い出し、エルヴィンは焦っていた。言わずと知れた魔法士殺しの傭兵である。雷の魔法はその特殊性から魔法士数人がかりでも手こずる相手である。そして急ぎ街道を戻ってみればそこらにに散らばる騎士の遺体と、随所に見られる焼け焦げた跡、そしてヤザンらしき男の遺体。見るも無残な丈之助の姿にである。
絶戦の後に絶命ということが誰にでも見て取れる無残なその姿に、エルヴィンは言葉が詰まる。
「ばかな……、丈之助殿、……何故だ、何故にそこまで……ッ」
辛うじて、彼がはき出せた言葉であった。本来であれば丈之助はこの件に関しては全くの部外者である。しかし、周囲の戦場跡を見れば、丈之助がその命を賭してこの場で戦い続けたのは明白であった。
「まさか、倒したのか……? まさか、ヤザンを、魔法士二人を……」
と、その時、アクス方面から馬の音がエルヴィン達の耳に入ってきた。エルヴィンとクレアは思わず身構える。しかし、朝霧の中から飛び出してきたのはエレンとセーラであった。
「セーラ様!?」
アクスで待機しているはずのセーラに、エルヴィンは驚きの声を上げるが、彼女はお構いなしである。馬から飛び降り、セーラは丈之助の元へ駆け寄った。
「――おじさまっ、おじさまっ!!」
そして、セーラは言葉を失う。丈之助の姿はとても直視できるようなものでは無かったからだ。あの逞しい腕は火傷でただれ落ち、両足に至っては肉が爆ぜ、立っていられるのが不思議なくらいである。麻色の道着はところ何処に黒いシミができ、尚も丈之助の体を伝い、足元の血溜まりへと流れ落ちていた。
「なんで――こんな。……私のせいなのですか――。これも、私が助かりたいと、望んだからなのですか――」
丈之助は、セーラの前に現れた希望であった。彼は本当の意味でセーラを暗闇から開放してくれた太陽であったのだ。ずっと味方だと、何があっても味方だと誓ったあの朝に、セーラは確かに救われていた。彼女はそれだけでも十分だったのだ。例え命の危険に彼が逃げてもそれ以上は望まなかった。だがしかし、丈之助はかのように成り果てるまで、決して逃げること無く、裏切ること無く、セーラとの約束を果たしたのであった。
「……あの一言で私は救われました。あの一言をいただけただけで!! 私は十分すぎるほど救われたのです…… ――ですが!! ――ですが私はまだおじさまになにも返せてない!! こんなの、こんなのあんまりです……ひっく…あんまりです……」
そういってセーラは膝を付き、崩れ落ちる。足元の血溜まりが、ぱしゃん、音を立てた。
「嫌です……、こんなのはいや……」
その時、セーラの頭に丈之助の右手がおかれた、――ような気がした。
「――おじさま!?」
セーラが思わず顔を上げる。
丈之助の口から、ごほ、と血が吐き出された。
セーラの顔にその血がバシャリとかかる、ゆっくりと丈之助の体が前へと傾いていった。
「あ……、ああ……あああああああ……」
セーラは血溜まりの中に沈もうとする丈之助の体を倒れぬよう支えが、彼の体から急速に力が抜けていくのがわかってしまう。
「だめ……おじさま……、いかないで……いかないで――」
セーラは丈之助が倒れぬよう、その体を強く抱きしめた。
とくん、と今にも止まりそうな鼓動が、肌を伝い、セーラに届く。
(まだ生きている)
その時、セーラは一瞬何かに願おうとして、やめた。いくら他の何かに願っても、それだけでは願いは叶わないことを知ったからだ。単に他力を当てにするのは、愚者の考えである。今セーラが救われたのも、セーラ自身が願ったからでは無い。彼女が、彼女自身が変わろうとしたからだ、その二本の足で立ち、自らの道を決めたからである。なれば――
(救いたい)
そう、いつだって、どんな苦難があろうとも、どんな不幸があろうとも、本来なら自分の人生は自分が責任を取るべきなのだ。そして一人でできないことでも、信られる人とであるならば、丈之助とならと思ったのではなかったのかと。ならば願うべきは自らの力こそにある。そう、セーラは決意をしたのだ。
――あの、朝霧の中で
(――救いたい!!)
――強い感情の波は、魔法発動の引き金となる。
その変化にまず気づいたのはエルヴィンである。それは強烈な疲労感であった。精霊級発動とは異なる、異様な感覚。自分の魔力が突然他人に操られるような、そんな違和感に、ぐらりとエルヴィンは地面に膝をついた。そしてそれはクレアも同様である。エルヴィンと同じく、膝をつき、地面にへたり込んでいた。
ざ、と
ざざざ、と
周囲の朝霧が丈之助とセーラの頭上へと集まっていく。見れば丈之助を抱きとめるセーラの両手の甲にそれぞれ、五つの羽が浮かび上がっていた。
「……なんだ…これは?」
あまりの異常さにエルヴィンが呟いた。セーラの両手に途方も無い魔力が凝縮され、精霊紋を形作っている。朝霧が魔力ごとセーラの元へと集まり続け、そして。
王族魔法は、第三者の魔法発動を可能にする特性がある。しかし、その本質は他者の魔力に干渉できるという事実に他ならない。
与えるのではなく、吸い上げる
近代ではどの国の王族も知らぬことではあるが、それが王族魔法本来の使い方。高詠唱単位の魔法を顕現させる、精霊に愛された一族の特権。なぜ、この世界の近代にて魔法の等級が七詠唱単位(セプタクル)までしか記録されていないのか。それは、七詠唱単位以上は、人の身にあまる魔法発動であるからである。使い手単体では命おも危ぶまれる消費魔力が、その行使を妨げる。王族でもないエルヴィンが六詠唱単位の魔法を一度発動しただけで息切れしてしまうように、高位の魔法発動は、威力は絶大であるがリスクが伴うのだ。ならば、一人では発動できぬならば、多人数で発動すればよい。魔力が足りないならば、魔力を吸い上げる。それはより高位の魔法を顕現させるための、今は失われてしまった古の方法であった。
朝霧が収束する。エルヴィンやクレア、エレンをはじめとして、周囲の木々や草花、はては山中の小動物からまでも魔力を強引に簒奪・収束し、セーラは詠唱を続ける。
この心優しき拳豪を、死なせてなるものかと。
「――セーラ=ファラリス=イプストリアの名のもとに」
それは、後に完全詠唱単位(フルカウント)と名付けられることになる人類史上初めて観測された魔法――
「――原初水精霊召喚(ア・エル・ラ・イプス・サモン)」
――光が、弾けた。
光に白く塗りつぶされ、誰も彼もが何も見えない状態で、確かにそこに存在が感じられる高位精霊にセーラは胸の内を伝える。それはただ力のなき己を悲観した願いではなく、強い方向性を持った意思であった。
「――イプス、おじさまを助けて」
その言葉に、高位の何かが頷いたことをセーラは感じた。収束したほぼ全ての魔力がセーラが抱きとめる丈之助へと収束していく。
丈之助の弱かった鼓動が力強く脈打つ。
光が丈之助を型取り、消えていき、そこには無傷の丈之助が現れたのであった。
「んあ? なんじゃぁ。流石に死んだかと思うとったが、どうしたことか」
と、丈之助が間の抜けた声を出すと
「おじさまー!!」
と、セーラは丈之助の首に飛びついた。
「――よかった、ぐす……本当によかったですの」
「んむ、おお、見ればエルヴィン殿もクレア殿も健在か、ん? というかエレンとセーラがなんでこの場にいるのかの?」
セーラを首にぶら下げたまま丈之助は当たりを見やる。しかし、当のエルヴィンたちはセーラの魔法発動にてまったく動けずにいた。故に彼女の行動を諫め止める者はしばらくはいない。
「んふふー、おじさま、ふふふっ」
訝しげな丈之助の声と、のんきなセーラの声だけが、エラルド街道に反響した。
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