第13話:魔法士殺し・ヤザン=ヤールレン
「双頭の雷蛇(ユドラ・スネイクス)!!」
丈之助が取り囲む騎士達の最後の一人を無力化した時、その力の言葉が放たれた。激しい光が一瞬周囲を照らし、そこには両手に雷の鞭を構え、ニタニタと笑っているヤザンがいた。ヤザンが鞭を一振りし、地面を叩く。バヂィッ、と激しい音が地面を叩き、次いで焼け焦げた土の臭いが丈之助の鼻腔に届くのであった。
(あれは、当たるとまずいのぅ……)
そう思い、丈之助が半歩下がった時だ。
「おおっとぉ!! 森に逃げこもうなんて考えてくれるなよ? まあ、どーしても逃げたいってなら止めないがよ? ……その場合、仕事を優先させてもらう。アクスに向かわせてもらうぜ? もちろん、俺が乗る馬以外を殺してな?」
ひゃはは、とヤザンが丈之助に釘を刺す。丈之助は軽く眉をひそめると彼に向き直る。
「ふん、逃げはせぬよ……、しかし予定ではもうちっと粘れるかと思うとったがな?」
「悪くない作戦だったぜぇ? 各個撃破と見せて両方が攻撃役なところなんて俺好みだ。まあ俺が呼ばれたことを悔やむんだな、もう魔法を詠唱する隙も与えねぇよ!! 森に入った時にさっさと魔法発動しなかったのは失敗だったなぁ? 黒髪の魔法士さんよ」
じり、とヤザンが間合いを詰める。丈之助がその必殺の鞭の射程に入るまで、実にあと僅かである。
「……そうか、ちなみに仕事と言ったからには雇われかの。どうじゃ、報酬次第で寝返ってくれんか?」
「ん? かまわねぇぜ? 宰相よりもいいものを用意してくれんなら、こちらとしては願ったりだ」
その丈之助の提案に、意外にもヤザンは肯定的な返答を返した。ならばと、丈之助が口を開こうとした時だ。
「宰相からの俺への報酬は姫さまだがな!! ひゃはは!!」
ヤザンの言葉が丈之助を遮った。
「いやぁ、宰相の野郎もいかれてるぜぇ? あんな、あどけない姫さんを捕まえて父親の目の前で嬲ろうときた!! いやあ、外道も外道。人の道に外れたとんでもない野郎だ!! だけどよぉ……、俺はそぉんな、宰相さんと趣味が合っちまうのさぁ!! そんで試しに姫さんくれよって言ったらよう? 宰相さんが楽しんだ後は好きしてもいいと来たもんだ!! ひゃっひゃっひゃっ、――だがなんだ、お前さんが姫さま以上の上物を用意してくれるって言うなら、話は別だ!! よろこんでそっちに寝返ってやるよ!!」
ヤザンの笑い声が、周囲に響く。それに対する丈之助は無言である。
「なあ? そろそろ時間稼ぎはやめようぜ? はなっから交渉なんてする気は――」
ないんだろう、というそのヤザンの言葉は続かなかった。
丈之助の手から礫が放たれる。手首のしなりと指先だけではじき飛ばされた礫は、無防備なヤザンの顎へと命中した。脳が揺れ、僅かばかりであるがヤザンの視界がブラックアウトする。ちぃ、とヤザンは、防御行動として自らを巻き込むように雷鞭を振るった。
しかし、丈之助の攻撃は天から降ってきた。礫を放つと同時に前へ、鞭の間合い直前で丈之助は飛翔する。腰を回転軸としてぐるりと地面と垂直に振り上げられた足は、鞭が及ばぬ領域から振り落つ天からの鉄槌である。胴体を軸に放たれる回転蹴りとしてはあり得ない高度と速さで、ゴッ、とヤザンの脳天めがけて降り落ちる丈之助の踵。しかしすんでのところでヤザンは身を捻る。だが、丈之助の踵に宿る重力と回転力はヤザンの完全回避を許さない。その鉄槌は、ヤザンの肩にゴキリ、とめり込んだのである。
「がああああっ!!」
鎖骨が折れ、肉に食い込む激痛にヤザンが叫びを上げる。丈之助に雷鞭が片手にて振るわれるが、ヤザンの体を台にして、丈之助は既にまた間合いの外へと飛びさっていた。
「てめぇええ!! クソッ いええええ!!」
叫ぶヤザンを尻目に丈之助は淡々と喋る。
「ああ、そうそう。ちなみにな、俺は魔法士とやらではない」
なんだと、と声には出さないが、そのような表情でヤザンが丈之助を見た。
ゆらりと振り返る丈之助。その表情は読めないが、その声には侮蔑が込められている。
「ヤザンとかいったの? お主は魔法士でもない、――ただの拳士に負けるのだ」
沈黙が周囲を支配する。
しばらくして、口を開いたヤザンからは、表情が消えていた。
「馬鹿言っちゃいけねぇ……」
ガチン、とヤザンから音がする。それはヤザンが服の接続具から新たな鞭を外した音である。見ればヤザンは今まで持っていた双鞭を地に捨てていた。しかし、雷の光は未だヤザンの両手にある。
「――この俺様の相手が、紋無し風情だと?」
腰の金属鞭が両手に持ち、じゃらじゃらと音を立てて地へと這わせられた。――そしてヤザンの両手の雷光が、一つに集まる。
「――紫電の大蛇(エルドラ・スネイク)」
それはまさに、絶望的な光景であった。数メートルの長鞭に、その倍はあるかという雷の蛇がうねるようにうごめいていたからだ。身構える丈之助にヤザンは静かに呟いた。
「――いいのか?」
ヤザンは丈之助に問う。
「――そこは俺の間合いだが、いいのか?」
ざわりと、した悪寒が丈之助の神経を支配する。弾かれたように後ろに飛ぶ丈之助にヤザンの冷酷な声が届く。
「よりによって後ろか、じゃあな紋無し、消し炭にしてやるよ」
ヤザンの鞭が振るわれた。金属鞭がじゃららと唸り、丈之助へと向かう。しかし、鞭が叩いた所は丈之助が今までいた地面であった。
――バヂ
その音は丈之助の右足から聞こえた。みれば鞭の先から雷が大蛇のように伸び、丈之助の右足に絡みついているのである。視認している金属鞭よりも何倍も長いその間合いに、丈之助は舌打ちをし、
――バヂヂヂヂヂヂヂヂヂ!!
「ぐあああああああああ!!」
思ってもみない激痛と、衝撃が彼を襲う。丈之助の叫びと共に、肉の焦げる臭いが周囲を包んだ。もがく丈之助を見て、ヤザンは鞭を戻す。
「――ぐぅぬううううッ」
あまりの痛みに藻掻く丈之助。ヤザンの一撃を受けた右足は惨憺たる状況であった。革のブーツは爆ぜ、皮膚が焼け焦げ、血液がだくだくと滴り落ちていた。
ざ、ざ、とヤザンは丈之助に近寄る。丈之助は苦し紛れに礫を投げるが、ヤザンはそれをあっさりと躱していた。
「なんで、途中で鞭を引いたかわかるよな?」
バチン、とヤザンは鞭で地を叩いた。簡単には死なせない。彼の挙動の全てがそう語っている。
「――ふん、……しったことかよ」
右足を引きずりながら、丈之助は徐々に後退する。じゃらん、と今度は丈之助の左足に鞭が巻き付いた。
――バヂ!!
「がああああああああッ!!」
今度は左足が雷の蛇に食い破られる。丈之助は重心を保てず、地に転げた。だがヤザンの怒りは収まらない。十分に丈之助の足を焦がし、機動力を奪うと――
「右腕」
――バヂ!!
「左腕」
――バヂ!!
加えて二度の雷撃を丈之助に加えた後、じゃらん、と鞭をヤザンが引いた。手足を焼かれた丈之助は、もはや虫のように這うだけとなっている。だが丈之助はまだ戦意を失わず、顔だけをヤザンに向けて睨んでいる。
「ひゃっひゃっひゃ……、いいざまだ、いいざまだなぁおい!! 魔法士でもねぇのに大口叩いた結果がこれだ、なんのこたねぇ、ただの芋虫じゃねぇか、ひゃはははは!!」
ゲラゲラと、顔に手をあて笑い出すヤザン。
「――ああ、良い事を思いついたぞ、いっそ姫さんにも同じ目に会ってもらおうか? てめぇみてぇなおっさんとは違っていい声で鳴くんだろうなぁ……、うはは、興奮してきたぜぇおい!!」
そういって勝利を確信したヤザンがニタニタと下劣な笑みを浮かべる。
そのヤザンの言葉が。
丈之助の中の何かを決定的に破壊してしまう。
目の前の男は、一体、誰に、何をしでかすと言い放ったのか。
「……ねばな」
丈之助が小さく呟いた。ヤザンは聞き取れず、ああん? と丈之助を見やる。
「――また、肩に乗せてやらねばな」
丈之助は思う。奪われるものが、物だけではなくその精神こころまで根こそぎ蹂躙された場合にいったい何が残るのかと。――きっと、何も残らない。そう、そこには、何も残らないのだ。そして簒奪者はセーラの存在など、まるで最初からなかったかのように全てを奪いつくし、腹を満たし、また新たな餌を見つけるのだろう。
――それは、許されないことである。
法がではない。
国がではない。
神がではない。
他の誰でもない。丈之助自身が許すことが出来ないのである。丈之助は思う。セーラをまた、肩に乗せてやらねばと。何も持たざる少女に、せめて楽しい思い出を授けてやりたいと。お前の人生は、決して奪われつづけるものでは無いのだと、今一度教えてあげたかったのだ。
ならば、ならばである。たかが足が焼け焦げただけである。たかが両の手が炙られただけである。
「ここで俺が倒れ伏す道理が無かろうて!!」
手足が酷く熱く感じられた。グズグズと皮膚が溶けるような曖昧な感覚が丈之助の精神を支配していた。鼓動のたびに傷つけられた血管と神経が激痛を丈之助に伝える。だがしかし、今丈之助はここに立ち上がる。今ここに、彼の者が倒れ伏して良い理由が無いのならば、丈之助という男が立ち上がるのは、すなわち道理となる。
「……おいおい、マジかよ」
驚愕したのはヤザンその人である。紫電の大蛇(エルドラ・スネイク)の雷撃はそうそう甘いものではない。一度巻きつかれれば、体組織は内部さえも焼き荒らされ、その部分が動くはずなど無いからである。しかし、目の前にいる男は死に体ながらも立っている。それも自分に明確な敵意を持って。
丈之助が一歩進む。
本能的にヤザンは一歩下がってしまう。
目が、丈之助がヤザンを見るその目をみれば、もはや彼が自分の扱いをどうしてしまうのか、わかってしまう。今さらヤザンは自覚する。自分はこの男の踏み込んではいけない部分を刺激してしまったのだと。それほど、丈之助がヤザンに発する気配は常軌を逸していたのだ。起こるべくもないが、もし万が一が起こってしまったとき、自分は決して助からないことを当人が示唆できるほどに。
「おいおい……なんで俺が下がるんだ?」
丈之助の右手が上がる。半身に構えた左手には固く拳が握られていた。間合いの外だというのに、ヤザンは恐怖に揺れてしまい。
とうとう最後の一手を見誤る。
「……あ、ああああ、――死ねぇええええええええ!!」
紫電の大蛇が丈之助の右手に鎖こと絡まる。ヤザンの渾身を込めて放たれたその一撃は、丈之助の体を完全に包み込んだ。
――バヂ、と丈之助の右肩の肉が弾け飛んだ。
――ぱん、と丈之助の背中や腹から沸騰した血液が爆ぜる。
――皮膚は炭化し、赤黒く染まり、
――丈之助の左目からもぱんと火花が散り血が弾けた。
「は、はははははは、ひゃははっははは!!」
その体の破壊されようを見て、
彼の魔法を受ければ当然こうなるという結果を確認して、
ヤザンの笑いが周囲に響く。
「ひゃは……はははは!! なんだよ、なんでだよ!!」
ヤザンの下方に見える丈之助に対して、彼はは笑うしか無かったのである。
「なんで、なんでこの俺様が空を飛んでいるんだよおおおお!?」
丈之助の右腕が、大きく内へと引き絞られていた。右手に絡めた鞭ごとヤザンは宙を舞い引き寄せられる。重い金属鞭故、手の接続具に固定していた事がヤザンにとって仇となる。
丈之助の左腕が、ぴくりと動く。
「おい、おいおいおいおいおいおい!! なんで動く、動くなッ、動くなああああッ!!」
ぎりぎりと軋みを上げて弓を引き絞るように丈之助の体が捻られた。
「やめろおおおッ!!、動くはずが……ごぼぇ!!」
丈之助の左拳が、頭から落ちゆくヤザンの顔面を正確に捕らえた。ごしゃという無慈悲な打撃音がヤザンの頭部に浸透する。その威力は推して知るべし。ヤザンの頭部は拳が命中した瞬間にぐるりぐるりと数回転し、その命を吹き散らした。吹き飛ばされたヤザンの体は糸が切れた人形のように、地面に転がっていく。
同時に、ごぽ、と、丈之助の口から大量の血液が吐露された。拳を撃ちぬいたままの姿勢で動かなくなる丈之助を、朝霧がいたわるように優しく包んでいく。
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