第9話:反撃

 アクスから王都イプストリアまでの安全が確認され通行制限が解除されると、エラルド街道は瞬く間に活気を取り戻し、商人や旅人で溢れるようになった。同時に誤った情報であるが、リガルド討伐を単独で成し得た「黒髪の魔法士」桐生丈之助の存在がアクスを中心に広く語られることになる。

 アクスの東南門に一人の男が佇んでいた。黒髪黒目、上半身は袖を七分に切った麻色の道着に下半身は濃紺の裾を絞った袴を身に付けている。長く伸びた黒髪は後ろで一つに纏められ、ゆらりゆらりと風にたなびいていた。今やアクスでは知らぬものは居ない、桐生丈之助その人であった。

 その丈之助の前に一台の馬車が止まる。馬車には御者が一人そして王国騎士四人ほど警備をしている。最前で先導をしていた騎士が下馬し、丈之助へとすたすたと歩み寄る。


「丈之助どの、久しいな」


 笑顔で腕を差し出したのはイプストリア王国騎士団の分隊長であるエルヴィンである。


「うむ、エルヴィン殿も変わらずで何よりじゃの」


 と、差し出されたエルヴィンの腕に、こつんと丈之助は己の腕を合わせる。そして丈之助は残りの面子に向き直る、彼らは全員リガルド討伐で出会った面々であった。知らぬ顔は居ない。丈之助が各々に声を掛け、クレアを見やる。クレアはバツが悪そうに顔を背けるが、丈之助はそれを気にした様子はない。


「はっはっはっ、クレア殿は相変わらずじゃの」


 その様をみて丈之助は結構結構と、大いに笑うのであった。


「しかし、丈之助殿、妙にというか、日も浅いのにかなりこの国に馴染んだな……」


 そう感心するような声を上げたのはエルヴィンである。それは丈之助の身なりを見てのことだった。


「うむ、良い商人に世話をしてもろうてな、特にこの『ぶーつ』とやら、中々疾駆けなどに便利でな」


 無邪気にアクスで新調したブーツを見せる丈之助。横でクレアがまるで子供ですね、と呟く。エルヴィンと出会った時と変わらず丈之助の身なりは基本的に道着に裾を絞った袴であったが、ところどころ丈之助の装備が変わっていたのである。黒髪黒目の丈之助は未だこの世界では異物であったが、それでもエルヴィンに馴染んだ、と言わせるだけの変化があったのだ。

 まずは足。頑丈な革で編まれたブーツである。そして腕、こちらも動物の革を幾重にも重ねた革の手甲が付けられていた。前腕部から拳頭までカバーしている大仰なものである。拳頭部分は一部が手袋状になっており、掴みなども問題なくできる形状であった。


 その外見はまさに何処から見ても冒険者そのものである。


「うむ、エルヴィン殿が到着するまでに色々依頼をこなしての、少々有名になってしもうたわ」


 と、丈之助がそこまで話したところでエルヴィンは、ふと腑に落ちない何かを感じた。そしてその違和感はすぐに氷解する。そう、この場での再会こそが正に不自然だったのである。エルヴィンは丈之助へいつ自分たちがアクスへと到着するかは伝えていない。そもそも伝える術などないからだ。なのに何故今、丈之助は何故このアクスの入口である東南門にて、自分を待っていたのであろうと。


「――丈之助ど」

「――エルヴィン殿、我らは既に見られておるでな」


 と、エルヴィンが言い終える前に丈之助がその言葉を遮った。焦りもせず、そして臆せもせず、淡々とした丈之助の調子にエルヴィンは多少面食らう。そして言葉を続ける丈之助からでた事実は、エルヴィンには思いも寄らぬ事実であった。


「この街アクスに入って、三日目じゃろな、俺に監視の目がついたのは。……最初は異人である俺が物珍しさ故かと思うていたがな、あれは草の類じゃの。隠行は中々のものじゃが、ずっと後をついてくる気配が俺が立ち止まった途端に無くなるは不自然というものよな」


 そして、丈之助は草とは間者、つまりは斥候のようなものじゃな、と付け加える。


「そうか……、ちなみに丈之助殿はどうやって俺達がアクスへ辿り着く時間を知ったのだ?」


 エルヴィンのその問いかけに丈之助が出した答えは至極単純であった。


「そんなものは知らぬよ、エルヴィン殿」


 その答えにクレアが丈之助に問いかける。


「理由になってないです。ふざけてるのですか?」


 丈之助の態度にクレアは少し警戒を強める。その情報が宰相サイドから丈之助にもたらされていたとすれば、それは丈之助が懐柔されたことを意味し、目の前にいる丈之助は敵となるからだ。


「俺はの、『黒髪の魔法士』らしいでな。……この国で魔法士とやらは十人二十人の兵士よりも恐れられるのであろう?」

「……それが、何の答えになるんです?」


 丈之助の答えに対して、クレアが語気を強めた時だ。


「――そこの!! 右手で店を開いている道具屋と!! 左後方の商人!! それと門兵の二人じゃな!! そういうわけで、『黒髪の魔法士』桐生丈之助はエルヴィン殿御一行に雇われているでな!! 陣に戻って良く伝えよ!! 外に待機している二十程度の兵では不意討ちにもならんわ!! わっはっはっはーっ!!」


 それは突然の叫び声である。クレアとエルヴィンは弾かれたように周囲を見る。みれば門兵は罰悪く目を伏せ、路肩で店を開いていた道具屋は店はそのままに弾かれたように逃げ出し、商人もそそくさと人ごみの中へと消えてしまう。


「これで宣戦布告じゃ、楽しくなってきたのう?」


 呆気に取られているエルヴィン一行を尻目に丈之助は子供のような笑顔を浮かべながらクックッと楽しそうに笑うだけである。


「――エルヴィン殿、敵は上手ぞ。どうしてか知らんが俺の存在は敵方にバレておる。おそらく敵は今夜あたりの奇襲で、エルヴィン殿の戦力を見定めるつもりだったのであろう。俺はエルヴィン殿の着く時間を知っていたのではない、奴らの動きを張っていたまでのことよ」


 突然の騒ぎにて周囲は未だ騒然としていた。

 そんな中、丈之助はエルヴィンの肩をぽんと叩く。


「さて、長居は無用よ、拠点があるんじゃろう? おそらく今日の奇襲はあるまい、俺も同道するでの」

「……わかった。全く丈之助殿には本当に頭が上がらんな。ただ……」

「む?」


 エルヴィンは一息付き、馬車内を見やる。


「この一行の主は俺ではない。こちらのセーラ様だ」


 丈之助とセーラ。初の邂逅である。


 ――時は遡る。


 それは、セーラが王宮を出る直前の事であった。城門を潜ろうとする馬車の行く手を塞ぐように警備の騎士たちが道を塞いだ。普段ならこのようなことは起こらない。王族が乗った馬車を塞ぐなど言語道断であるからだ。居並ぶ騎士の中心。そこに陣取るはイプストリア王国乗っ取りの黒幕。宰相ファウスト=グラウベルである。


「クックックッ、お出かけですかな? セーラ様」


 セーラは馬車の中で感情を出さないように沈黙を貫いた。王宮を出ればもうファウストと会うこともないからである。


「おや、体調がよくありませんかな。ではこの宰相、今から独り言を呟きます故、どうか気にせず馬車内で横になっていただきたい!!」


 大仰な身振り手振りをしつつ、ファウストは馬車へと近づいた。


「聞けばファラリスへご遊覧とか、いやはや、国王が伏せられている時に大したことでございますな!!」


 その宰相の言葉の瞬間、クレアが叫んだ。


「無礼者!! 宰相風情が王族であるセーラ様に何たる口利き!!」


 しかし、


「――黙れ」


 底冷えするような宰相の言葉にクレアは息を飲まざるを得なかった。クレアは騎乗中である。目線も上だ。装備もつけているし何よりも馬上からの威圧感があるはずである。だがしかし、宰相はただそこに立っているだけだ。なうての騎士でも騎乗しているものに対しては軽い威圧を覚えるものだが、今クレアは逆にファウストから威圧されていた。


「今、儂は崇高な儀式の最中であるのだよ。空気が読めぬ跳ねっ返りは主の立場を危うくするぞ? ん?」


 ファウストがそう言って一歩前に出る。その瞬間、馬がクレアに逆らい道を空けた。


「ふんっ、畜生は物分りが早い。立場というものをわきまえておる……クックックッ」


 そしてファウストは馬車へと向き直る。馬車にはほろが被せられていてセーラの姿は見えない。しかし、ファウストはお構いなしに言葉を続けた。


「――さて、セーラ様はファラリスへと向かわれるとのことですが、お戻りはいつですかな? もちろん無いとは思いますが!! いやまさか!! セーラ様、まさかとは思いますがファラリスへの亡命など考えられませぬよう!! 未だ魔法発動が解らぬ王族が他国へ亡命する。その意味をよーくお考えになることでございます。万が一セーラ様がファラリスへと亡命なされることがあれば――当然イプストリアは激しくファラリスへと抗議を行います。……当然でございますな。なにせ王族魔法が他国へ渡ってしまうかもしれませんからな。この空白期を目の前に、それはイプストリアの一大事でございます」


 ゆっくりと、ゆっくりとファウストは馬車の周りを回り続けた。彼は言った、これは儀式であると。


「……もし、戦争となれば当然ローランとも戦争になりますでしょうな。ファラリスは商業の要にて、一国の公国となるのはローランも良しとはすまいでしょうな。ああ、なんということでございましょう!! セーラ様の身勝手な亡命が!! まさにいつぞやの大戦の引き金になってしまうとは――!!」


 なおも宰相は続ける。


「ああ、しかし宰相めは信じておりますぞ!! 聡明なセーラ様のことです。父を捨て!! 国を捨て!! そして故郷のファラリスを戦に巻き込み!! そしてローランとイプストリアの大戦の引き金などならずに!! ――この宰相の従順な玩具になってくれることを信じておりますぞ? クックックッ、クハ…クハハハハハハハハハハ!! ヒャーッハッハッハッァ!!」


 狂ったような笑いの中、ファウストは道を塞ぐ騎士たちへと合図を送った。開いた道は、まさに絶望の道である。この悪辣なファウストの儀式めいた言葉により、セーラはこの上なき絶望の楔を、最後の最後でファウストに心へと打ち込まれてしまった。小さな少女には重すぎる本心と行動の矛盾の楔。その楔はアクスへと近づくたびに、ぎしりぎしりとセーラの心を蝕み、絞めつけていったのだ。


 ――その折である


「――そこの!! 右手で店を開いている道具屋と!! 左後方の商人!! それと門兵の二人じゃな!! そういうわけで、『黒髪の魔法士』桐生丈之助はエルヴィン殿御一行に雇われているでな!! 陣に戻って良く伝えよ!! 外に待機している二十程度の兵では不意討ちにもならんわ!! わっはっはっはーっ!!」


 耳をつんざく大きな叫び声。しかし、不思議と耳障りは無く、むしろ心地よさを感じる温かい声である。そしてその声は、今までエルヴィンも、クレアもセーラも誰一人成し得なかったファウスト陣営に対する初めての反撃であり、抵抗の証であった。


 ゆらりと、何かに引き寄せられるようにセーラは立ち上がる、そしてそのまま誘われるようにセーラは馬車の外へと――


「ほうほう、これはめんこい主様じゃのう?」


 黒髪黒目の見慣れぬ異国の人物、しかし、そのおどけた笑顔と言葉を聞いた瞬間――、

 セーラは、丈之助の胸に飛び込んだ。


「助けてください……。父様を……、……父様を助けて――」


 それは、ルイス王が倒れてから、初めて吐き出したセーラの本心であり、彼女の一番の願いでもある。ただしこの状況でもセーラがその中に自分を含めていないことに、エルヴィンは顔をしかめ、クレアは視線を落とした。

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