第8話:持たざる者

「ほー、なんとまあ、異国の街とはでかいものよのう……」


 アクスの街並みに立ち並ぶ建物とごった返す人々を見て、呆気に取られていた丈之助が初めて出した言葉がそれだった。


「あんた、ホント田舎から出てきたのね、中継都市としてはアクスは大きい方だけど、ファラリスとか王都なんかはこの比じゃないんだから」


 と、丈之助の横を歩くエレンが多少呆れた表情で言葉を返す。


「ふむ、関ヶ原を出てからはずっと山生活であったからの、田舎というよりかは俺は野人に近しきものぞ。そこに期待されても困ってしまうわ。はっはっは」


 と、のたまう丈之助に、エレンはだめだこのおっさん、と大きく息を吐き出す。そして、尚もすたすたとエレンは丈之助と同じ方向に歩いて行くのである。


「……それでな、お主はどこまで俺についてくる気なのかの?」

「とりあえずしばらくかな? 特に急いでやることもないわけじゃないけど、動けないし。ジョーはギルド行きたいんでしょ? 道案内するわよ?」


 と、ばんばん、とエレンは丈之助の肩を叩くのであった。しかし、その心のなかでは、


(黒髪黒目? 見たことないわよそんな人間。異様に強いし、もしかしたら掘り出し物でも持っているかも……。うん……匂うわ。お金ちゃんの匂いがッ! プンプン匂うわーッ!)


 とほくそ笑んでいるのであった。もちろん、その笑みが心のフタからにじみ出て、実際の顔に出てしまっていることなど、本人は気づくわけもない。。


「お主、商人には向いていないのではないかの……」


 丈之助の素直な感想にエレンは何いってんのよ、と、軽く憤慨するがその後すぐにギルドを見つけたようで、ちょいちょいと扉を指さし、丈之助に促した。


「ほら、ギルドはここよ。ささっと用事すませちゃいなさい」


 そんなエレンを見て、前途多難な商人の行く末を案じながら、丈之助はギルドの扉を開けるのである。


 アクスの冒険者ギルド内の一階は酒場兼待合所となっていた。用途が用途だけに、かなりの広さが取られている。そして部屋の右奥。居並ぶテーブルとイスの奥にギルドカウンターがあり、反対側の左奥にはバーカウンターが敷設されている。さらにその奥には調理場が設置されていた。

 流通の中継地点であるアクスに置けるギルドの役目は、道中警備を始め取引の諍いや揉め事の仲裁、希少動物のハントや手配魔獣の討伐など量も質も多岐に渡る。必然的に様々な人種が出入りする形になり、それに対応するため、仕事の依頼と待合が同時に出来る形が取られていた。そして、二階はギルドに加盟した冒険者達の仮宿として、雑魚寝の大部屋から個室までの宿泊施設が整えられている。

 そんなアクスギルドの待合酒場では、未だ通行制限の解かれぬエラルド街道の話題と、その原因となる手配魔獣リガルドの事であった。代替の街道があるといってもエラルド街道は王都とファラリスを結ぶ要所中の要所である。可能であるのならばいち早く治安を取り戻したい場所なのである。商隊を組める大商人は問題ないが、取引の八割を占めるのは小所帯の商人たちである。彼らは警備を雇う余裕もそれほど持たないし、なにより彼らに雇われるクラスの冒険者など、正にリガルドの格好の餌食でもあった。リガルドの出現報告は川の中でも確認されており、水路、陸路ともに詰んでしまっている状況である。

 また、五詠唱単位の魔法が使える冒険者も数が多いとは言えず、解決の糸口を見出すことができないアクスギルドは、面目関係なしにリガルドの討伐を王国騎士団へと依頼したのである。

 そのような背景があり、各テーブルでは名を上げるチャンスとして我そこはと息巻くものや、集団で山狩をすべく計画を立てている者、そして王国はまだ動かないのかなど愚痴る商人達など、まさにエラルド街道についての話題が騒がれていた。


「へー……、そんな事になってたのねぇ。そりゃ通行制限もしかれるわー……、てかジョーもよく襲われなかったわねぇ、リガルドってリガルドベアの異常体でしょ? ただでさえ凶悪な魔獣なのに、異常体のリガルドベアとか魔法士でもいなきゃ絶対無理だわー……」


 ギルドカウンターへと向かう丈之助とエレン。近くのテーブルの話を耳ざとく盗み聞いたエレンがそう呟いた。


「そうかの、まあ確かに強かったがのう? しかし、旨そうなモノが揃っておるな、実に興味深い」


 テーブルに居並ぶ酒と料理を眺めながら、のほほんと丈之助が答える。


「……ジョー。あんたあんだけ食べてまだ足りないの? ……というかもしかしてリガルドと遭っちゃったの? よく生きてたわねー、魔獣の異常体って耐久力がえらく強くなってるから、首の骨でもネジ折らない限り矢が突き刺さろうが槍で貫かれようが平気で向かってくるって言うし、魔獣のくせに知能高いし……ほんとよく逃げられたわね、あ、もしかして川にでも飛びこんだりでも――」


 と、そんな丈之助はエレンの言葉を遮り、鈍い音がごとんとギルドカウンターへ響く。それは人の胴回りはあろうかという獣の手。真紅のように赤く染まった爪が鈍い光を湛えていた。


「りがるど、とかいう熊公を仕留めたでの、報酬と宿の手配を願えるかの?」


 呆気に取られる受付のギルド員。それは後ろで口をぽかんと開けているエレンも同じである。そして、カウンターの周りで雑談をしていた冒険者達も同じような顔をしていた。


「そうそう、騎士団のエルヴィン殿からも書状を預かっておったな、必要じゃと言われたが、よく解らぬ故これもな」


 受付のギルド員は言われるままに手を差し出して丈之助から手渡された書状をみた。そこにはまごう事無き、騎士団の分隊長以上が持つ特印が押されていた。


「――えーと、あ、はい、ね、念のため照合してきますね」


 と、受付のギルド員がその席を立ったときである。


「はあああああああああああああああああああああ!?」


 エレンと、周囲の冒険者と、その他その騒ぎを見守っていた人が一斉に叫び声を上げたのであった。


「なにそれ、聞いてない!!」


 とエレン。


「聞かれなかったからのぅ」


 と、丈之助。そしてやいのやいのと騒ぎは大きくなり、ギルドカウンターの前にあっと言う間に人だかりができてしまった。


「うお、マジか、本物かよ!! 手でけぇ!!」

「こっちは毛皮か、でけぇ!! てか臭ぇ!!」

「すげぇ分厚いなおい、こりゃ鞣をなめしゃいい毛皮になるぜおい!!」

「おう、あんたすげぇな、一人で仕留めたのか? 見慣れねぇ風貌だが魔法士だったりするのかい?」

「あんちゃん、あんちゃん、得物は何使うんだ? 修理なら任してくれ、いい腕してるぜ?」

「冒険者でも魔法士っているんですね、どんな魔法で討伐したんですか?」


 矢継ぎ早に浴びせられる質問に対して、丈之助は面を喰らってしまっていた。というのも彼の山暮らしは二十年も続いていたのである。闘いとは勝手が違い、丈之助は多対一の会話に対して基本的に慣れていないのだ。


 そんな中、受付のギルド員がわたわたとカウンターへと戻ってきて


「ええと、特印の照合が完了しました。リガルド討伐、完了手続きを行います、二階に個室をご用意しますので、数日間お泊りになってください」


 その言葉に再び酒場が熱狂する。


「うおおおおおおおおおおおおおお!! マジ本物だああああああああああああ!!」


 その叫びはアクス―王都イプストリア間の街道の開通を意味し、そして数ヶ月ほど彼らを悩ませていた問題の解消を意味していた。この件が切っ掛けで、アクス一帯で『黒髪の魔法士・桐生丈之助』という間違った通り名が広く広まってしまうことになる。それは後のエルヴィンから依頼された護衛の任務にて、ある影響を与える事になるのだが、それはまた後ほどの話であった。


「――ちょおおっとまったぁ!! ジョーに関する依頼に関しては必ず私を通してからね!! さあ、この毛皮! 幾らからいきましょうかね、おーほっほっほ!!」


 バシバシ、と床を叩き、勝手に競りを始めようしているエレンを見て、丈之助はやれやれと息を吐いた。


「……まったく、何をやっているのか」


 アクスの今日の夜は長い。そう、歓喜の宴はまだ始まったばかりなのである。


 ――


「お帰りなさい、エルヴィン、クレア。エラルド街道はいかがでしたでしょうか」


 イプストリア城内、セーラの自室にて、エルヴィンとクレアはセーラに報告を行なっていた。


「はい、セーラ様の感知通り、確かに『何か』は居りました」


 そして、エルヴィンはセーラに力強く語りかける。


「ご安心ください。彼は、丈之助という男はきっと姫様の力となるでしょう。間違いございません」


 エルヴィンの言葉に、セーラは俯いた。

 やはり、自分はこの国を捨てなければいけないのかと。

 やはり、父親を捨てて逃げなければいけないのかと。


「セーラ様、ご決断ください。我ら兄妹もファラリスの出身。あの宰相にセーラ様が慰み者にされるなど見たくはありませぬ」


 クレアが深刻な顔つきで語りかける。セーラの表情は暗い。事実かれは追い詰められている。父は逃げろという。しかし未だ彼女の本心は父を置いて行きたくないと願う。自分の為に身を削って尽くしてくれるエルヴィンやクレアも逃げろという。しかし、あの宰相が易々とファラリスへと逃がしてくれるわけが無い。逃げればエルヴィンにもクレアにも危険は等しくに振りかかるのだ。行くも苦難が予想され、留まってもこのままではジリ貧である。彼女の心は今、雁字搦めに縛られていた。もはや彼女の思考を動かしているのは王族としての矜持だけである。


 なれば。


 王族の矜持に従い、父王の言葉通りに逃れる道と、最後の希望を託しに水の精霊イプスの導きがあった場所へ行くべきである。それが十歳の少女が取りうる唯一の選択肢であった。例えその選択肢が誰かに握らされたものであったとしてもだ。


 「分かりました。いきましょう」


 そのセーラの力強く頷いた笑みは、仮面の表情である。しかし、エルヴィンも、クレアも、一番近く長く仕えているメイドのリタも、彼女の本心を理解することはなかった。おそらくは、この場に父であるルイス王がいても――である。


 今のセーラは王族であるが故に、孤独な持たざる者なのだ。

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