第7話:丈之助、アクスへ向かう

 丈之助が目指すアクスは、この大陸の東側の商業の要であるファラリスと各都市を結ぶ中継点の役割を果たしているわりと大きな街である。大陸東の物流は例外が多少あるものの、ほぼ全ての物資がファラリスへと集められ、そしてファラリスから出ていく形で営まれている。東西の流通は河川輸送で担い、南北の流通はファラリスから放射状に整備された街道を使い、陸路にて物資の輸送が行われているのである。

 丈之助とエルヴィンが出会ったエラルド街道は、アクスを通じてファラリスと王国首都のイプストリアを結ぶ重要な街道であった。手配魔獣であるリガルドの出現により一時的に通行制限がしかれていたものの、普段は荷馬車や行商人でごった返している賑やかな街道であるのだ。

 しかし、数ヶ月に及ぶ通行制限は当然街道を過疎化させる。イプストリアへ通じる道はエラルド街道だけでない。僅か数日のロスと命は天秤にはかけられない、それは商人として当然の考えであった。ところが、この広い世界。御多分にもれず例外というものが存在する。


「例えば、通行制限なんてことを知らねえでひょっこり街道を通る商人とかよぅ」


 丈之助の目の前にいる男達の一人が視線を移す。彼らの後ろには手足を縛られ、猿轡を噛ませられてもがいている商人がいた。その手には抜き身のショートソードが握られている。そして丈之助を囲むように、同じような身なりをした四人の男たちが品悪く笑い声を上げている。


「あとは俺たち見てぇなろくでもねぇ奴らとか――」


 と、そこまでショートソードの男が言ったところで、弓を持った男がその言葉を遮った。


「あんたみたいに事情を知らねぇド田舎者とかだな!」


 どっ、と丈之助達を囲む男達から再び笑い声が上がった。ちげぇねぇ、だの、今日は大漁だ、などの声が丈之助の耳に届く。そしてひとしきり笑った後、ショートソードの男は丈之助に剣を突きつけた。


「ったく、ここに来て逃げたり喚き散らさねぇ度胸はすげぇもんだ。それともチビって小便漏らしそうなのか?」


 にやにやと男は丈之助に突きつけた剣先をプラプラと揺らしながら、いやらしく笑いかけ、


「……手ェ上げろ、荷ぃ下ろしな」


 そして、男はこれまでとはうって変わって低く、冷徹な声で最後通告を出した。沈黙を続ける丈之助に、男はため息ひとつ。この状況を理解出来ない馬鹿は死ぬべきだという覚めた男の思考をもって、突き出されたその剣先が無慈悲に丈之助の体へと沈み込む。

 その光景を眺めるしかできなかった商人は思う。今日は正に厄日だと。久方ぶりにアクスへ来たはいいものの、目当てのものは無く、その足で王都へ向かおうとエラルド街道を行けば盗賊にかち合う始末。通行制限がでていたというのも寝耳に水である。何故街道を出る時に警備の騎士は自分に忠告をしてくれなかったのか。なぜ、道行く人は自分に教えてくれなかったのかと、商人は彼らを恨んだ。先だってエラルド街道を出立した一団はやけに厳重な警備を引き連れていた。せめてあの時に気づいていればと、商人は悔やんだ。何も自分がこんな目にあわなくてもいいのではないかと嘆き、悲しむ。

 そして今、商人は今手足を縛られ、簀巻き同然の状態で地べたに転がされているのである。商人の希望は今がまだ夕刻であるということであった。いくら人通りが少ないとはいえ、巡回の警備騎士ぐらいは回っているはずである。その時に助けを求めるのだと、商人は心に決めたのであった。

 ところが、通りかかったのは黒髪黒目で見たことのない風貌の旅人である。体格はそれなりによさそうに見えたが、さすがに武器を持った集団には分が悪そうに商人には見えてしまった。現にその男はあっさり盗賊たちに囲まれて刃を突きつけられてしまっているのだ。そして、盗賊の一人が商人への耳元で呟いた。


「……大人しくしてな、お前にはまだ使い道があるからよ、だがいい機会だ。俺らに逆らえばどういうことになるのかを見せてやるよ」


 商人は戦慄した。この盗賊たちは自分に恐怖を植えつけるためだけに目の前の旅人を殺すつもりであることに。そしてこの残虐な男たちは、これから自分にどの様なことをさせようとするのだろうかと。自分も不幸なら、あの旅人はもっと不幸だ、なにせ、こんな不幸な自分の為に殺されてしまうのだから、と。そして商人はせめてその瞬間だけは見たくないと、丈之助から目をそむけるのであった。


 ぐち、と何か柔らかいものを潰した様な音。そしてゴキリ、と鈍い音が商人の耳に届いた。おそるおそる商人が目を開けたそこには、丈之助の前に崩れ落ちるショートソードを持った盗賊の男の成れの果てがあった。その意外な事実に仲間をやられたはずの盗賊達も呆然としている始末である。みればショートソードをもった男の片目は潰れ、首があらぬ方向へと曲がっていた。


「なんと、お主らは野盗、山賊の類であったか」


 そして彼らを現実に戻したのは、丈之助が発したその言葉である。


「いや、クレア殿のこともあったからの、てっきり挨拶がわりに手合わせをするのがこの国の風習かと思ってしもうたわ。わっはっはっ」


 ひとしきり笑ったあと、丈之助は盗賊たちを見回した。そして動かない彼らへ、まるでじゃれる幼子へ父親がかける言葉のような案配で――。


「――ん? どうした。かかってこんのか?」

「――なめやがって!!」


 その言葉はアウトローに生きる彼らにとっては宣戦の言葉である。盗賊の一人が当然の様に剣を抜き放ち丈之助に切りかかってきた。片手上段から丈之助の肩口へ。袈裟懸けにロングソードが切り下ろされる。それに対して丈之助が選んだ答えは至極単純であった。剣戟を躱すのではなく踏み込む。狙いは振り下ろされる柄頭。丈之助の掲げた右腕が盗賊が振り下ろす剣を腕ごと止めた。対武器の選択肢は躱すだけが能ではない。踏みこむことで増える選択肢もあるのだ。同時に崩れ落ちる盗賊の男。見れば丈之助の左足が男の股間を粉砕していた。

 崩れ落ちる男の向こう側。丈之助の死角から矢が放たれる。それは素人目に見ても回避不可の攻撃であった。弓を放った男と丈之助の間は僅か数メートル。矢が丈之助に到達するまでほんの数瞬である。しかし、弓の男は信じられないものをそこで目撃した。


 ぱしん、という乾いた音。そして、ずっ、という刺突音。


 放たれた矢は丈之助に捕らえられ、間髪入れず丈之助の脇で槍を構えていた男の喉に突き刺さっていた。


「……な、なんだよお前、なんなんだよお前……」


 弓の男が下がりながら矢をつがえようとするが、手が震えて思うように矢をつがえない。弓の男は近づいてくる丈之助から逃げようと焦っていた。しかし、弓の男のその目に希望の光が灯る。丈之助の後ろには、今まさに彼の後ろから斬りかかろうとする仲間が見えたからだ。

 丈之助の脳天目掛けて振り下ろされるロングソード。しかし、死角から飛び来る矢を事もなしに掴む男が、どうして野党風情の剣戟をまともに受けるものか。ゆらりと丈之助の体が揺れる。振り下ろされた剣は空を切り、握られた剣ごとその腕は丈之助の右腕に絡め取られる。その刹那男は親指を丈之助に掴まれ、そのまま外向きに腕を捻られた。ゴキン、と男の手首が外される音がする。あまりの痛みに取り落とした剣がガランと音を立てて転げた。動きの変化はそれとほぼ同時である。肩越しに親指を掴まれ、丈之助の肩を支点に関節を決められた男の体がふわりと浮きあがる。ビキン、と再び鈍い不協和音が周囲に響いた。極められていたであろう肘が砕けた音である。同時に男は声にならない叫びを上げてうつ伏せに地面に叩き付けられた。同時にさらに一捻り。男の肩が外される。おそらく盗賊の中で一番の不幸であったのはこの男であった。なぜなら一撃で殺されなかったのは、彼だけなのだから。ぐき、と四度目の不協和音が響いた。投げを決められた盗賊の男の頚椎が丈之助に踏み折られた音である。


「ひ、ば、化物……、化物だぁ! た、助けてくれ、――助けてくれぇええええええええ!!」


 誰が武器を持った五人の男相手に、無手の男が勝つなど予想できようか。誰が場数を踏んでいる野盗が、武器を持たない男に全滅されられることを予想できようか。それも大人が赤子の手を捻るような塩梅で命を摘まれるという一方的な行いを。最後に生き残った盗賊の男は弓矢を手放すと丈之助に背を向け、一目散に逃げ出した。


 一方逃げる盗賊の背中を見ながら丈之助は師の言葉を思い出す。師曰く、『野盗、山賊などの無頼を相手にする時は遺恨を残すな、やるならばとことんやれ』と。集団の理は総じて二手三手が打てるその組織性である。飽和した攻めや波状の攻めに対して丈之助は対向する術を今は持たない。


「なれば、此れも俺を狙った因果よ、恨んでくれるな」


 丈之助は逃げ出した男を仕留めるべく、追走するのであった。


 商人は呆然としていた。目の前で起きた事が信じられなかったからだ。これは何の夢かお伽話の類であったか。気づけば自分のピンチに現れた旅人があれよあれよと盗賊共をなぎ倒し、そして今、自分の荷をゴソゴソとあさり、アキア産の高級腸詰めを目ざとく見つけ、ムシャムシャと咀嚼をしているではないか。


「……って、それは私の商品だー!! 勝手に食べんなコラー!!」


 自分の安全が確保できればなんのその。というよりは摩訶不思議な体験の後、思考が一周回ってしまったらしく、この商人は命の次に大事な商品を守るべく、商人は簀巻きの状態ながらもびっちびっちと打ち上げられた魚の様にアピールを重ねる。もちろん、猿轡を噛ませられているのでその声は丈之助には、もごもごと聞こえるだけで一切届いてない。


「ふむ、なんじゃお主も食いたいのかの」


 商人の簀巻きの舞を、自分もよこせと解釈したのか腸詰めを持って丈之助が商人へと近づいてきた。そして商人に噛ませられている猿轡を外した時だ。


「――あーっ 一箱しか無いのに! もう半分も食べちゃってる! 酷い! 王都に持ってけば金貨十枚は固いのに!」

「ふむ、そうか。アイツらは存外に金持ちの野盗共じゃったんだのう?」

「ちーがーうー!その荷馬車も、中身の荷物も全部私んだってば!!」


 びちびちと跳ねる商人に、丈之助はため息を付いた。


「なんじゃ、お主、女子おなごじゃったか」

「――言うに事欠いてそれかコンチクショー!!」


 一際激しく跳ねると商人は、ゼーハーゼーハーと激しく息を乱し力なく横たわり、そして居住まいを正して、しずしずと頭を下げた。


「……ごめんなさい、助けていただいて有難うございます。お礼にその腸詰めは差し上げます。あと枷を外していただけると助かります」

「うむ、最初からそういえばいいのよ、わかり難くてかなわん」


 丈之助は商人の簀巻きを解きながら、やれやれと呟いた。


「そうですよね……、本当だったら積荷全部取られて、犯されて、最後に奴隷市場に叩き売られるなんて普通にありえた展開でしたよね……。ああ、そんなことになったら、正直罰……ああ、それはそれとして、ありがとうウィルド様、イプス様。巡り合わせに感謝致します」

 そう言って祈りを捧げる商人に、丈之助はクレアといい、この商人といい、この国の女子おなごは奇妙な輩が多いのかと首を傾げるのであった。


「……それで、お主はどうするんじゃ?」


 腸詰めの箱を空にした丈之助は商人に問いかけた。


「……アクスへ戻るわ、本当はイプストリアに急がなくちゃいけないんだけど。安全が確保できるまで引きこもるわよ。命のの方がよっぽど大事。……まったく、大赤字だわ」


 そして丈之助はにんまりと笑う。


「奇遇じゃの、わしも行き先はそのアクスとやらじゃ」


 それを受けて商人は、なによ、とジト目で丈之助に返す


「いやの、道中の安全、そこの美味そうな燻製肉で手を打ってもよいがの?」


 丈之助の視線の先には肉厚のハムがずらりと並んでいた。


「……よりにもよって、コルギュー産の燻製なのね、さっきの腸詰めとまでは行かない迄もそこそこ値が張るわよ……」

「……お前さんの命とどっちが高いんじゃ、ん?」

「あー、もうわかったよぅ、そのかわりしっかり守ってよね!」

「重畳重畳、では早速いただくかの」


 そういって二の腕はあろうかという肉の塊に丈之助は旨そうにかぶりつく。


「あんた、あんだけ腸詰め食べておいてどういう胃袋してるのよ……」


 そして、荷馬車の点検と、馬の準備を終えると、御者台に座り、商人は丈之助に向かって話しかける。


「それじゃ、出発するわよ、えーと、」

「丈之助じゃ、丈の字でもよいがの」

「……どっちも呼びにくい、ジョーでいいわね」


 そう言って商人は、ぱん、ムチを馬に当てる。ゆっくりと荷馬車が動き出した。


「私のことは、エレン、て呼んでね」


 馬車は一路アクスへと向かうのであった。

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