第6話:護衛依頼

「ちょっといいか、丈之助殿」


 そう語りかけたエルヴィンに、丈之助はかまわんよと相槌を打つ。それを受けて、エルヴィンは少し離れて座っているクレアを見やり、そして小声で丈之助に話しかけた。


「……どうだ、俺の妹は強かろう?」


 おどけた表情でエルヴィンは言った。それはただの妹自慢、しかし僅かばかりの自重の表情。彼のの言葉にはそのような意が含まれている。そんな彼の感情を理解した丈之助はふむ、と頷く。


「――粗いがの」


 丈之助の返答は至極簡潔であった。クレアには力は持てど、それを活かしきる経験が不足している。経験の浅さは戦術の粗さに直結し、そしてその粗さは戦いの場では死に繋がる重大な弱点であった。


「うむ、そういった意味で今回の丈之助殿との一戦は中々に貴重な経験だったろう。丈之助殿には災難だったが、これからあいつも魔法を過信することも少なくなる。改めて感謝せねばな」


 はっはと、エルヴィンは丈之助に笑いかける。そして彼が、それよ、と呟き体を起こした。


「その魔法とやらは、クレア殿が使った面妖な術のことよな? あれはエルヴィン殿の国では誰もが使えるものなのかの?」


 丈之助は山篭りの最中、師の人脈にて野試合を何度も行なっていたが、当然の如くクレアの様な理外の術理を持って戦うものは居なかった。そして、クレアと合間見えてその威力を肌で感じた今、その使い手についての情報は実に重要なことだったのである。


「うむ、そうだな。使える程度に差異はあるが――、国とは言わず、この大陸の全ての人間は何かしらの魔法は使えるな、……しかし、魔法を持ってして戦闘ができる五詠唱単位(クインティプル)の使い手という点で言えば、そう多くない。おそらく千人に一人ぐらいであろうと言われているな」


「あー……、すまんエルヴィン殿。俺は学がない故いまいち分からんが、くいんてぷる、とは何じゃ?」


「ああ、済まない。クインティプルとは詠唱、つまりは呪文というか前提に唱える文言の数ともいうべきかな、それが五章節。つまり五つの言葉を口に出さねば、魔法は発動しないのだ」


「ふむ、おそらくはクレア殿が長々と吟じていた歌のことよな」


「そうだ。だから魔法士は大体、詠唱時間確保のための兵士を確保しているわけだ。ついでに言えば詠唱単位が長ければ長いほど強力な魔法となる。五詠唱単位(クインティプル)で英霊級、六詠唱単位(セクスタプル)で精霊級、七詠唱単位(セプタクル)で神霊級と呼ばれているな」


「……なるほど、要は強力な魔法ほど、時間がかかると考えればよいかの」


「そういうことだ、それと精霊級、神霊級については気にすることはない。数十年から数百年に一度使い手が現れるかどうかで、更に戦闘向きの魔法の使い手に絞るとかほぼいないと言っていい。神霊級に至ってはこれまで王族のみにしか現れたことがないからな……。後は王族は王族で特別な魔法があるのだが、まあそれはいいか……」


 そうエルヴィンが、付け加えると丈之助はしばらく思案した後に、うむと頷くのであった。


「ま、やりようはあるじゃろうな」


 そう呟いた丈之助の顔は実に楽しそうな表情であった。


「……さて、丈之助殿。丈之助殿はこれから何か当てはあるのか?」

「……ある様に見えるかの?」


 丈之助の言葉にエルヴィンは頭を横に振った。


「丈之助殿は我々の目的は覚えてるか?」

「……あー、確か、この熊公の討伐じゃったか?」

「そうだ、結果的に今回仕事を果たしたのは、丈之助殿だがな」


 そしてエルヴィンは寝転がる丈之助の元に、どさっとリガルドの左手部分を置く。左手だけとはいえ、その太い腕はそこそこの重量だ。


「この街道をずっとあちらへ進むと、アクスというそれなりに大きい街があってな、そこのギルドにこの討伐部位を持ち込めばそれなりの報酬が入るだろう。毛皮も持って行くといい。ギルドで換金もできる。当座の資金にもなるし、おそらく宿も仕事もそこで見つかるはずだ」


 エルヴィンの言葉に丈之助は身を起こす。


「……ふむ。俺は構わんがの、エルヴィン殿はそれで良いのか?」


 お互い気さくに鍋を囲んだものの。エルヴィンは丈之助の目から見れば彼が知るところの武士階級に相当するように見えた。つまりは手柄を取らず面子は立つのかと丈之助はエルヴィンにそう問いかけたのだ。そんな丈之助の気遣いに彼は破顔した。


「ふはは、気にするな、丈之助殿、これは元々我々の仕事ではない。今回の依頼はギルドの尻拭いみたいなものだからな。名の知れぬ丈之助殿が討伐した方が要らぬ軋轢も産まずに済む。いや、こちらにとっても悪い話では無いんだ、……実は俺がここに来たのも他に目的があってのことだからな」


 そうエルヴィンは言うと懐から書状を取り出し、それを丈之助に手渡した。


「先ほどアクスのギルドへの紹介状を書いておいた。これを見せれば丈之助殿の身分も証明されよう」


 差し出された書状を受け取り、丈之助は多少訝しげにエルヴィンを見る。


「――まあ、熊公をのしたのは俺じゃし、手柄云々は問題ないがの。……クレア殿とのやり取りは抜きにしても、どこぞの者ともしれぬ俺にここまで世話を焼いてもらうのも不可思議なものよのう?」


 丈之助は元々世捨て人である。さらに言えば、今この場にいる人間は全員が金髪碧眼であり、黒髪黒目の丈之助は明らかに異物であった。エルヴィンはそんな丈之助の身分を保証し、これからの宿や仕事まで見つけるための手助けまでもするという。彼はは丈之助に悪意を持つ者では無い。その点を丈之助は今までのやり取りで理解していた。共に食を囲み、遊び程度ではあるが拳も交えた。丈之助に取って彼は、まだ全貌が見えぬ実力者であり、できれば貸し借りのない対等な関係でありたい存在であった。故に、丈之助はこの申し出に対して、なんとも受け入れがたい感情が出てしまったのである。そんな丈之助の様子を見やり、エルヴィンは話を続ける。


「いや、丈之助殿、話はまだ終わっていない」


 そして人差し指をピンと立て、丈之助に話しかけた。


「一ヶ月後、護衛の仕事を頼みたい。それが条件だ」


 そう、エルヴィンが言った瞬間である。クレアが話しに割り込んできた。


「――兄様!! それは!!」


 非難めいた視線を送るクレアを手で制し、エルヴィンは話を続ける。


「あらかじめ言っておくが、この依頼はかなり危険な仕事になる。十中八九魔法士との戦闘になるだろうし、その過程で命を落とす危険もある。だから断るなら断ってくれ。ただし他言無用で頼む、その場合この紹介状は、この件について口外しないという事に関しての謝礼に当てて欲しい」


 エルヴィンの表情は今まで丈之助と会話していたものとは違い、うって変わって真剣なものとなる。その意を汲み取り丈之助は頷いた。そしてありがとう、と小さくエルヴィンが礼を言い、そして未だ納得いかぬと不満を隠さぬクレアを後目に、彼は本題を口に出すのであった。


「――実は、ある姫君を国外へとお逃ししたいのだ」


 ここでこの国、イプストリア王国についての内情を説明しておこう。端的に言えばここ数年間、この王国はまさに権力闘争の真っ只中であった。切っ掛けは至極単純なことである。王が倒れ、世継ぎがいない。典型的なお家騒動の形である。通常世継ぎがいないと言うことは、王に子ができないということなのだが、この世界では意味が少々異なる。世継ぎがいないとは、現イプストリア国王に実子がいないということを指すのではない。『王の実子に五詠唱単位以上の魔法が使える者』がいないということなのだ。


 というのも、この世界において王族が振るう魔法は特別だからである。


 このミド大陸で、何故現四大国が大国でいられたのか。それは現大国の王族がこの世界における四大精霊の加護を強く受けていることに他ならない。この大地ができた時に精霊と対話をした神官の血筋であるとか、精霊に作られた原初の人の末裔であるなど様々な諸説があるが、真実は定かでは無い。定かでは無いが、現四大国の王族は今も確かに、目に見える形で四大精霊の加護を受けているのである。それの加護とは何か。王族を王族として決定づける加護。


 それは第三者を媒体としての魔法発動である。


 例えばクレアの水の剣刃(ウォルタ・ブレイズ)を例として上げてみるとしよう。水の剣刃はクレアの周囲に操作可能な水の刃を作り出す魔法である。クレアは詠唱と自らの魔力を呼び水に水の精霊イプスの力を借り、魔法を顕現させた。しかし、王族が水の剣刃を発現させた時、それは効果が大きく異なる。実際、魔法は一人一人固有のものであり、同じ魔法を発現させるということはありえないのだが、今回その矛盾は割愛する。王族が水の剣刃発現させると、その王族の力量にも寄るのだが、周囲の人間も王族と同じように同じ魔法を使うことができるのだ。


 ただでさえ圧倒的な攻撃力を持つ魔法士が、王族の魔法発動と共に量産されるのである。王族は一人で間接的な対軍が可能な強大な軍事力であり、そして国の象徴でもあった。もちろん王族魔法の用途は軍事力だけではない。魔法の種類により、治水などの大規模土木工事や大建造物建築などにも運用される。そして当然その力があるものと無いものではある者の方が強い。


 水の精霊イプスの加護を受けるイプストリア、

 火の精霊フューリーの加護を受けるゼルシュタッド、

 風の精霊ウィルドの加護を受けるローラン、

 土の精霊ゴルガンの加護を受けるグランセル、


 これらの大国がこの大陸で抜きん出るのは至極当然のことであった。その様な背景があるイプストリア王国にて、王族に『王の実子に五詠唱単位以上の魔法が使える者』がいないという事実はまさに一大事であった。過去、大国の歴史にて王族魔法が存在しない空白期がでた時期は初めてではない。しかし、空白期は圧倒的な軍事的アドバンテージが無になる時期である。それを迎えるとなれば国としてはそれなりの準備をしなくてはならない。

 そんな中、イプストリア王国宰相ファウストの動きは素早かった。訪れる可能性が高い空白期というプレッシャーを逆手に取り、有力貴族達を取り込み、国力増強案を提唱し、一気に宮中を掌握した。現在、イプストリア王族の中で、未だ五詠唱単位以上の魔法発現の有無がわからない実子はたった一人である。その一人に賭けるよりも、最悪他国家からの侵攻や、配下公国のイプストリア離脱は防がなければならないうファウストの論は、それなりに理があり、生活の安全を求める民衆達の支持も上手く得ていたのだ。


 しかし、それは表向きの動きである。


 実際のところ、今回のお家騒動の本質は宰相ファウストによるイプストリア王国の乗っ取りであった。彼にとって王族魔法を発動できる後継ぎがいないという現実は実に彼に都合良く働いた。自分の息のかかった貴族の娘を国王の側室へと送るのはもちろんの事、現国王の食事に毒を仕込み、国王が倒れる原因を作ったのも彼のの手筈である。仕込んだ側室の子が王族魔法を発動すれば良し、万が一発動しなくても空白期に置ける王族の求心力低下を利用し、実権を握る。どちらに転んでもファウストの勝利となる手筈であった。

 そして今、送り込んだ側室に男子が誕生する。誕生して直ぐに、魔法発動の兆しありとの報告を受けた彼は、最後の不安の芽をつぶしに歩を進める。目的の先はセーラ=ファラリス=イプストリア。未だ魔法発現の有無が解らない、十歳を迎えたばかりのイプストリア国王最後の実子の部屋である。

 ドアを勢いよく開け放ち、ファウストはノックも無しにツカツカと歩を進めた。ファウストの手配で部屋の入り口には護衛もいないし、彼女直属の親衛騎士も今は遠ざけている。宰相ファウストの歩を止められるものは今この場にはいない。現在、彼女には付き人のメイドが一人付いているだけである。メイド自身、ファウストの非礼対して非難の声を上げようとしたが、セーラがそれを手で制する。彼女さえも難癖をつけられてこの場から退場させられることを危ぶんだからだ。そしてファウスト不敵に笑うと、慇懃無礼にもイスに座るセーラを見下ろし、恭しく一礼をするのであった。


「クックックッ、セーラ様。この度はご機嫌麗しく」

「……まがりなりにも王族である私に対してのその態度、改めろといっても、もはや無駄ですのね」


 ため息を吐きながら、セーラはファウストに答えた。その表情には実験を持たぬ小娘ごときが何を言うと書いてあるようだ。


「……プッ、ククク、当然で御座いましょう、もはやこの国はこのわたくしめの物なれば……、使い道のない王族などに何の価値がありますか、ク……、ククク…クハハハハハハハ!!」


 ファウストは溢れ出す笑いを抑えきれず破顔する。彼の言葉は正しい。もはや名実ともに既にイプストリアは彼のものである。


「ならば、出てお行きなさい。この場に用は無いでしょう」


 そういってセーラはドアを指さし、ファウストへ促した。


「いやいやいや、儂は完璧主義者でしてな、いささか、気になる点が御座いまして……」


 そう言うとファウストはセーラの両の手を制し、顔を近づけた。その行為にセーラ直属のメイドであるリタが叫ぶ。


「――無礼者、誰か、誰か!!」


 しかし、ファウストはリタを一瞥するだけだ。


「クックックッ、誰も来るわけ無かろう……、躾のなっていないメイドだ。……ご主人様は理解しているようだがな? ん?」


 そして、セーラの両腕を持ったまま、再びファウストは視線をセーラに向けた。


「なあ、セェーラぁ。貴様、何を企んでる、ん? なぜこの私の邪魔をしない。なぜ動かない、なぁぜ逃げ出さなぁい? なぜこのごに及んで静観を貫くのだ。今となってはお前が王位につくことなど無い、父親も毒で直に死ぬ。さあ教えろ、貴様、何を隠してる?」

「ふふ、何のことやら?」


 セーラの眼前でファウストが凄む。しかし、セーラは毅然とした表情を崩さずに答える、しかも余裕の笑顔のおまけ付きである。それは、父へ毒を盛られ、背負うべき国を乗っ取られ、今や莫大な権力を持つ宰相を前にして、十歳の少女ができる王族としてのささやかな抵抗であった。


「フン、聡明なお前の事だ、儂の乗っ取り工作など直ぐに気づいていただろう。なにゆえ王族派の貴族を引き入れ、抵抗しなかった? 無駄であろうと毒殺の嫌疑を私にかけなかったのだ? 実証できるかはどうあれ、速やかに事は運ばなかったものを」

「……貴方のことは大嫌いですが、国を乱したくないという気持ちは私も持っていましたから。貴方の場合は『弱った国を乗っ取っても仕方が無い』なんて下衆な理由でしょうが、確たる証拠もない状況で国を割るほど私は愚かではありませんですの。疲弊するのは民衆ですし。――もっとも、毒の件はただ気づくのが遅かっただけですわ。まさか使えるべき主君、精霊の加護を受ける王族を殺そうとするなんてこと前代未聞です。。

 それに決定的な証拠を押さえる前に貴方にもみ消されましたでしょう? 私が自重したお陰で貴方の掌握が早くなり、それが仇となるとは、私もついておりませんでしたわ」


 そう淀みなく答えたセーラに、ファウストは息巻く。


「――三日前だ、大規模な魔力遷移が確認された、貴様の発動とは考えにくいが……、まあいい。貴様が五詠唱単位の魔法を発動しようとしまいと、儂の座は盤石だ。どうだ、今からでも素直になれば、儂の妾コレクションぐらいにはしてやるぞ? クハ、クハハハハハ!!」


 未だセーラの両の手を掴みつつ、笑い続ける宰相。しかし、傲岸不遜な彼かの仇敵に対して、セーラはあどけない困り顔でファウストに語りかける。


「ねぇ宰相。 ――息が臭いわ」


 そのセーラの言葉にファウストの笑いがピタリと止まった。見ればファウストの表情が能面の如く無くなっていた。これがイプストリア王国宰相ファウスト=グラウベルの本性の一端。結局は権力以外何も興味が持てない機械人形のような行動倫理。いままでの醜悪な罵倒や非礼でさえもこの男の上っ面にすぎないことを思わせる昏い瞳。そう、彼は三日前に観測された大規模な魔力遷移現象について、情報を得に調べに自ら来たのだ。たったそれだけのために自分自身が足を運ぶ。その念の入れようにメイドのリタの背筋に悪寒が走る。この時、セーラがこのファウストに対して悲鳴を上げなかったのは実に奇跡的なことであろう。

 そしてファウストは無言で顔をセーラに近づけると、侮辱の報復とばかりに、その舌を伸ばし、セーラの右頬をぬらりと舐めつける。お前も同じにしてやると言わんばかりの醜悪な気持の悪さ、気味の悪さにセーラはビクンと一瞬体を震わすもののそれ以上の反応を一切外へと出さない。

 その間、数分か、それとも数十秒であったか、ついにセーラの両の手が解放される。ファウストはセーラの頬から垂れる自分の唾液を満足気に確認すると、くるりと踵を返し、ドアに向かっていくのであった。


「……ごきげんよう、宰相。――もう、おいでにならないで下さいね?」


 自由になった手で、セーラは血がにじみ出るほどドレスの裾を掴み、最後まで弱みは見せまいと、気丈に振る舞う。


 イプストリア王国は大陸南東部に広がる大国である。北側は大陸中央を流れるイクス大河を国境として、風の大国ローランと大きく国境を面している。イクス大河付近の西側は豊富な鉱石や木材の産地であり、東の河口は重要な食料の生産地であった。西の鋼材は東へ、東の食料は西へ。自然と発達した河川輸送により、自然とその経済はイクス大河の中間点へと移動していった。その地名の名前はファラリス。後に商業都市呼ばれるほどの発展を遂げる小さな都市である。

 二百年前のことである、イクス大河の交易権、つまりはファラリスの覇権を巡ってイプストリアとローランが大河を挟み、戦争が起きた。十年続いた長き戦いは、両国を疲弊させ双方の国力を著しく消耗させた。当時の王、ラーゼ=ヴァン=イプストリアと、ヴァルガノ=ゼノ=ローランは戦争集結において、この交易拠点商業都市ファラリスを中立な公国として成立させ、お互いに王族を一人ずつ拠出することを条件とし、互いの鉾を収めたのである。

 以来、ファラリスはローランとイプストリアという二大国の庇護を受け大いに発展することになった、そして戦争で疲弊したローランとイプストリアの国力回復に尽力し、商業国として目覚しい成長を遂げていったのである。

 セーラの母はそんなファラリスから側室としてイプストリア国王に入った身であった。セーラの母は体があまり強い方でなく、セーラを産んで程無くその人生を終える。

 そして、物心付かぬ頃に母を失ったセーラは父である国王に傾倒していくことになる。父である王は、賢王と呼ばれた現イプストリア国王、ルイス=ヴァン=イプストリア。成長するに連れて、セーラは彼の政道を次第に学ぶようになっていった。ルイスもセーラの聡明さの片鱗を感じ取っており、特別な教育環境を整え、英才教育を施していった。そして、それはセーラにとってかけがえの無い絆へと変化する。セーラにとって、学問は父との唯一の繋がりをもてる絆であった。

 イプストリア国王には正室、側室の子合わせて二十を超える実子がいた。五詠唱単位以上の魔法発動できる子がいない今、彼らは王の後継ぎとして、互いに競い、そして争いあう関係である。母や兄妹のいないセーラは王宮では孤独である。だから、セーラは数少ない王との謁見時は、なるべく父と多くの事を語るべく、時を学問に費やした。子供らしからぬ生意気な意見を出した時など、それにルイスが目を丸くし、にこやかな顔で、『ではこれではどうだ』と、返してくることに、セーラは確かに幸福を感じたのだ。

 彼女が九歳の頃にもなると、二人の会話は酷く高レベルなものになり、国策はもちろん外交も交えた一大政治論が展開されていたのである。それは誰にも邪魔されることの無い、二人だけの時間であった。


 その中で、当然今回の空白期についてもセーラとルイスは話をしていた。

 今のままでは、間違いなくイプストリアの次代は空白期が産まれること。

 跡目争いが激化すること。

 当然、王族同士や重臣が派閥を作り、争いが起きること。

 そして、ルイス自身の命が誰かに狙われる可能性があることである。


 自らが権力を握るのに一番邪魔であるのはライバルの王族でも重臣でもない。それは現王族魔法唯一の使い手であるルイスである。彼さえいなくなれば、誰もが平等なスタートラインに立ち、実権獲得へ向けてのレースを大っぴらに行うことが出来るからだ。そして、権力を手に入れるのであれば早いほうがいい。そう考える輩は必ず出てくる。それがルイスの見解であった。


「セーラよ、未だ発現が分からない振りをしているが、お前は魔法が使えないのだろう?」


 それはセーラがルイスに最後に謁見した時の彼の言葉である。セーラはルイスの言葉に静かに頷いた。そう、彼女は他の実施と同じくして恐らく五詠唱単位魔法発動は見込めない。それならばぎりぎりまで黙っていたほうがよいという政治判断である。


「セーラ、誰が実権を握ろうと国を割ってはならぬ」

「はい、お父様」

「魔法が使えないことは、ギリギリまで隠しなさい。それがお前の身を守ることにもなる」

「はい、お父様」

「お前は私の子の中で一番できた子だ。次の王が誰になるかはわからんが、正しき者が王となるならば、補佐をして上げなさい」

「……はい、お父様」

「そして、悪しき者が王となるならば……」

「……」


 ルイスの言葉は予想できた。だがそれはセーラに取って最も選択したくない道であった。


「この国を捨て、ファラリスに逃げなさい」


 実権を取った者が己が権力欲を抑えきれぬ者で在るならば、敗れた王族はおそらく殺されるか一生幽閉の身である。ルイスは才能溢れるセーラにそのような道を歩ませたくは無かったのだ。しかし、それはセーラにとっては、殺される可能性を持ったルイスを見殺しにして、国外に逃げだすという選択である。


「……嫌です。お父様、それは嫌。……お父様を見捨てて逃げるなど、私には出来ません」


 セーラの口調は平静であったが、その目には涙が溢れていた。いくら知識をつけたとしても、いくら大人ぶっていても、セーラはまだ十歳にも満たぬ子供なのである。そんなセーラをルイスは優しく抱きしめた。


「お前は本当に頭の良い子だね。だから私も少し調子に乗ってお前に教育を施したが、……それは正解だったと確信するよ。私を気遣ってくれているお前の気持ちは本物だ。そして、ファラリスへと逃げる事が一番安全ということもきちんと理解している」


「嫌です、……嫌ぁ、嫌ぁ……ッ」


 ルイスの言葉は正解である。父への敬愛、自らの安全、自らの願いと、取るべき道。どちらも本物であることを完全に理解しているセーラはこれ以上取り乱すことができない。教育により施された理性と知性が自分を自然と律してしまう。本来なら泣きじゃくり、父の胸を叩き、存分に甘えても良い年頃なのだ。言葉での拒絶は現在のセーラが唯一できる抵抗であった。せめて自分が五詠唱単位以上の魔法発動を出来ていたら、と心の中で歯噛みする。


 だからルイスはただ、セーラを抱きしめた。そんな彼女の心情を理解して、せめてその気持が少しでも和らぐようにと。


「セーラ。まだ子供のお前にそんな顔をさせてすまない。だけど、私の願いはお前が生きることなんだよ」


 ルイスはそうセーラにさとすように言葉をかけると、ゆっくりと彼女の頭を撫でてやる。

 どれほどの時間が経ったであろうか、セーラはルイスの胸をそっと押し、距離を取る。顔を上げたセーラは、既に王族の顔であった。それを確認したルイスは満足気に頷いた。


「護衛を手配しておこう、お前の一存で動かせる騎士分隊だ、後で会うが良い」

「……はい、ありがとうございます」


 その言葉に一礼をし、くるりとドレスを翻し、部屋を出ていくセーラ。


「――さようなら、お父様」


 そっと呟き、セーラは扉を閉める。父と子の今生の別れはこうして済まされたのであった。それは王族としては、実に相応しい別れだったのかもしれない。唯一の過ちが在るとすれば、この別れはセーラにある種の呪いをかけてしまった。セーラとルイスのやり取りは王族としては相応しいものの、父と子の別れとしてはあまりにも建前が過ぎた、歪んだ別れだったからである。現イプストリア国王、ルイス=ヴァン=イプストリアが倒れたのはまさにこの二週間後であった。




「――ファウスト様、よろしいので?」


 側近の言葉にイプストリア王国宰相ファウストは、なんのことだと問い返す。


「セーラ様のことでございます。どうやら手駒の騎士をアクス方面へ向かわせたとのことですが、おそらくファラリスへの亡命の下見かと。放っておいても良いのですか?」


 側近の忠言を受けて、ファウストは低く笑いを漏らす。そして一言。放っておけと彼は吐き捨てる。


「……しかし、万が一魔法発動」


 することがあれば、という側近の言葉は続かなかった。ファウストの表情が変化したことを確認した側近が直ちに口をつぐんだからである。そして、クックックッと宰相が笑い出す。


「心を折るために一番大事なのはな、精神的に追い詰めて、肉体的にも追い詰めて、徹底的に追い詰めた後に、すがるような希望を与えてやるのだ。そして、あと一歩の所で、その希望を取り上げてやることがポイントなのだよ、クックックッ………」


 実に楽しそうに愉悦を漏らすファウストを見て、側近は背筋に寒気を感じるのであった。


「クックックッ、逃げさせてやれ逃げさせてやれ。国境手前で、護衛の騎士共を殺し、城まで引っ立てて、伏した父親の前で存分に嬲ってやるわ……。あの小生意気な娘がどんな鳴き声をあげるのか楽しみでならん、そういえば、激しい感情の波は魔法発動の引き金になるとも言われてるな、それで魔法が発動すれば儲けものだ。しっかりと調教してやるわ!! ワハハハハハハハハ!!」

 そう、万が一セーラが五詠唱単位クインティプル以上の魔法発動をしてもしなくても、自らに屈服させることで自分の目的は成就する。宰相ファウストにとって、セーラの存在はもはや自らの権力成就の仕上げとなる要となっていた。屈服させればよし、最悪殺してしまえばいいのだ、と。



 エラルド街道を東南方面に進む騎士分隊がいた。彼らは何れも騎乗しており、三名が先行し、その後ろに二名という隊列で急ぎ馬を走らせている。


「兄様、本気なのですか?」


 後方左側、クレアが隣を走るエルヴィンに話しかけた。


「ああ、今回俺はその為にお前についてきたんだからな」


 三日前に観測された大規模な魔力遷移。未だ魔法発動ができないはずであろうセーラが予見した魔力遷移である。そして、その先に確かにいた異物。


 そして丈之助と話をした時、エルヴィンは確信したのだ。

 丈之助は朝霧と共にやってきた。朝霧、つまりは水。


 セーラ、丈之助、そして水の精霊イプス。


 この出会いはきっと閉ざされた少女の運命を変える事ができる歴史的な分岐点であると。そして、エラルド街道を北西方面へと歩く一つの影。桐生丈之助を巻き込んで、この世界の情勢は大きく動こうとしていた。



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