第5話:四大王国・イプストリア

 この世界の大陸東部に位置するイプストリア王国。大陸の四分の一を支配域に収める大国である。大陸の名前をミドという。ミド大陸は大きな円状の大陸であり、さらに、大陸の中央に大きな山脈がそびえ立ち東西を分断していた。大陸内部には大小の国があるが、代表的な国は四大精霊の加護を受ける四つの大国である。


 水の精霊イプスの加護を受けるイプストリア、

 火の精霊フューリーの加護を受けるゼルシュタッド

 風の精霊ウィルドの加護を受けるローラン、

 土の精霊ゴルガンの加護を受けるグランセル、


 東西に二つずつ。まるで人為的に並べたように四国の首都が対称に配置されていた。大陸東側にイプストリアとローランがあり、山脈を挟んで西側にグランセルとゼルシュタッドという形だ。そして東側には南北を分割して流れるイクス大河と呼ばれる大河川が存在し、北側にローランがありイプストリアは南側となる。


「で、まあイプストリアの周りも大小の国はあるがな、その殆どが四大国と血縁関係のある公国だ」


 そうエルヴィンは言うと鍋から肉を取り、口に持っていく。鍋の周りには丈之助とエルヴィン、そして分隊の騎士三人が車座になって座っていた。


「……しっかし、美味いっすねこれ、ミソって言ってましたっけ」


 分隊の騎士の一人が更に鍋から肉を取り、呟いた。


「ふーむ、主らの国、あー、いぷすとりあ、だったか。味噌が無いとは珍しい国よの」


 日本では一般的な食事である味噌に対する高評価に、丈之助は頭をボリボリと掻くだけである。


「しかし、このぺっぱーとやらも中々にそそるものよな」


 そう言って焚き火に熱せられた盾の上で焼かれた肉を摘み、丈之助はパクリと口の中に放り込んだ。


「うむうむ、ちと辛いがなんとも刺激的よ」


 旨そうに肉を嚥下する丈之助の様子を見て、再びエルヴィンは口を開いた。


「しかし、丈之助殿がイプストリアを知らないってのは信じられんな、この国、いやこの大陸なら子供でも知っている常識なんだが……。いや、誤解がないように言っておくが、自分は丈之助殿が嘘を付いているとは疑ってはいない。ただ丈之助殿の様な黒髪・黒目の人間は、自分は今まで見たことがないんだ」


「今は四大国の影響域付近は平和だが、中央山脈近くの少国群では少なからず、争いも存在している。その地域では国自体が無くなってしまうことも無いわけではない……」


 基本的にローラン・イプストリアの国民、というか大陸東側の人間は金髪碧眼が普通であり、西側北の火の国ゼルシュタッドが橙色の目に褐色の肌、土の国は肌の色は様々であるがまるで鉱石のような緑色の目ををしている。だが丈之助の様相である黒髪・黒目の人間はこの世界には存在しなかった。

 そのエルヴィンの言葉に丈之助以外の食事の手が止まる。実際、丈之助はこの世界とは異なる世界から来たわけだが、その事実をエルヴィン達は知る由もないし、丈之助自身の自覚もあるわけが無かった。もし両方の世界を知るものがいたら言葉が通じている現状に疑いを持ったかもしれない。だがそれは仮の話でもあり現状その事実を疑問に思う者はいなかった。


「ふむ、俺が国は、無くなってしもうたということかの」


 エルヴィンの説明を受けてそう丈之助は呟いた。その間も彼は黙々と口に肉を運び続ける。


「あー……、丈之助殿?」


 その様子を見て、エルヴィンが間の抜けたような声を上げる。丈之助は、はは、と表情を和らげてゆっくりと呟く。


「まあ、俺の人生はお国に全部奪われた様なもんじゃからの、親兄弟はもはや何処に居るのかもわからん。帰る家も無いし、故郷にも愛着は無い。つまるところ、どこであろうと、……生きていければ問題ないのよ……っと」


 と、悪戯っ子の様な笑みを浮かべ、丈之助はエルヴィンの前にある肉を取ろうと手を伸ばした。その表情を見て彼ははようやく彼の狙いに気づく。

 焼肉場、そう、此の場は場面は違えど漢の戦場であった。肉を焼き肉を喰らう、自らの焼き場所を確保し、肉という生産物を奪い合う。これはある意味戦争の縮図である。そしてあろうことか、今まで丈之助は己の身の上をも武器として、戦果を着々と獲得していたのである。それを理解したエルヴィンの右手がガシリと丈之助の腕を掴んだ。


「……丈之助殿、それは自分が丹精込めて焼いた肉故、情を武器に掠め取ろうとはいささか卑怯では?」

「わはは、……いやあ、エルヴィン殿は出来る人じゃ、もうちと行けると思うたんがのう?」

「丈之助殿、理解したならば、手を引かれよ、自分もあまり気が長い方ではない」

「くっくっくっ、此処で引くのはできん相談じゃ。それにこの熊公は俺が仕留めた故、その肉も俺に食われたがっとるわ」


 丈之助の左手とエルヴィンの右手がミシミシと軋みを上げ始める。表情は笑顔でもお互いに明らかに殺意に近い何かが湧いていた。


「はっはっはっ、いや、丈之助殿お戯れを」

「くっくっくっ、エルヴィン殿、俺に戯れなど無いがの」


 ごん、と二人の額と額がぶつかり合った。お互い笑顔だが、雰囲気は和やかとは正反対である。いや、和やかさを纏ってはいるが一皮剥けば食い意地という本能がお互いせめぎ合っているのだ。まさに一触即発。エルヴィンの部下である分隊騎士三人は完全に自分たちの肉を確保して引いている。伸ばされた丈之助の左手を掴むエルヴィンの右手。均衡崩れぬこの状況の中、双方がお互いの空いている片手をこの戦闘に参加させるという結論に至るまで、さほど時間はかからなかった。万を持して固く握られた双方の拳。それをお互い確認した丈之助とエルヴィンは不敵に笑い。


「わは」

「ふは」


 笑い声と同時にお互いの同意の元に振り出される右拳と左拳。至近距離から放たれた鉄拳はお互いの顔面を仲良く粉砕するはずであった。しかし、お互いに拳が空を切る。双方の肩がこすれ合う程の近距離戦。それはお互いに必殺の拳であり、当然手応えがあって然るべきであった。しかし結果は裏切られる。放たれた拳は虚しく空を切り、相手にダメージを与えることはかなわない。お互いの耳元でなった風切り音に、一瞬間を空けてエルヴィンと丈之助は不敵に笑い出した。


「わはは」

「ふはは」


 もはや肉のことなどなんのその、その場から二人共飛び退いて距離を取るやいなや、一撃必殺の威力を持った二人の拳遊びが、無邪気な子供のノリで始まった。傍から見れば楽しそうなじゃれ合いだが、その実、繰り出される拳の風切り音がその危険性を物語っている。しかも驚くべきことにその拳のスピードが上がり続けているのである。びゅん、という豪音からごっ、という重い風切り音に変化し、一撃の危険度が当たれば危ないから、当たるとヤバいに変化する、そして更に、当たれば死ぬ、の領域にさしかかろうとした時だ。


「……お兄様、私というものがありながら、そんな何処のものともしれない冒険者の輩と親しくされるなんて、ううう……」


 しくしく、となんとも力の抜ける言葉が二人の間に降り注いだ。ふと声の方向を見やれば、そこには地に刺さったエルヴィンの槍の柄に吊るされているクレアがいて。


「あー、……すまんクレア。――忘れてた」


 吊り下げられたままの恨めしそうなクレアの視線が、エルヴィンにじくじくと突き刺さるのであった。ぱちん、とエルヴィンが指を鳴らすと、槍からクレアがすとんと落ちるのであった。

 その後、ちゃっかり肉にありついたのであるが。

 

「……さて食いも食いたり、満足じゃぁ」


 げふ、と息を吐いた後、丈之助は満足そうにごろんと寝転ぶ。そして膨れた腹をさすりながら丈之助は食後の至福を味わっていた。成人男子五人と年頃女子の食欲、恐るべしとでも言おうか、ここ半年ほど人々を騒がせた賞金首リガルドの可食部分は、目出度く此の場にて完食されたのである。


 そして、皆それぞれ満腹感の中体を休めるなか、エルヴィンはおもむろに丈之助の隣に座り込んだ。

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