番外編

第六章 After

もっかい、ギュってしてよ (前編)

「ゼク……」

 俺たちにとって性教育というものは、人類繁栄のための重要なファクターである。

 誤った性情報の氾濫や性意識または貞操観念の薄れ、性感染症への不理解などが問題視されてきた社会も過去にあり、また逆にこれからそういった問題に俺たちの次の世代たちがぶつかることが予測されている。

「ん……っ、あんま、痛くしないでよ……?」

 それらが常態化しないためにも、意識改革というものを根底に強く固めておかなければならない。

 例えば、精神的、あるいは肉体的に未成熟な児童の発達段階を踏まえない過度な性教育というものは、正しい教育ではない。

 そういった物事の基準を定めなければならない。

 人類繁栄という大前提があるからといって、節操なく性行為に至ることは人間としてのあり方の否定にもなる。

「っつ、……くっ! んん」

 基礎的知識及び生命の大切さ、尊さの理解を通して、人間尊重、男女平等に基づく正しい異性観を身につけ、人格の完成、豊かな人間形成を図る。

 性教育の考え方は概ね、このようなものだ。

「ごめん……、ちょっと、大げさだったかも。ふぅ……いいよ」

 俺たちがどう理解しているか、だけの話ではなく、その先の世代へ適切な形で理解させることも重要なことになる。

「ぁ……、んん、……ふ、っくぅ、んぁ!」

 ましてや、機械端末で自由に知識や技術を容易にインストールできてしまうようなこのご時勢。性行為を本来の性行為として理解する前に身に付けてしまうことも当然ありうるのだ。

「ぃぃ……、ぅあ……んん、ぃぃょ……、きて……」

 性教育というもののが、いかに大事なものであるか、俺たちは常に見つめなおしていかなければならない。


 ※ ※ ※


 そそくさと服に着替えたナモミが、壁の方へそっぽ向く。

 気恥ずかしそうな俯き加減で、次に出すべき言葉を探すのに必死そうだ。

 先ほどまでのことを思い起こさせるくらいに、ほんのり紅潮した顔にはじっとりと汗がにじんでおり、息遣いも小刻みだ。

 脳内を記憶が延々とリフレインしているに違いない。

 時折、内股で膝と膝を合わせるようなよれよれとした動きも見せる。

 見たところ、そこに何かがあるようには思えないが、あたかも何かがそこに残っているような、そんな感覚に襲われているようだ。

「そんなに辛いか。悪かった……俺ももう少し」

「いや、大丈夫だから。全っ然大丈夫。やっぱり初めてだったからさ」

 慌ててこちらの言葉を遮るように気遣われてしまった。その言葉の割にずいぶんと辛そうに見えるが、そのうち慣れるのだろうか。

「思ってたより、そんな痛くなかったし……ゼクも優しくしてくれたし……」

 語尾が燃料切れ起こしたみたいに徐々に口調が弱く小さくなっていく。最後辺りには何を言ったのか聞き取ることができなかったくらい。

 まだこちらの顔を直視できるような状態でもなさそうだ。

 ふとナモミが自分のお腹をゆっくりとさすりながら、口元を緩ませる。

「一発、かなぁ……」

 色のついた吐息まじりに、なんとも嬉しそうな口調だ。

 もしそうでなかったらまたよろしく頼むよ、みたいなニュアンスを漂わせながら、瞳をそっとこちらの方に向けてきた。

「子供の名前も考えておかないとな」

 そこでナモミがプフっと吹き出す。そんなにおかしかったか。

「お姉様みたいなこと言っちゃって。でもあたしも考えるんだから勝手に決めちゃわないでよね」

「ああ、当然だ」

 そこの辺はしっかりと相談して決めたいところだ。

「そういえば、この時代のセンスって分からないんだけど、どういう名前とかがいいんだろう。キラキラちゃんとか、ガッツくんとか、そんな感じ?」

 そこはかとなく、ナモミには命名を任せない方がよさそうな気配が漂ってくる。

 かといって俺もそれほどいいセンスの名前が思いつくというわけでもないが。

 ほどなくして、緊張はほぐれて、ナモミも大分落ち着いてきたようだし、そろそろまた聞きたいところを聞いてみるとするか。

「それにしても、どういう風の吹き回しなんだ? これまであまりノリ気じゃなかったように見えたんだが」

 いつぞやは手痛い反撃を食らわせられたのは記憶に新しい。

「……赤ちゃん、……欲しくなったんだよ」

 一転して、また声のトーンを落とす。

 その一言は、はたして説明したことになっているのだろうか。

 もっと含まれた言葉があるんじゃないのか。しかし、それを追求するのもまた無神経というものか。

「か、勘違いしないでよ? 義務感とかそういうのじゃないから」

 頭のてっぺんから湯気をもくもくとさせているが、むしろ義務感って言っておいた方が逃げ道があったんじゃないのか。

 そんな耳まで真っ赤に染めるほどカァーとなるくらいなら余計な意地を張らなければいいのに、なんて言ってしまうのは無粋か。

 素直に受け止めよう。

「ねえ、ゼク」

「なんだ」

「もっかい、ギュってしてよ」

「キスは?」

「好きな数だけ」

 腕を開く前からナモミが自分から飛び込んでくる。

 こんなにも愛らしく感じてしまうのは俺もまだまだ人間だからだろうか。

 強く抱きしめれば潰れてすぐ壊れてしまいそうなほど脆いというのに、自然とこの腕は放すまいと力がこもってしまう。

 この腕で幾度壊したかも分からない命が、今はこの腕の中にあるだなんて考えられるだろうか。

「ん……ちぅ」

 熱が伝わってくる。これが命のソレだ。

 互いの吐息ごと絡みあう。

「はふぅ……」

 目と鼻の先、自分の瞳に顔が映って見えるくらいの僅かなこの距離。

 ナモミの溶けそうなほどに潤んだ瞳の奥に自分の顔を見る。

 一体こいつは幾つの命を潰してきたのだろうか。憎悪ではない、胸の一番痛いところを鋭く貫くような、そんな気持ちが不意に襲い掛かってくる。

「ねぇ……もっかい」

 また強くギュっと腕を締められ、身体ごとねだられた。

 恍惚とした表情が、声が、消え入りそうなくらい儚く訴えてくる。

 早々と自分から着替えておいてそれを言うか。

 こちらの言わんとしていることを察してか察せずか、今度こそ火がつきそうなほど顔を赤く染め上げて、言葉を紡ぐ。

「だって、一回じゃ足りないかもしれないし」

 先に火がついたのは気持ちの方らしい。

 俺も分かっているさ。人類を繁栄に貢献しよう。義務でも何でもなく、な。


 ※ ※ ※

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