昔の閑話『狼の話』

 ゴロツキが多く出入りする盛り場。地震がきたら一発で崩れそうな古いビルの間に、その店はあった。

 夜闇の中、かろうじて明滅する看板を頼りに入ると、ファルコナーが酒を嗜みながら待っていた。

「おお、来たか。こんなところまで呼び出してすまない」

「俺のワガママだ。こちらこそ頭を下げないとな」

 久しぶりに見るファルコナーは、アルコール度数の強い酒をそれなりに飲んでいるようだったが、顔が赤くなっている様子はない。親父もザルなファルコナーに一杯どうかと誘われると、渋い顔をしていたことを思い出す。

 席についた俺は、ノンアルコールのカクテルを注文しつつ、カウンターでファルコナーと並んだ。人とこうして肩を並べて飲食するのもしばらくぶりだし、そもそも今日こうして外出するのも久々だ。

 夜に会って欲しいと願ったのも、あの日以来聞こえてくる、人間でない者達の声から逃れるためだ。おかげで喧騒からは逃れられたが、野良猫に襲われたドブネズミの悲鳴をもろに聞いてしまった。

黒狼こくろうのこと、わかる所までだが調べておいた。ミサゴの力を借りられなくて、少し苦労したが」

「重ね重ね面倒をかけて悪い。俺の好奇心に付き合わせちまった」

「アイツを知ることは、残党勢力との対峙するうえで重要な情報となる。そう思って勝手にやったことだ。お前に伝えるのはついでだよ」

 と、鼻で笑いながらファルコナーは懐から煙草を取り出し、一本吸い始めた。結局俺はこの人や親父のように煙草の似合う男にはなれなかったなと、俺は心の中で自嘲した。

「とはいえ、今まであれだけ自らの情報を隠してきた奴のことだ。わかったのは、締め上げた残党から聞き出せたことくらいしかない」

 と前置きしたうえで、ファルコナーはゆっくりと話し始めた。

 元々、黒狼という男は下働きとして連れてこられた異国の人間だったという。本当は奴隷代わりに連れてきたらしいが、盗賊集団のボスに気に入られて何かと重宝されていたそうだ。

 黒狼は誘拐されそうになったその時、手下から刃物を奪って反撃し、二人を殺して逃げようとした。その気概を見込んだボスは、下働きとしてこき使いながらも、幹部としてじっくり育て上げていったとのことだ。

 時は流れて、盗賊集団の頭脳となった黒狼は、仲間と結託して自分を育ててきたボスを殺害し、トップに君臨するようになった。

 その手腕を振るいつつ、目立たぬよう裏社会の暗い影に紛れながら地位を築いていった黒狼は、やがて秘密裏に旧政府軍とコンタクトを取り、協力関係を結んでいった。その頃から俺達政府側に近い勢力との対立が始まったとのことだ。

 このまま前国王の後ろに付いて一定の地位を得るのが目的かと思われていたが、また彼は反逆を成功させた。

「連中は病死だと思っているようだったが、実際はじっくりと毒殺したのだそうだ。こうして奴は権力を得た」

「つまり、アイツの目的は新しい国主になることだったのか」

 そう俺が問いかけると、ファルコナーは大きく口から煙草の煙を吐いた。

「鎮圧した黒狼の手下達の話を聞くとな、俺にはどうにもこの国の制圧が目的でなかったように思えてならない」

「どうして」

「奴等は所構わず攻撃を加えようとしていた。あわよくばこの国を焦土にしてもいいと言わんばかりに。自爆テロに近い装備をしていた奴もいた。一部の奴は薬で狂わされてまで捨て駒にされていた。あそこまで手の混んだことをしてきた連中にしては、最後の手が粗雑すぎる」

 俺はカクテルに口を付けただけで、反応はしなかった。

「王座を狙う人間の行動としてはどうにも解せん。国民の反感を買えば、前国王の二の舞を演じることになることを、黒狼とて理解していただろう。それが何故、あんな軽率な決断を下した?」

 ファルコナーの最後の問いかけは、今は亡き黒狼に向けられたものだったのだろうか。だから俺もそれに答えを出すことはできなかった。

 ただ、無差別攻撃を目論んだ暗躍者の最期と、遠い昔に見た家族を迎えにきた男の姿は、どうにも重ならない。

 結局、黒狼が何者だったのか、俺と本当に縁のある人間だったのか、それを掴むことはできなかった。

 一杯飲み交わした後、席を立った俺の背中に、ファルコナーは声をかけた。

「何かあったらいつでも連絡しなさい。私の可能な範囲でなら今後も力になろう」

「……ありがとう」

 まるで家族のような視線を向けてくるファルコナーに、いろんな懐かしさを覚えつつも、俺は店を後にした。

 帰り道は、久しぶりに物静かな外を歩いた。もう俺は本当に日向の下を歩けないのかもしれないなと、また自嘲の笑みをこぼしながら。

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