5-終『やっぱり今日も羽村さん』

 すったもんだから数日が経ち、俺の日常はようやく元に戻った。

 ようやくというのは、筋肉痛や打撲痛が、やっと消えたという意味だ。それまでは痛みのせいで、錆びたビニール傘のように俺の動きは鈍かった。

 おかげで運良く来た依頼もキャンセルせざるを得なくなった。次に仕事がくるのはいつになるのやら、それまではジジィが残していった関係ない仕事に巻き込まれるしかない。

 ちなみに当の爺さんは、俺が倒れて寝込んでいる間にまた出発してしまった。今度は木崎の婆さんら近くの老人を集めて温泉旅行だそうだ。あの二人意外と仲が良いんだなと思ったら、山登りや卓球などで気が済むまで競いあうらしい。

 あんな老人すらアクティブに動き回っているというのに、俺ときたらこの体たらく……兜一とういちの言うようにもう少し鍛えるべきなのかもしれない。

『おぉぉ、羽村はむらぁ、そいつは駄目だぁ』

 大きく伸びをしていると、傍らに置いているぽんすけのケージから寝言が聞こえてきた。

『お前がそれを食ったらよぉ、身体から猫の毛が生えてきて猫の匂いになるぞぉ』

 夢の内容がまったく想像ができないうえに不気味なので、もう突っ込まないことにする。

 ここの所あたふたしていたせいか、いつもより余計に暇な時間が長く感じる気がするなと、思いながら事務机に突っ伏す俺。このまま発酵して別の何かになってしまいそうな気分だ。

 ぐうたらと時間を過ごしていると、電話のベルが鳴った。捨てる神あれば拾う神ありと喜び勇んで受話器をとった。

「おい家賃滞納者!」

「おはよう、さようなら」

 相手は冷蔵庫くんだったので速攻で切ろうとすると、電話口に怒鳴られたので仕方なく耳を当てる。

「お前今度は何やらかしたんだ?」

「いきなり何の用かと思ったら……何、ゴミ出しとかで俺マズった? いつも確かめてるはずなんだけどな。というかうち、ゴミ多く出さないし」

「そんなことじゃない! ……ああ、僕は知らないからな!」

 と言って冷蔵庫くんは勝手に電話を切ってしまった。なんだアイツ、昼間から酒でも飲んで前後不覚にでもなってるのか。

 気分を悪くしていると、ふいに事務所の扉が叩かれた。今度こそお客かもしれないと思って身を乗り出したが、聞こえてきたのは聞き慣れた声だった。

「は、羽村さん、い、いいですか?」

「ああ清子くんか、どうぞ入って」

 お客じゃないと知って少しだけがっかりしたが、冷蔵庫くんならいざ知らず、清子くん相手にそんな顔は見せたくない。

 どういうわけか、扉を開けた清子くんは青白い顔でぶるぶると震えていた。さっきから声が妙に震えている気もするし、体調が悪いのだろうか?

 もうすぐ夏が来るとはいえ、風邪はいつ拗らせるかわからない病だ。具合が悪そうなら早めに帰そうと俺は事務机から立ち上がった。

「なぁ嬢ちゃん、悪ぃがどいてくれねぇか、入れねぇからよ」

「し、失礼しましたあぁ!」

 後ろから声をかけられた清子くんは、磁石でも背中に付いているのかという勢いで、近くの壁に飛び退いた。

 そして、その後ろから入ってきた人間を見て、俺は乾いた笑いが出てしまった。

「なんですかお客様、冷やかしならお断りなんですけど」

「要件も言ってねぇのに冷やかし扱いすんな。なんつーか、殺風景な事務所だなおい」

 強面の大男は、渋柿でも食べたかのような顔で俺の事務所を品評しているので、俺は咳払いしながら文句を言った。

「見てご覧なさい、うちのか弱い従業員があんなに怖がってるじゃないですか。営業妨害するだけならお帰りください」

「何が営業妨害だ。アイツの言ってたよりも暇そうじゃねぇか、お前ぇよ」

「そんな暇な事務所に入り浸ろうとしてるお前も、相当暇なんじゃないの?」

 大男と臆さず会話する俺を見て、清子くんの頭の上にはクエスチョンマークがたくさん浮かんでいるのが見て取れた。とりあえずあのままでは可哀想なので自己紹介してあげることにしよう。

「清子くん、コイツは元沢兜一って言って、俺の古い友人だよ。悪人面だけど噛み付いたりはしないから大丈夫」

「どんな紹介だ、この野郎。怖がらせちまって悪かったな。この顔は生まれつきなんだ」

 軽く頭を小突いた兜一は、改めて自分でも自己紹介をした。清子くんは乱れた髪を軽く手で整えてから、改めて挨拶しつつ怖がったことを謝罪した。

 しかし兜一は気にしている様子はない。冷蔵庫くんの狼狽っぷりも兜一を見てのことだったのだろう。常日頃周囲からそういう目で見られているから、慣れてしまっているのだろう。

 まあそれ以外にもあの岩壁みたいな筋骨隆々な身体も、人をビビらせている要因だろうけど。

「って、俺は別にお前なんかと駄弁りにきたんじゃねえんだ。仕事の話だよ」

「仕事? お前、俺の仕事を知ってて言ってんの?」

「でなきゃお前なんかに持ち込まねぇよ。この間言いそびれたが、今俺は掃除屋をやっていてな」

 その単語に俺は心臓に石を投げつけられたような衝撃を受けたが、兜一の格好を見てすぐにどういう意味かわかった。

 そして思う、似合わなさすぎるだろう!

「ま、一応掃除屋っつーのは大看板であって、実際は頼まれりゃ大体の雑用はやるんだがよ。今回仕事を頼まれたのがでっかくて古臭ぇ屋敷なんだよ。そこにどうも野良猫がわんさか住み着いてるらしくてよ、どうにか追い払いたいわけだ」

「いや、でも猫は法律上駆除っていうのはできなくて」

「だからお前が交渉して追い出してくれって言ってんだ」

 俺は事務机に頭から突っ込んだ。兜一にはまだ俺の能力の話は伝えちゃいないはずなのにどうして知っているんだと。

「も、元沢さん、羽村さんの不思議な力のことご存知なんですか?」

「いや、実は俺も昔は知らなかったんだけどな、うちのガキが教えてくれてよ」

 ガキという言葉を聞いて清子くんが首を傾げていると、階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。そして事務所に飛び込んできたのは、見覚えのあるブロンドカラーの長髪少女だった。

「とっつぁん遅いぞ! さっきからサツの奴がこっち睨んできて、すっげぇ気まずいんだからな!」

「だーからその言葉遣いをなんとかしろ、何がサツだ、生意気な言葉覚えてんじゃねぇぞ! そもそもお前ぇな、です、はどうした!」

「いいだろ別に! どうせハムラのオッサンの前なんだから!」

 人の事務所で親子喧嘩を始めた二人を、俺は生暖かく見守る。一方で清子くんが何か言いたそうにおろおろしていたので、こっそり手招きしてこちらに呼び込んだ。

「あの悪党面の筋肉男にあれだけの剣幕で怒鳴れる子なんだから、菜々里ななりは心配いらないよ」

「いや、そうじゃなくてご近所迷惑になりますから、その」

「……失念しておりました」

 俺は仕方なく二人の口喧嘩に割って入る。そして、訝しげな目で菜々里の方を睨んだ。

「な、なんだよ、です」

「内緒だって言ったのに、兜一の奴に俺の秘密をバラしたな」

「とっつぁん知らなかったのか? ハムラのオッサンと友達だって言ってたから、ボクてっきり知ってると思ってた」

「それと、オッサン呼ばわり禁止って言ったでしょうが……!」

 しかしそういうことなら仕方ない。だが俺の力のことを知っているということなら、説明する手間を省けていいかもしれない。

 いや待てよ、兜一は俺のこの力のことを信じてるのか? と疑問になったが、信じているからこうして話を持ってきたのだろう。

 俺は少し頭を抱えてぐったりしてから、仕事の話を承諾した。

「そういうことなら善は急げだな。今から行くぞ、嬢ちゃんも大丈夫だよな?」

「ちょ、ちょっと待て。場所は?」

「俺がこれから運転していくんだよ。駐禁切られる前に出発するぞ」

 そう言って兜一は、菜々里を引き連れて出ていってしまった。まだこっちは準備もしていないのにと頭を掻いたが、よく考えたら話付けるだけだから用意はいらないのか。

「ってああ、置いていかれちゃいますよ羽村さん! 早く早く!」

「わかっとりますよ! でも、なんで嫌な予感がするんだろう」

 一抹の不安を感じながら、俺達は外に出て、兜一の用意した「元沢ハウスクリーニング」と書かれた軽ワゴンに乗り込んだ。

 そしてエンジンがかかった瞬間、俺の懸念は段々と確信に変わってきた。ウキウキしている菜々里の顔を見ても、これから起こることが大体想像できてしまった。

「とっとと行くぞおら、今日はゴールデンタイムには帰らねぇと、野球の試合に間に合わねぇ」

 それからしばらく、俺と清子くんの悲鳴と、菜々里の楽しそうな絶叫が車内に響き渡った。兜一あまりにも乱暴な運転は、まるでジェットコースターのように感じた。

 どうして俺には、人をろくな目に合わせない奴ばっかり集まってくるんだ。総神様を恨みながら、俺達は一時間耐久絶叫マシーンに揺られ続けた。

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