5-4『羽村さん、決戦の時』

「そんな顔でよく警察に目ぇ付けられないな、トンビ……いや、兜一とういち

 大きく息を吐いてから、俺は冗談交じりに声をかける。すると兜一はその強面を誇示するかのように、歯を見せてクスクスと笑った。

 兜一は、昔の印象よりもさらに強面になっていた。地味な色の作業服を着て、分厚いジャケットまで羽織っている。目立たないように目指したのかもしれないが、その筋骨隆々の肉体と背のせいでむしろ不釣り合いである。

 まるで岩を削って作った無骨な彫刻のような顔立ちは、それだけで相手を圧倒できるだろう。現にその鋭い三白眼が放たれた殺気に、俺は気圧されている。

 髪はオールバックヘアにしてあった。もし整髪料を解いたら耳を覆うくらいの長さはありそうだ。

「そういうお前ぇは随分腑抜けたじゃねぇか。並の腑抜けでももっとマシな面してるぜ、正貴ただきよ」

 こちらの動揺を悟ってか、兜一はあえて気さくに返事をしながら俺を嘲笑う。しかしその態度は敵意に満ちている。

 いつ不意打ちを受けてもおかしくない状況だと感じた俺は、少しでも会話の取っ掛かりを作ろうと、口を開いた。

「いろいろ言わないといけないことはあるけど……俺が生きてるっていつ知ったんだ?」

「出国する前だ。どうしてもお前が死んだって話が信じられなくてな、ファルコナーとミサゴを問い詰めた」

 別れ際の二人の顔が浮かび、俺は驚きを隠せなかった。あの二人は簡単に口を割るような人間ではない。

「お前、どうやって聞き出したんだ?」

「そいつは、ご想像にお任せしよう」

 しれっと言い放つ兜一の様子に、俺は歯噛みする。俺が選択を誤ったばっかりに、余計な犠牲を生んでしまったかもしれない。

 こいつは馬鹿力を活かした拷問は得意分野だ。その気になれば最低でも病院送り、最悪の場合二人が命を落としている可能性もあるだろう。

 何より、俺がしっかりとコイツと相談しなかったせいで、こいつは昔の仲間に手を出した。俺の知ってる兜一は、仲間に危害を加えられることには誰より憤りを覚える男だ。

 奴が変わったからなのか、それとも俺の裏切りは自分の心情と反することを厭わないキッカケを作ってしまったのか。かつての俺を力一杯殴りたい気分だ。

「こうなったのも、元はと言えば俺の不義理が原因だってことは自覚してる。本当に悪かった。今更だけど謝らせてくれ……」

 俺は深く頭を下げた。こんな真面目に頭を下げるのはいつぶりであろうか。

「なるほど、誠意が伝わる殊勝なその態度、震えたよ。いい見世物だった」

 そう言いつつもまるで許す気のない兜一の様子を察知し、俺は土下座をすべく屈んだ。しかし、それは蹴りつけられた小石に苛まれた。

「もう遅すぎるんだよ。事は進んじまってるんだ」

 やはり、話し合いには一切応じてくれる気はない。それどころか、俺が一番恐れていたことを兜一は目的としているのだろう。

 息を吐きながら兜一は指の骨を鳴らしながら近づいてきた。もう穏便に話し合う気はないというサインだ。

「俺は、お前と殺し合いをするために顔を見せに来たわけじゃない」

「でも予想は付いてただろ? まあお前、相当衰えてるみてぇだから、一方的にボコスカ殴るだけで終わるかもしれねぇがな」

 そう言いながら、兜一は少し腰を低くして構えた。かつて、体術の訓練をする時に兜一は必ずこの構えを取っていたが、全く変わっていない。むしろ昔より筋肉が付いているから威圧感が違う。

 もうこれ以上話をしても無駄だとわかった俺は、諦めてその求めに応じることにする。そんなことを言いつつ、今の俺に勝ち目がないことはわかりきっていた。

「素手でやり合うのか?」

「この国は銃をぶっ放すのはおろか、持ち込むのも難儀でな。素手の方が結局手っ取り早ぇんだ」

「っていうか俺、お前と体術の模擬戦やって勝ったことがない。ちょっとズルくないか」

 思わず軽い気持ちでつぶやいてしまったが、すると意外にも兜一はその言葉に乗ってくれた。

「確かにそうだな、歯応えなさすぎてもつまらねぇ、ハンデを付けてやるか。模擬戦の感じは覚えてるよな?」

 俺が頷くと、兜一は体勢を崩しながら三本の指を上げた。

「三本取ったら俺の勝ち、お前は一本でも取れれば勝ちってことでどうだ」

「……わかった、それでいい。もし俺が勝ったら、二度と俺やその周りの人間に関わらないって誓ってくれ」

「構わねぇよ。その代わり俺が三本取ったその時は、わかってるよな?」

 了承すると、兜一はまた攻撃の構えを取った。ようやく相手から引き出せた譲歩に、俺は少しだけ安堵したが、ここからが本番だ。

 模擬戦のルールとは漠然としていて、簡単に言えば相手に参ったと言わしめれば勝ちというものだ。たまに審判を付けることもあったが、大体はその場の判断でやっていた。

 まあ正直言って、審判なんてのは必要ない。武器は使わないという以外、武術の試合みたいな反則事項はなく、ただ相手が言い訳しようもない程に打ち負かすというのが勝利条件だ。

 俺はどう動いてもいいように自然体の構えになる。というか、それ以外今はできない状況だったのだが。

「石が落ちたらスタート、ってことでいいか」

「ああ、早く始めようぜ、正貴」

 ようやく俺をぶちのめせる、と言わんばかりにニヤつく兜一に恐怖心を抱きつつも、俺は石を指で弾いた。

 石が地面に落ちた瞬間、兜一は瞬時に飛び込んできた。




 あまりにも早すぎて動きに対応できなかった俺は、反射的に腕を交差して受けの姿勢を取る。

「うわっ」

 が、全力で叩き込まれた拳に耐えきれず、俺は何かに跳ね飛ばされたように吹っ飛んだ。

 地面に倒れて呻いていると、もう兜一は次の攻撃を仕掛けるべく距離を詰めている。

 なんとか起き上がって飛び退いたが、すぐに踵を返してきた兜一にまた俺は防御することしかできなかった。

「はっ、やっぱり、俺の見立て通りだ」

「何……がだ」

「そんなの、自分でわかってんだろ」

 と言われた瞬間、俺の身体が宙を舞った。

 足を払われたとわかった時には手遅れで、仰向けになった俺の顔面に、丸太のような腕から放たれた拳が落下してきた。

 しかし殴打の衝撃はこず、おそるおそるゆっくり目を開けると、拳は眼前ギリギリで止まっていた。

「まずこれで一本、文句ねぇな」

「……異議なし」

 俺は、軋む身体を鼓舞しながら、なんとか立ち上がった。そんな俺を見て、兜一は首を鳴らしながら指摘した。

「確かに、構えや基本的な動きは身体に染み付いたまんまらしい。だが、肝心の筋力と体力がガタ落ちしてるから、全然動けてねぇ」

「……まるで俺の師匠みたいに、知った風なことを言ってくれやがってまあ」

 と言いながら、俺はさりげなく節々の痛みを軽くストレッチしながらごまかそうとする。だが当然そんな行為は応急処置どころか気休めにもならない。

「今のお前なら、そこらのチンピラにすら捻り潰されるだろうよ。どうだ、今から五本先取にしてやってもいいぞ? ちょいとお前を買い被りすぎちまった」

「お気遣い無用、駄目なら駄目で潔く終わらせてくれ。そんな調子で次は一〇本先取なんて情けかけられたら、本気で泣けてくる」

「その方がこっちも都合がいい。男の泣きべそ見て喜ぶ趣味はねぇからよ」

 話が終わると、兜一は少し緩い調子で構えた。

 正直今の打ち合いで思い知らされたことで、士気が大きく低下したのは否めない。何故あの巨体であそこまで素早く動けるのか、とイチャモン混じりの疑問を呈したいところだ。

 だが諦めて降参、なんて最後を選ぶつもりはない。

 俺にも男としての意地は欠片くらいあるし、何よりも己の日常へ無事に帰るために全てを尽くすと決めたのは自分だ。こんなところでやめるわけにはいかないのだ。




 二戦目、開幕に俺は思い切って攻めようと、あえて突っ込んだ。

 ハンデのつもりか、兜一の方からは動きを見せなかったので、これは好機と見る。油断しているならそこを容赦なく狙うまでだ。

 俺はまず思いっきり真っ向から拳を叩き込んだ。

 どんなに運動不足でも、成人男性の拳は十分な武器となる。

 それを兜一は、真っ向から両腕で受けてみせる。

 その瞬間、俺は驚いて思わず飛び退いてしまった。

 まるで筋肉に跳ね返されたような感覚だ。見れば兜一は、俺の殴った部分を気にする素振りも見せなかった。

 どうやら奴は、徹底的に俺の勝ち目がないことを理解させようとしているらしい。

 こうまで馬鹿にされたら、あのニヤけた面に一撃叩き込んでやらなくては気が済まない。

 俺は動かない兜一に対しもう一度接近戦を試みる。

 そして、左の拳を振りかぶる、と見せかけて反転して回し蹴りを繰り出す。

 だが、腕を交差させていたはずの兜一は、右腕を素早い動きで上げ、軽く受け止めた。

「本当は頭と首で受けてやっても良かったんだが、一本と見なされるのは癪なんでな!」

 そして兜一は俺の蹴り足をそのまま掴むと、軽く放り投げた。

 俺は受け身と取りながら転がったが、すぐ勢いを殺して立ち上がる。

「ほう、ちゃんと受け身は取れるのか。ちったぁ見直した」

 だがその前に兜一はもう目前まで迫っていて、俺の顔面に右の拳を叩きつけようとしている。

 そうはさせるかと、俺は即座に防御の姿勢ととる。

 しかし兜一は不敵な笑みを浮かべると、俺の腹めがけて左の拳を放った。

「うぐ……あっ」

 俺の放ったフェイントを今度は逆にお返しされてしまった。これは自分がまた負けたことを認めざるを得ない。

「ったく、褒めてやった矢先にこれかよ……寸止めだ」

 そう言われて見ると、兜一は叩き込んだ拳をこれまたギリギリで止めていた。

 我ながら情けない限りだ。奴が攻撃を誘っているのはわかりきっていたというのに、こんなあっさり捌かれてしまうなんて。

「あと一本で俺の勝ちだ。正直言うと、もう茶番にはすっかり飽きちまった。とっとと終いにしようや」

 余裕の態度を見せる対戦相手から、改めて実力の差を突き付けられてしまった。俺は折れそうになる心を支えるので精一杯だ。

「俺としてはもう、不戦勝で終わらせてぇんだけどよ、どうだ?」

「何だお前、余裕ぶっこいておきながら、負けるのが怖いか? 勝ち誇るならもう一本取ってからにしてくれよ」

 あくまでも抵抗の意志を曲げない俺に、兜一は呆れ返った態度を隠さず、大きく息を吐いた。

「お前がそう言うなら最後まで付き合ってやる。だがよ、俺がこれでも手加減してるのは、わかってるよな?」

「……」

「それを承知で苦しみてぇって言うんなら、もう止めねぇがよ」

「やかましい、御託はいいからさっさと続きだ。とっとと終わらせたいんだろ?」

 自然と語気が荒くなった。それは恐怖や焦りから出てきたものだとわかるから、余計に腹が立つ。

 格好つけて顔を出してみれば、挑んだ相手から無力さを思い知らされるばかりじゃないか。

 とにかく、相手を納得させる一打を叩き込めればいい。ヤケクソだろうが幸運だろうが、むしろ手段すらどうだっていい。

 今度こそ俺は、この平穏な世界で日常を受け入れると決めたんだ。これからって時に、地獄へ送られるなんて真っ平だ。

「どうやら、覚悟は決まったらしいな。後腐れはなしだ」

「行くぞ兜一。お前をぶっ飛ばして、俺はさっさと家に帰る!」

 俺と兜一は、揃って拳を振りかぶりながら、相手の懐へと突っ込んだ。

 馬鹿正直に拳を振りかぶると、兜一もそれに合わせて全力で拳を放つ体勢に入る。

 小細工なしの力勝負で勝ち目がないことはわかっている。

 だが、拳を先に届かせることができればと、俺は精一杯腕を伸ばした。

 次の瞬間、吹き飛ばされたのは……俺だけだった。




 一瞬飛んだ意識を取り戻すと、兜一が俺に迫っていた。頭がグラグラして思考がままならない。

「良かったな正貴、骨も歯も無事だ。ったく俺としたことが、最後の最後で勢いが鈍っちまった」

 自分の手を見遣りながらつぶやいた兜一は、それからさりげなく懐から何かを取り出した。

 上半身だけを起こして見てみると、それは銀色の拳銃だった。夕日を浴びて少しだけ紅に染まったそれは、まるでこれから自分が浴びる血飛沫をごまかそうとしているかのようだ。

「お前、拳銃持ってないって」

「そんなこと言った覚えはねぇな。ぶっ放すのは大変だとは言ったが、ここならそんな気づかれねぇよ」

 と、兜一は撃鉄を起こして俺の額にその銃口を向けた。

 この角度で撃たれれば、弾は脳幹を貫通して俺は即死する。

「約束は約束だ、俺の好きにさせてもらうぜ」

 待ちかねたと時が来た、とばかりに兜一は口角を吊り上げる。あとは引き金を引けばすぐに始末はつく。

 俺はようやく諦めが付いて、力をふっと抜いた。それを見て兜一が気を緩めたのを見て、行動に移す。

「甘い!」

 握力が緩んだのを見て、俺は拳銃を上空に殴って飛ばした。

 そして、落ちてくるそれをすぐさま拾って、今まで俺を見下ろしていた兜一の眉間に狙いを定めた。

「……やるじゃねぇか、やられたぜ」

「調子に乗りすぎたんだよ、お前は」

 撃鉄はもう起こされている。今度は逆に俺が引き金を引けば、コイツに人生を煩わされることはない。

 だが、ここでコイツを殺せば、あの国とは違ってどんなに理由を付けても罪になる。結局、俺は手にしたはずの日常を手放すことになるわけだ。

 だが、万が一他のみんなに危害が及ぶくらいなら、と俺は狙いを定めた。

「早くぶっ放せよ。でないとせっかくできたチャンスを失うぜ」

 と、兜一が懐に手を伸ばすのが見えた。

 俺は引き金に指をかけて、力を込めようとした。

 しかしどうしたことか、指は全く動いてくれようとしなかった。

 さっき死にかけた時には浮かばなかった走馬灯、その代わりに兜一と過ごした長い年月の映像が、脳裏を過ってしまった。

 これだけ振り回されて、傷つけられても、俺にとってはコイツもやはり失いたくない相手だったのだ。

 最後の最後で覚悟が鈍ったのを悟って銃口を下ろした瞬間、兜一は懐から自分の得物を抜いた。

 最後は安らかに逝こうと、目を静かに閉じておくことにする。

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