5-3『羽村さんの広い縁』

 とぼとぼと見慣れた商店街を抜けていくと、見覚えのある乗用車が見えた。

 嫌な予感がすると思ったら、車は俺のでピタリと止まり、窓から底抜けの笑顔を見せながら男が声をかけてきた。

「おっす、羽村はむらの旦那じゃないっすか! どうしたんすか!」

「……誰だっけ」

「あはは、冗談キツイなぁー! 俺っすよ俺、砂城すなしろっす!」

 オレオレ詐欺と見紛うような紹介だなと思いつつ、俺は微笑み返した。後部座席に一瞬目をやったが、後ろには誰も乗っていない。

「今日は一人でドライブ?」

「いえいえ、これからお嬢様さんをお迎えにいくんすよ。ゲーセンで大きなぬいぐるみをたくさん取ったから迎えに来いって言われましてね! お嬢さんは景品荒らしって目ぇ付けられてるらしいっすよ!」

 そんな殺伐とした話、笑顔でヘラヘラ言うことかと突っ込みたいが、長話をする気はない。夕方までは十分過ぎるくらい余裕があるが、待ち合わせまでは歩いていくし、何より今は心に余裕がなかった。

「羽村の旦那はどちらへ? 清子きよこちゃん抜きでお仕事っすか? 大変っすね、あっはははは」

 何がおかしいんだこの野郎め。

「個人的な野暮用だよ。約束に遅れたくないから俺はもう行くぞ」

「あはは、すんませんねぇ、旦那の方角だったら途中まで送っていくんですけどね。また今度ドライブでもしましょう!」

 砂城くんはそのうるさい笑い声とは裏腹に、静かでスムーズな運転を見せながら去っていった。

 無事に帰ってこられたら、アイツのドライブの誘いに乗ってやってもいいかもしれない。いや……男二人が車で走って一体何を語らうんだ、せめてその時は清子くん達にも助けを求めよう。

 そういえば、清子くんもゲームセンターで遊んでいるのだろうか。それなら帰り道に俺の所に寄るようなことはなさそうで安心だ。今日中に帰れば、あの張り紙を剥がすこともできる。

 まあ、それはどこまでいっても希望的観測だ。あれだけ人を脅して呼び付けたアイツが、俺と平和的な話をしに来たわけじゃないということはわかっている。

 正直、アイツを宥めるための手札も持ち合わせていないし、奴が予想より俺のことを恨んでいないことを祈るしかないだろう。

「……菓子折りでも持っていくか。いや、何を馬鹿言ってんだ俺は、んな冗談言ったら問答無用で何されるかわからない。って、そもそも金ないだろうが」

『一応聞くが、それは俺に話しかけてんのか?』

 自分に突っ込みを入れていると、足元から声がして思わず飛び退いてしまった。見ると、久しぶりに見た顔が俺を訝しげに睨んでいた。

「悪いゴジュ、独り言だ」

『ネズ公の匂いもしないから、なんなんだと思った。久しぶりに顔見るけど、お前の噂はちらほら聞いてたよ』

「え、俺が何かした?」

『とぼけるなよ。遠くの街から流れてきた奴が騒いでたよ。向こうじゃ影の英雄だって持て囃してる奴もいるらしい。確か、ラズドだっけ?』

 ああ、と俺はようやく噂の根源がどこかを理解した。しかし、そんな大それた話になっていたとは、お恥ずかしい限りだ。

『野良犬の件といい、向こうの街での話といい、お前にはいろいろ助けられてるな。何かお返しできるわけじゃないけど、本当感謝するよ』

「そもそもお前達からの礼を期待してやったわけじゃないっていうか、ただ、俺の目的とお前達の願いが噛み合っただけで……」

『そうだとしても、俺達はなんだかんだ助かってるんだ。お前が居てくれて良かったって思うよ』

 面と向かって気恥ずかしいことを言われ、俺は年甲斐もなく照れ臭くなった。そして用事があるからと言って、そそくさとこの場から逃げることにした。そんな俺の背中にゴジュは、『身体を大事にしろよー!』と声をかけてから、去ってしまった。

 俺が気づかなかったか、あるいは意識しようとしていなかっただけで、何かと縁が広がっていたんだなと気づく。閉じこもり気味な俺の世界はもっと小さいと思っていたが、そんなことはなかった。

 まあ、そのせいで俺はこれから生死に関わるレベルの相手と対面しにいくことになるわけだが。




 のんびりと歩きながら俺はトンビと、元沢もとさわ兜一とういちとの関係をどう精算したいのかを考えた。

 電話してきた時は、心臓の内部をズタズタに掘り返されたような感覚になって、思考が大きく乱れたが、今日見た昔の夢を思い返すと、決して俺はアイツを憎んでいないことに気づく。

 もしもアイツと再会した瞬間、まるで自由の国の人間のようにハグを求めてきてダンスを踊るような流れになったら、俺は笑ってそれを受け入れたいし、正直言えば殺し合いなんていう展開にはなって欲しくない。

 それは自分の命惜しさからくる感情だが、同時にアイツと本気で命のやり取りをしたくないという気持ちがあるのだろう。

 アイツは皮肉を込めて俺を兄弟と呼んだが、実際俺達は血の繋がった本当の兄弟より、共有した時間は長い。今の生活の天秤にかけるわけじゃないが、それよりも長く暮らしてきた間柄だ。

 それをあっさり捨てて逃げた結果がこれだというのだから、今思えば俺も馬鹿なことをしたと後悔する。争いを避けるために逃げたのに、結局これでは同じことだ。

 それなら、アイツと本気でやり合っても多少勝ち目のある若い頃の方が、ちゃんと話を付けられたじゃないか。

 そんなことを考えていたら、ずっと張っていた肩肘が軽くなった。俺のやるべきことは何よりも先に、アイツへ誠心誠意謝罪することだ。

 気づけば時間はかなり過ぎていた。ここから徒歩でどれくらいかかるか正確にはわからない。

 俺は少しだけ早足になって、目的地へと急ぐことにした。




 俺の想像以上に、待ち合わせ場所は寂れたところだった。公園とは言うが、入り口に柵とベンチを適当に設けているだけで、それらは両方共に風化が進んでいた。中はうちの近所の自然公園よりも酷く、舗装もされていないどころか、木々が森のように生い茂る林も放置されていた。

 無縁仏だらけと見られるような、人から忘れられた墓場を横目に見ながら、俺は公園の奥へと進んでいく。特徴から見て場所はここで間違いないが、アイツの姿はまだ見えない。

 とはいえ、俺達はこれから人の往来のある中ではできないやりとりをしにいくのだから、より人の目を避ける場所で待っているのは、ある意味当然かもしれない。

 陽が少し暮れ始め、林の中は木漏れ日と言えるような明かりはなく、前方を見ながら歩いていると、暗闇がそのまま俺のことを吸い込んでしまいそうに見えた。

 幼い時、山へ逃げ込んだ時もこんな感じだったな、という言葉が頭に浮かんで、走馬灯が流れるのはまだ早いと、俺は自分の顔を力一杯叩いた。

 ずっと進んでいくと、やがて少し赤みを帯びた明かりが見えて、俺はそれを目指して林道を抜けた。

 最初に見えたのは、手付かずの小さな山がやや遠くに見える、開放感のある風景だった。どうやらこのまま進むと広い下り坂があり、そこから降りるとそのまま山へ入れるようだ。

 まだ眩しい西日へ目を向けると、腕を組みながら背中を向けている一人の男が居た。

 身長は二メートルを越え、鋼でも仕込んでいるかのように筋骨隆々の肉体に、俺はギョッとしてしまった。

 すると、とっくに気配に気付いていたというかのように、相手は鼻で笑いながら、こちらへゆっくりと振り返った。

「ちゃんと来たか。ずっと顔を見たいと思ってたぜ、ハゲタカよ」

 寒気を感じる笑みを浮かべながら、男は俺に歓迎の言葉をかけた。見ているこっちの背筋に絶え間なく寒気を走らせるような、殺気を漲らせて。

 かつてあれだけ見慣れた悪人面をした大男が、俺が知っていた頃の何倍も威圧感を増した形で、俺の目の前に立っていた。

 俺は身体が震えそうになるのを抑えながら、自覚できるくらい引きつった愛想笑いを浮かべた。

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