5-2『羽村さん、旅立ちの時』

『あのよぉ、羽村はむらぁ』

「飯がまだ足りないって言うなら、いつも通り却下する」

『なんでさっきからオイラのことジロジロ見てんだよぉ、なんか落ち着かねぇぞぉ』

 と指摘されて、俺は座っていたベッドに寝転んで視線を逸らした。みっともない、未練たらしくぽんすけの顔を拝んでしまうなんて。

『なんか変だぞ羽村ぁ。いつもならオイラの飯をくれた後はすぐ自分の飯を食いにいくじゃんかよぉ』

「はいはい、気持ち悪くて悪うございました」

 居心地の悪くなった俺は、なんとなく事務所に出て、事務机に座りながらまたぼーっとし始めた。

 なんで自分はこんなもやもやとした気持ちを抱えているのだろう。元々俺は人の言うことを無視して、ずっと死に場所を探して生きてきたはずなのに。

 なんとなく生かされているうちに、とうとう命が惜しくなってしまったのだろうか。だとしたらなんとも情けない話である。

 ……いや、命を惜しむなら、トンビの奴からさっさと逃げれば良いだけじゃないか。清子きよこくんを人質に取られているが、知り合って半年経つか経たないかの、雇用関係でしかない仲だ。

 そんな、ちょっと仲良くなった程度の相手に、俺が命を賭ける意味があるのだろうか。

 なんて、思いっきりやさぐれてみたが、逃げるという選択肢なんて最初からあるはずがない。俺の昔の因縁に、ただ仲良くなっただけの無関係の少女を巻き込むなど、いくら俺が腐りきったとしても本能が許してくれない。

 警察に駆け込むという選択肢もある。いや、そうなれば俺の過去をぶちまけることになってしまうだろう。そんなことをしたら、俺を送り出してくれた人に迷惑がかかる。ファルコナーや他の仲間は勿論だが、あれだけ世話になったもう一つの故郷に、足で砂をかけるような真似はできない。

 特に国主様の足を引っ張りたくない。俺が国を離れた後、あの人は勇気を振り絞って自身の死の偽装を公表した後、国民の多くから受け入れられて、今でも国の象徴としてあり続けている。地獄の道連れとして選ぶには、あまりにも大きすぎる存在だった。

 そう、どう転んでもこれは俺とトンビだけで解決しないといけない問題だった。例え俺がそれで死んでしまおうとも。

 選べる道がないことは、嫌というくらいわかっているのに、どうしてどこか胸に突っかかりがあるのだろう。

 頭を掻き毟りながら、俺はまた意味もなく足を動かし、特に欲しいものもないのに電気冷蔵庫の蓋を開けた。

「あっ、しまった」

 中を見ると、食材がたくさん残っていた。賞味期限が新しいものほど後ろに回されているが、これは清子くんがやってくれたことだ。まったくどっちが年上なんだか、自分でも笑えてくる。

 俺は中を物色した後、目玉焼きの材料だけを抜き出してフライパンにかける。それでもまだ、卵はたくさん残っていた。

 目玉焼きと言えば、清子くんから始めて教わり、ようやく自信を持って自分で作れるようになった料理だ。犠牲となって灰燼に帰す卵も、今はほとんどない。

 フライパンをこなれた風に装いながら振るのが最近のマイブームだった。味の成長はある程度で止まってしまったが、せめて見栄えだけでも格好良くしたいと思って。なんだか、せっかく覚えたのに惜しいなと思う。

 そう頭を過った時、「まただ」とうんざりしたように俺は天を仰いだ。これから、わざわざ殺されることを覚悟で行く人間が、何で勿体無いと思ってしまっているのだろうと。

 一体誰に今更未練があるというのか。

 どうせ冷蔵庫くんとは仲が悪いし。

 黒木田くろきださんとはこの先死ぬまで運命レベルで相性が悪いままだろうし。

 ぽんすけは飯を催促するだけで家計を圧迫する厄介者だし。

 清子くんは、良い子過ぎて俺のところに通わせるのが申し訳なく思うばかりだし。

 と、頭の中で全部吐き出してみて、俺ようやく気付いた。いや、やっと自分の本音に辿り着いた。

 俺が勿体無いと思っているのは、この生活そのものなのだと。

 それに気付いた時、丁度良い具合に目玉焼きの良い匂いがしてきて、俺はフライパンを持ち上げて戸棚から出した皿に上手く乗せてみせた。

 我ながら今日の出来は……まあまあかな。

「俺の腕前はこんなものじゃない。いや、まだまだ俺の自炊の腕は伸びるはずだ」

 くだらない独り言をつぶやきながら目玉焼きにかぶりついた俺に、もう迷うことはなかった。

 俺は死ぬためにトンビに会いに行くんじゃない。今の生活を守るために、全て精算するため話し合いに行くんだと。

 そうと決まれば、俺がこれから準備すべきことは大体決まった。飯をさっさと食べ終わった俺は、ペンと紙を取り出した。

「誠に申し訳ありませんが、本日羽村害獣駆除事務所は、休業させていただきます。都合により休業日数が延びる可能性がございます。ご了承ください」

 張り紙に誤字脱字がないことを確認してから、事務机に残っていたベトベトの古いセロテープで、扉の外側に貼り付けた。本当はガムテープが良かったけれど、風で飛ばないことを祈ろう。

 とりあえず店の対応を軽く済ませて、固定電話を留守番電話モードにしてから、俺は一度事務所から飛び出した。




「ハムスターを預かれ、だ?」

 怪訝そうな顔を見せつけながら、店番をする冷蔵庫くんは俺を苦々しく睨みつけた。

 いつもならここで喧嘩になるが、お願いする立場である俺は、素直に頭を下げる。

「家賃滞納者の分際でペットのお守りをしろって、良い御身分だな貴様は」

「そこは本当に謝罪のしようもない。申し訳ない! でも、黒木田さんの所は仮にも飲食店だから、頼めなくて」

 深々と頭を下げたまま、俺は頼み続けた。いつもと様子が違うことを察したのか、冷蔵庫くんはフンと鼻を鳴らしながら聞いてきた。

「まさか貴様、逃げようなんて考えちゃいないだろうな」

「滅相もない。仮に逃げてもジジィがそれを知ったら、地の果てまで追われて連れ戻されるよ。最後はベッドに釘で貼り付けにされかねないし」

「吸血鬼か!」

 歯軋りしながら突っ込みを入れた冷蔵庫くんは、あからさまに舌打ちをしながら答えた。

「僕は一体、お前にいくつ借しを増やせば気が済むんだ」

「そんなこと言って、他の借しなんて家賃滞納くらいじゃないか」

「それが一番デカイっつってんだよ!」

 余計なことを言って刺激してしまったので、俺は誠心誠意を込めた平謝りで宥めてから、そそくさと事務所へと逃げ帰った。

 戻ってみると、扉の前で黒木田さんがバスケットを持りながら戸惑っているのが見えた。俺は大体の要件を察して、朗らかに声をかける。

「おはよう、黒木田さん」

「あー、羽村さん、おはようございますー。今日もお日柄が良いですねー」

 いつもと変わらずにこやかに挨拶を返す黒木田さんに、今日ばかりは安堵を覚えてしまう。

「今日はアップルパイを作ってみたんですよー。商品として出してみようかなと思っているから羽村さんにお一つ試食をと思ってー」

「本当? 丁度良かった、今日は慌てちゃって、目玉焼き一つだけがっついて他に食ってなくて……」

 そう返事をすると、黒木田さんは少し沈黙してから、目を爛々と輝かせながら、少し興奮気味にアップルパイを渡してきた。

「羽村さんがそんなに喜んでくれるのほとんどないから嬉しいですー! 是非一緒に食べましょうよー!」

「あっはっはっは。何を期待されてるんだろう、俺は」

 そう言いながらまずは黒木田さんがアップルパイを頬張る。とても俺と数歳さとは思えない可憐な笑顔で、自分のパイに舌鼓を打つ。

 俺もそれに続いて、まずは一口豪快に齧ってみる。すると俺は、なんだか感動のあまり薄っすらと涙を流してしまった。

 うん、これぞ黒木田さんだ。なんで俺の食べるパイにだけ塩が一杯入ってるのだろうか。それとも黒木田さん、お塩たっぷりのパイが好みなの?

「どうして羽村さん、少し泣いて……ちょっと失礼しますねー」

 と言って黒木田さんが齧ると、明るかった笑顔が少し困ったような表情へと変わってしまった。どうやら塩味は好みではなかったらしい。

「本当にごめんない羽村さん! どうしてー? あれだけ何度も作って味見したのにー。それにこっちは全然塩味じゃないのにー」

「いや、いいってことっすよ! やっぱり、黒木田さんの試食って言ったらこうでなきゃっしょ!」

 少し強がりながらも、俺はもう一つだけアップルパイを貰うことにした。今度は少しだけ奇跡を信じて、黒木田さんが食べたパイに近い部分を頂き、お礼を言ってから事務所の中に引っ込む。

 もしかしたら奇跡が起こるかもしれないと期待して、俺は出掛ける準備に何が必要か考えながらパイを齧った。

 うん、やっぱり塩味だ。しかも、さっきよりも塩分増量してる気がした。




「と、いうわけで、お前はしばらく冷蔵庫くんの元へ預けることになった」

『れいぞーこぉ? あのうっせぇ兄ちゃんのとこかぁ? 嫌だなぁ』

 本人には絶対聞かせられない文句を言うぽんすけを、俺は必死に説得した。

 もし俺が帰らぬ人になれば、勝手ながら冷蔵庫くんに飼い主となってもらおうと企んでいたからだ。勿論それは、ぽんすけにも冷蔵庫くんにも言うつもりのないことだけど。

『オイラを放っておいてどこ行くつもりだよぉ。まさかオイラの活躍できる場所を独り占めしようってんじゃねぇだろうなぁ!』

「俺が行くのは、そりゃもう有名な猫の集会場が近くにあるところで」

『おうよぉ、頑張って行ってこいやぁ!』

 わかりやすい奴なのは本当に助かる。

 ほとんど家族同然であるコイツに嘘を付いて振り回すのは心苦しいのだが、どうか許してくれと心の中で手を合わせた。

「俺が帰ってくるまで、元気でやれよ」

『んだよぉ、どうせすぐ帰ってくるんだろぉ。あの兄ちゃんがやかましかったら羽村にたくさん文句言ってやるからなぁ、覚えとけよぉ!』

 なんだか呑気な喚き声に俺は適当に返事をしながら、事務所を出た。しっかりと鍵を締め、張り紙の強度を確認してから、階段をゆっくりと降りる。

 冷蔵庫くんは俺が顔を出すと、渋々といった様子でぽんすけのケージを受け取った。俺は重ね重ね面倒を押し付けたことを詫びてから、彼に背中を向けた。

「待て、羽村!」

 一瞬ぽんすけに呼び止められたかと思って、俺は驚きを隠せない顔で振り返った。その言葉は、冷蔵庫くんから放たれた一言だった。

「お前、本当に帰ってくるんだろうな?」

 何か俺の様子が違うことを察したのか、真面目な顔で冷蔵庫くんは問いかけてくる。俺はその深刻そうな様子を見ながら、へらっと笑いながら答えた。

礼蔵れいぞうくんに名前呼ばれるの、すごい気持ち悪いな」

「って、さりげなく人の名前呼び返すな! あれ、なんでだ、正しい名前を呼ばれたはずなのに、どうしてこんな寒気が……」

 と、自分の身体を抱きながら震える冷蔵庫くんに、俺は軽く手を振りながら別れを告げた。

 背中越しにまだ何か言いたげな雰囲気を感じたが、気付いていないことにした。

 商店街を通る途中、俺は清子くんの姿がないか、少しだけ警戒した。今日は出勤ではないが、彼女は時折仕事とは関係なく顔を出しにくることがあるので、油断できない。

 今は清子くんと絶対に顔を合わせたくなかった。どこに行くのかとあの真っ直ぐな瞳で聞かれたら、今の俺には隠し通せる自信がないからだ。

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