昔話5『最後の茶会』
トンネルのように横幅の広い陸橋の下で、少し小太りの男が腰を抜かしてへたり込んでいた。
震える眼の見る先は、俺の持っている消音装置付きの拳銃だった。
「許してくれ、子供が来年大学に入るんだ。入学式にも出たい……そ、それに、これからはもっと莫大な養育費が必要で、仕方がなくて」
俺に土下座して頼み込んでいる男は、政府の高官だった。反政府組織に金で懐柔されて、情報を売ろうとしていたのだと聞いている。典型的過ぎて欠伸すら出ない小悪党だが、それでもこの男の流そうとしている機密情報は、扱い方次第で多くの人が死ぬ。
「
俺は遠慮なく引き金を引いた。眉間に穴が開いた男は、大口を開けながら卒倒して動かなくなった。
数年間、俺は獅子身中の虫を仲間とともに何人も始末してきた。それでも、権力を持つ人間の裏切りは絶えない。
全ての元凶は、巧みな話術で政府の中枢に携わる人間を惑わす謎の人物、黒狼だ。名前はわかっていても、その実態は未だに薄っすらとしか掴めない。
ファルコナーの旦那が頭を悩ませてきただけはあると思いつつ、俺は静かに現場を去っていった。
親父が自ら命を投げ出してから三年間、俺は大襲撃事件の関係者、そして黒幕を追い続けた。調査の結果、出てきたのが黒狼という謎の人間の存在だった。
黒ずくめで服装を固めていて、サングラスやマスクで顔を隠しているという情報だけは共通している。そんな格好なら逆に目立つような気がしたのだが、これだけ時間をかけても所在はまったく掴めなかった。
今日もまた空振りだった俺は、気怠さを隠さないままアジトへと戻った。今のアジトは古いアパートの二階にある。今回で仕事は終わったので、この街から間もなく出ることになるだろう。このアパートとの付き合いは四ヶ月なかったくらいか。
「おや、おかえり。その様子ではいつも通りの結果ってところかのぉ」
家に戻ると、絹糸のような白髪を垂らした髭面の老人が、窓際に置いたキャンバスに向かっていた。町の風景を描いているようだが、正直絵心があるようには見えない。
「あんまり堂々とし過ぎるなよ」
「そんなオドオドとしなさんな。こいつは大家の婆さんへの置き土産だよ。あれだけ親しげにしてたのに最後は冷たくお別れなんて、逆に怪しまれちまうよ」
老人はヘラヘラと笑いながら、筆を握り続けた。ため息を付いていると、奥の部屋の扉が開き、中から細身の少女が覗いていた。こちらは白っぽい銀髪で、老人とは違い透き通ったような美しさがあった。
「おかえりなさいハゲタカ。報告を求む」
「今日もいつもと変わらずだった。トンビはどこ行った?」
「ノスリと買い物に出た。これより、チーフに任務の成果を伝える」
「ファルコナーに会うなら次の会合場所、改めて確認してくれ」
ついでに俺がかけた言葉に、ミサゴは「了解」と短く答えると、静かに部屋の中に引っ込んでいった。
彼女は、ファルコナーの秘蔵っ子で、私兵のような存在だった。チーフと慕うファルコナーの役に立つため諜報や工作の技術をずっと学んできたらしく、呼び方に反して双方親子のように思っているらしい。
俺も表の部屋には用がないので、ミサゴの後に続く。中は小窓しかない空間で、荷物の大半はここに置かれている。部屋の入り口にあるマットをめくると、くり抜かれた床が見えた。そこを開けると下の階に続く梯子が見えるようになる。
ちなみにこれは俺達が使ううえで勝手に改造したものだ。上下階の部屋を同時に借りつつ、双方の行き来を楽にするための措置で、ここを出る時はなるべくバレないように整えてから出ていく。
部屋に戻ると、丁度トンビ達が帰ってきたようで、俺は一階の部屋へ降りた。二メートル近い巨漢となったトンビは、買い物の荷物を両手に抱えながら、長くて綺麗な黒髪の女性をため息混じりに睨んでいた。
「ったく、相変わらずコキ使ってくれるな、お前は」
「一番食べるのが貴方なのだから、仕方ないでしょう? ミサゴの少食を見習いなさい」
「私はチーフに摂取量が少ないとよく注意される。よって手本としては不適切」
「……ごめんなさい、無駄に巻き込んじゃって」
ノスリは元警察官という異色の経歴を持つ少女だ。上司に謀られ汚職の責任を全て背負わされ、警察から追い出された所をファルコナーがスカウトした。今は発足したばかりの特別捜査局のスパイとして、非公式に俺達と手を組んでいる。
「さっきもピザ一枚を一人で全部食べるし。食欲をごっそり奪われたわ」
「そりゃいい、お前ぇのダイエットに貢献できたじゃねぇか」
「今度はハゲタカを旦那に仕立てた方が良いかもしれない」
自分の名前が上がったのを聞いて、俺は引き返そうとするが、背後に人が居て行く手を阻まれる。
「おいおいハゲタカ、みんな帰ってきたなら知らせてくれよな」
変な顔をした老人……の変装を解いたハヤブサが立っていた。髪と髭はもう外したが、老けメイクはそのままで、とても薄気味悪い顔になっている。
「お前まさか、ジジィに化けて耳まで遠くなったとか言わないよな。それくらいの物音を聞き逃したのか」
「わかってても気遣ってくれるのが仲間だろう? 飯に出遅れたら、デザートまで全部トンビが独り占めされるんだしさ」
「自分の食い扶持は自分で守れ」
相変わらず飄々とした奴だが、俺達の中ではリーダー格的な存在となっている。声帯模写を元々特技としていたらしく、これを活かす形で変装術を身に着けていた。
こんな境遇も性格もバラバラな五人でチームを組んだのも丁度三年前、親父が死んでから半年経ってからのことだ。これまで一人も欠けていないのは、喜ばしいことだ。
しかし、せっかくこうしてチームを組んだというのに、最大目標である黒狼も、旧政府の残党のアジトも、いかんせん見えてはこなかった。
事態が動いたのは国主の生誕三五周年記念の催しが告知された頃だった。
国主は普段から王居からほとんど出ない。日がな一日、趣味の読書をしたり、時には自分で小説を記してみたりと、世俗から離れた暮らしを続けていた。
というのも、本人が表舞台に出ることで権威を誇示する形になるのを嫌がっているためであった。そのため公務も最低限の行事にしか出ず、出席したとしても一言残さないが、国主が笑顔を振り撒けば国民は誰もが歓声を上げる。謙虚を通り越して引っ込み思案な人柄が慕われる要因らしい。
そんな国主が唯一表へ出ずっぱりになるのが生誕行事だった。
「国主様は、この行事を利用して敵を誘き出せないかと進言されている」
「我らが王様は、引き篭もりに加えて自殺願望までお持ちってか?」
トンビが無礼極まりない言い回しで感想を口にする。実際、俺も同じような印象を受けた。しかし、ファルコナーは首を横に振って、漫然と続く旧政府側との闘争に終止符を打てるなら喜んで餌になる、と国主が望んでいることを話した。
国主の意図はわからないが、そういうことなら俺達もその機会を最大限利用させてもらうことにする。
その後、俺達が提案した「国主死亡偽装作戦」は、囮となる国主から直々に承認された。
今回の計画は読んで字の如く、国主の死亡を偽装し、相手の出方を伺う作戦である。相手は政権奪還を目論む輩であり、現政権の象徴が失われれば、何かしらの動きを始めるのは間違いない。
しかし死亡を偽装するというのはそう簡単にはいかない。何よりこれが罠だということに気づかれれば全てが水の泡だ。
影武者を殺す、という選択肢は国主本人が望まなかったこともあり、最初から除外されていた。何より露見してしまえば相手の警戒心も高まり、今後の対応策においても逆効果となるからだ。
大々的に国主が公務を行う数少ない機会ということもあり、敵はこれを罠とは考えず食いついてきた。
敵はあえて直接殺し屋を雇わず、「暗殺ゲーム」というゲーム仕立てにし、賞金という餌を用意することで、不特定多数の襲撃者を集める作戦に出た。実際この思惑は成功し、厄介な数の刺客が公務の場に現れた。
本当に国主が死んでしまえば元も子もないので、当然本当の刺客からは全力で御身を守る必要がある。
小悪党程度であれば警察がすんなりと取り締まってくれたが、手練れ相手にそうはいかない。ファルコナーの指示の元、主にスナイパーは俺とトンビが処理し、直接的な襲撃を目論む輩はハヤブサ、ミサゴ、そしてノスリが臨機応変に処理へ当たった。
当然俺達の存在は知られてはいけないので、襲撃されているという事実を大衆に知られるようなことがあってはならない。
このため、相対した俺達の負担は凄まじいものとなった。さりとて、餌になってくれた国主とて、今は命懸けで公務をこなしているのだから、その意志を裏切るわけにはいかない。
半日間、休みなく死線を潜り抜けた俺達は、国主の命を守りきり、予定通りに死んで貰った。
王居地下に用意された秘密の空間、その一室で細やかな茶会が催された。
円卓に座っているのはハヤブサ率いる五人と、付き添いでやってきたファルコナー。そして大衆の前で死んでみせた国主の七人だった。
「あれで良かったかい? 少なくとも報道機関は騙せたようだが」
そう笑う国主は、指で銃の形を作って自らの頭を撃ち抜く真似をした。
あの日、演説中に飛んできた銃弾が、軍帽を貫いて国主の頭を撃ち抜く場面が大衆の目に飛び込んだ。彼が被っていた軍帽の中に血糊を仕込み、襲撃者に撃たれたよう、偽装したのだが、予想以上に生々しく演出されていた。
下手人は襲撃者の中から一番狙撃の上手い奴を選び出し、あえて殺さず拘束させることででっち上げ、マスコミには公表されている。
「さあて、敵さんにはまだ動きがないんでなんとも言えないですな。敵さんが祝勝の花火でもあげる脳天気な連中なら楽なんですが」
いつもの調子で話すハヤブサに、国主の傍らに付いていた護衛役が構えるが、すぐに制された。
「少しでも役に立てたのなら嬉しい。貴殿達とは初対面だが話には聞いていたよ。我はずっと何か力になりたいとは考えていた」
国主は、穏やかな顔立ちの好青年だった。写真で二〇代前半の姿を見たことがあるが、それと比べてまったく見た目が変わっていない。箱入り育ちに見合わず豪胆かつ大らかな人柄で、必要以上に特別扱いされることを嫌っていた。
公務では礼服を着用しているが、今は市民と変わらぬセーター姿で俺達と対峙している。おかげで俺達のラフな格好より、近衛隊の軍服の方が浮いてる状態だ。
「さて、我はいつまでここで暮らしていればいいのかな?」
と、国主が周囲を見渡しながら皮肉っぽく笑った。ここは臣下や政府関係者の中でも存在を知るのはごく僅かな人間だけで、ただ静かな空間だった。
そこに招かれた俺達は相当光栄なことなのだろうが、誰一人目を輝かせてはいない。国主の願いで呼び出されたのだが、俺達の存在が露見しないよう、この地下に至るまで荷物に紛れて搬入させられたのだ。ああいった潜入は慣れてはいるが、正直お茶会の誘いで終わるのだとしたら、複雑な思いだ。
「陽の光を浴びられない苦しみはわかりますがね、奴等の本拠地が割れるまでの辛抱ですから、他人事みたいですけど、なるだけ明るくお過ごしください」
「妻のことを思うと、日に日に心苦しさが募るよ」
夫人は現在、王居とは別の隠れ家に潜んで貰っている。暗殺を偽装した現場に丁度居合わせた人物の一人で、あの時に夫人が半狂乱で大泣きしてくれたことで、国主の死に箔が付いた。
こう言っては申し訳ないが、計画成功においてある意味最大の功労者なのだが、実は国主が生きているということは知らされていない。聞けば憔悴してあまり食べ物が喉を通らないらしい。
「我はこの計画が成功に終わった場合、このまま死を偽装して消えるつもりだ。できるなら妻も共に」
突然の告白に、部屋にいた王室の関係者は皆息を呑み、俺達は目付きを鋭く変えた。
「我は権力になど興味はない。ただ皆が平穏無事に暮らせればそれで良いのだ。愚兄を屠った後の祖国は善良な民に一任できれば良かった。だが不覚にも討ち損じてしまったがために、むしろ多くの人を苦しめてしまった。特に貴殿達には辛い思いをさせ、申し訳ないと思っている」
突然頭を下げた国主に、俺達はただ無言で軽く頷いて応えた。
「我々に助力できることは、他にないだろうか?」
「餅は餅屋って、前にお伝えした通り。ドンパチが始まるまでは絶対動きを見せないと約束してくれれば、こちらとしては文句なし。逆に動きがあったらすぐに戦力を展開して、残党を一人残らず捕まえて欲しい、それだけですねぇ」
「敵の本拠地に僅か五人で挑んで、無事に帰れる保証はあるのかい?」
「俺達はアンタをあの数の敵襲から守り切った実績があるんですぜ。少しくらい買い被ってくれてもいいんじゃないっすか」
ハヤブサの皮肉たっぷりの言葉に国主は苦笑いした。やりとりを黙って聞いていた俺だが、つい口を挟んでしまった。
「元より死が前提の世界で俺達は生きてる。命を惜しんで逃げ出す奴はとっくの昔に消えてるんだよ」
「正直なところ、俺とハゲタカはこの国のために命張ってるわけじゃねぇ。ただ、死んだ仲間や親のやり残しを済ませたいだけだ。悪いが住む世界の違う王様に余計な心配される義理はねぇよ」
トンビも便乗とばかりに口を開いた。正直この鬱陶しい場面から逃れたかったから、俺は早々に話を打ち切って帰りたかったのだが、トンビも同じだったらしい。
「こちらのことをお考えくださるなら、一つだけ考え直して欲しいことがございます」
俺達の話を聞いたノスリは、静かに口を開いた。国主は少しだけ朗らかな顔をしてそれに応じると、ノスリは席を立って国主の傍らに移動すると、片膝を付いて深く頭を垂れた。
「もしも御自分の行動に対し後悔の念があるのであれば、今の座から退くというお考えは、是非改めて頂きたい」
ノスリの進言を聞いた国主は、あまり良い顔はしなかった。今の座に甘んじることを良しとしない当人からすれば、自然な反応なのかもしれない。
「我が今の座に居座り続けることに、意味があると言うのかい?」
「どうして俺達がアンタを守るのに苦労したと思う?」
自嘲気味に聞き返した国主に返事をしたのは、ハヤブサだった。
「アンタがこの国の人間から慕われているからさ。でなきゃ、誕生日を祝うためにあんな騒ぎにはならないし、死んだって聞かされた人達があんなめそめそ泣いたりはしないだろう?」
「……我にはそんな実感はまったくなかったが」
自身の価値を説かれているのにも関わらず、国主は静かに肩を落とした。それを抱き起こすように、ハヤブサは言葉を続ける。
「責任どうこう言うなら、ノスリの言う通りアンタはこの国の象徴を続けるんだね。もうアンタの身は国民の所有物みたいなモンだ。可哀想だけど当人達が望まない限り、アンタは普通の人間に戻るべきじゃない。後はアンタ次第さ」
ハヤブサの言葉を最後に、お茶会は閉会となった。去りゆく俺達を見送る国主は、余裕のある表情は保ちつつも目線はどこか覚束ない様子だった。
その数日後、敵の組織に動きがあり、旧政府の中核が国境付近の山小屋に陣取っていることが確認された。
すくさま俺達は襲撃の計画を立てた。これが、旧政府の人間や黒狼との最後の戦いになるようにと、皆で願いながら。
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