昔話3『ハゲタカの軌跡』
殺しの世界に入るための、鍛錬にひたすら打ち込んでいた六年間は刹那のように過ぎ去り、皆の様相もアジトの移り変わりと共に大分変わっていた。
俺自身も背が大分伸びた。昔は高く見上げないといけなかった親父の顔を、ずっと近くで睨めるようになるくらいには。
トンビこと
その頃になると、俺と兜一も仕事に加わるようになり、親父に連れられてしばしばこの国の首都へと赴くようになった。
この国の歴史はある程度教え込まれている。かつてこの国では、先帝の威光を笠に着て権力を乱用する独裁者が国主として君臨していた。苦しむ市民の嘆きにずっと心を痛めていた末弟は、腐敗政治打倒に端を発した小規模なクーデターが起こした。
脇腹がよほど甘かったのか、絵に描いたような独裁政府はあっけなく倒され、新政府では国主の座に反乱の首謀者たる末弟が就いた。しかし彼は権力の行使を嫌い、象徴としての存在に留まることを宣言し、現在に至る。
今年でもう一〇年経つはずだが、この国はまだ安定したとは言えなかった。旧政府最大の権力者である前国主は未だに行方知れずで、政府奪還を未だに目論んでいたからだ。
旧政府が残した課題の多さも問題だった。警察などの公安組織は前政権における堕落を引きずっていて、この頃ようやく清浄化の成果が出てきたというところだった。前政府で軽視された諜報組織もまだまだ未成熟で、表も裏も治安はまだ安定したとは言えなかった。
あまり表沙汰にはされないが、政府要人の暗殺や警察など治安組織を対象とした連続殺人、その他民間人が犠牲になる事件もしばしば起こっていた。
これらには旧政府が雇った殺し屋や犯罪集団などが暗躍し、じわじわと平穏を蝕んでいたのだ。
懐の脆弱さを否めない新政府は、万策尽きてついに荒療治を実行に移した。毒を以て毒を制すとばかりに、同じ裏社会の人間の力を頼ったのだ。
うちの親父は、そんな政府から秘密裏に依頼を受けていた暗殺者の一人だった。
俺達は臭い言い方をすれば殺しのライセンスなるものを持っている。政府の指定した相手であれば一切罪には問わないし、露見しても超法規的措置を取るという決まりになっている。警官が犯人鎮圧のために射殺しても原則罪にならないのと待遇は似ている。
もっとも、今まで裏社会との繋がりが露見した話は聞いていないので、実際に直面した場合、政府がどんな対応を取るかは見物だ。
「正しいことをしていると思うな」
そんな俺達に釘を差すように、親父は口癖のように言ってきた。
政府から仕事を受けた殺し屋には、お墨付きを貰ったということで、浮かれる輩もいるそうだ。
だが俺達のような暗殺者は、法に則っていない以上英雄でも救世主でもない。それを忘れて悦に浸れば、無様な革命戦士気取りと同じだ。
さりとて、己の存在を卑下してはいけない。自分達が血飛沫を被ることで、助かる命や世界があるのだから。
初めて人の眉間を撃ち抜いた時のことは、しっかりと覚えている。
あれは、警官殺しを繰り返す暗殺者グループの抹殺を依頼された時だ。旧政府がまだひ弱な警察の力を弱め、現場に赴く警官達を萎縮させる目的でやらせていたらしい。当然警察は威信にかけて捜査をしたが、勢いだけで無駄に死傷者数が増えるばかりだったとのことだ。
俺と兜一は、親父と共にアジトの特定から暗殺までの全てを請け負うこととなった。人気のない廃墟にあった隠れ家を見つけた後、俺達は警官殺しを狙う時を逆に利用することになった。
ビルの屋上などから密かに狙うヒットマンは、誂えたように三人居た。俺達はそれぞれ敵の頭に一発の弾丸を同時に撃ち込んだ。
スコープ越しに覗いた暗殺者の愉悦に歪んだ表情は、迷いのあった俺に引き金を引かせるには十分だった。そして撃った後は、遥か遠くに居た人間の眉間を撃ち抜く手応えをずしりと感じた。
自分でも抑えられないくらい身体を震わせていると、無表情のままの親父が立っていた。そして情けなく震える俺の肩を掴み、じっと目を眺めてきた。
「お前の相棒も震えていた。俺自身はあまり覚えていないが、確か最初はまともになれなかったと記憶している。よくやり遂げた」
親父の優しい一面を見たのは、名前を決めてもらった時以来だった。
数をこなしていくうち、俺とトンビは二人だけで仕事を任される機会を貰うようになった。
親父の目が離れた時、目付役として世話をしてくれたのは、最初の頃から力添えしてくれるファルコナーという男だった。
年齢は四〇代前後だが、ツーブロックヘアのやや逆立った髪は白髪混じりでほぼ灰色に見えた。堀の深いシャープな顔つきの男で、鋭い鷲鼻、指で摘めそうな長さの顎髭、そして三白眼が強く印象に残る。全体像を見るとまるで猛禽類が人になったようだ。
生真面目そうな顔立ちに見合って誠実な人間であり、どちらかと言えば俺達に肩入れしてくれる変わったオッサンだった。
「なんでうちのおやっさんは、異名で呼ばれるのを嫌がってんだ? おかげで何手呼べばいいかわかりゃしねぇ」
ある時、兜一の何気ない質問をすると、ファルコナーは親父の異名が「
「奴からすれば、響きが大袈裟すぎるんだ。なら気軽に呼べる名前を教えろと会う度に言っているが、いつもその時の偽名を返されて有耶無耶にされてしまう」
ファルコナーは見た目によらず、彼なりに無駄話に付き合ってくれる粋な男だった。公私の切り替えがはっきりとしていて、仕事の時は眉間にシワを寄せて目をギロリとさせながら話をするが、普段は渋い声に見合わず温厚な人間性を見せる。
「アイツは昔、他国で仕事をしていたそうだ。その頃に一人でマフィアの組織を壊滅に追い込んだことがあったんだが、往生際の悪い敵はアイツを道連れにとアジトを自爆させた。しかしアイツはその中から掠り傷程度で生還したんだ」
俺は、爆炎の中から銃を抱えながら戻ってくる親父の姿を想像した。まるで映画みたいだと、不謹慎にも笑えてきてしまう。
「組んでいた同業者が、豪炎の中から戻ってきたアイツを見て不死鳥のようだと口にしてな。以来、周囲がアイツを不死鳥だと呼ぶようになった。だがアイツはそれから間もなく一度姿を消し、やがてここで活動するようになった」
親父の「不死鳥」という異名は、ファルコナーが口にして初めて知った。兜一は聞いてすぐ軽率に茶化し、親父に腕で首を締め上げられていたのを見て、俺は一度もその名を口にしたことはない。
一方、ファルコナーは毎度睨まれるだけで済んでいるのが謎だ。まあそれくらい付き合いが長いのだろう。この人がいなければ、親父が政府絡みで仕事をすることはなかったかもしれない。
付き合いが長いからこそ、ファルコナーの行動は手に取るようにわかるらしい。それから少しして親父と兜一含めて三人での仕事になった時、親父はファルコナーに会うや否や、いきなり詰め寄った。
「随分口が軽くなったな、ファルコナー」
親父は怒った時でも声を荒らげない。しかし、その苛立ちは言葉の一つ一つにしっかりと込められている。俺達は今でも震えることがあるが、ファルコナーは首を傾げながら答えた。
「藪から棒になんだいきなり。お前達の情報を売った覚えはないぞ」
「白を切っても無駄だ。コイツラに余計なことを吹き込んだろう?」
すると俺達はいきなり首根っこを掴まれ、揃って引きずり倒された。無様に倒れ込む俺達を見下ろしながら、ファルコナーは頭を抱える。
「まったく、口が軽い小僧どもだ。わざわざ口に出さなければいいものを」
俺達二人は必死に首を横に振って否定したが、親父はすぐにその答えを明かした。
「硬く口止めしても俺には無駄なことだ。コイツラは顔に出るんだよ」
俺達は懐の甘さを指摘され、変なポーズのまま硬直するしかなかった。ファルコナーは鼻で笑いながら、わざとらしく肩を竦める。
「やれやれ、お前には敵わんな。軽率に口走ってすまなかった」
「まあ、俺の教育不足にも原因はある。お互い肝に銘じるということで、手打ちにしよう」
二人は、示し合わせたかのように煙草とライターを取り出した。このやりとりが親父なりの冗談だということに、俺はしばらくしてから気づいた。
ほとんど緊張感を途切れさせないはずの親父が、そういった顔を見せられるのはファルコナーだけなのかもしれない。
他のグループと共同戦線を張ることもあった。
よく組んだのは、不死鳥と呼ばれた親父と並び称される伝説の暗殺者、ガルダの弟子達とだった。
ガルダはファルコナーより少し年を重ねたような人で、身なりの良い服を着せれば紳士に見える気風な男だった。しかし、親父と顔を突き合わせれば憎まれ口を叩き合うような大人気ない人でもあった。
そんなガルダの数少ない弟子の一人、ハヤブサと名乗る少年とは特によく仕事をした。もっともその名は、俺達が猛禽類から名前を取っているのに影響されて付けたといつぞや言っていたが。
やや青みがかったセミロングの髪型が特徴的な、一見するとどこにでも居そうな少年は、俺達の中で最も裏社会と縁遠い雰囲気を持っていた。
「お二人さんとまた一緒に仕事ができて嬉しい限り! 特にトンビの兄さんとは改めて組み手の再戦を挑みたかったところでね」
「別に構わねぇがよ、怪我して仕事に差し支えても知らねぇぞ」
「そいつはお互い様って奴さ」
ムッとする兜一に対して、ハヤブサは不敵に微笑んだ。とにかく暗殺者としての顔を見せないのが、ハヤブサという奴だった。
爽やかな青年風の顔に似合わず銃も格闘も一級品で、この再戦時には兜一と競って投げ飛ばしてしまうくらいだった。
「うちじゃ、親父以外はまだ誰もトンビには勝てなかったのに。お前、急にどうしたんだ?」
「男に生まれてきたからには、誰だって負けっぱなしは癪に障るからさ」
ハヤブサは不敵な笑顔で俺達を煽った。自分の仕事に誇りを持つハヤブサの心意気を学ぶべきなのだろうと、そう感じた。
以来俺達は、若手同士競い合うようにして仕事を受け、時には共同戦線を張り、互いの技術を高めていった。
親父抜きで仕事をするようになって半年ほど、俺は久しぶりに吊るされていた。
好奇心から、親父の部屋に忍び込んで煙草を拝借しようとして、あっさりバレて即座に刑罰が執行されたのだ。
この国では一八歳から煙草や酒を嗜めるが、身体の成長に悪影響を与えるために禁じられている。ある意味では表社会よりも締め付けは厳しいかもしれない。
頭に血が上る感覚と戦い抜いた翌朝、俺を逆さ吊りの刑から開放していた親父が、何気なく聞いてきた。
「生きていて良かったと思うか?」
「何回吊るされてると思ってんだ。これくらいでヒーヒー言うかよ」
「今の生き方を選んで、良かったと思えるかを聞いている」
俺は親父の意図が読めず、訝しげにその顔を見た。いつもの変わらず無愛想だが、今日は少しだけ物悲しい様子だ。
いつもとは違う親父の様子に戸惑いながらも、俺は素直に答えた。
「他の人生なんて、今更想像できるわけないだろ。なんで唐突にそんな辛気臭いことを聞いてきたんだよ」
「俺だって、感傷的になることはある。これでも人間の端くれだからな」
そう自嘲気味に言って、親父は懐から煙草を取り出しながら、俺を外に連れ出した。
親父は入り口の横で俺にライターを渡してきた。一本くれるのかと近寄ると、親父は火を点けろと催促される。俺は歯軋りしながら、煙草にライターの炎をあてた。
親父は煙草の煙をわざと空に向かって吐いてみせた。いっそライターで顔を焼いてやろうかと思っていると、そのまま親父は話の続きを始めた。
「この道に引きずり込んでおいて、今更罪悪感がどうのなんて女々しいことを言うつもりはない。だが、後悔してるんじゃないかと思ってな」
「後悔してるなら、とっくにアンタを殺して俺も死んでるよ」
「俺を道連れにするとは大きい口を叩くもんだな。体術ですら俺に勝てないお前にできるとは思えないが」
煙を吐きながら、親父は呆れたように少し微笑む。昔はただ人間味のない人だと思っていたが、いつの間にかこんな表情を多く見られるようになった気がする。
「せっかくここまで生きてきたんだ。簡単に死ぬんじゃないぞ」
「親父の仕置きの方が、よっぽど命の危機を感じるよ」
不器用、という言葉では片付けられないが、親父はこうすることでしか俺達を生かすことができなかったのだろう。第三者から見ればなんとも手前勝手だが、俺はこの人に感謝している。
洗脳されているから、こんなおかしなことが言えるのかもしれない。幸せな生き方とは冗談でも言えないが、他人にこれが不幸な生き方だと言われたら、全力で否定する。
死ぬまで後ろ指を差され続ける人生だとしても、この人の背中を追って生きていけるなら、きっと挫けずに生きていけると思っていた。
しかしそんな俺の憧れは、それからすぐに消えてしまうことになった。
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