昔話2『少年の死とハゲタカの誕生、そして』

 陽が沈んだ渓谷。

 その間にかけられた鉄道橋の上で、爆発した電車が炎上していた。その影響でその鉄道橋も崩れかかっている。谷底には激流が流れ、遠くからでも滝の落ちる轟音が響き渡るのが聞こえた。

 やがてこの車体は橋とともに飲まれてしまうのだろうか。少し前まではその乗客だった少年は、映画のワンシーンでも見せられているような気分でそれを眺めていた

 電車が徐々に崩れ落ちるのを見ていると、対岸にたくさんの人影が見えることに気づいた。どうやら電車に乗っていた連中が、トラックの荷台に乗り込んでいるらしい。

 呆気にとられて眺めていると、急に身体を地面に引き倒された。

「軽率に身体を晒すんじゃない。見つかると面倒だ」

 服を掴んで引っ張っていたのは、少年を電車の窓から放ったトレンチコートの男だった。放り出されて放心していた少年の前で、男はしばらく周囲の状況を探っていた。すると何かに気づいて舌打ちすると、両脇で少年と私物の鞄を器用に抱えて、急いで電車から離れた。

 そして物陰に隠れると、電車から覆面のバンダナをした連中がぞろぞろと出てきた。大きな旅行鞄を抱えている者や、負傷した仲間を背負っている者もいる。

 電車が大爆発したのは、対岸に向かった連中を見ようとして、少年が物陰から身を乗り出した時のことだった。

「テロリストを装った武装強盗、といったところか」

 聞き慣れない言葉が出てきて、少年は伏せたまま首を傾げた。男はそれに気づいたようだが、無視して相手の動向を探る。

 男が武装強盗と一括りにした連中は、しばらく周囲の状況を探るべくうろついていたが、確認が終わると全員でトラックに乗って、遠くの方へと走り去ってしまった。

 周囲に見えるのはほとんどが平野である。後は遠くに森のようなものが、トラックはそちらへと向かったらしい。

「無用な交戦は避けられた。さて、次はこっちの始末だ」

 そう言いながら、トレンチコートの男は拳銃を向けてきた。いろいろなことが起こりすぎて絶句していた少年の気持ちなどお構いなしだが、当人にはもう驚く元気もない。

「口を封じる方法は二つある。一つ目はお前の頭を撃ち抜いて永久に黙らせることだ」

 放心した少年に苛立ってか、それとも反応を楽しみたいのか、男は銃口をこれ見よがしに額へと突きつけた。

「お前は俺の殺しを見てしまった。子供だからと生かして返すことはできない」

 電車の爆発を見るまでなら、少年ももう少し驚いていたかもしれない。が、今は怯えるだけの感情も残っていなかった。

 沈黙が少し続いた後、男は静かに口を開いた。

「もう一つは、俺と同じ立場になることだ」

「……同じ立場って?」

 無表情を崩さぬまま、少年は空虚な様子で質問した。男はさも当たり前のように、簡潔に答えた。

「殺しの世界に入ることだ。俺の下でな」

 漠然と言われてもピンと来なかったが、さっきの男の行動を思い出すと、段々と意味が理解できた。入ってきた悪漢を、この男は平然とこの銃で撃ち殺した。つまり少年に対し、眉一つ動かさずに人を殺せる人間になれば助ける、と言っているのだ。

「ここで死にたいならそうしてやる。連れと一緒にあの世へ行けるだろう」

 連れと言われて、ふと先に死んだ家族のことを思い返した。

 もしかしたら電車のどこかで生きているんじゃないか、と少年は思っていた。しかしあの場面を見る限り、ほぼ間違いなく全員死んだのだろう。そういえば、兄は結局顔も見れずに死に別れることになってしまった。

 いざ孤独になってみると、少年は想像していない気分になっていた。好きでもない家族が居なくなれば、もっと清々した気持ちになる、と最近は思っていた。

 だが目の当たりにして見ると、まず心を埋め尽くしたのは友達を失った時以上の孤独感だった。顔も見たくなかった家族が消えたのに、少年は何か大きな物を失った悲しみに包まれていた。

 楽しい思い出などないはずなのに、どうしてか今は頭に優しい顔をした家族が自分を迎えてくれている光景しか浮かばない。

 ああ、そうだったのか。僕はただ、みんなから認められたかったんだ。そんな結論に至った時、口から出たのは諦め混じりの言葉だった。

「それで撃たれたら、楽に死ねるの?」

 男はその言葉に対し、あっさりと返答する。

「この世に楽な死などない。死は例外なく苦しい。さりとて殺しの道は別の苦しみに苛まれ続けるのは言わずもがなだ。俺の下に入るとなれば尚の事」

 わざと恐怖心を煽るように笑った。それでも少年の表情はまったく変わらなかったが。

「普通に生き続けるのですら、苦しみは山程あるというのにな」

 ポツリと出たその言葉は、妙に少年の耳に残った。男の顔が少し物悲しそうに見えたからだろうか。しかしそれは一瞬のことで、すぐに毅然とした態度に戻る。

「一瞬の苦痛と共に死を選ぶか、長い間苦しむのを承知で、生きることにこだわるか。選ぶのはお前だ」

 改めて問いかけた男は、銃を軽く動かして見せて再び少年に意識させる。

「俺と共に生きれば、数多の苦しみを味わうことになる。その覚悟がないなら、ここで死ね」

 額に向けられる銃口を睨んでから、少年は目を瞑って考えた。

 瞼の裏に死んだ家族の顔が浮かんでくる。今まで忌まわしく思っていた顔が、喪失感からか愛おしく見えてきた。しかし、家族の後を追うのが本当に幸せなのか考えると、恐らくそうではないという気持ちは拭えない。

 しかし生きるためには、あの男のしたように人を殺さないといけない。目の前で殺人を見た時の気持ちを思い出して、少しだけ少年の身体は震えた。

 だが、あの男が殺されたことで、本音を言えば清々としてしまった自覚が少年にはあった。

 家族を殺し、少年までも手に掛けようとした悪漢が呆気なく死んだ。その事実は今噛み締めてみると、同情心は全然湧いてこなかった。

 あるのはただ、自分をこんな状況に追い込んだ連中に対する憎悪だ。家族に抱いていた感情が生易しく見えるくらい、少年はあの連中に憤っていた。

 あの男が言うには、連中は何か別の者を装った泥棒と言うではないか。どんな事情があれ、多くの人を殺して盗みという目的を果たして逃げた連中を、許せないという気持ちがふつふつと湧いてくる。

「おじさんに付いていけば、アイツラをやっつけられるの?」

「なんだ、連れの仇討ちでもしたいのか」

「わからないよ。だけどこんな目にあって何も仕返しできないのは、すごく嫌だって思ったんだ」

 小さな拳を震わせながら、少年は半ばうわ言のようにつぶやいた。今感じていることを頭から拾い上げているような様子だった。

「僕は、死にたくないって思う。おじさんに付いていって、おじさんみたいに人を殺すことを覚えろって言うなら、僕はアイツラを目標にする。僕を連れて行って」

 少年なりに真剣な目で、自分の素直な気持ちを語った。ただの命乞いのように思われてそうだったが、それを受け取った男は無表情のままだった。

 何か気に障るようなことを言ってしまったのだろうか、と少し戸惑い始めた頃、男は少しだけ口元を緩めた。

「よくわかった。ならやることは一つだ」

 そう言って男は、少年に銃を改めて突き付けた。

「まずは、死んでもらう」

「そんな! 僕は嘘を言ったんじゃないよ」

 少年が問い詰めようとしたが、それよりも先に銃口が眼前で光った。改めて目の前にすると腰が引けてしまった。

「余計な口を叩くな」

 聞き返す間もなく、二発の銃声が周囲に轟いた。

 それを待っていたかのように、車体は橋とともに激流の中へ崩れ落ちていった。





 自分の真横を銃弾が通り抜けていった瞬間を、少年はきっと忘れないだろう。

 そして、銃弾を撃ち込んだ張本人による「これでお前は死んだ、今からは別の人間だ」という一言も。

 死んだことになった少年は、その後男に引き連れられて、アジトに連れて行かれることになった。

 道中、余計なお喋りはほとんどさせてくれなかった。

 唯一まともなお喋りと言えば、歩き始めて少し経ち、自己紹介をしようとした時くらいだ。しかも名を名乗ろうとした少年に、男は特別厳しい態度を見せた。

「わざわざお前に向けて弾を撃ってまで殺したことにしたのは、今までお前が送ってきた普通の生活と決別させるためだ。昔のことは名前を含めて全て忘れてもらう。家族の元に帰りたいなら、戻って谷底に飛び込め。その時はあの世の駄賃に脳天をぶち抜いてやろう」

 静かな声音に計り知れない殺気を感じて、少年はすっかり身を竦めてしまった。子供相手だろう容赦しないという意思表示は、あの撃ち込まれた銃弾が既に示していたのだ。

 しばらく黙ってから、少年はせめてそっちの名前を聞かせて欲しいと問いかけた。すると今度はやや自嘲気味に答えが返ってきた。

「俺に名前はない。妙な異名で呼ぶ奴はいるが、外で呼ばれると不都合なんでな。だから教えない」

「じゃあ、どう呼んだらいいの?」

「少なくとも、これから行くアジトでは必要がないことだ。俺をどう呼ぶかは、これからお前が決めればいい」

 これまでの常識が全く通じない世界に連れて行かれる。そんな不安で少年は静かに身体を震わせたが、やがてそれに怯えてるどころではなくなった。

 それから少年は半日もの間、ほとんど休みなく歩かされることになったからだ。見知らぬ土地で、しかも人里から離れた自然の道へ向けて。

 最初こそだだっ広い平野だったが、それを越えれば山あいに入り、さらに進めば深くて足場の悪い森へ……と、険しい道のりばかりだった。

 道中に男がしてくれた施しと言えば、少年に防寒防塵用のマントを渡したくらいだ。当人も用意していなかったのか、飲食物は一切取り出さなかった。水分補給と言えば、途中で湧き水を見つけ、一緒に水を飲んだくらいだ。

 それだけ苦労して少年が男に連れてこられたのは、山の奥深くにある大きな洞窟、その中にあるアジトだった。

 この洞窟は元あったものに大きく手を入れて、隠れ家として使えるようにしたのだそうだ。少年の常識では到底信じられない話だが、空気も薄くないので生活には困らない空間だ。

 おかげで少年は、着いた瞬間死んだように眠りにつき、二日間も寝込んでしまった。

 隠れ家では、男以外にも既に七人の子供が共同生活をしていた。

 みんな訳ありで、家族を失ったりあるいは捨てられたりして男に拾われたのだという。ここだけ聞いたら男は孤児院の心優しき院長だが、彼がここで育てるのは殺しの世界で生きられる人材である。

 ここでは男が毎日課す訓練で一定の成果を出さないと、まともな食事にありつけない。例えば筋トレであれば、ノルマ分を時間内にこなさなければいけないのだ。

 まず少年は基本となる肉体鍛錬から集中的にやらされた。外に出られる僅かな機会なので内心喜んでいたが、今まで使ったことがないような筋肉を隅々まで酷使させられ、最初のうちは次の日に筋肉痛でほとんど動けなくなっていた。

 ここに来た初日こそ、労いの意図もあって少年は食事を与えられたが、それ以降はどんどん量が減っていき、おかげで日を経るごとに少年は訓練メニューについていけなくなっていった。

 あまりにも出来が悪いと絶食させられる日も続くときすらある。段々と訓練にも身が入らなくなってくるが、男は一切の情けをかけずに淡々と罰を与えるだけだった。

 訓練は肉体鍛錬だけではなく、合間には語学も叩き込まれた。少なくともこの地域で使われる言語を身に着ける必要があったからだ。

 ここで暮らす子供達は、大体が少年の知る言語を使ってくれない。だから自分がどうして笑われているのかなどは、言葉をしっかり覚えるまでまずわからなかった。

 あまりにもハードな毎日に、少年は一週間経たずして音を上げそうになったのは言うまでもない。それでもギリギリ心が折れなかったのは、落ちこぼれが彼だけではなかったからだ。

 その彼は、二人きりになった時だけは同じ言葉で話してくれた、どうやら同じ国の出身らしく、まさかここで同郷の人間に会えると思っていなかった少年は、驚きと同時に彼の存在に縋った。

 いつも男に吠え面をかかせてやる、と息巻く落ちこぼれ仲間は、少年にとって初めての人間の友達となった。

 彼は、無意識に口笛を吹く癖があったために皆からはトンビと呼ばれていた。

 根っからの悪童だったトンビとつるんでいるうちに、少年には良くも悪くも図々しくなってしまった。だが仲間ができたおかげか、訓練や勉強にも身が入っていくのを、少年は日々実感するようになっていた。

 ここでの生活にどんどん慣れてきた少年は、食事時になるとよく問題を起こした。こっそり仲間のパンや具を盗んだり、隣の人間が少し雑談をする中、隙を見て自分の食べ終わった皿をすり替えたりと、手癖の悪さが出るようになったのだ。

 だが、少年の不正は毎度のようにあの男によって見抜かれる。すると容赦なく罰が与えられるのだが、ある時男が、少年の身体を縄で厳重に縛りながらふとつぶやいた。

「お前はまるでハゲタカだな」

「それ、どういう意味」

「卑しいまでに貪欲な所が似ている。獲物を睨む目なんかそのままだ」

 そう言いながら男は少年を逆さにして、食堂の端にできた出っ張りに吊り下げてしまった。

「朝までそこでじっくり後悔しておけ」

 そう言い残して去る男の後ろ姿に、少年は精一杯の罵詈雑言をぶつけたが、すぐにその元気はなくなってしまう。食堂に残る食事の匂いが、食欲を刺激して無駄に体力を消耗させたからだ。

 朝になり、ヘトヘトの状態で降ろされた少年のことを、周囲はハゲタカとあだ名で呼び、冷やかすようになった。呼ばれた当人は不貞腐れていたが、以来ハゲタカは徐々に仲間の輪に溶け込めるようになっていった。




 ハゲタカと呼ばれるようになって幾月か経ち、訓練や勉強で簡単にへこたれなくなった頃のことだ。

 ハゲタカとトンビは一日の訓練メニューを終えてから、男から呼び出しを食らった。以前なら少しは怯えていたが、今は部屋に向かう間に悪態をつくことの方が多くなった。

「おいハゲタカ、俺達今日はヘマもおイタもした覚えないんだが、おやっさんは何を怒ってんだ?」

 トンビは、うんざりとした顔でぼやいた。年齢不詳のこの小僧は、ハゲタカとの年の差はさほどないようだったが、顔立ちはそれに似合わず濃かった。初対面の頃から感じていたが、やはり同じ国の人間には見えない。

 実際、その経歴は顔の渋さに見合って泥沼のようなもので、幼い頃に人身売買を経験し、少年兵として自爆させられそうになった所を偶然男に救われたのだという。

「何が悪くて何が良いかを決めるのは、俺達じゃなくてあの人だろ」

「しょーもねぇ理由で俺達を吊るそうものなら、目ん玉にツバ吐いてやる」

 歯軋りしながらいきり立つトンビを見て、ハゲタカはため息を吐きながら苦笑いした。昔は少しこの性格に気圧されたこともあったが、今はこうして笑って見ていられるようになっていた。

 男の部屋は、洞窟のやや奥まった場所にある。書斎机、本棚、そして小さなベッドという質素な部屋で、埃っぽい雰囲気の男にはピッタリな空間だ。

 二人を迎え入れた男は、まずは何も言わず二人に辞書を渡した。しかも普段習っている語学の勉強で使用するものではなく、二人の母国のものだった。

「今日はお前達自身で、名前を決めてもらう」

「名前? なんでまた?」

「あだ名だけじゃ寂しかろうと思ってな」

 その時、男はこれをさせる理由を教えてくれた。

 これからアングラな世界で活動していくならば、偽名はどんどん使い捨てていくことになる。その時、本名を持つことで、頭を切り替える練習をさせることが目的らしい。

「これから、人里にお前達を連れて行く機会を作るが、その時は毎回違う名前を与える。そこでお前達が改めて本名を得れば、口を滑らせるリスクが生まれるだろう。極秘事項を漏らさない緊張感を常に持って挑むための課題みたいなものだと思えばいい」

 結局また訓練の一つなのかと、ハゲタカは苦笑いしてため息をつく。しかし男はそんな反応を見越してか、もう少しだけ話を続けた。

「これは、俺なりにお前達を信用したという証でもある。どう受け取るかはお前達次第だ」

 信用したと面と向かって言われて、ハゲタカは久しく見せていなかった子供らしい笑顔を浮かべた。しかし、反対にトンビは不服そうに抗弁する。

「ちょっと待て、俺は一年近く苛め倒されたのに、ハゲタカはまだ来てから半年も経ってないだろ。今まで信用されたなかったなんて、そりゃねぇよ!」

「ハゲタカが来てから、お前は前よりも訓練に身が入るようになっただろう。そういうことだ」

 図星を突かれたのかトンビが不貞腐れる。ハゲタカがその反応を気味悪がって引いて見せると、トンビは本気で怒鳴り散らしてきた。

「一生使うものと心得て、じっくり決めろ。どうしてもピンと来なければ手伝ってやる」

 そうは言われても、人の名前を決めたことなどない。死んだ弟の時だって、命名の時は蚊帳の外だったのに……。

 昔の思い出に耽りそうになって、ハゲタカは慌てて首を横に振る。あの日少年は死んだのだから、家族のことを思い出すのはタブーだ。

 とりあえず適当にページをめくっていくと、「羽」という漢字にピンと来るものがあった。普段から鳥の名前で呼ばれているからかと思いつつ、少年はそこを起点に調べていく。

 探しながら書き出しているうちに、ハゲタカは「羽村はむら」という名字が目に入った。他にもたくさん名字の候補はあったのに、何故か不思議と惹かれる響きだと思った。

 それからまたしばらく検討した後、ハゲタカは一番脳裏に焼き付いた「羽村」を名字にすることにした。

 これで名字は決まったが、名前を決めようとしたところでかなり悩んでしまった。鳥の名前で固めようとしたが、どうにもしっくり来ない。自分の覚えている名前をいろいろと書き連ねてみたが、その中でもピンと来るものはなかった。

 結局何も浮かばなくなってしまったハゲタカは、男に名前だけ決めてくれないかと頼んでみた。

 男は「お前がそれで納得するなら」と言って、決まった名字を見てから辞書をパラパラとめくり始めた。しばらく無言で読んだ後、男は紙の上に鉛筆を走らせ、ハゲタカに突きつける。

「正しさを貴ぶと書いて、正貴ただきだ。お前に送る名前としてはなかなかピッタリな字面だと思うが」

「ただき?」

「まさたか、まさき、とも読める。俺は最初の奴が良い響きだと思ったが。気に入らなければ自分でまた考えてみろ」

 ハゲタカは、まずは自分の考えた名字と当てはめてみた。そして、フルネームで今言い渡された名前を小声で口に出してみる。

 何度か口にして吟味してから、意を決したハゲタカは決めた名前を紙に書いて、男に見せつけた。

 羽村正貴。

 こうしてハゲタカは……いや俺は、羽村正貴という名前を手に入れたのだ。

 次に、トンビも自分の名前を考えた。しかし、かぶとという変な名前だったので俺が難癖を付けて、少しばかり喧嘩になった。呆れた男は、トンビが書いた紙を見て少し唸った後、下に何かを書き足していく。

 しれっと「清書してやった」と渡されたその紙には「元沢もとさわ兜一とういち」という名前が記されていた。トンビが書いた汚い字が、そんな風に見えたからという単純な理由だったが、やがて当人も納得がいったのか、これですんなりと決まった。




 羽村と元沢、新たな名前を得た俺達は、本当に時々ではあるが、買い物の手伝いとして外に出られるようになった。山から出たのは久しぶりだったので、開放感もひとしおだ。

 こうして晴れて外出できるようになってから、俺は一つ重大なことに気が付いた。

 山の中で時々すれ違う動物達と、言葉を交わせなくなっていたのだ。

 これまでも訓練として近くに作られた広場などには出ていたし、その時の忙しさで動物のことなど意識していなかった。だから、能力に目覚めた時と同じく、消えたタイミングもよくわからなかった。

 海外だから言葉が通じないのだろうかと、この国の言葉で軽く話しかけてみても、相手は何の反応を起こさない。返ってくるのは、図鑑に書いてあるような鳴き声ばかりだ。町ですれ違った飼い犬などペットに対しても、同じことだった。

 少しショックだったが、あれは一時の幻覚だったのだと、俺はすぐに割り切ってしまった。

 もし、俺にそういう力があったとしても、きっとこれからは必要のないものだと思ったから。

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