4-8『羽村さんの楽しい人生』
ラズドと別れた後、早速
「ボクは頼んだだけで、何もしてねぇだろうがよ、です。一番頑張ったのはハムラなのに、それをボクの手柄にしたくねぇんだ、です」
菜々里の実直な性格には好感を抱くが、別に俺は褒められるためにやったわけじゃない。宥めても食い下がる菜々里をなんとか説得し、飼い主の元に返すのを見守ることで手を打ってもらった。
「それに今の格好で人前に出るのは、どうかと思いますし」
「えっ? どういうこと、あっ」
菜々里が友達にインコを届ける場面を見守った後、彼女は帰ろうとする俺達を見送ると言い出した。むしろ送り届けるのは俺達じゃないかと返すが、逆に叱られた。
「ふざけんじゃねぇ! です。そんなことしたら、とっつぁんに嘘付いて出てきたのがバレちまうだろうが! です」
「あ、それもそうか」
「大体よ、すっぽり忘れてるかもしれねぇがな、です。ちゃんと金を払わないといけないだろ、です」
と、菜々里は厚みのある封筒を再度取り出した。それを見た清子くんは、口を強く結んだ。
「ほら、確認しろよ、です」
「別に貰うつもりはないから、確認は必要なし、以上」
「そうなのか、です。っておい待て、どういうことだよ!」
菜々里が、牙を向くように詰め寄ってきた。
「ちゃんと約束しただろ、金は払うってよ!」
「いいや、電話で話をした時に三つの約束をしたけど、そこに入れてはなかったと思う」
それを聞いた清子くんも、少し頭を捻ったが、すぐに肯定してくれた。
「今日会った時だって、仕事だって言ってたろ」
「まあ、そのつもりでは臨んでいたつもりではあるけど。まあどの道、動物探しの依頼なんて、本来ならガキのお年玉で払える額じゃないだろう」
菜々里は、封筒を両手で握り締めながら口を噤んだ。
「友達の力になりたいって気持ちを持つのは悪くないと思う。菜々里の父さんだって、その気持ちを叱ったりしないはずだ。だけど、一人でやれることなんてたかが知れてる。今日の俺のことを見ただろ」
いや、今日だけじゃないだろう。
頭に響く自虐の言葉に合わせ、昔の嫌な記憶の断片が頭を過ぎった。まるで身を弁えさせるかのように。
それに飲まれまいと、不快感を振り切るように俺は話を続けていく。
「とにかく、今回は超特別サービスでタダにする。だけど、二度とこんな仕事するつもりはない。万が一に次があるとしたら、今度はちゃんと相応の金を取る。お前の父さんに話付けてでも」
いや、正直同じことを頼まれたら、俺はきっと二度とやらない。今回は珍しく、いろんな幸運が重なってくれただけだし。
俺が話し終えると、菜々里は封筒とじっと睨み合ってから、懐に戻した。
「よくわかったよ。今日は本当にありがとうな。えっと、ハムラ、さん」
そして姿勢を正してから、深く深く一礼する。それを見下ろす形になった俺は、ナゼダカ急に悪寒を覚える。
「ストップ、お前にさん付けされると、なんか気持ち悪い」
と、身震いしてみせたら、顔をあげた菜々里は額に青筋を立てていた。
「あぁ? 気持ち悪いってなんだよ! 格好つけのオッサンが!」
「あ、コイツ! オッサン言うなって、約束したでしょうが!」
「もうケーヤクは終わっただろ! なんかムカついたから、見送りはやっぱヤメだ! けっ」
菜々里はあっかんべー、と俺をおちょくってから、走り去っていってしまった。
「次は面倒な事は抜きで遊びに来いよな! あ、です」
と、振り返りながら叫ぶ菜々里に、俺達は手を振って返事した。
次、なんて言ってるけど、今度いつ会えるかはわからない。けど、また会うことがあったら、奴のためにも大人に対する礼儀を教えてやろうと、俺は密かに誓った。
駅に向かう途中、清子くんはやたらいろいろと話しかけてきた。
最初から金を取るつもりがなかったのに、ちょっと意地悪だった、とか。
菜々里のことをちゃんと考えていて驚いたとか。
誰も怪我しなくて良かったですね、とか。
普通に聞けばなんとも他愛のない話だけど、今の清子くんは少しだけ様子がおかしい。いつもと違って、遠慮しているような風だ。
俺としては、こんな気の遣われ方をされてもあまり気分は良くない。
さっきの俺は、向かってきた相手は本気で殺す、というつもりで怒声をあげた。それを見た清子くんには、明らかな怯えが見えた。
でも、それを表に出すまいと、清子くんは穏やかに振る舞おうとしている。絶対にこんな空気は、彼女のためによくない。
「今日は、珍しく本気で怒鳴ったけど、驚かせちゃったかね」
ここは、いっそはっきり話を付けよう。と、俺は清子くんの雑談を遮って、口を開いた。
「えっと、その、本当のところ、ビックリしました」
本音を言えたためか、清子くんの顔が少し緩んだ気がした。ずっと緊張していたのだろうか。なら本当に、悪いことをしてしまった。
「今まで見せなかったし、これからもあんなの見せたくなかったよ」
俺は、彼女に顔を向けないまま頭を掻いた。最近ついたらしい癖だが、今日は指が無駄に力んでいた。
俺は、あんなの目じゃないくらい隠し事をしている。昔のことなんて、周囲の人間の誰にも言ってこなかったし、知らせる気もない。
だが、俺のことを考えて気を遣ってくれる清子くんは、かつて自分の昔の話をしてくれた。自分が抱える不安などの本音も、俺に打ち明けてくれた。だが、こちらは卑怯なまでに、己のことを隠し続けている。
罪悪感は勿論あるが、それでも曲げることができない。ならば、本人に問いただしてみれば良いんだ。そんな風に思って、俺はさらに口を開く。
「清子くんは、隠し事だらけの人間と、長く人付き合いしたいと思う?」
「え? いきなりどうしたんですか?」
「いいから、清子くんとしてはどうなの?」
俺は、あえて答えを急かした。あまり考える時間を与えると、余計に気を遣った答えを言いたくなる。少し考えれば、俺の質問の意図は読まれるだろうけど、少しでも本音に近い答えを言ってもらうためだ。
清子くんは、いつになく重い雰囲気の俺に戸惑ったが、すぐに気を持ち直して答えた。
「人を陥れる隠し事や嘘じゃないなら、私はその人を信じて、一緒にいたいと思います」
俺は、良いか悪いかの二つしか想定していなかったが、どちらでもない返答がきた。
俺は間髪入れず、良し悪しを聞きたいと付け加えようとするが、先に清子くんは、答えの続きを話し始めた。
「隠し事や嘘にもいろいろありますよね。私は今まで、すごく気を遣われて、嬉しい時もショックな時もあったけど、それは思い返してみれば、周りの優しさだったんです。少なくとも私は、ありがたいなって思えるような」
言葉が出ず、俺は小さく口をパクパクさせた。清々しい答えを述べる少女に、その姿はとても滑稽に映るだろう。
「人を騙して悲しませるだけの嘘じゃないなら、私はその人を信じ続けたいです。人に言いたくないことは、誰にだってありますから」
「いや、そりゃそうなんだけども」
「むしろ、言えないことがあるって話しちゃった時点で、隠し事じゃないと思いますし。ちゃんと話してくれる
俺はすっかり毒気を抜かれて、イチャモンをつける気もなくしてしまった。
普段隠している自分を見られたことで、俺は年甲斐もなくナイーブになり過ぎていたのだろうか。これでは清子くんの方が、よほど大人びて見えてくるじゃないか。
そう思うと、俺は段々自分が恥ずかしくなってきてしまった。
「本当に君って奴は、まったく、どこまでも清々しい人で……」
おかげで、ヘソを曲げた子供のような感想しか口から出てこない。なんだか、さらに自分が情けなく思えてきて気落ちする。
「あの、羽村さん。おじさんを通り越して、お爺さんみたいになってます」
「待って! さらっと滅茶苦茶傷つく感想を言わないで頂けますか!」
真面目なテンションはどこへやら、あっという間に俺達はいつもの空気に戻った。
つい不貞腐れてしまったけど、俺は言葉にしてもらって、ハッキリと気づいた。
思い返すと、清子くんはいろんな人付き合いを繋ぐキッカケとなってくれた。最初は正直言うと、人間関係の広がり鬱陶しく感じていた。それがいつの間にやら大切にしたいと思えるようになっていたらしい。
そういえば、うちの事務所がややオープンな空間になったことで、やや希薄だったご近所関係も、以前より濃くなった。
冷蔵庫くんとの口論は増加したし、
清子くん繋がりで増えた新たな付き合いも、いつの間にか抵抗が薄れ、菜々里と別れる時、俺はまた会える日を自然と想像していた。
以前ならあまり快く思わなかったことが、気づけばちょっとした楽しみや刺激になっている。
俺はどうやら、いつの間にか素直に人生を楽しめるようになっていたらしい。
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