4-7『羽村さんの追憶』

『おい、何か突っ込んでくるぞ』

『人間だ! こっちに来る!』

『怖がってんじゃねぇ。あんな木みたいにヒョロヒョロした奴なんざ、みんなで返り討ちにしてやれ!』

 殺気立ったチンピラ猫達は、毛を逆立て威嚇してきた。臨戦態勢は整っていると言わんばかりに、彼等は一斉に怒りの形相を俺に向ける。

 化け猫にでも変身しそうだ、なんて馬鹿なことを考えながらも、俺はふと思いついた手を使ってみることにした。

「おいっ、犬の連中がこっちに来るぞ! あっち見てみろ!」

 と、大袈裟に指差しながら告げると、猫達は条件反射的に首を動かした。

 一瞬の隙があれば十分、俺は路地に手を伸ばしてコーラ瓶のケースを二つ引っ手繰ると、それを足場にして屋根へと飛びつき、無理矢理上半身を上に乗せた。

 勢いでやってみせたが、重ねた瓶ケースの上でつま先立ちというこの状況、無謀だ。屋根は悲鳴をあげ、俺のハッタリに気付いたチンピラ猫達は、ケースの周りに集まっている。

 屋根が落ちるのが先か、ケースが倒れるのが先か。

 とにかく時間がないので、俺はすぐに小窓に向かって呼びかけた。すると、灰毛の猫と青いインコが窓越しに顔を見せる。

 あの写真通りなら、インコはほぼ間違いなく、菜々里ななりが探していた奴だ。

『アンタは? もしかして、ラズドの兄貴が言ってた人間ですかい?』

 窓の開いた隙間から、灰毛の猫が尋ねてきたので、すぐ肯定した。

 積もる話は置いといて、まずは脱出しよう。そう伝えようとした時、インコが勢いよく窓から飛び出してきた。

『ちょっとアンタ、ラズドはどうしたのよ!』

 インコは俺の鼻を足で捉えて、翼をバタつかせた。鳥の羽ばたきは思ったよりも痛い。

「連中に見つかるとヤバイから隠れて貰ってるの! 早くお前達を助けてアイツの所まで逃げてだね……」

 と言いかけて、足に何か振動を感じた。視線を落とすと、なんと野良猫が瓶ケースを登ろうとしているではないか。

 俺は足の力でケースを軽く揺らして見せるが、もしケースが落ちたらこっちが危ないので、すぐにやめた。

 あっという間に猫は完全にケースの周囲を包囲し、何匹かはケースをよじ登り、俺の足元まで迫ろうとしている。

 予定では、さっさとインコと子分の猫を回収して、トンズラするつもりだった。

 しかし、想像よりずっと猫達の行動が早い。野良猫は警戒心が強いものだが、人間を襲う度胸があるだけあって、とにかく大胆だった。

『安心しなせぇ、言葉を話す人間さん。いざって時はあっしが身を挺してでも!』

「馬鹿を言うんじゃない。今降りたって本当に無駄に痛めつけられて終わるぞ。いいからこっち来い」

 格好つけたいところだったが、足元で唸る猫達の殺気は凄まじかった。

 下から『足を裂け』『まずは鳥を食い殺せ』『あの間抜け面の猫でもいいぞ』『いっそ人間の首を噛み千切れ』と、物騒な言葉が投げられる。下手に降りたら、せっかく助けたコイツラが真っ先に狙われそうだ。

 背丈はあるほうだけど、猫の突発的な跳躍力を考えると迂闊なことはできない。

 俺は腕に灰毛の猫とインコを抱きながら思案する。さっさと行動を起こすべきか、安全な方法を探すべきか。

 しかし、そんな緊迫した空気は乱入者によって、あっさり一変した。

『相変わらず弱い者を虐め倒すしかできないチンピラどもめ。俺はここにいるぞ!』

 連中を煽っていたのは、一番出てきて欲しくない奴だった。

 清子きよこくんはラズドを止めようとしたようだが、野良猫達の殺気を前に、手を伸ばしたまま硬直している。

『居たぞ! まず奴を殺せ!』

 リーダー格の猫が声を張り上げると、今まで俺達に向かっていた猫達が全てラズドへと矛先を変えた。

『大変! ラズドが殺されちゃうわ!』

『兄貴! 逃げてくだせぇ!』

 ジリジリと間合いを詰められたラズドは、前方を完全に包囲された。

 俺は救出対象を抱えたまま、慌ててケースから降りるが、地面に降りた途端、ラズドはこちらをじっと睨んだ。

 助太刀は不要ということか、はたまた助け出したコイツラを逃がせという合図か。さしもの俺も、猫の考えは読み取れない。

 だが、今の俺はそれどころではなかった。ラズドと同じ拒絶の目が、大昔の記憶を掘り起こしたのだ。



 脳裏に、かつて見た風景が蘇る。

 ある時は、ずっと見てきた大きな背中が炎に消えた。

 またある時は、肩を並べてきた仲間が真っ赤な血溜まりの上に転がった。

 いつだって俺は、あの一睨みに怯まされてきた。迷いがいつも、全てを決めてしまう。見せられた結末はいつだって、俺の望んだことじゃなかった。

 握った拳が大きく震えた。

「ふざけるなぁぁぁ!」

 腹の底から出た声に押されるように、俺は駆け出していた。

「さっさと、どけっ!」

 野良猫の包囲に向かって俺は吠える。人間を恐れていなかった彼等は、その怒声に弾かれるように飛び退いた。

 その隙を逃さず俺はラズドの前まで回り込む。ここまで、抱えていたインコと灰毛の猫はずっと悲鳴をあげていた。

 このままでは動きづらいので、猫は地面に下ろし、インコは唖然と立っていた清子くんに託した。それを見た菜々里が、少し遠慮がちに路地から出てきた。

「隠れてろ、何があるかわからないぞ」

 振り向かずにそう告げると、女性陣が後ろに下がっていく足音が聞こえた。これでひとまず後顧の憂いが一つ緩和された。

『ただ喋れるだけの人間相手に、ビビってんじゃねぇぞ。まとめて殺せ!』

「やってみろ、チンピラども。俺は動物を駆除するのがお仕事だから、むしろ好都合だ」

 俺の言葉が効いたのか、リーダー格は少したじろいだ。しかし、群れ難い猫達を束ねている頭目だけあって、この程度で逃げ腰にはならない。

『脅しても無駄だ。俺はそこにいる邪魔者どもを殺す。邪魔するなら人間、貴様も八つ裂きにしてやる』

「だから騒ぐ前にやってみせろって。出来ないならさっさと失せるんだな」

 俺が挑発すると、リーダー格の猫は怒りの形相になる。しかし、俺としばらく睨み合ううちに、殺気は緩やかに低下していった。

 相手の心が弱気になった瞬間、これを突かない手はない。

「失せろ!」

 俺は再び、さっきよりも意識して、大きく強い声で怒鳴り散らす。

 しばしの沈黙の後、猫達は一匹ずつ踵を返し始めた。一度背を向ければあっという間で、次々と商店街の路地へと姿を消していく。

『くそっ、人間なんかに脅かされて、揃いも揃ってこの様か!』

 最後まで意地を張っていたリーダー格だったが、渋々後に続いた。




 視界から消えた後も、俺はしばらく気配に警戒しつつ、猫達の消えた路地を睨み続けた。

 少し待ったが、どうやら戻ってくる気配はない。ひとまず、チンピラ猫達の脅威は退けられたようだった。

「終わった、か」

 我に返った俺は、おどおどとみんなの方へと振り返る。

 足元にいた猫も、後ろで眺めていた清子くん達も、揃って目を丸くしていた。

 これはかなり気まずい雰囲気だ。さりとて口を開かないわけにもいかず、さてどうやってこの場を取り繕おうか。

 やがて俺は、新たな視線を感じて振り返ると、近所の人が訝しげな目でこちらを見ていた。どうやら騒ぎの大きさを聞きつけて出てきたらしい。

「えっと、ここに留まるのは得策じゃなさそうだから、場所を変えようか」

「あ、そ、そうですね」

 猫達にもそう告げると、なら近くの公園がいいという話になり、ラズドに率いられて移動することとなった。




 公園とは、朝に野良猫と話した場所だった。カラスが羽の手入れをしていたが、俺達が行くと『またかよ』と吐き捨てて飛んでいった。

 そこで俺は、インコにこうなった経緯を聞き出した。

 発端は単なる好奇心だったらしい。家の扉が開いた隙を伺って逃げ出し、散歩感覚であちこちを飛び回った。

 しかしいざ振り返ればこの広い世界で迷子になり、やがてカラスに目を付けられた。そこで追われていたところを救ったのがラズドだった。

『外に出るくらいなら人間の所に居た方がずっとマシだわね。カラスに散々追い回されて、懲り懲り』

 と、インコは放浪中の苦労を語った。しかしそうは言っても、ラズドの力では人間の家に探すのは不可能だ。

 そんな時、『言葉をかわせる人間の存在』を風の噂で聞きつけ、ラズドは俺を探そうとしたが、すっかりチンピラに目を付けられてろくに身動きも取れない。

 万事休すかと思った時、タイミング良く俺が街を訪れたのを知り、危険を冒したのだ。

 インコを菜々里と引き合わせると、「間違いなくコイツはフーコだ」と喜んで自分の腕に乗せた。ちなみにコイツの本名は別にあるが、飼い主達には不要な情報だ。

『ラズド、本当にありがとう』

『そう思うなら、二度と迷子になんかなるなよ』

 名残惜しそうに、一羽と一匹は別れの挨拶を交わす。菜々里が正確なら、一ヶ月

近く一緒に暮らした仲だし、当然だろう。

 ラズドはこれからどうするのかと聞いたが、これからもチンピラ達との戦いを続けると言ってのけた。

 というより、俺がでしゃばり過ぎたせいで、状況が悪くなってやしないかと不安になる。しかし、ラズドは迷わず否定してくれた。

『むしろこれからは、アンタの存在をハッタリに使わせて貰うさ』

「強がりなら、頼むからやめてくれ」

『そもそも今回は、人間に飼われていたアイツが居たから人間の力を躊躇なく借りた。でもそれを除けば後は俺達だけの問題だ。むしろ首を突っ込むな』

「引っ掻き回して、本当に悪かった」

『今回のことで、奴等は人間に怒鳴られて逃げるような連中ってわかったんだ。これからは、この話を強みにして、仲間を増やしていけるだろう。それよりアイツのことは頼んだ』

 猫に気を遣われる日がくるなんて思わなかった。ラズドの言葉を素直に受け取ることで誠意を見せたほうが良いと考え、俺はそれ以上何も言わなかった。

 人間にできるのは、このいがみ合いが丸く収まってくれることを願うくらいだ。

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