4-3『お電話です、羽村さん』

 帰りも電車賃を節約するため歩くつもりだった。けど、清子きよこくんも付き合うと言い出したので、仕方なく久々に電車を使って帰った。しばらく乗らないうちに見慣れない新車が走っていて、車内には宣伝広告が流れるモニターがあって驚いた。

 いかに自分が公共交通機関と縁を切っていたかを痛感しながらも、俺達はそそくさと事務所に戻ってきた。



 俺はまずぽんすけをケージに戻し、ついでに台所で水を一杯飲み干した。清子くんは途中で買った緑茶のペットボトルにちょびちょびと口をつけている。

「それにしても、本当にびっくりしましたね。私も、ぽんすけくんとツバメの方をずっと見ていて、全然気づきませんでした……」

 応接机のソファーに座る清子くんと向き合う形で、俺は事務机に腰を落ち着ける。帰り道では話しづらかったのか、菜々里ななりの話題を振ってきた。

 俺は普段、動物と会話する時は人目をちゃんと気にしてきた。平気でペラペラ話すような場面なんて、清子くんと初めて会ったあの日以外、記憶にない。

 それだけ警戒していたはずなのに、まさか小娘に目撃されてしまうとは。清子くんを前にして普段から平気で話すようになったせいか、俺も焼きが回ったようだ。

 しかもあの家の子供じゃなさそうだ、というのがとことん運が悪い。この手のあり得ない不運は、黒木田くろきださんと出くわした時だけにして欲しいもんだ。

「まあ、とりあえず無理矢理追ってきたりしなかったし、きっとあの菜々里って奴も、気の迷いってことで流してくれるさ!」

 楽天的なことを口にする俺を、清子くんは不安と呆れの混ざったような顔で見てきた。

 なんて気楽に笑い飛ばしていると、事務所の固定電話が鳴り始めた。仕事終わりにまた次の仕事の電話なんて、珍しいことだ。

「おぉ、五年以上やってきて、こんなこと滅多にないんですけども!」

 と言って電話を取ろうとする俺の手を、清子くんは「ま、待ってください」と呼び止めた。

「電話番は助手のお仕事ですよ。羽村はむらさん、今日はいろいろ大変でしたし、私に取らせてくださいっ!」

 そこまで言うなら、と俺は清子くんに対応を譲った。彼女が来てから、しばしば電話応対は任せているけど、大体が間違い電話か、冷蔵庫くんの家賃催促だ。最悪な時は墓の勧誘なんていうのもあったが……今の俺には、いろんな意味で縁起でもない話だ。

 どの道、依頼の電話を本格的に受けるのは俺になる。しかし、最初にうら若き少女が応対してくれるのとでは、やはり雰囲気は段違いだ。清子くんに任せて以来、電話を代わった後のお客の声も心なしか和んでいる気がするし。

 いずれ依頼の聞き方を教えて、電話応対は全部任せてみようか、なんてことを考えていた俺だったが、ふと電話に出ている清子くんの様子がおかしいことに気づいた。

 口元には笑みが浮かんでいるが、目が少し泳いでいるような気がした。訝しげに眺めていると、彼女は言いづらそうに電話の相手を告げた。

「さっきの……菜々里ちゃんからです」

 俺は椅子ごと後ろにぶっ倒れた。コントでもやっているのかというくらい、かなり豪快な倒れ方だった。

「あの、お怪我とかは平気ですか?」

「ああ、心配しないでくれていいからねー。むしろ頭痛いのはこっちだから」

 少し大声でわざとらしく答えてから、俺は受話器に耳を当てた。

「悪かったな、そんなに頭痛ぇなら病院でも行って来い、です」

「……よく電話番号がわかったな、お前さん」

「馬鹿にすんじゃねぇ、です。舞雪まゆきに頼んで名刺を借りさせてもらったんだよ、です」

 俺は、根本的なことをすっかり忘れていたことに愕然とした。いや、それを覚えていたとしても、考えもしなかったかもしれない。一体どう言いくるめて人の名刺を手に入れたのかは知らないが、なんという行動力だろう。

「電話なら腹を割って話せるだろ、です。言うなってんなら、秘密にするって約束してやるよ、です」

 俺はもしかして、交換条件を持ちかけられているのか。もっと言えば、小学生から脅迫を受けているのだろうか。

「……あのね、さっきも話したけど、うちは探偵じゃないんだ。他を当たれって言ったじゃないか」

 俺は呆れた声で答えた。そもそも電話をよこされても、俺はあくまでそんな業務外の依頼を受ける気などないのだから。

 しかし、菜々里はまったく引き下がらなかった。

「友達は、利音りおはそのインコを大事にしてたんだよ。名前はフーコって言って、水色で、手の中に入っちゃうくらい小さくてさ。それにさ、利音といつも楽しそうにしててさ……」

「泣き落としで来られても、無理なものは無理なんで。俺は人探しは勿論、動物探しも専門外なの」

「ボクだって、お前なんかよりまず探偵に頼んださ。でも相手にすらされなかったんだよ!」

 菜々里が、震えた声で怒鳴る。隣で耳を澄ましていた清子くんも驚くくらいの大声だった。

 そりゃそうだ。小学生が探偵事務所に行って動物を探してくださいと言われて、「喜んでお引き受けします」なんて言う姿は想像が付かない。人情臭いテレビドラマならタダ同然で受けるかもしれないが、現実はこの通りだ。

 しかも犬や猫ならまだしも、インコとなると仕事のハードルそのものが高くなるだろう。相手は空を飛べてどこにでもいけるのだ。それだけ活動範囲は広いし、小さいから行方も探りづらい。

 あげくの果てには、頼んでいるのは本人ではなくそのお友達ときたもんだ。探偵からすれば話にならないだろう。

「でもアンタは、ちゃんと話聞いてくれただろ!」

「いや、どっちかっていうと無理矢理聞かされた、みたいな感じだったと記憶しておるんですが」

 わざとらしく後頭部を擦ってみるが、電話越しじゃ意味ないと気付いてやめた。

「今だって電話切ってねぇじゃねぇか。アンタは話も聞いてくれなかったクソ探偵とは違う。ボクにはわかる!」

「今電話を無理矢理切ったって、絶対すぐかけ直してくるだろ、お前……」

「もう、アンタ以外にお願いできないんだよ、駄目元でもいいんだ、頼むよオッサン!」

 完全に俺の言葉は無視されていた、しかもまたオッサン言ったなこのクソガキ。

 ……まあ、それはさておいてやるとしよう。電話を通してでも、菜々里が藁にもすがる思いなのは伝わってくる。

 実際、その気になれば聞き込みするのは可能だろう。現場の情報が掴みづらい時は、周辺で他の動物から話を聞いて、どう対処するか考えている。

 ただ、今回は手段こそ同じでも、目的がまったく違う。迷いペット探しなんて本当にやったことがないし。

 それに、正直言ってしまうと、俺はそのインコがもう誰かの胃袋に入っているだろうと予測していた。この辺りは野良猫にカラスと、小鳥を狙う天敵がとても多い。菜々里の住む方面も、生息数としてはそんなに変わらないはずだ。

 俺が手を出してもし見つけたとしても、小学生には残酷過ぎる結末を目の当たりにさせるだけじゃないだろうか。

「羽村さん……」

 ふと、清子くんが声をかけてきた。俺が受話器を下げて耳を傾けると、急にあわあわし始めた。別に何か意見があるわけではないらしい。

「わ、私は、羽村さんがそうしたいと思う方を信じます」

「……そうしたい、ね」

 自分は、菜々里に手を貸してやりたいのか、一思いに諦めさせてやりたいのか、どちらなのかを考えてみる。

 そして、菜々里に一つ問いかけてみた。

「はっきり言って、最悪の結果になる可能性の方が高いと思うんだけど」

「お、おう! もし死んじまってても、何もわかんないまま別れちまうより、ずっと良いだろうが! なるべくさ、その、形見みてぇのが残ってたらよ……」

 俺は深くため息を付いた。

 形見すら残らずに別れも告げられない、これほど残された者として辛いことはない。残酷というのなら、永遠にその末路を見届けられないことの方だろう。

 あの小娘が、一生後悔を残したまま成長する原因となるのも、寝覚めが悪い気がする。俺は頭を掻きながら答える。

「受けてやってもいいけど、条件がある。それで納得できなきゃ潔く諦めるんだ」

 電話越しの菜々里が嬉しそうに息を呑んだのがわかった。

「どんな結果になっても、誰も恨まないこと」

「…………おう」

「それと、俺が動物とお喋りできるのは知っての通り秘密。もう他にベラベラと話さないこと」

「そいつはもう、話を聞いてもらう代わりに約束したつもりだぞ。絶対守るから心配すんな」

 そういや、菜々里が俺の秘密を周囲に言い触らす強く脅せば、簡単に俺を協力させることが可能だったのではと思った。

 一線を越えてはいけない卑怯さ、というのがコイツにはあるのかもしれない。なるほど、友達のために一生懸命声を張り上げる気概は、元々の真っ直ぐな性格にあるのかもしれない。口は悪いが、純粋さは清子くんに似ているのかもしれない。

「大丈夫だって、ボクは絶対に約束を守る良い子ちゃんってみんなから言われてるんだぜ。だから余計な心配すんなよ、オッサン」

「三つ目! オッサン呼ばわり禁止! 俺まだ二八歳!」

「あぁ? うちのとっつぁんと二歳しか違わねぇじゃんかよ。充分オッサンだろ」

「絶対に禁止!」

 涙で震えた声を聞いて流石に理解してくれたのか、菜々里は「わかったわかった」と、少し宥めるような口調で了承した。なんだ、この素直に納得できない反応は。

 怒りをなんとか飲み込みつつ、集合場所や時間などを決めていく。いきなり明日と言われて驚いたけど「明日は日曜ですから」と清子くんから聞いて、納得しながら詳細を詰めた。

「っと、やべぇ、うちのとっつぁんが帰ってきた……あ、です。絶対遅れるんじゃねぇぞ! です!」

 取って付けたような「です」という謎の語尾が復活したかと思ったら、菜々里はそそくさと電話を切った。

 振り返ると、清子くんは少しだけ嬉しそうに俺のことを眺めていた。まあ、はっきり言って甘い判断だったから、彼女にとっては望ましい結果だっただろうけど。

「明日は仕事じゃないんだから、せっかくの日曜に無理して来なくても……」

「いいえ、大丈夫です! 明日は予定もありませんし、家のことを済ませたらすぐにでも飛んでいきますよ。菜々里ちゃんの分も含めてお弁当持っていきます!」

「本当に? よし、そういうことなら朝飯は抜いて……」

「いいえ、ちゃんと食べてきてください」

 凍り付くような視線でそう告げる清子くん相手に、俺は両手を上げて了承するしかなかった。

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