4-2『菜々里ちゃんがお呼びです』
家主の
しばしの説得により、とりあえず糞害対策をして、今回は暖かく見守ることにする、という方向で御主人は納得してくれた。
すぐ後に奥さんから耳打ちされた話だけど、どうにも気にしているのは旦那さんだけだったそうだ。まあ、必死に働いてようやく買ったマイホームに営巣されれば、少し神経質になるのも無理はないだろう。
さて、ツバメの糞対策に、糞除けの板を張るのは定石となる。だがそれだけだと板に糞が溜まり、掃除する時に大変だ。かといって放置すれば病気の元になる。
そこで俺は、板の上にビニールを敷いてクリップで止めるという方法をオススメした。汚れてきたらビニールごと捨ててしまえば問題なくなるので、掃除も最悪クリップだけ清潔に保てばいい。
念を入れて俺はツバメにも忠告をした。万が一にもクリップがズレたりして外れ、大事な足を挟んで怪我をさせたら取り返しがつかない。
ツバメの方は大変物分りが良く『そういうことなら気を遣って行動する』とのことで、俺は今度こそほっと胸を撫で下ろした。その結果を伝えると、
軽く対策しただけだから、高値は請求できないけど、これで依頼料も入る。これにて万事一件落着だ。
帰る前に簡単な手続きを済ませ、清子くんやぽんすけ共々少し晴れやかな気持ちで帰路に付く。
蒲木邸を出て、清子くんと話しながら少し歩いた頃だった。
「そこのおっさん、ちょっと待て、です」
背後から、子供の声が聞こえてきた。はて、周りにいるのは俺と清子くんだけだが……。
「おい、オッサン! シカトすんな! です」
「あだっ!」
怒鳴り声が聞こえたかと思うと、俺の後頭部に何か固いものが命中する。何かと思って振り向くと、地面には透き通った水色のゴムサンダルが落ちていた。
「まったく、余計な手間を取らせるんじゃねぇよ、です」
先程からの声の主は、片足立ちで腕を組んでこちらを睨んでいた。恐らくこのサンダルを投げた犯人はアイツだろう。犯人は片足で跳ねながらこちらに近づくと、サンダルを回収してしっかりと地面を踏みしめた。
「このボクを無視して行くなんざ、オッサン良い度胸してんな、です。何なら今度はそのヘボい面に投げてやろうか、です」
やたら乱暴な言葉を使っていたのは、小さな子供だった。
俺の腰にも満たないどころか、清子くんのお腹の辺りにようやく届くかというくらいの小さな背。恐らく小学生くらいだろう。
まず目を引くのが、その年で染めているのか、ブロンドカラーの長髪だ。これだけ見れば女の子のようだが、服装は上がタンクトップで、下はジーンズのショートパンツと、かなりワイルドな出で立ちである。スポーツをやっているのか、子供にしては筋力があるように見えるのも、判断に困るところ。
いや、そんな相手の分析はどうだっていい。少年だろうが少女だろうが関係なく、俺の脳味噌は沸騰しかけている。
「……だぁれが、オッサン、だってぇ?」
抑えきれない怒りが声に出た。隣にいた清子くんも、俺の怒り心頭な雰囲気に気づいてか、慌てて間に入ってくる。
「き、君、何年生ですか? お家はどこに?」
「お姉さん、今ボクはそこのオッサンに話があるんだ、です。悪いけど後にしてくれ、です」
「あ、あはは」
取り付く島もないといった様子に、清子くんも「どうしましょう」と苦笑いでこっちを見てくる。だが、俺はもう愛想笑いが精一杯になっていた。
「わかった、わかったよ。で、君はお兄さんに、ここにいるお兄さんに、何の御用なのかな?」
怒りをダムで精一杯堰き止めて、腕を後ろで組み、努めて優しく声を出そうとする。だが、少女は眉を釣り上げたかと思うと、相変わらずの態度で言葉を返してきた。
「おいオッサン、ボクはこう見えても客だぞ、です。ガキだからって偉そうにすんなよ、です」
頭の中で、ギターの線が切れるような音がした。
「このガキ! 甘い顔してりゃ調子に乗りやがってからにぃぃ!」
「
『うおぉぉ! なんだなんだぁ? 急にうるさくすんなよ羽村ぁ!』
ワイシャツを清子くんに引っ張られてギリギリ手が届かない俺を見て、クソガキは手を横に上げてやれやれといった様子だった。一発げんこつをお見舞いしてやる、そう俺は心に決めた。
「ちょ、ちょっとー!
その決意を鈍らせるようにもう一人の子供の呼び声が聞こえてきた。見ると、白いワンピースを着た少女が、蒲木邸から出てくるのが見えた。
「はぁ、はぁ……もう、いきなり飛び出すから何かと思ったよ。一体どうしたの?」
「なんだよ
「帽子と鞄、忘れていかれても、私困るよー」
「悪い悪い、うっかりしてた、です」
この生意気なガキは、菜々里というのか。これでコイツが恐らく女の子だということがわかった。確かにこうして会話を聞いていると、声音は少女らしく聞こえなくもない。
しかし友達相手にも態度は相変わらずで、ぶっきらぼうを通り越して一昔前のスケバンのような様子だ。が、そんな菜々里の態度にはかなり慣れているのか、舞雪ちゃんは全く動じずに談笑している。さしもの清子くんですら戸惑った様子なのに。
やがて菜々里は、渡された麦わら帽子にピンクのショルダーバッグを身に付けた。意外とファッション面は乙女チックなようだ。
「ありがとう舞雪、わざわざ悪かったな、です。さて、ってことで話の続きなんだけどよ、です」
しかしその目付きや態度は、相変わらず棘しかない。あの、一体何が気に入らないんでしょうか。
「……いやはや、さらっと仕切り直してくれちゃって」
歯軋りで怒りを磨り潰しつつ、改めて菜々里と向き合う。ますます、その口調に見合わぬ端麗な容姿にぎょっとしてしまう。
一番に意識が向く金髪にも見えるブロンドの髪は、どうやら地毛らしい。さらに青く透き通った綺麗な瞳、そして凛々しく尖った鼻……明らかにこの国ではまず見られない特徴だ。たぶんコイツの両親はこの国の人間ではないだろう。
「おい、話聞く気あんのか、です。馬鹿にしてると今度はその目玉抉り取って、池の鯉の餌にしちまうぞ、です」
いや、だとしてもどういう教育をしたらこんな言葉ばかり覚えて育つのだろうか。
もしかして、親御さんが怖い商売の方だから、とかなのか。いや、普通裏社会に居る人なら、むしろ礼儀はしっかり教えるはずなんだけどな。
まあ昨今、世の中は多様性を認める時代になったと聞くし、こういう子供が出てくるのも自然な流れなのかもしれない。
……いやいや、だからって乱暴な言葉遣いは譲るにしても、初対面を相手にこの態度はそれ以前の問題だろうよ。
「わかった。それじゃあ改めて、俺に要件って何?」
しかし、これでは話が進まないので、仕方なく折れて、まずは話を聞いてやることにした。すると、菜々里は俺を遠慮なく指を差しながら告げた。
「友達のインコを探してくれ! です」
「……は?」
予想外の話を受けて、俺は思わずよろけて転びそうになる。清子くんも笑顔こそ作っているが、少し首を傾げていた。
何かを勘違いしているらしいので、俺は空咳をしてから、はっきりと答えた。
「あのね、うちは人の生活に害をなす動物を排除するのがお仕事であって、動物探しは専門外だ。探偵さんとか探せば一件くらいあるだろう? プロはそっち」
一緒に居た舞雪ちゃんも同じ気持ちなのか、菜々里のシャツを引っ張って諌めようとしている。
迷いインコは可哀想だと思うけど、それと仕事として受けられるかは別の話だ。
清子くんは何か言いたげだったが、俺の考えを察したのか、息を呑んで頷いてくれた。
「ほらやっぱり、困ってるよ菜々里ちゃん」
「だからさぁ、嘘じゃねぇんだよ! です。ボクは確かにこの目で見たんだからな! です」
釈明した菜々里は、俺に差したままの指をさらに俺に突きつけて、大声で叫んだ。
「このおっさんが、ネズミやツバメに何かペチャクチャ喋ってる所をよ! です」
全身が凍り付いたような幻聴が聞こえた。
言われたことを改めて頭の中で噛み砕くが、やはり意味はどう考えても変わらない。俺が話しているところを、コイツに見られてしまったのだ。
そこでふと、一瞬視線を感じた瞬間があったことを思い出す。あれは菜々里が俺のことを密かに眺めていたのだ。もし俺が気づいたことを察して逃げたのだとすると、なんという反射神経と洞察力なのだろう。
「あー、そうなんだー。俺がそんな風に見えちゃったのかー。ゆ、夢があっていいなー、ねぇ清子くん?」
「な、なんで私に話を持ってくるんですかぁー!」
助けを求める俺に、清子くんは全力で拒絶の意志を示す。逃げ道を失う俺だったが、さらに追い打ちをかけるように、今一番表に出ちゃいけない奴が顔を出した。
『ったくよぉ、誰だぁ、さっきからガーガービービー怒鳴ってるのはよぉ』
「ほらそいつ、そのネズミと喋ってたぞ! です」
ぐいっと詰め寄りながら、ぽんすけを指差す菜々里。指は俺の腹にやっと届くといったところでしかない。
しかし、それはぽんすけにとっては別の光景に映る。
『うわぁぁぁぁ! なんとかしろ羽村ぁ! あの人間がぁ、オイラの命を狙ってるぞぉ! 食う気だなぁ、畜生ぉ!』
「頼むから今だけは黙って寝てくれ……!」
俺はそう小声でつぶやき、片手でぽんすけの頭を胸ポケットに押し込む。だが、流石にこの距離ではそんなささやきも相手の耳に届く。菜々里の顔がより訝しげになるのがわかった。
うっかりさらなる核心を突く材料を与えた自分を小突きたくなる。が、今は自分の脇の甘さを悔やむ前に、どうこの状況から逃げるようかを考えなくては。
唸っているうちに、菜々里の目付きはどんどん険しくなっていく。回答時間はそんなに与えてくれないようだ。
「……あ、そうだ。清子くん!」
「は、ハァイィ!」
素っ頓狂なトーンの返事だった。いや、君がそこまで緊張してくれる必要もないんだけどな。
「そろそろ次の現場に行かないと、ダメだったんじゃないかね? スケジュールを確認してくれないか?」
「は、はいっ」
清子くんは、持ってきていたポシェットからメモを取り出した。スケジュール帳なんて物は書かせていないし、元々その気もない。
言うまでもなくこれはハッタリだ。
「つ、次は隣の街に向かわないといけませんね! あー、でも確か荷物が必要だから一度事務所に戻らないと!」
上手いぞ清子くん! 流石はうち唯一の助手だ。笑顔が引き攣っているけど、果たして菜々里には通じているかどうか。
「……ほぅ、そいつぁいけねぇなぁ。です」
意外と素直に聞いてくれるもんなんですね。なんか舞雪ちゃんに耳打ちをしているのが気になるけど。
「そうそう、というわけで、探偵さんを紹介出来ないのは申し訳ないね。インコ見つかるといいな、そんじゃ!」
と挨拶をして、俺は清子くんに合図をしてそそくさと逃げ出した。
「あの、あれで、ちゃんと、ごまかせて、いるんでしょうか?」
しんどそうに走る清子くんに、俺はうーんと唸るしかない。子供騙しとは正にこのこと、いや、子供にこんな小細工が通用したのか。
ふと俺は背後の菜々里を見る。腕を組んでニヤリと笑い、こちらをじっと眺めている。あまりにも余裕のある姿に、俺はなんだか背筋に寒気を感じた。
いやまさか、根拠のない自信で余裕をぶっこいているに違いない。子供ならよくやる手だ。……恐らく。
「何もないことを、祈ろう!」
「だ、大丈夫なんですかぁ?」
『おぉぉぉいぃぃぃ! なんで今度はこんな揺れてんだ羽村ぁぁぁ!』
確信を持った返事が出来ないまま、俺は二人の少女が見送る姿が見えなくなるまで、必死に走り続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます