第四話『ちょっと待って、菜々里ちゃん』

4-1『羽村さんとツバメ騒動』

 俺が外に出る理由は大体決まっている。

 まず冷蔵庫くんの家賃催促から逃げるため、事務所をこっそり抜け出してどこかで時間を潰すのが第一だ。その次に多いのは買い物のため外へと出るくらいだろうか。まあ、それも両手で数えられたら頑張って稼いだな、というくらいに機会は少ないのだけど。

 しかし今日は、個人的にはとても誇れる理由で外出している。最も俺の生活の助けとなる、勤労のためだ。



 電車にして五駅離れた少し遠くに、農家を潰して作ったという住宅街があった。その外れにある大きな土地に作られた三階建ての一軒家が今回の現場である。

 ちなみにここに来るまで、俺は朝早起きして歩いてやってきた。今日は日差しがや強かったので、連れてきたぽんすけにはちょっと気を遣ったが、普通に最後まで寝て終わったので取り越し苦労だったようだ。

 電車の駅で落ち合った清子きよこくんと共に現地へ向かうと、そこには二人揃って目を丸くしてしまうくらい、大きな家が建っていた。

 新築して間もないのが一目でわかるくらい綺麗に保たれていて、しかも広くてよく整えられた庭まであるではないか。

 正に絵に描いたような夢のマイホームだ。しかし、お友達にあんな金持ちが居る清子くんでも、やっぱり綺麗な家には見惚れるものなのか。

「これはようこそ、お待ちしていました」

 依頼人は蒲木かまきさんという男性だった。妻と娘を一手に養う一家の大黒柱であり、見るからに人当たりが良さそうな好青年である。名刺を交換すると、俺でも名前を聞いたことがある大手電機メーカーのロゴと名前が記してあった。

「いやぁ、こりゃまた随分立派なお家で」

 なんて俺が思わず口にすると、旦那さんから衝撃的な言葉が帰ってきた。

「老後とか身内の万が一に備えてホームエレベーターまで付けちゃって、ローンとメンテ費用が大変ですよ」

 一軒家には似つかわしくないエレベーターという単語に驚き、思わず清子くんに耳打ちする。

「ホームエレベーターって、何?」

「えっと、一軒家向けの小さいエレベーターですよ。ご老人とか足が不自由な方が、階段を上り下りしなくて済むように付けるんです。最近はお買い物とか荷物を楽に上へ運ぶために使う人もいるとか」

 思わず腰が抜けそうになる話だ。いやはや、金持ちの考えることはわからない。

 さて、人の家に見惚れるのは程々にして、今回の依頼は巣を作ったツバメをどうにかして欲しい、というものだ。見に行くと、庭に繋がる縁側の窓の上、そこに備え付けられた円筒状のライトの上に、大きな巣が見えた。よく見れば親鳥が巣に蹲っている。

 一目で卵を抱えているとわかった。実際は確認しないとわからないので、とりあえず旦那さんの目を遠ざけてから、どう声をかけようか思案する。

『ふわぁ、んがぁ? なんだここぉ』

 丁度良く胸ポケットで寝ていたぽんすけが起きたので、卵があるか聞いてくれと頼んでみる。

『ツバメだぁ? そういや羽村はむらん家に通りがかった奴が居たよなぁ』

「そう、俺が話しかけると驚かれるから、まずはお前に任せようとね」

『ほほぅ、ようやくオイラの凄さがわかったみてぇだなぁ。待ってろよぉ、ささっと聞いてきてやるからよぉ!』

 勝手に自画自賛を始めたぽんすけに、俺は何も言わないようにした。その気になってるなら邪魔しないであげておくのが良いだろう。

 ツバメは、腕を精一杯伸ばす俺と、その手に乗って偉そうにしているぽんすけに驚いて警戒したが、事情を説明するとすんなり卵があることを教えてくれた。

 状況を理解した所で俺がぽんすけを降ろそうとすると、ふいに視線を感じ、反射的に縁側と家を繋ぐ窓を見た。風を入れるためか、窓を全開にして網戸で仕切られているが、人の気配はない。

「どうして卵の確認をするんですか?」

 ふと清子くんが尋ねてきた。なるほど、彼女に見られていたからかとほっとした俺は、ぽんすけを胸ポケットに戻しながら答えた。

「保護法に引っかかるんだよ。卵に許可なく危害を加えるのは御法度。事前に申請して許可が出ないと、追い払うことはできなくなるんだ」

「じゃあ、ツバメさんを追い出さなくて済むんですか?」

 清子くんは、少し嬉しそうに声を弾ませた。顔には出ていなかったが、あまり気乗りのしない依頼だったのだろう。そんな彼女の期待を裏切るようでなんだったが、俺は首を横に振った。

「まだわからないよ。家主が断固撤去したいっていうなら、駆除する許可を申請して、受理されたら対処しないと」

「そう、なんですか……」

「まあこの場合だと、少しの間我慢してくださいで許可出ないだろうけど、こういうのってケース・バイ・ケースだから」

「少しの間、雛が巣立つまでの間だけなのに……」

 しゅんと落ち込む清子くんを見て、俺は少し複雑な気持ちになった。鳥の巣作りは他人から見れば微笑ましい光景だが、当事者にとっては迷惑極まりない事態になりやすい。

 多くの人はそれを言ってもわからないし、わざわざ話さずに済む話だ。しかし、清子くんもこの仕事に少しでも携わるなら知っておくべきだろうと思い、俺は少し心を鬼にした。

「清子くん、縁側を見てご覧」

「縁側って、あっ……」

 新築して間もない縁側は、まだ色褪せてはいなかった。が、ツバメが巣を作っている真下には、大量の糞が遠慮なく落とされ、酷く汚れてしまっていた。

「ツバメの糞は当然衛生的に良くないし、下手したら重い病気の原因になることおもある。ましてや新築したばかりの縁側をトイレにされたら、そりゃ家の人はなんとかしたいって思うでしょ?」

「……はい」

「衛生面だけじゃない、鳥の鳴き声や羽ばたく音で、普段の生活を邪魔されることだってある。人間の住処を利用されるのって、住人からしたらとんでもないことなんだよ」

「……その通りです」

 厳しく言ったつもりはなかったが、清子くんはすっかり萎れたようになってしまった。真面目な性格な分、考えてくれているのだろうが、見ている側からすると罪悪感で顔に油汗が滲む思いだ。

「私、そんなこと考えもしませんでした。他人事みたいに、ツバメを駆除しようなんて酷いって、勝手なことを考えて」

 すっかり自分を責め続ける空気になってしまっている。ああ、別に叱るつもりだったわけじゃないんだ。ただ清子くんに負の側面を知っておいてもらいたかっただけで。

「いや、そんな落ち込まなくても! 大体、ツバメを心配するのは当然の反応であって、第一に決して清子くんを非難したわけでもなくてだね」

「あ、ごめんなさい、私ったらまた変な気を遣わせて……」

 そう言って顔を上げた清子くんは、自分の顔をパンと叩いて、目元を拭ってみsた。

「はい、もう大丈夫です。切り替えました」

「なんつーか、清子くんはどこまでも真面目な人だねぇ」

 そう言葉をかけると、清子くんは恥ずかしそうにして、また頭を下げてしまった。

「まあ、どんな結果になっても、俺は出来る限りのことをするから。結果、意地が通せなかったら、その時は自分なりの落とし前をつける。それだけは、わかっていて欲しいってだけでね」

「は、はいっ」

「というわけで、家主さんに結果を連絡しに参りますか」

 と、俺は玄関に回って、調査完了を伝えるためにインターホンを鳴らしにいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る