カクヨム限定番外編『礼蔵くんのお料理指南?』

 作業服姿の二人が事務所から出ていくのを見送った後、俺は改めてキッチンへと向かう。

 小さいながらもピカピカの新品コンロが収まっている。新しい家電製品特有の匂いが、俺の心を沸き立たせる。

 その感動で、俺は年甲斐もなく何度も声を出してしまった。やはりいくつになっても、新しい物を目の当たりにした時の興奮は抑えられない。

 早速使い心地を試そうと、俺はコンロに手を伸ばす。

「何をしれっと我が物顔して使おうとしてるんだ貴様はぁ……」

 ピリピリした声が背中に刺さって、俺は動きを止めた。

 ゆっくり振り返ると、腕を組んで歯軋りする青年が、こちらをすごい顔で睨んでいた。礼蔵れいぞうこと冷蔵庫くんが、いつにも増して怒り心頭のご様子だ。

「ああまったく、豚に真珠、猫に小判、兎に祭文! どれほど言葉を尽くしても、この無駄遣いに対する憤りを表現できない!」

「いやだって、君がうちのコンロダメにしたんでしょ?」

「お前が火事だとか騒いだからだろうがボケナス!」

 思いっきり指まで差されて怒鳴られては、俺も言い返しようがなかった。



 数日前、お料理でヘマをしてしまった俺の騒ぎを聞きつけた冷蔵庫くんが、うちのコンロに消化器を思いっきりぶっかけるという事件が起きた。

 まあ実際は、熱した油がすごい音を立てたことに驚いただけ、だったんだけど、それを説明すると、ぶっかけた本人は物凄く脱力していた。

 当然俺が弁償になるかと思いきや、救いの主は意外なところから現れた。真の大家たる彼の祖父である。

 冷蔵庫くんは電話越しに「そんなことも一目で見抜けねぇのか!」とすごい怒鳴られ、孫の不始末にして大家の責任ということで、ジジィが弁償することになったのだ。普段から慰安旅行だの世界旅行だのあちこち飛び回って悠々自適な老後を堪能しているくせに、こういう時だけは権力を発揮する。

 というわけで、安物ではあるが、セールの機会も利用し、工事費込みで五万円以内に収まるコンロがうちに持ち込まれることとなったのだ。



「君は心が冷たいんだからさ、せめて物事は冷静に判断しようぜー」

「油が弾けたくらいて大騒ぎする良い大人に言われたくないんだよ! 大体お前、ジジィの言い付け、忘れてないだろうな?」

 俺は、今まで頭の外に放り投げていたことを引っ張り出され、げっそりとする。今後しばらく、町内会の行事で運営側の雑用をしろと言われてしまったのだ。勿論、ボランティアという名目のタダ働きである。

「とにかく、暇な時に僕が料理の手解きをしてやる、ありがたく思え」

「え? 料理?」

 俺は、冷蔵庫くんから聞き慣れない単語を聞いて、大きく首を傾げた。

清子きよこさんに頼まれたからな、仕方なく僕は……っておい、なんだよその反応」

 眉を顰める冷蔵庫くんに対し、俺は目を限界まで細めつつ、聞いてみる。

「いや君、料理できんの?」

「ほぼ毎日作ってるよ! というか、下の階からいつも美味しそうな香りとか、漂ってこないか?」

「隣とかご近所のものかと」

 あからさまに腕を震わせて脅してきたので、俺はその辺りで黙っておくことにする。

「とにかく、少なくともお前の何倍かはできるんだよ、僕は!」

 正直そう言われても全然実感が沸かない。俺のイメージとしては、祖父から貰った小遣いで外食や出前を頼んでそれを楽しんでいる光景だ。とてもエプロンをしてきめ細やかに料理をする姿なんて、想像できない。

「じゃあお手本を見せてもらいましょーか、センセー」

「なんで上から目線! 目玉焼きともやし炒めしか作れないド素人の癖に!」

「ほーう、じゃあもっとすごいもん作ってみてくださいよ、センセー」

「コイツ……見てろよ」

 などとブツブツ言いながら、冷蔵庫くんは一旦事務所を飛び出していった。

 何をする気だろうと訝しげに待つと、しばらくしてエプロン姿で戻ってきた冷蔵庫くんは、手に四角いフライパン、と透明のボールを持っていた。

 やたらと本格的だなと思っていると、冷蔵庫くんはテキパキとフライパンをコンロに置き、家主よりも先につまみを捻った。この野郎、まずは俺が一番に触りたかったのに。

 フライパンを温めている間に、彼はボールに卵を割って一つ投入し、菜箸でかき混ぜ始めた。かき混ぜる動作がなんとなくプロっぽくて、無性に鼻につく。

 俺がイラッとしている間に、冷蔵庫くんはフライパンに油を敷いていく。そして火加減を見てから、ボールから直接卵を注いでいく。

 ある程度流し込んだ後、冷蔵庫くんは少しずつ卵をフライパンの中で広げていき、ある程度固まるのを待った。そして固まり切る前にフライパンの奥に菜箸を引っ掛け、自分に向かって丸く畳んでいくように卵を丸めていく。

 丸めた卵をまた奥に押しやると、またボールから卵を投入し、同じ手順を二回続けた。

 やがて、卵の衣を何度も重ねて厚みを増したそれは、卵焼きとなった。

「ほれ、完成だ。噛み締めながら食え!」

 俺は、疑いの眼をこれでもかというくらい向けつつ、差し出された卵焼きを口にする。完成したばかりで滅茶苦茶熱かったので適度に冷ましつつ、そして言われた通り何度も噛み締める。

 全てを食べ終わった後、俺は悔しさのあまり壁に寄りかかった。清子くんの時のような感動はないにせよ、普通に美味しい……。

 しかしそれを口で伝えるのが悔しかったので、俺はひたすら身を捩った。

「素直に喜べよ!」

「……ごちそうさまでした」

 声をプルプルと震わせながら、俺は渋々頭を下げた。悔しいが、人は見た目によらないということだ。

「さあ、腕前がわかったところで指導開始といくか。つーか、目玉焼きくらいさっさと覚えろ」

 自分の方が格上である、と見せつけたうえでのこの態度、実に腹立たしい。が、清子くんに少しでも無用な負担をかけないためにも、ここは歯を食い縛って耐えようじゃないか。

「ほら、フライパン温めておけ。その間に並行して他の作業もこなせるようにするんだよ、効率を考えろ」

 そう、ちょっと偉そうでも我慢して。

「卵に遠慮するような割り方する必要ないだろ、グシャグシャにしない程度に力入れて、ヒビ入れりゃいいんだよ」

 ……いくら腹の立つ態度を取られたとしても。

「油を広げるのが遅い! 焦げるぞ! つかなんで菜箸持ってる手が覚束ないんだよ! もっとテキパキと手を動かして」

 そして俺は、コンロの火を一旦止めてから……。

「おい何コンロ止めてんだ、勝手なことを」

「出て行けぇ!」

 半泣きで俺は冷蔵庫くんを事務所から叩き出した。

 道具を返せとか、食材を無駄にするなとか騒ぎ立てる冷蔵庫くんの声を聞きながら、俺は扉の前で体育座りした。

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